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目の前にある『はてしない物語』を読み解く(塾生Bさんのふりかえり文から)

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目の前にある『はてしない物語』を読み解く(塾生Bさんのふりかえり文から)

目の前にある『はてしない物語』を読み解く(塾生Bさんのふりかえり文から)

2022/10/08

土曜はらくだメソッド、塾生関連の記事を

投稿しています。

 

1ヶ月ほど前に、塾生Bさんが書かれた

らくだメソッドの学習ふりかえり文を

半月分ご紹介したことがありました。

塾生のらくだメソッド学習ふりかえり
(Bさん・50代女性)


このBさんから、送られてきた9/26のふりかえり文に

●2022.9.26  らくだ

小6-16 5分52秒 ミス1

分数の割り算を、掛け算の途中式を書かず

そのまま解いてみた。
難しい。
2問目はいつものように掛け算を書いた。
合格したが、明日もやる。
合格したプリントを再度やると、

合格前より俯瞰的に見える気がする。

 

と書かれていた内容の太字部分に興味がわきました。

そこでわたしはBさんに

合否という基準は言ってみれば

人為的に設けられたもので、

それこそ「めやす時間」の名前のとおり

あくまでひとつの目安にすぎないとおもうんですが

合格したプリントを再度やると、

どうして合格前より俯瞰して見えるようになるのか

もう少し突っ込んで考えてみると

おもしろいかもしれません。

とコメントしたんですが、

そのことについてBさんの考察が早速

10/2のふりかえりに書かれていたので以下にご紹介。
 

●2022.10.2 らくだ
小6-17 7分52秒 ミス0

合格プリントを再度やると俯瞰しやすいことについて

考えてみた。

念のため俯瞰の意味を調べてみた。

俯瞰:広い視野を持って物事を巨視的に捉えること。

   一歩引いた客観的な視点。

 

客観の意味も調べてみた。

客観的:特定の立場にとらわれず(第三者の立場で)

    物事をみたり考えたりするさま。

(こういう時、ネット情報の中から何を選ぶかが

 主観的だと思う。無意識で自分の求めるところを

 選ぶよね~とにまにましてしまう)

 

合格前から、1/6、1/3、1/2が繰り返し出てくること

に気付いていた。

この約分や足し算引き算は

考えなくてもできるようになっている。

 

今日、合格後プリントを再度やった時、

問16と17、問18と19、はカッコがついているが

基本的に同じ問題であり、同じ答えだと気付いた。
(足し算引き算は順番を変えても同じ答えに

 なることを体感する意図なのだろうと思う)


このプリントは3枚目。

昨日まで2枚やっているが気付いていなかった。

合格を目指してやっている時、ふとした気付きがある。

それはプリントをやる楽しみのひとつである。
合格後は、それまでのへーほー以外で、

あれっの気付きがあることが多い。
(合格できているから一応及第点であるのだろうが、

 まだまだなんだよ、奥深いんだよ、

 と言われている気がする。

 『果てしない物語』を目の前に広げられている。)

なぜか。
「合格したい」欲から離れており、

ある意味ジブンゴトではなくなって、

だから突き放して観れるのだろう。

 

他人が失敗しそうだと「ああすればいいのに」

「こうすればいいのに」と思うが、

自分だと「こうしかできない」「しょうがないの」

と思ってしまうところに似ている。

人のこと(ジブンゴトではないこと)だから気付ける。

のが合格後プリントか。

一歩引いて、やれてもいいし、やれなくてもいいし、

気付きがあってもいいし、なくてもいいし。

自分がプリント一色でなく、余白がある。

から気付ける。

『飄々とプリントに向き合っている。

 だから気付きやすい』(←イマココです)

 

らくだメソッド 算数教材 小6-17の一部分

 

この画像上部に「めやす8分」とありますが

らくだメソッドには、このようにすべてのプリントに

めやす時間が設けられています。

 

めやす時間でできて、ミスが3個以内だったら

次のプリントに進んでOKというルールなんですが、

結局、やったプリントができたのかできなかったのか

自分の感覚だけでは判断しようがありませんから、

このように客観的な指標を置いているわけです。

 

とりあえず、この「めやす時間」というのが

プリントで学習する動機付けになり、

一つの目標になって、

目標があるから気づけることがあります。

 

しかし、必ずしもイイコトばかりではなく、

目標が存在するために、

その目標以外が目に入らなくなってしまうことも

一方では起きているんですね。

 

つまり、合格したプリントを再度学習することに、

どんな意味を見出せるかと言えば、

そのひとつは、目標が設けられていたことによって

自分が無自覚に切り捨ててしまっていた部分にも

意識が向けられることと言ってよいでしょう。

 

以前にも、プリントや学習記録表、

ストップウォッチというツールがあることによって、

自分という人間を外在化させることが

可能になるという話を書いたことがありましたが、

Bさんも書いているように、

合格したあとのプリントを学習することは、

自分というものをより外在化し、

一歩引いたところから見えるようになる・・・。

 

これは世阿弥のいう「離見の見」にも

通じていると言っていいかもしれません。

 

寺子屋塾は、体験ベースの学習なので、

こうして文字だけ書かれた記事だけを読まれても

体験の無い方には

実感がなかなか湧かないかもしれないんですが、

Bさんの書かれたふりかえり文に関連する内容として、

次の記事なども読まれて参考にしてみてください。

 

「我見」と「離見」の違い

あるがままに生きる

 

 

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