寺子屋塾

「ごめんなさい!」は禁句です

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「ごめんなさい!」は禁句です

「ごめんなさい!」は禁句です

2022/05/21

土曜はらくだメソッドの学習に関連することや、

塾生たちの様子などを投稿しています。

 

2/5に投稿した記事

「プリントなんかやりたくない」って言ってごらん?

に、

寺子屋塾の教室では、常々塾生たちに

「プリントが『やりたくない』という気持ちのときは、

『やりたくない』って言っていいからね。」

と話していますナンテことを書きました。

 

他の塾や学校でなら、

「勉強やりたくありません!」なんて

先生に面と向かって言おうものなら、

こっぴどく叱られるのが普通でしょう。

 

でも、寺子屋塾では、「教えない教育」つまり、

先生が生徒に教えるのは当たり前、

生徒が素直に聞くのは当たり前といったような、

従来の「先生」と「生徒」という

固定的関係性を問い直すことが大前提なんですね。

 

よって、世間的に常識とされているようなことに

素直に従おうとする姿勢よりも、

学習者自身が、

結局のところどうしたいかという、

内側にある本心に耳を傾け、

ちゃんと向き合おうとする姿勢や、

自分の本心を、言語化し表現してみる姿勢を

積極的に推奨し

大事にしたいと考えているわけです。

 

プリントができていなかったとき、

わたしに対して「ゴメンナサイ!」って謝る

塾生がときどきいるので、

そんなときはすかさず、

「この教室で『ゴメンナサイ!』は禁句ですよ〜」

って話します。

 

もちろん、世の中全体を見渡せば、

それまで学習ということを

他者から強制され、やらされてきたという人が

現状ほとんどでしょうし、

そんなにすぐに人間、変われるものでもないので、

「ゴメンナサイ!」って言葉がつい出てしまう気持ちは

わからないわけではないんですが。笑

 

他者から強制され、命じられたことができなければ、

その強制し、命じた人に

謝る必要があると考えることは自然でしょうが、

寺子屋塾では、「自分で決めて、自分でやる学習」に

チャレンジしているわけですから、

他の誰かが迷惑を被ることもありません。

 

にもかかわらず、もし、自分が

できていないことに対し罪悪感を感じるとするなら、

それはいったい誰に対して、何に対してだろう?と

考えてみてほしいのです。

 

結局、「ゴメンナサイ!」って言葉を

つい口にしてしまったり、

できないことに対して罪悪感を感じたりするのは、

そもそも勉強は他者から強制され、

やらされないとできないんだという意識が

抜けていないからであり、

自分の本心と向き合えていないからであり、

自分で本当に決めていないということであるなら、

まだまだ、自分の学習が

セルフラーニングになっていない証拠でもあるので。

 

「ちゃんとできてるときより、

 できなかったときの方が大事だよ」

ということも、よく話しているんですが、

それはけっして、「できないままでいい」という

意味ではないのはもちろん、

反省させたいわけでもありません。

 

反省って、世間的には大事だとおもわれていますが、

皆さん、いままで、何らかの失敗をしたときに、

反省することで、失敗しなくなったって経験が

どれくらいありますか?

 

反省が、自分の内側から沸き起こってきていて、

本心に基づいた行為ならまだしも、

失敗したときは、反省しないといけないという

今までの習慣や外側の規定に従ってするのなら、

結局、コトの良し悪しを

言うだけに終わってしまっていませんか?

 

コトの良し悪しを評価し判断するのでなく、

評価を切り離し、観察することが大事で、

事実を事実としてありのままを見ることができれば、

おのずと「できる」に向かっていくのです。

 

ピンと来ない方は、

こちらのつぶやき考現学や、
自分の器を拡げるためにできること(その7)

などの記事を読んでみてください。

 

冒頭の写真に挙げたとおり、

寺子屋塾の通信コース用学習記録表の一番下には、

「プリントが全くできていなくても

 返送日にはこの記録表を送ってください」

という文言が記してあります。

 

記録表には、「全くできていない」ということも

ちゃんと記録されているからであり、

できなかったときこそ、

自己観察のまたとないチャンスなんですが、

そのことの良し悪しを判断するということは、

そのように判断した瞬間から、

たいていの場合、

観察すること自体を止めてしまっているんですね。

 

たとえば、一口に「できなかった」といっても、

 ①やろうと意識していたのにできなかった

 ②意識はしていたけどやりたくなかった

 ③やること自体をまったく忘れていた

 ・・・というように、

細かく見ていけば、日によって状況は異なり、

様々なケースがあるのではないでしょうか。

 

そうした姿勢を持続していくことによって、

自分の目の前の状況に対する観察力が磨かれ

解像度が上がっていくわけなんですが、

これらを全部「ゴメンナサイ」「できませんでした」

という言葉で一括りにしてしまうのは、

実にもったいないようにおもうわけです。

 

別にこの話は、

プリントをしているしていないに関係無く

一般的にも通じることだとおもうんですが、

あなたは、せっかくの自己観察のチャンスを

フイにしてしまっていませんか?
 

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