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講演録『教えない教育、治さない医療』(その9・最終回)

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講演録『教えない教育、治さない医療』(その9・最終回)

講演録『教えない教育、治さない医療』(その9・最終回)

2023/04/29

寺子屋塾を創業した29年前、

オープニング企画として実施したイベントの

記録集として作成し自費出版した講演録の内容を、
4/21から昨日まで8回にわたり紹介してきました。

 

この記事を初めてアクセスくださった方、

未読記事がある方には次のリンクからご覧頂けます。

講演録『教えない教育、治さない医療』(その1)
講演録『教えない教育、治さない医療』(その2)

講演録『教えない教育、治さない医療』(その3)

講演録『教えない教育、治さない医療』(その4)

講演録『教えない教育、治さない医療』(その5)

講演録『教えない教育、治さない医療』(その6)

講演録『教えない教育、治さない医療』(その7)

講演録『教えない教育、治さない医療』(その8)

 

さて、9回目となる本日分の投稿記事にて、

このシリーズもいよいよ最終回となります。
 

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平井:あのー、ここにご質問がたくさん出ているんですが、切実なんでどうしても聞きたいって言う人いますか?全部答えるわけにいかないので。

 

井上:これだけはどうしてもお聞きしたいという方。いらっしゃいませんか?

 

質問者B:山下先生がおっしゃった「しつけ」というものは、どういうものなんでしょうか。

 

山下:さっきも言いましたように、わたしたちは凝縮して生まれて来たわけです。(黒板に「凝縮」と「拡散」と書きながら)これはわかっていただけますね。で、そうすると、今度生まれてからは、拡散側で生きる───本当は生きているんです。拡散ということは、もういっぺん宇宙意識という目に見えない世界に戻って行くということで、拡散の極みは、現象的には「死」ということなんです。赤ちゃんをよくご覧になって下さい。凝縮して生まれて来たかがよくわかります。赤ちゃんというのは自分の主張しかないでしょう。親のこと考えませんね。親が眠たかろうとか、そんなことを一切考えないで、自分の要求だけつきつけるでしょう。おなかがへったら泣く、小便たれたら泣く、全部自分の要求しかして来ない。これが凝縮なんです。凝縮して生まれて来たから、生まれたすぐの赤ちゃんというのは自己主張しか、自己中心的なものの考え方、行動しかない。で、しつけというのは、これを拡散側にしむけてやること。もしするとすればね。これは他者中心的ということでしょう? みんなの世界の中に住んでいるということをわからせてあげる、というのが「しつけ」だと思います。

 

平井:みんなのことを考えて拡散の方に行くと「死」に近づくということですか?

 

山下:そういうことです。よりよく死ぬためにわたしたちは生きている。

 

平井:自我の方が判断力が高い?凝縮の方───ありのままに、裸で生きると長生きをする?

 

山下:いや、そういうことではなくて、凝縮側に行きますと、死ぬのがいやだから、もっと存在していたいわけですね、現象界に。で、そのうちに100歳くらいで亡くなるかもしれない。だから、今のうちにもっとイノチをたくさん作った方がいいじゃないかというので、自分の身体の中にもう一つイノチを作ったのがガン。で、これが凝縮側の最たるものですから、ガンというのは持ち主の言い分をなかなか聞いてくれない。

 

平井:ガンはガンコなんですね(笑)。

 

山下:そうですね、はい(笑)。

 

平井:年寄りになればなるほど、わがままで赤ちゃんぽくなる人っていますよね、いっぱい。

 

山下:そうです。

 

平井:それは、凝縮しているんですか?ああなるともっとガンができちゃう?

 

山下:いや、凝縮すると長く生きないんですよ。拡散側に行くんです。

 

平井:拡散側に行った方が長生き?

 

山下:はい、よりよく死ぬために生きている方が長く生きる。だから、例えば少食にするとか、それから自分の欲望をなるべく少なくしていく。で、年寄りというのも、あれはどうもガンコですけれども、あのガンコさというものは、子どもがもっている凝縮のガンコさというものとちょっとパターンが違うんですね。あれは、ひとつはですね───もうひとつガンコの理由はね、よく言うんですけれど、中年の女の人の悪口言って申しわけないんですけれど、女の人がよく自律神経失調症という───多分この中にも何人かもらってみえる人が───病名をもらうんですけれども(笑)。あれは、主だった病気がどこにもないのに病気をしているという、マイナス側の自己存在の主張なんです。でも、それをとりあげると必ず大病します。ノイローゼになったり、心身症になったり、鬱病になったりします。だから取ってはいかんのです。その人が生きている証しなんです。お年寄りのガンコさも、あれは生きている証しとしてのガンコなんです。

 

平井:病気ってものは、治せばいいってものではないんですね。放っておいても治るんだから、治らないときには、治らない意味があるわけですね。

 

山下:そうです。意味のないものはないんです。だから、世の中には偶然というのはないでしょう?もし、偶然があったとしたら、対応策というものがないわけですけれども、全部必然だからこそ対策が立てられるわけで。だから、たまたま病気になったんじゃなく、たまたまではなく起こる必要があったわけです。その必要な部分を解消すれば、病気は勝手に消えて行く。

 

質問者C:ガンが神経症に変わるということなんでしょうか?うちには神経症というか自閉症の子どもがいるんですが………。

 

山下:「変わる」というのはちょっと違いますね。さきほども言いましたけれども、病気というのは本当は社会のものですね。でも、社会って言っても、たとえば、四日市市を相手にして、「うちの子の神経症をどうしてくれる?」といっても埒があきませんから。まあ一番小さな社会っていうので、家族というもので考える。で、そういう言い方をすると、例えば精神病と称されるものの中には、他の病気もそうですけれども、病気になる人の向こう側には、必ずプロモーター───ぼくはプロモーターという言い方をするんですが───つまり病気を作る人がいる。この病気を作る人というのは、非常に善人の顔をしていますから、社会的には。非常に温厚で、礼儀正しくて、責任感があって、一見非の打ち所がないような人が、実はプロモーターをやっている。で、精神病もそうです。で、うちも統合失調症で、大学の心理学の教授でそれをやめちゃって10年くらい前のことでしたけれども、8カ月ほど預かりましてね。で、結局その人の奥さんがプロモーターで、ぼくは本人さんをちっとも治していないんだけれども、プロモーターさんを再三呼んで、話して、なんでご主人が病気なのかということをわかってもらって、奥さんが性格変えたら、この病気もよくなりますよ、 と。

 

ひょっとして質問してみえる人がそうなのかもしれません(笑)。その中に病気があるということで、そのお家がバランスがとれているということです。不要じゃないんです。そのお家にその人が必要なんです。だから、何で必要なのかということを考える。もし、その病気を治したいということを考えるならですね。

平井:えーっとね、今のお話しをわかりやすくするために、ちょっと自分の話をしますね。ぼくは躁鬱がひどかったんです。鬱病でもう精神病院へ行ってね。精神科の医者から薬をもらってきた。でも、それ飲んだら終わりだなってゴミ箱へ捨ててから随分変わったんですけれども、そのときに何をしたかっていうと、とにかく朝、息子と約束して、決まった時間に起きて散歩をすると決めた。それだけです。ぼくがやったことは。でも、それがいまやっているらくだメソッドそのものだと思うんです。ようするに、自分ひとりでは自分をちゃんとすることができないから、ぼくがだれと約束したらそれができるようになるかを考えただけです。息子との約束を破らないようにしただけです。だから6時半に起きて───どうしてかっていうと、ぼくは鬱のときにはね、本当に布団から起き上がっても、布団の上に座っていて、気力がないんです。何もする気が起きないんです。春から夏にかけてはすごく元気がいいんですけれども、秋から冬にかけては完璧に落ち込む。これを毎年繰り返していて、その当時はどうしようもなかったです。とにかく息子は、ぼくを援助するために現れたんだと思うんです。ぼくよりも早く起きてて、いつもテレビばっかり見ていたから、たまたま約束したんです。「朝6時半に走ろう」って言ったら、息子が「うん」って言ったから、それだけですね。それからは、年々躁鬱の波が減って行ったんです。そういうふうに「自分できめて、自分でし続ける」という───ぼくはそれまでにそういう勉強の仕方を全然やってこなかったから、たぶん、そういう体験のなかで、今やっているすくーるらくだの学習システムができていったんだと思うんです。ぼくにとっては、教材を作ったり、病気が治って行ったりというプロセスにすごく意味があった。結果としてそういうものができてしまったというか。だから、らくだメソッドというのは作ろうと思って作った教材ではないんですよ。目的のために作ったんじゃないんです、あれは。息子に「おまえプリントやるか?」って言ったら息子が「やる」って言うから、作らないわけには行かなくなったんですよ。自分一人だけではどうせ大したことはできないわけで、頑張ってやるっていうのはすごく大変なことですし。だから、頑張らないでやる方法というのは、だれかと組めばいい。それがぼくの場合はたまたま息子だった。そしてそれが結果として教材になったと。

でも、お母さん方はこれを毎日やっていると思います。たぶん一人になったら毎日ちゃんとご飯を作らなくなっちゃうでしょう?食べてくれる人がいるから作っているんですよね?そのときにイヤイヤやっているか、自分からすすんでやっているか、そのことに意味を感じているかによって、できてくるものが変わってくるんです。火の通り方も違うと思います。あたりまえの日常生活でも、それを本当に楽しんでやっていたら、たぶん誰でも料理人のプロになるはずですよ。そういうことだと思うんです。何かが身についていくかどうかというのは、どう生きるかという、それに尽きるかな、という気がしますね。

山下:皆さんはすごく結果をお求めになるんですけれども、結果というのは本当はないんです。経過の中のある一部分が結果に見えるだけで、全部経過なんです。だから、その経過を自分がどう楽しめるか。どう生きるかというだけで、いわゆる皆さんの考えの経過が表れてくるだけの話で、一番最初に言いましたけれども、「過去は記憶で、未来は妄想」なので、未来は───治りたいという結果も未来にしかないので、本当はない。存在しない。今の経過をどうするか?たとえば子どもさんがそういう状態だったら、さっき平井さんがおっしゃったように、親子で一緒に走ればよい。うちもよくやってますけど、人間というのは走っているときはアタマでものが考えられないんです。体の余分なエネルギーが抜けて来ますし、そうすると、いやなことを考える時間が少なくなればなるほど───病気というのも一種の癖なんで、その時間が短くなればなるほど、治りやすいんです。

平井:考えないことがポイントですね。

山下:はい。考えるというのは、完全に、俗に言う分別の側の方であって、その分別を加えないことが大事ですね。

平井:勉強も全く同じで、考えてたらダメですね。考えても考える力はつかないんですね。考えずにただやることが一番考える力を育てる。

質問者C:いつも家の中に閉じこもっている子どもの場合はどうなんでしょうか?

平井:閉じこもっていたいんなら、閉じこもっていていいんじゃないですか?ぼくだったら、そんなふうに一人でじっくり考えられる時間はその子にとって今しかないんだな、って思いますけれどね。お母さんが亡くなったら出てくるかもしれない(笑)。

山下:そういう例はいっぱいあります。プロモーターさんが亡くなられて病気がなくなったという例はいっぱいあります(笑)。例えばこれは面白いんですけれど、ご主人がガンでね。ウチに入院してみえたんですけれど、奥さんが非常に食養に凝ってみえて、奥さんがお父さんを食養に引っ張り込んだ。ところが、お父さんは、本当はそんな生活をしたくないんです。で、ガンでね、だいぶ死にかけまで行ったんです。これではたまりませんのでね、まず、奥さんにね、お父さんのとこへ行って、四の五の言わずにとにかくあやまんなさいと、両手ついて。だから、お父さんの好きな料理をしてもらっていいですよ、というふうに、あんた本気であやまんなさい、と。で、あやまったんですよ。あやまったらお父さんがいい方向へ向いてくれるようになって来た。そうしたら奥さんが実はご自分もガンだということがわかった。それで、どういうわけかウチではなくてよそで亡くなったんですけれども、奥さんが亡くなられた時点から、ご主人がめきめきよくなってこられた(笑)。今はお元気なんです。だから、病気には必ずプロモーターがいる。その家庭にプロモーターがいると言いたいのは、そういうことなんです。それで、プロモーターというと悪人のように聞こえますけれども、決して悪人じゃないんです。決して悪意でやったわけではなくて、善意のかたまりとして起こったんですから、卑下する必要も何もないんですけれども。でも、生きざまとしてどこかアンバランスだったということなんです。

井上:そろそろ時間の方が4時を過ぎましたので。今日、来られた方で、質問をどうしてもっていう方いらっしゃいませんか?よろしいでしょうか?それでは今日は本当にどうもありがとうございました。(拍手)  ───終───  
  

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COMMENT:冊子版には7ページにわたって

講演録に登場している用語の説明を記した註釈と


平井雷太さんが作成された

「教えない教育、治さない医療」対照表を

収録しています。

 

(その1)の記事の冒頭で記したとおり、

紙媒体の冊子は残部が10部を切りましたが、

完売後はPDF版にて販売の予定です。

 

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