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川上不白「守ハマモル、破ハヤブル、離ハはなると申し候」(今日の名言・その58)

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川上不白「守ハマモル、破ハヤブル、離ハはなると申し候」(今日の名言・その58)

川上不白「守ハマモル、破ハヤブル、離ハはなると申し候」(今日の名言・その58)

2023/04/18

 

 守ハマモル、破ハヤブル、離ハはなると申し候。
 弟子ニ教ルは守と申す所なり。
 弟子守ヲ習盡し能成候ヘバ

 自然と自身よりヤブル。
 これ上手の段なり。
 さて、守るにても片輪、破るにても片輪、
 この二つを離れて名人なり。
 前の二つを合して離れて、

 しかも二つを守ることなり。

 

※川上不白『不白筆記』より

 

 

川上不白は、18世紀江戸期の茶人で、

江戸千家流の開祖とされる人物です。

 

千利休に比べれば、知名度は高くないようですが、

日本の芸事や武道の習得プロセスを示す言葉として

しばしば引き合いに出される「守破離」の3段階は、

不白の残したこの『不白筆記』が出典のようで。

 

おそらく川上不白という人物を知らない方でも、

「守破離」という言葉を

一度ならず耳にされたことが

あるのではないでしょうか。

 

さて、この「守破離」は、

もともとは仏教、禅から発した言葉とのこと。

 

わたしたちが日常知っている漢字の字義から

「守とは、師の教えを守ること、

 破とは、習得した教えを破ること、

 離とは、師の元を離れること」と

受けとめられがちなんですが、

そう単純な話ではありません。

 

松岡正剛さんは、「型を守って型に着き、
型を破って型へ出て、型を離れて型を生む。」

千夜千冊の記事に書かれているんですが、

これだけだとちょっと抽象的すぎて、

ピンと来る方、納得できる方は少ないでしょう。

 

たとえば、昨日の記事でご紹介した

太刀川英輔さんの『進化思考』のサブタイトル

生き残るコンセプトをつくる〝変異と適応〟

なぞらえるとすれば、

「守」は、元となるものを身につけるべく

従順に近づいていくわけですから、

〝適応〟にあたり、

「破」は、元となるものを意識しつつ

拡大し、遠ざかっていくわけですから、

〝変異〟にあたり、

「離」は、その両者を往復しながら、

新たなものを創造していくことにあたると

言えるのではないかと。

 

なぜなら、「離」という文字は、

こちらの記事にあるように

易経の八卦にも出てくるのですが、

火の象徴でもあり、離れるだけでなく、

「火がつく」「くっつく」という意味も持つのは、

もともと、鳥をつかまえる鳥モチ(鳥網)が

語源の文字だからなんですね。

※図版引用元:唐漢著『汉字密码』(学林出版社・P121)

 

〔参考記事〕

音符「離リ」<はなれる>「璃リ」と「离チ」「禽キン」

 

つまり守とは、型を身につけるステップである

というのは理解しやすいのですが、

破は、型そのものを否定するステップではなく、

身についた型を活かして応用し、

自らの創造性や工夫を発揮するステップであると。

 

でも、不白が言うように、

守だけでも半人前、破だけでも半人前。

 

離はくっつける、合わせる意味でもあるから、

守と破の両者を結びつけながら拡大し、

各々を自由闊達に往復できるのみならず、

しかも、本筋を外さない立ち居振る舞いが

自然にできるという段になって

ようやく一人前ということでしょうか。

 

私見ですが、この「守破離」には、

日本人の学びのプロセスを考える上で、

外すことのできない真髄が潜んでいるように

おもうのですが、

セイゴウさんも書かれているように、

本格的な研究は、あまり進んでいないようなので、

まだまだ新しい発見があるかもしれず、

引き続き掘り下げて考えていこうと

おもっている次第です。

 

蛇足ですが、守破離については

旧ブログ「往来物手習い」でも

言及したことがあり、お釈迦さまの悟りや

原因と結果の取り違えもふまえて書いた

次の記事なども併せてご覧ください。

師を見ず、師が見ているものを見ようとすること

 

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