寺子屋塾

高橋悠治「坂本龍一ときみがすれちがったメビウス空間の裏側に何があったか」(坂本龍一・追悼)

お問い合わせはこちら

高橋悠治「坂本龍一ときみがすれちがったメビウス空間の裏側に何があったか」(坂本龍一・追悼)

高橋悠治「坂本龍一ときみがすれちがったメビウス空間の裏側に何があったか」(坂本龍一・追悼)

2023/04/12

坂本龍一さん追悼の記事も

これで8つめになりました。

 

わたしが教授の音楽を、1978年にリリースされた

ファーストアルバム『千のナイフ』から

聴き始めたのは、

ゲストミュージシャンの一人に

高橋悠治さんが参加されていたからです。

 

ということで今日は、

高橋悠治さんが雑誌「GOUT」

戦場のメリークリスマス特集号に寄稿された、

「坂本龍一ときみがすれちがったメビウス空間の裏側に何があったか」

です。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「坂本龍一ときみがすれちがったメビウス空間の裏側に何があったか」 高橋 悠治

 

雨がふる雨がふる、オレンジ色の雨が。こどものときよんだジョージ・ガモフの本のなかで、あわれな会社員トムキンズがアインシュタインの相対性原理についての教授の講義でねむってしまい、かゆのような記号がゆめのなかにしみだしてゆくあの場面のように、時間のなかにちらばってピントのあわない少年の像はどうしたらひとつにまとまるだろう。

 

おなじ本のべつの場面では、二本の列車が光の速度ですれちがい、空間がおしつぶされ時間がのびて、ずりおちる汽笛とともに赤い光と砂けむりがおしよせる。きみと坂本は1960年から80年までの20年間のどこかですれちがったはずだ。いまは反対側にいて遠ざかってゆく。音楽宇宙がメビウスの環であるなら、いちばん遠いのはおなじ場所で、ただ右手は左手で、世界はうらがえされているだろう。

 

1962年、NHKの電子スタジオにこもって、まだシンセサイザーもコンピューターもなく、ノート一冊を計算でうめ、エンジニアがオシレーターの目盛をうごかして、でる音を一つずつ録音し、テープをものさしではかってハサミで切って、エレクトロニクスのはり絵をこしらえたあの三箇月間に、きみがやろうとしたのは、うつろな音を極限までつみかさねて世界の虚像をつくることではなかったか。

 

1970年代に坂本にたのまれてピアノをひきにゆき、それが「千のナイフ」というレコードになったとき、プログラム・ノートをよんで、時のふかみになげすてたあのかんがえが、未来の側からまいもどってきたとおもった。シークエンサーもシンセサイザーも安定したはたらきをして、しごとはらくなはずだった。きみの20年前の作品は、のりがにじみだしたテープがうごかなくなって消滅した。記録もすててしまった。

 

1960年代の後半は、きみはニューヨークでコンピューター音楽の研究をしていた。夜はエレクトリック・サーカスで、友だちのつくった装置が自動演奏するシンセ・ロックにあわせてフラッシュがまたたき、人びとのうずが尺取虫のようにのびちぢみするのをながめた。時計じかけのオレンジの未来社会。少年たちはミルクがわりにLSDをのみ、ナイフをもちあるく。

 

1969年、渋谷の道玄坂で、音楽をこころざす少年にはじめてあった。かれはほとんど口をきかなかった。
1973年、きみが渋谷で現代音楽のクラスをはじめたときも、かれは生徒のなかにいた。

 

その後、きみがテクノロジーの幻想からさめ、だがほかにすることもおもいうかばず、とりあえず安もののシンセサイザーを民俗楽器のようにつかってバッハのフーガやフリージャズを即興し、ホーチミンの詩に作曲していたころ、死んだ間章といっしょに、かれはきみの家にきて、ききとれない声でよくわからないことをしゃべりつづけていた。

 

1960年代の現代音楽、70年代のフリージャズを通りぬけ、かれがテクノポップをはじめたとき、きみはアジアの抵抗歌をもって政治犯救援集会をまわっていた。シンセサイザーはそれを借りた女の子の下宿もろともやけおち、ピアノは大阪にいるともだちの妹にやって、身がるだった。YMOのレコードは1枚もきいたことがない。テクノポップにあたらしい発見はなかった。発達した機械と手なれた応用だけだった。

 

イギリスのパンクと日本のパンク、アメリカのテクノポップと日本のそれで、ききくらべてふしぎなのは、日本の前者は決してあぶないことをしないことだ。だれかが実験ずみの安全な道をえらんでいる。アイディアの単純さはないが、しあげにこっている。エレガントではなくてお上品なのだ。

 

坂本龍一とB2ユニットのコンサートを見てふしぎなのは、そこにむらがってくる少年少女たちだ。前の日から会場入口にならび、「教授!」と声をあげ、立ちあがって前の方につめかける。だが、みんな型通りの演技にしかみえない。生きることの暴力をさけてまわり道をする自閉症世代のたのしみが、もち時間いっぱいつづき、スターたちが糸の切れた人形のようにうごかなくなると、さっさと家にかえる。良家の子女たちは、他人のカネをもって、ゆめももたずに生きている。スターがかれらのゆめとしてあった時代はすぎた。これら少年少女の日常こそが、機械のゆめ、パソコンやワープロやシンセが見ているゆめなのだ。子どもたちがテレビをみるのではなく、テレビが子どもたちをゆめみている。

 

だが、現実の世界ではおさえつけられた暴力が復しゅうの日をまっている。ある日、まちきれなくなった次の世代のナイフに穴をあけられて、人間の影でしかなかった少年少女たちがうすい空気のなかにきえてゆき、きれいはきたない、きたないはきれい、の歌声がおこる。つめたい風がその跡をふきけすまで。

 

ゴミの子ども、アイシテル。ユキの子ども、アイシテル。

 

坂本くん、大きなことをやろうじゃないか、だって? けいはく文体でだれもきずつけないようにいじましい努力をし、口をひらけばまじめなことしかいえず、メイクや衣裳までいじりまわされるのが大きなことだろうか?

 

ちいさくなあれ、だれも見えないものになれ。左手のゆめは右手。しずかに狂え。

 

※雑誌「GOUT」戦場のメリークリスマス特集号より

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
寺子屋塾に関連するイベントのご案内

 4/15(土)『世界は贈与でできている』読書会 第8章
 4/16(日) 第11回 易経初級講座

 5/3(水・祝) 寺子屋デイ2023①

 5/21(日) 第22回 経営ゲーム塾B
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。