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マルセル・プルースト「真の旅の発見は新しい目で見ること」(「今日の名言・その24」)

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マルセル・プルースト「真の旅の発見は新しい目で見ること」(「今日の名言・その24」)

マルセル・プルースト「真の旅の発見は新しい目で見ること」(「今日の名言・その24」)

2022/06/27

 真の旅の発見は、


 新しい風景を探すことではない。


 新しい目で見ることなのだ。

 

【英文(原語はフランス語)】

 The real voyage of discovery consists not in seeking new landscapes, but in having new eyes.

 

※マルセル・プルースト(1871〜1922・フランスの作家)のことば

 

6/23以来このblogでは、

観察力をテーマに記事を投稿していることもあり、

今日の名言は、マルセル・プルーストの

このことばを選んでみました。

 

プルーストは、ジェイムズ・ジョイス、

フランツ・カフカと並び称される

20世紀を代表する世界的作家のひとりと

言われています。

 

最も有名な小説『失われた時を求めて』を、

読んでみたいとおもったことは

これまでに何度かありましたが、

原書で3000ページを超え、訳本も分厚い文庫で10巻!

という厖大な長さもあり、未だ果たせずにいますし、

他の著作も読んだことはありません。

 

冒頭に紹介した言葉は、

プルーストの言葉のなかでもかなり有名なようで、

ネット上にも沢山見つかりましたが、

出典が明確に記された記事を発見することは

残念ながらできませんでした。

 

ただ、『失われた時を求めて』に

この言葉の主旨につながるような記述があることは

発見できたので、その箇所を以下にご紹介。

 

結局旅行特有のたのしみは、

途上で地面におりたり疲れたときに

とまったりできる、ということではなく、

またそんなふうに

出発と到着とのあいだの差異を

できるだけ感じられなくすることよりも、

むしろその差異をできるだけ

深く感じるようにすることにある。

つまり、われわれの生活している場所から、

希望の場所の中心へ、想像力が飛躍でもって

われわれを連れていってくれたときのように、

二つの場所の距離の差を、

思考にあったときのままに、完全に、そっくり

そのままで、もう一度感じ直すことにある。

※『失われた時を求めて 第二篇

 花咲く乙女たちのかげにⅠ』(井上究一郎訳)より

 

冒頭のことばの主旨についての話にもどりますが、

何かを発見するということは、

世界遺産であるとか、有名な美術品であるとか、

行ったことがないところへ行ったり、

新しいものを探したりすることばかりではなくて、

今までとは違った視点で捉えられるような

新しい目を持てたかどうかが

大切なんだということですね。

 

人はどうしても、日々の生活や仕事に追われていると

平凡な繰り返しに退屈さを感じてしまって、

外側に見える新しさに注目したり、

刺激を求めたりしがちなところがあります。

 

もちろん、今までに見たことがないものを見たり、

未知らぬ土地を訪ねたりすれば、

新しい発見が生まれる可能性は高くなり、

そのできごとから受けるインパクトから

活力が増すことも期待できるでしょう。

 

でも、わたしたちの生活の土台は、

平凡で退屈な繰り返しの日常にあるので、

非日常の体験によって、

自分自身がどれだけ変化したか、

非日常の中で体験したことを

どれだけ日常の中に還元できるか・・・。

 

ようするに、非日常的な体験であるとか、

旅の風景であるとか、有名な美術品であるとか、

外側にみえるものの方に価値があるわけでなく、

あくまで、目の解像度が上がるなど、

自分自身がどれだけ変化したかなんだと。

 

もし、このプルーストの「新しい目」という言葉が、

自身の視点や解像度、価値観の変化を意味するのなら、

なにも旅に出て非日常的な体験をしなくても、

見慣れた日常のなかでも旅はできるし、
自分の気持ちの持ち方次第で、

人はいつでも旅人になれるのではないでしょうか。

 

 

さいごに、プルーストの『失われた時を求めて』から

よく知られた部分を引用して紹介しますので、

プルーストのいう「新しい目」とは

どんなことなのかを感じ取ってみてください。

 

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私の就寝の舞台とドラマ、私にとってそれ以外の物が、コンブレーから、何一つ存在しなくなって以来、すでに多くの年月を経ていたが、そんなある冬の日、私が家に帰ってくると、母が私のさむそうなのを見て、いつもの私の習慣に反して、少し紅茶を飲ませてもらうようにと言い出した。

はじめはことわった、それから、なぜか私は思いなおした。

彼女はお菓子をとりにやったが、それは帆立貝のほそいみぞのついた貝殻の型に入れられたように見える、あの小づくりでまるくふとった、プチット・マドレーヌと呼ばれるお菓子の一つだった。

そしてまもなく私は、うっとうしかった1日とあすも陰気な日であろうという見通しとにうちひしがれて、機械的に、一さじの紅茶、私がマドレーヌの一きれをやわらかく溶かしておいた紅茶を、唇にもっていった。

しかし、お菓子のかけらのまじった一口の紅茶が、口蓋にふれた瞬間に、私は身ぶるいした、

私のなかに起こっている異常なことに気がついて。

素晴らしい快感が私を襲ったのであった、孤立した、原因のわからない快感である。

その快感は、たちまち私に人生の転変を無縁のものにし、人生の災厄を無害だと思わせ、人生の短さを錯覚だと感じさせたのであった、あたかも恋のはたらきとおなじように、そして何か貴重な本質で私をみたしながら、というよりも、その本質は私のなかにあるのではなくて、私そのものであった。

・・・一体どこから私にやってくることができたのか、この力強いよろこびは?それは紅茶とお菓子との味につながっている、しかしそんな味を無限に超えている、したがっておなじ性質のものであるはずがない、と私は感じるのであった。

このよろこびはどこからきていたのか?

それは何を意味していたのか?

どこでそれを把握するのか?

 

※『失われた時を求めて・1 

 第一篇スワン家のほうへ』p.74より

 

※図版はプルーストの肖像を載せたフランスの切手

 

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