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読書会つんどくらぶ 第31回『存在と時間』(その1)開催レポート

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読書会つんどくらぶ 第31回『存在と時間』(その1)開催レポート

読書会つんどくらぶ 第31回『存在と時間』(その1)開催レポート

2022/07/08

毎週金曜は読書関連カテゴリーの記事を

投稿してきました。


今日は、7/3午後に中村教室で行った

読書会つんどくらぶの開催レポートをお届けします。

つんどくらぶは、読もうとおもって買ったのに、

なかなか読むことができず

机の上などにどんどん積み上がって行くばかりの

いわゆる〝積ん読本〟をこよなく愛する方々にも

安心して参加頂ける集まりをということで、

本を読んでいなくても参加出来る

敷居の低い読書会として

にんげん図書館と寺子屋塾の共催企画として

2015年10月から開催しています。

 

これで31回を数えるんですが、

今回も初めて参加される方が3名もあり、

ハイデガー『存在と時間』(100分de名著テキスト)を

主催者2名の計5名で、読んで意見交換しました。

 

前半のセッションは、

テキストの「はじめに」全部とを読み、

ビデオの第1回を観て意見交換、

後半のセッションは、

テキストのP28〜38を読んで意見交換しました。

 

第1回は、ハイデガーの経歴や執筆した背景、

第2回以降に登場する内容が予告的に語られ

総論的な位置づけの回だったこともあって、

『存在と時間』の具体的中味については

アウトライン程度しか呈示されておらず、

対話がなかなか先に進めないもどかしさを

感じることもあったんですが、

テーマが言葉の問題にまで広がったり、

参加された皆さんの日常的なエピソードなどが

いろいろ伺えたりして面白かったです。

 

ハイデガーは、存在についてこの本で、

明確な結論を出したわけではないんですが、

古代ギリシアの時代から近代まで

今までさまざまな哲学者たちが

「存在とは何か?」という問いを

考え続けてきていることもあって、

わたしたちは存在についてわかったつもりには

なっているかもしれないけれど、

本当は何もわかっていないんじゃないか?と。

 

結局、このように「存在の意味への問い」を

新たに設定し直したことがハイデガーの

スゴいところだなというところだけは

把握できたんじゃないかなとおもいました。

 

どんな結論もひとつの〝仮説〟でしかないので、

正しい答を導き出そうとするよりも、

より解像度の高い次なる〝仮説〟を生み出せるような

〝問い〟をどう立てるかが重要なんですね。

 

参加された方が終了時に書いて下さった

感想カードを以下ご紹介。
ご参加有り難うございました!

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●私には知らない世界・存在が雪崩のようにあるな・・・というのが、終わった今の率直な感想。自分でパラパラと本を読んで「言葉での認識」というところまで一切思考が至らなかった。皆さんの中に〝存在する〟言葉と、私の中に似たような形で存在する言葉との結びつきによって生まれた場だったと感じた。
話の中でどこからか湧いた「個別の苦しみを言う≠わがまま、権利」という話が印象に残っている。その人の中に存在する苦しみは、私の中に苦しみとして認識されていないかもしれない。しかし、私の中に存在しない苦しみだったとしても、相手の中には存在している、それは、私の中の尺度でも測れないし、測ってもすべてではない。

 

●TVとテキストを一人で観て読んで・・・のときには、思い当たらなかった考え方がたくさんあって面白かった。「説明できる/できない」「言語になることでの強度(増というか強さというか)」「言語や呼称のとらえ方の、その人それぞれの違い」など・・・。誰かと考えないと分からなかったことがとても多い。これまで勝手にそうだと思っていた「哲学」そのものに対する考え方も変化して、より一層興味が強くなった。日本と西洋でも考え方が異なるし、「答え」がないこと、というか、考える過程が哲学の面白さなのかな??

 

●一人で読むと眠くなる内容なので、読書会に参加できてよかった。存在に限らず、我々がわかっていると思い込んでいる言葉や概念は多いと思う。ただ、その言葉を使っている時点で実は理解しているのではないかと思った。存在とは何かを説明できないのは、存在ということを理解していないからではなく、存在という言葉を説明するための言語をもっていないからなのではないか?と、このように、自分だったらすぐに言語+概念的な方向にもっていってしまうので、「人間とは?」から問い直したハイデガーの視点はすごいのかもしれない。考えるというとすぐに頭の中で言語を使って考えてしまうし、思考してしまうが、現象論的に考えているハイデガーのとらえ方は、見落としがちかもしれない。

 

●〝存在している〟ということをあたりまえすぎて、そこにモノ自体と存在しているということは違うことや、時間性を含んでいるということには気づかずに生活している。〝存在〟についての切れ目を入れてもらったように感じた。よくよく考えると、日々の中で感じる人間関係、個と社会の関係にある違和感は、〝存在〟に起因しているとも思った。哲学と日常が実感できる時間だった。大脳思考ー内臓感覚、仏教、共同幻想とのつながりもありそうで、日本・東洋の哲学者がハイデガーの提議をどう感じたのかきいてみたいと思った。
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次回は9月の休日に開催を予定しているので、

日程が決まり次第またおしらせします。


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