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夏目漱石『夢十夜』より第六夜

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夏目漱石『夢十夜』より第六夜

夏目漱石『夢十夜』より第六夜

2023/03/12

一昨日投稿した記事で紹介した

森田真生さんの『数学する身体』のなかに、

 

「学びとは、はじめから自分の手許にあるものを

 掴みとることである」という

ハイデガーの言葉がありました。

 

その記事に詳しくコメントしなかったんですが、

昨日の記事を読まれた方には、この言葉が

当塾でキャッチフレーズとしている

「教えない教育」につながるものだということは、

すぐピンと来るんじゃないかとおもいます。

 

それで、今日の記事も

一昨日に続いて読書関連の話題なんですが、

わたし自身の過去において、

現在の「教えない教育」につながる

最も古い原体験はなんだっただろうか?

という問いを立てたときに、真っ先に

おもいうかぶ小説作品について

書いてみようかと。

 

 

夏目漱石に『夢十夜』という小説があるんですが

読まれたこと、ありますか?

 

リンク先の青空文庫で全文を読むことが

できるので、ご覧になってみて下さい。

 

多くが「こんな夢をみた」という書き出しで始まる

10のショートストーリーというか、

短編小説集なのですが、

「坊っちゃん」「こころ」「三四郎」といった

代表作に比べると有名ではないので、

マイナーな作品集と言っていいでしょう。

 

わたしが最初にこの作品を知ったのは

中学3年生の頃のことで、

国語科の高校入試問題に

夢十夜「第六夜」が出題されたことがあったのか、

こちらのページのように、

模擬テストや問題集に複数出ていて

その問題文が妙に印象に残っていたからです。

 

この『夢十夜』が執筆されたのは1908年のこと。

 

漱石自身はこの作品について

「100年経ったら理解されるだろう」という

コメントを残しているんだそう。

 

その漱石自身の発言を受けてか、

ほぼ100年後の2007年に

初めて『ユメ十夜』として映画化され

お正月映画として公開されたこともありました。

 

アマゾンプライムなどの動画配信サイトで

見ることができるんですが、

ニコ動に第六夜がアップされているようです。

 

それでは、能書きはこれくらいにして、

漱石の『夢十夜』から第六夜をおたのしみください。

 

音声で朗読をお聴きになりたい方は、

こちらのYouTube動画をどうぞ。

 

(引用ここから)

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第六夜

運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門の甍を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗の門が互いに照り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障にならないように、斜に切って行って、 上になるほど幅を広く屋根まで突出しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。

ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中でも車夫が一番多い。辻待をして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵(こしら)えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。私ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。何でも日本武尊よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻を端折って、帽子を被らずにいた。よほど無教育な男と見える。
運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺をしきりに彫り抜いて行く。
運慶は頭に小さい烏帽子のようなものを乗せて、素袍(すおう)だか何だかわからない大きな袖を背中で括っている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。ど うも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜すに、上から槌を打ち下した。 堅い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。
道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽に挽かせた手頃な奴が、たくさん積んであった。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。

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(引用ここから)

 

いかがでしたか?

 

それで、皆さんにひとつ質問です。

 

なぜ明治の木に仁王は埋まっていないのか、

運慶が今日まで生きている理由もほぼ分かったと

漱石は書いていますが、

読まれた皆さんにはわかりましたか?

 

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