寺子屋塾

講演録『教えない教育、治さない医療』(その1)

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講演録『教えない教育、治さない医療』(その1)

講演録『教えない教育、治さない医療』(その1)

2023/04/21

わたしが四日市市でらくだメソッドを使った

寺子屋塾を創業したのは1994年1月のことで、

妻との結婚と同時だったんですが、

新居はアパート住まいだったため、

通信コース生のみ受け入れていました。

 

よって、物理的空間としての教室を

自宅の一室内に持つことができたのは、

現在の自宅に引っ越した

その年の11月1日からのことです。


その直前だった10月30日に、

四日市市あさけプラザで開催した

イベント「教えない教育、治さない医療」は、

寺子屋塾のオープニング企画として開催したもので、

当日参加された方は39名でしたが、

そのときの内容をもっと多くの人に知って欲しく、

録音テープを文字起こしして講演録を作成しました。

 

その場で話された内容を

そのまま記述するだけでなく、

読みやすいように文体等も整え、

馴染みの薄い難しい用語は脚注をつけるなど、

半年ほどの時間をかけ丁寧に編集したつもりです。

 

その甲斐があってか、初版の講演録は

教室のリソグラフ印刷機を使って500部刷り、

自分で製本したんですが、

「友人知人に配ります」と言われて

お一人で50部買って行かれた方もあるなど、

またたく間に売り切れてしまいました。

 

それで、翌月すぐに300部増刷したのですが、

それもすぐに売れてしまい、

さすがにその後は手作業で制作するのに疲れ、

修正・増補を加えた第3版は、

印刷所に依頼し1500部刷ったのです。

 

しかし、それも2001年頃には

ほとんど在庫が無くなってしまいました。

 

つまり、当初は全く思いもよらなかったのですが、

この講演録は発行以後の7年間で、

2300冊も売れたことになります。

 

残念ながら「治さない医療」の山下剛さんは

1999年にお亡くなりになりましたが、

生前に出版された著書は、

『病になる、病が治るということ』ただ1冊のみで、

講演録に収められたお話も、

山下先生の医療観や思想、実践、人となり等を

伺い知ることのできる貴重な資料となったためか

2001年以後、品切れになっていた期間も、

「講演録が欲しい」という問合せは、

らくだメソッドの学習に関心のある方のみならず、

多方面よりしばしば頂いていました。

 

そのため、再版増刷を何度か

検討したことがありましたが、わたしが体調を崩したり

仕事が多忙を極めたりなど

様々な理由で時間的な余裕をつくれず、

教室のリソグラフ印刷機で

ようやく500部を印刷することができたのは

2007年4月になってからだったんですが、

それが冒頭の写真に掲げた黄緑色の表紙のものです。

 

ちなみに、イベントををやりっ放しにせず

記録に残していくことの大事さについては、

2022年8月、次の記事に書きました。

起業のポイント

その2「やりっ放しにせず総括し記録を残す」

 

この講演録を読まれてことがきっかけで、

寺子屋塾に入塾された方は少なくなく、

もしわたしがこの講演録を

つくっていなかったなら・・

寺子屋塾の事業をこうして29年継続することは

できなかったかもしれません。

 

もちろん、つくっていなかったらいなかったで、

別のことをやってかもしれず、

過去に遡って「もし」を今から言っても

詮無いことなんですが。

 

 

さてそれで、この緑色の表紙バージョン講演録も

現在、在庫の残部が10部を割って、

いよいよ一桁になっているんですが、

冊子の完売後は、PDF版の販売する予定なので、

その制作準備を始めたところです。

 

この講演録の内容は、

わたしが寺子屋塾の仕事を始めた際の

記念碑的な作品でもあるわけで、

事業を始めた後から新たに気づいたことや発見は

当然含まれていないのですが、

らくだメソッドの学習を進める上でも

重要ポイントがほぼ網羅されていることは確かなので、

それでも、29年の年月を経た今読み返してみても、

まったく古さを感じません。

 

わたし自身、ここに書かれているすべてを

理解でき、実践できている状態で、

スタートを切ったわけではなく、

何度も何度も繰り返して読みながら

内容に対しての理解を

深めてきた人間の一人であるわけですし、

今日投稿する記事をその1として

講演録の中味全部ではありませんが、

8割以上にあたる内容をこちらのblogに

9回にわたって転載していきますので、

ぜひ繰り返しお読み頂ければ有難いです。


(引用ここから)
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司会:それでは、時間になりましたので始めさせていただきます。本日はお忙しい中お集まりいただきましてどうもありがとうございます。今日は楽食クラブ3としまして「教えない教育、治さない医療」というテーマで山下剛さん、平井雷太さんのお二人をお招きしています。前半は、お二人に今回の主催者である井上の方から、いろいろお話しを伺うインタビュー形式でお一人30分ずつ。それで休憩を少しいただきまして、そのあとの後半の部はお二人の対談、井上を含めた三人の鼎談という形で、皆さんからの質問や、疑問な点などにもお答えしながらすすめて参りたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。終了予定時刻は4時でございます。

 

それでは、まず山下剛さんからお話しを伺いますが、プロフィールを簡単にご紹介したいと思います。山下剛さんは、現在近鉄の霞ケ浦駅前で山下外科神経科を開業されておられます。また、日本ホリスティック医学協会副会長、正食協会顧問などをなさっておられ、ご自身のことを自ら「治さないやぶ医者」とおっしゃっておられますけれども、今日はどんなお話しが伺えますでしょうか。ではよろしくお願い致します。

 

井上:今日はよろしくお願いします。今のご紹介にもありましたが、山下さんご自身「治さないやぶ医者」ということをおっしゃっておられるのですが、まず、この 「治さない」ということから伺いたいと思います。普通、医者といえば、注射を打ったり、薬を処方したりして仕事をしている訳ですが、「治さない」「何もしない」ということはどういうことなのでしょうか。

 

山下:「治さない」ということについて、誤解があるといけませんので、最初にまずお話ししておきます。従来の医療というものが、つまり、医者というものは病気を治すものだという───そのためには手術もするし、薬も出すということがメインになっていたわけです。では、その結果どうなってきたかというと、現在どんどん病気がふえて、実は皆さん困ってみえるわけです。これは、西洋医学、東洋医学を問わず、医者というのは病気───ぼくは、病気というのはないと思っています。病気というものは存在しなくて、皆さんが病気とおっしゃっているのは「病苦」というもので、本来の「病気」ではない。(黒板に「病苦」と書き)これに苦労してみえるもので、実は、病気というものはこの世に存在しない。でもまあ、それだと話しにくいので、いまは仮にこれを病気としましょう。皆さんが困ってみえるこの「病気」というものは、それぞれの皆さんの人生の「経過」なんです。そういう人生なんです。みなさんがそういう人生を選んでこられた結果として、そういう状態を作って、それに困ってみえるのです。ということですから、単にこの「病気」「病苦」というものを、医者としてお付き合いさせていただく中で、少しでも軽くなって戴きたいという願いはありますが、では、軽くしたら病気がなくなったかと言えばそうではない。病気というものを作った人生の方向転換を図ってもらう必要がある。それが先なんです。

 

ですから、病気を治すよりも───昔からよく言われているように、「病気を治すよりはその人を治せ」と。もちろん人を治せるかどうかわかりませんけれども、実は病気というのはそういう存在であるから、あまり早く治してしまうと───あとでまた話が出るかも知れませんが、病気というものは大変ありがたい、本来ありがたいものであるから、それを早々ととりあげてしまうと、必ずまた新しくさらに重い病気になられる、ということなんで、なるべく病気は軽いうちに、何で病気にならなければならなかったか、ということをわかって戴いて、で、その次に病気にならないような人生を選んでいただく。そのためには、病気を早々にとりあげてしまってはいけませんので、たっぷり病気をして戴いて、で、治る時期に、どうしたら治っていく方向なのかということがわかって戴ければ、気づいて戴ければいいと。病気というものは本来治りたがっているものなんです。

 

ですから、お金持ちなると、貧乏人になるしかない。貧乏人は方向としてはお金持ちになるしかない。元気だったら、病気になるしかないし、病気だったら治るしかない。これが世の中の動きなんです。そういう意味で言っているわけで、「治さない」と言っているのは、決して「治さない」のではなく、そういう従来の医療的手段をメインにしないという、生き方を変えて戴くということ───そのためにぼくは、一所懸命患者さんを見守っているという状況を作っているだけで、適切なときに何かアドバイス───まあ少し体の方に治って行く方向にできることがありますので、しかし従来の感覚でいくとそれは医療行為、今までの医療行為を是とするならば「治さない」という方に属するわけで───まあ、そういう意味で「治さない」と言っているわけです。

 

井上:では、先生の病院で具体的にどういうような治療っていいますか、治療にならないのかもしれませんが(笑)、どういうようなことをされているのでしょうか。

 

山下:だから、治療ということを、医者に薬をもらうとか、手術をしてもらうとか、注射をしてもらうということを必要だとお思いになれば、ほとんど90%、何もしていません。でも、その、わたしにとっては「治るための場の提供」という───俗に「イヤシロチ」と言うんですけれども、例えばお宮さんのことを、神社といいますが、社(やしろ)、つまり、イヤシロチですし、癒(いや)される地───そういう場所作りができたらいいということが主なんで、まあ治られた患者さんが患者さんに対して、自分の経験の話をしてくださるとか、そういうところがやっぱり、どう生きたらいいかということを、まあ、入院という形ですと、勉強にみえると。これがうちの治療です。


ただ、人間というのはなかなか、僕を含めて弱いものですからね、そういうことばかり言っていてもなかなか理解していただけないかもしれないから、少しはお手当と称するようなことをしたりもしますけれども、患者さんと人生問題だとか、病気とかについて、お話しをしょっちゅうしていまして、そういうことが、ぼくにとっての治療であるわけです。

 

井上:では、今の医療の在り方といいますか、いわゆる先生のおっしゃる「治さない医療」という言い方に対してならば「治す医療」ということになるでしょうけれども、ごく一般にされているような、そういう現代の医療のどんなところが問題だと感じられていますか。

 

山下:うーん。一番わかりやすいお話をするとね、仏教の話をしたらいいかと思うんですけど、日本で、インドから仏教というものが日本に入ってきまして。で、日本では大乗仏教というものが花開く。大乗仏教というのは───小乗仏教というのは修行した人だけが治る、悟るという世界観ですけども、大乗仏教というのは在家の、わたしたちみたいな普通の修行をしない人でも救われる方法はないか、そういう人も救うべきだという考え方───言い方は変だと思いますけれども、そのために唱名をとなえたらよろしい、という考え方が出てきたわけです。つまり皆さんが実は仏さんなんか何にも信じてなかったとしても、ただ「南無阿弥陀仏」ととなえることだったらできますでしょう?これはもちろんいい面があるんです。いい面もあるんですけれども、しかし、ただただ「南無阿弥陀仏」と言っていれば、お釈迦さんを信じていることになるんだと、救われるんだということになると、また誤解を生じてしまうんですね。これと同じように治療ということも、今持っている病気を、何で起こさしめたかということを本人が納得しないうちに治してあげてしまうと、先程も言いましたように、次なる病気へとどんどん発展して行くわけです。つまり、医者がやっていることは、何もしないことよりももっと悪いことじゃないか、と───医者は治したつもりになっていて、実はその患者さんにもっと大きな病気の素因を作っているというような、もっと悪いことをしているんではないか、と。だから、病気ということの意味をわかっていただくまでは、そのままおいといてあげた方がよろしいのでは、と思うのですが。

 

講演録『教えない教育、治さない医療』(その2)に続く
 

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