寺子屋塾

今を生きる姿勢がそのまま未来への準備に

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いまを生きる姿勢がそのまま未来への準備に

いまを生きる姿勢がそのまま未来への準備に

2022/06/02

木曜はマネジメント関連の話題を投稿してるんですが

〝準備〟ということばがふとうかんだので、

それを入口に書いてみようかと。

 

というのは、

今朝サイコロを振って立てた易の日筮が

64卦の16番め雷地豫(らいちよ)だったんですが、

漢字の「豫」は「予」の異体字にあたり、

「あらかじめ」「前もって」という意味を

もっていることからおもいつきました。

 

ちなみに、雷地豫は、

上卦「雷(震)」と下卦「地(坤)」の組み合わせで、

雷気が地上に現れ、まさに発動せんという時であり、

スタートの春を悦び楽しむ心を表す卦でもあります。

 

ではなぜ、「あらかじめ」が「悦び楽しむ心」に

なるんでしょうか。

 

春になると芽吹く草木の芽は、

いきなり出て来るわけではなく、

冬の間にちゃんと準備をしていて、

タイミングを待って現れ出てくるわけです。

 

つまり、何事においても前々から準備し、

順を踏んで行うようにすれば、

滞りなくコトが進んで良い結果をもたらしますし、

それが「悦び楽しむ心」につながるわけです。

 

これまで、講座や研修のような学習の場を

主催したり、ファシリテートしたりすることを

数限りなく行ってきましたが、

そうした場づくりにおいても、

準備をいかにすすめるかはとても大切なテーマです。

 

わたしの場合、具体的に何を準備するかといえば、

参加される皆さんに、

「何をお伝えしたいのか」ということと

そうした場づくりをすることを通じて

わたし自身も「何を学びたいのか」明確にして

いまの自分の課題を意識して

場に臨む姿勢を大切にしてきました。

 

たとえば、講師をお招きして

講演会を行うような場合でも

お話しの内容を、その講師の先生に全面的に

お任せしてしまうのでなく、

主催者として何を伝えたくて、その場を設けたのか、

事前に丁寧に話し合って確認するように努めています。

 

1997年春にらくだメソッドの平井雷太さんを招いて

名古屋でイベントを開いたときのことですが、

その準備をしているときに、平井さんから、

「もし、井上さん自身がその場を与えられたなら、

どんなことを話しますか?」と問われ、

わたしが平井さんになったつもりで、

レジュメを書いたことがありました。

 

わたし自身が講座で講師の立場のときは、

毎回必ず分刻みの詳しいタイムテーブルを

作成するようにしていますが、

当日になったらそのタイムテーブルは

いったん白紙にして場に臨み、

その通りにやろうとしない

臨機応変な姿勢も大切にしています。

 

なぜなら、タイムテーブルは、

わたしひとりだけの勝手な脳内イメージにすぎず、

現実の世界は、まずその通りには進みませんから、

タイムテーブル通りにやろうとすると、

講座に参加されている方々にどこかで

無理を強いることになってしまいかねないからです。

 

また、寺子屋塾でキャッチフレーズとしている

「教えない教育」というのは、誤解されがちで

なかなか真意が伝わりにくい言い回しなんですが、

教育の主人公は学習者であり、

指導者のわたしが明確な意図をもって

コントロールしようとしたり、

上意下達的にモノを伝えようとしたりしない姿勢を

表現したものでもあります。

 

そのため、コミュニケーションにおいて、

自ら問いを立てる姿勢の大事さや、

学習者自身から問いを発することの大事さについて

認識を深めてほしいという想いから、

インタビューゲームを

寺子屋塾における最も重要なプログラムに位置づけ、

体験出来る場を定期的に設けたり、

インタビューゲームの3つのルール

1.何を聞いてもいい

2.答えたくないことは答えなくていい

3.聞かれていなくても話していい 

そのまま教室でのルールとしてたりしてきました。

 

よって、わたしは塾生たちから

どんな問いを投げかけられても困らないように、

わたし自身が常日頃から何がわかっていて、

何がわかっていないかについて

自覚的であろうと努めるのみならず、

わからないことに対して問いを立て、

その問いをさらに考察して深めたり、

関連する問いをいつも模索したりしているわけです。

 

こうして毎日blogを書き続けるということも、

そうした準備の一環といっていいでしょう。

 

そんな風に日々を過ごしているためか、

最近では、たとえば、この記事の冒頭に書いた、

サイコロを振って易を毎日立てるというような、

ふとしたきっかけから明確な目的なく始めたことでも、

それをやり続けることで、結果的に、

『論語』を読み解くための準備になっていたことに

後になってから気づかされたりするんですね。

 

さらには、その論語499章を読み終えたのが、

コロナ禍が始まって最初の

緊急事態宣言が出された直後という

タイミングだったのがとても象徴的だったんですが、

論語を毎日読んでいたことが、

結果的にわたし自身の情報リテラシー力を

格段に高めてくれて、

コロナ禍がやってきても、まわりの情報に

必要以上に振り回されることなく、

過ごせたというようなこともありました。

 

TVドラマ『逃げ恥』を何度も繰り返し観ることが

吉本隆明さんの『共同幻想論』を読み解くことに

つながっていたり・・・というように、

日々何気なく繰り返しているアクションが、

意外にもこんなことにつながっていたんだと

後になってからおもうことがしばしば起こるのです。

 

別段、自分の情報リテラシー力を高めようとして、

『論語』を毎日読んでいたわけではないし、

まして、『共同幻想論』をしっかり理解しようと

TVドラマ『逃げ恥』を観てたわけでは

もちろんありません。笑

 

おそらく、日々の生活というものは

始まりも終わりもなく、

もともと「いま」が連綿と続いていて、

過去とか現在とか未来とかいったような時間で

区分けされていないものです。

 

過去の積み重ねから「いま」が

自分の前に立ち現れているのであるし、

その「いま」の積み重ねからしか

未来は生まれていかないのであるから、

いま、自分の目の前にあることに対して

誠実に丁寧に向き合ってやり続けていくことが、

結果として後から訪れてくることの準備に

つながっていくというのは、

至極当然のことなのかもともおもえてきました。

 

つまり、常に問われているのは、

過去のことを後悔したり

先のことを気にしたりすること無く、

いま、この瞬間から目を反らさないで

ちゃんと生きているかどうか、

いろんな物事のひとつひとつのつながりを、

どこまで意識しながら

日々をすごせているかどうかなのではないかと。

 

そして、そのように日々を過ごせているのなら、

それがそのまま自然に

未来への準備につながっていくのではないかと。

 

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