寺子屋塾

目標を明確に設定することよりも大切なこと

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目標を明確に設定することよりも大切なこと

目標を明確に設定することよりも大切なこと

2021/10/03

昨日のblog記事は、8年前に書いた記事をリライトしたもので、その中に「らくだメソッドの教室では、大人の方も含めて多くの方が、小4~5年生のわり算や分数がすらすらできるようになってくると、不思議なことに学習面以外でも何らかの変化が現れてきます。」という部分があったんですが、記事を読まれた方から次のようなご質問を戴きました。

 

Q:大人にも基礎的な計算を学べるような場を作ろうと思っているのですが、寺子屋塾では、大人の方が算数を学ぶことで、具体的にどんな変化がありましたか? 大人にも学びの場が必要だということを、地域のまわりの人にはなかなか理解してもらえていないようにも感じているんですが、どんなことに気をつければよいでしょうか?

 

わたしの回答は次の通りです。

 

A:わたしがらくだメソッドの教室を始めた当初は、塾生は小中学生ばかりでした。それが、次第に大人の生徒さんが増えていき、それが今や大人の生徒が9割を超える状態になっています。

 

もちろん、大人の生徒さんの学習目的はそれぞれに異なるので、それを十把一絡げに語ることはできないのですが、多くの方に共通している内容の一つに、「学生時代に苦手だった算数数学をやり直したいという思いは強いんですが、もし学生時代と同じやり方なら、続ける自信がありませんでした」ということがありました。

 

つまり、いま多くの大人の方が寺子屋塾に関心を示されるのは、わたし自身も含めほとんどの人が学生時代に学んできた学習方法とは、全く違った想定外のやり方がそこにあるからだとおもいます。

 

したがって、らくだメソッドのカリキュラムは、各地の小中学校で行われているような算数・数学の学習とはやや異なる部分があり、それをそのまま算数・数学の学習というように一般化することについては、わたし自身のなかに躊躇う気持ちがあることをお断りしておきます。

 

らくだメソッドで学習している生徒さんが、小4~5あたりの教材を通過する頃に現れてくる具体的な変化の例としては、次のようなものがありました。

 

●小学校のときに不登校になったことがきっかけで10年間家にひきこもっていたけれど、少しずつ外に出られるようになってきた

 

●たくさんのことに興味が出てきて、積極的に取り組むようになり、いろいろなことを同時並行的にこなせるようになってきた

 

●午前中は洗濯、勉強の時間、午後は掃除、その他いろいろ、仕事の時間と、時計を気にしながらもいろいろなことをしているようになった

 

●「気分が乗らないからダラダラしていよう」とか時々落ち込むことがあったけれど、感情の起伏が少なくなった。嫌なことがあっても、気持ちの切り替えが以前よりも短い時間でできるようになった

 

●他人からの期待や賞賛をあまり気にせず、自分自身がいかに幸せでワクワクできるかに着地点を置いて生きられるようになった

 

●当たり前な日常の些細なことにも感謝できるようになった

 

●論理的思考がニガテで、なにか問題が起きると頭の中がパニックになってしまうことがよくあったけれど、そうしたときにもすこしずつ落ち着いて対処できるようになってきた

 

・・・などですが、では、誰もがらくだメソッドで算数を学習すれば、このような変化が必ず起きるかというと、残念ながらそうではないと言わざるを得ません。

 

なぜなら、こうして書いたことは、あくまで各々の方が取り組まれた結果として訪れた現象のひとつの側面にすぎず、らくだメソッドで学習していたからこのような変化が起きたという風に、その因果関係を証明することはできないからです。

 

また、そもそも学習すべき課題は個別に異なり、そのプロセスも一律のものではないので、あくまで結果として表れてきたこれらの現象をとりあげ、それをそのまま学習目標に設定し、そこにアプローチしようとすること自体に無理があるようにおもうのです。

 

でも、この結果を目標に単純に置き換えてしまう思考パターンは、だれもが無自覚に、しかも日常的にやってしまっている「すり替え」ではないかと。そもそも結果と目標というのは、似ているようでいて実は次元の違うものなんですが、なぜそのような「すり替え」が起きるのかということとなると、なかなか判りにくいところがあるかも知れません。

 

たとえば、内田樹さんが、次のようなことを書かれています。

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これだけ努力すると、これだけ「いいこと」があるよというふうに事前に努力と報酬の相関を開示してしまうと、子どもたちの学びへの動機づけは歴然と損なわれる。 学びというのは、「謎」によって喚起されるものだからだ。

内田樹・街場の至言(非公認bot)on twitter より

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つまり、ここで内田さんが言われたいことは、「算数を学習すれば、こういう良いことがあるよ」という風なことを事前に示してしまうこと自体が、良い学びの場づくりにはつながりにくいんじゃないですか? という風に解したんですが、算数の学習を目的指向、成果主義というようなことからアプローチするやり方は、あまり得策ではないようにこれまでのわたし自身の経験上でも感じてきました。

 

自分ではない他者が結果として得られたことを、そのまま自分の未来の目標に据える行動が、実際やってみてあまりうまくいかない原因のひとつは、自分の現状を分析して、その目標の設定が妥当であるかどうか検討のないままなされるためで、これをたとえると、小さな子どもが「プロサッカーの選手になりたい」と将来の夢を語るようなこととあまり変わらないんじゃないでしょうか。

 

らくだメソッドの算数教材は、計算問題がたくさん並んでいて、一見すると計算ドリルか小テストのように見えます。でも、ドリルやテストとは似て非なるもので、自分のできる単元から始めて順番に学習していくだけで、現状の自分がとりくむべき固有の課題がおのずと浮かび上がってくるように工夫されています。

 

よって、学習計画を綿密に立てたり、明確な目標を設定したりしなくても、目の前に見えてきた今の自分の課題に対して、一つひとつ丁寧に対処していくことで、確実に成長していけるというか・・・時間軸で説明するとすれば、いまの自分を形づくってきたのは、過去の自分の有り様ですよね。でも、過去に戻って自分を変えるなんてことはできないわけだから、もし、未来の自分を変えたいのならば、まずは目の前の課題にどう対処するかという、今の自分の姿勢が変わらない限りムズカシイのではないかとおもうんです。

 

学習で何を生みだせるか、どう変化するかについては、人によって違うし、その人次第ということになってしまいますが、それが本来の〝学び〟ではないかとおもうので、この先いったい何が起きるか、一緒に宝探しするようなつもりでアプローチしてみてはいかがでしょうか。そして、そうした場に関わる人間にできることは、その人の現状をそのまま受け入れ、各々固有の学び、固有のプロセスを大事にする(比較・競争しない、させない)ことでしょうから、そうした意味では、注意深く「話を聞く力」と「観察する力」は必須と言えるかもしれません。

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