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講演録『教えない教育、治さない医療』(その2)

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講演録『教えない教育、治さない医療』(その2)

講演録『教えない教育、治さない医療』(その2)

2023/04/22

講演録『教えない教育、治さない医療』(その1)の続きです。

 

井上:もう少し具体的に、先生のところにはどういう患者さんがいらっしゃるかとか、その患者さんにどういう対応をされるのか、どういうお話しをされるのかということをお聞きしたいのですが。

 

山下:あの、医療っていうのは───また、生意気なことを言うようですがね、あの、自然の思いっていうのがあると思うんです。大自然というのは意識を持っています。わたしたちはそこから出てきたんですけれども、この自然の思いと人の思い、つまり「治っていただきたい」とか「わかっていただきたい」とかいう、そういう思いが共振したところで、実は治療ということが成立するんじゃないか、と思うのです。

 

ですから、どうしたらわたしたちが自然と融和ができるか。実はその自然の流れというのはわたしたちが作っているんです。だから、本当は自分の───これは、ユングという人は「無意識」と言っていますけどね、わたしたちには実は自分で感じられないかもしれないけども、わたしたちの一番奥にある潜在意識みたいなものが、実は自然と一体となっているんですけれども。わたしたちは生まれて来たときに、そういうことを自分の心の奥底───もう、本性みたいなものですね───に気がつかないんです。そのために、自然律に反した生活をしょっちゅうやっているわけです。そこに気がついてくれればいいわけです。

 

それで、そのために何をするかということは、患者さんによって全部違います。出たとこ勝負───それこそ、本当に出たとこ勝負で、今患者さんがどこに引っ掛かっているか、どこで間違って、どこで引っ掛かっているかということを、診断というのはそれを見つけることだ、と。それを解消するような方法を指導したらわかっていただけるかとか、そういうことを解消する方法は、その場その場で全部変わってくる。それは人が100人いれば100人違うのと同じことで、決められない、というか、出たとこ勝負みたいなことですね。

 

井上 :「自然の思い」と「人の思い」とのギャップというものが病気を生む、というような捉え方でよろしいのでしょうか。

 

山下:そうですね。あの、わたしたちは生まれてきたときに本当は、本来の「自我」というか、仏教的に言えば「真我」と言うんですが、これが───まあ、こう言ってしまうと身も蓋もないんですけども、わたしたちは、大我という所から生まれて、真我を持っているわけです。これがわたしたちが気がつかない「本性」なんです。本当のところの自分の「いのち」そのものだと思います。わたしたちはよく「自我」を持つというんですけれども、「自我」というのを、まあ簡単に言えば「エゴ」だと言ってもいいわけです。これはわたしたちがこういう体を持った以上はどうしても仕方のないことなんですけれども、でも、その自我がわたしたちの邪魔をしているんですね。例えば、お金をもうけたいとか、ケーキが食いたいとか、ステーキが食ってみたいとか思うわけですけれども、そのこと自体が自我に属するもので、真我には属せないわけです。

 

だから、この「自我」と「真我」が一緒になったときには、正直に言いまして、病気が治ってもいいし、死んでもいい───つまり、病気認識というのは全部自我なんですね、実は病気なんてのはないのに、病気認識しているというのは自我の方なんです。

 

井上:例えば、ガンの患者さんが「ガンである」という思いを自我が持っている、それが「病気」を作り出している、ということですか。

 

山下:「病苦」を作り出している、ということです。あの、この辺の人だと思いますけれども、10数年胃ガンを持っていて、ずうっとぼくが見てたことがあるんです。3か月か4か月に一度くらい見せてもらうと、ガンが大きくなったり小さくなったりしているんですけれども、10数年実はガンで死んでいないんですね。


で、亡くなられたのは、たまたま───たまたまでは本当はないんでしょうけれども───あの、他のことであって、実はガンを持っていてもその人は全然ガンを苦にしていなかったんですね。だから、うちの病院のお手伝いや何かをしょっちゅうしてくれましたけれども、普通に生活をしていました。ということは、ガンは全然悪くなっていないんです。しかもそのガンは、症状というか、大きくなったり小さくなったりするときにその人がどういう生活をしていたか、どんなことを考えていたかということをつぶさに観察してますと、悲観的なものの考え方をしたり、大食をしたりとか、ろくでもないようなものを集めていたり、というようなときにはガンが大きくなって、自分自身でいい方向へいい方向へ、というよりは自分が今の生活を楽しんでいるという状況の中では、ガンがどんどん小さくなって行く。そういうことがあるんです。だからガンを持っていたからといってすぐ死ぬわけではなくて、ガンを持ったためにもう死なないといけないという恐怖感が人間を殺すわけです。ガンでは死にません。

 

井上:先ほど患者さんに対して、いろんな対処の仕方、対応の仕方は人それぞれだとおっしゃったんですけれども、どんなような対応をされるかということを、例をあげてもう少し具体的に………

 

山下:一番基本はやっぱりわたしのところでは「食」という問題───これは、あの、生き物というのは皆、食性というものを持っているわけですね。パンダは笹の葉ばかり食っているわけですし、コアラはユーカリですか?牛や馬が肉を食ったという話は聞かないですね。それと同じように、ぼくらは自然界の生き物の一部ですからね。わたしたちにも実は本当は食性があるんです。でもわたしたちは、もう、それが乱れちゃって何が何だかわからないんです。で、その食性へ戻そうといっても今はほとんどわかんないですからね。それで、まず伝統食───何千年も続いた伝統食というもの───これは、そういう意味で言えば、安全だから続いて来た、と言えるんじゃないですか。だから、まず伝統食に戻す。これが一番。体を作っているのは「食」ですからね。食い物のないところに「イノチ」はないのですから。イノチの大本である食い物から考えるということは当然、基本的には必要なんです。

 

で、そのうえで、あの、自分たちが───あの、よく言うんですが、過去は記憶で、未来は妄想であると。未来というものは、未来永劫来ないんですよ。明日になったら明日という現在があるだけなんです、ね。時間の経過の流れで見ると、過去があり、現在があり、未来があると、皆さんはそうお思いでしょうけれども、でも、自分が生きているのは常に現在なんです。現在しかない。だから、現在どう生きているか、どう生きるかという話をしていれば、当然それがずーっとつながっていって、あとから考えればつながって来ただけの話です。だから、うちでは病気治しという話をほとんどしないんですよ。病気にならないためにだけ生きているのではないのです、わたしたちは。違いますか。したいことがあるんでしょう。それ以外に。あの、よく食養をやっている人で、何か病気にならないためだけに生きている人がたくさんいるんです。放っておけばそんな苦労をしないですむのに、と思うんですがね。

 

わたしたちがこの世に生まれて来た以上は、したいことがたくさんあるんです。人間として、役割としてせねばならないこともあります。あなたにとって何が本当にしたいことなんですかという、それが一番の治療の基本なんです。だから、あの、あとは方法論で言えば、ショウガの湿布をするとか、里芋のパスターをやるとか、ビワの葉温灸をやるとか、治療の方法はたくさんありますけれど、そんなことは本当はどうでもいいようなことなんで、それをきっかけにしてそういうことをわかっていただくという。きっかけですね。

 

それで、そのことがおわかりになると、うちでも末期ガンと言われる患者さんが結構みえるんですけれども、病気は───いつも言うことなんですが、病気が重いとか軽いとかいう話をしますね、実際のところ。それで病気が決まるわけではない。その人のものの考え方で決まる。ですから、軽くても、こんなちっちゃなガンでも死にますし、こんなに大きなガンをかかえていても死なないのです。だから、治療という───そういう意味で、どうしたらいいかということは、本当に、もう現場になって、ぼくと患者さんが相対したときにぼくが何をしたいかと思うかで決まるんです。だから、目の前に来ないと言えない、というところがあるんです。

 

講演録『教えない教育、治さない医療』(その3)に続く

 

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