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「いま」を生きることで過去は変えられる(つぶやき考現学 No.14)

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「いま」を生きることで過去は変えられる(つぶやき考現学 No.62)

「いま」を生きることで過去は変えられる(つぶやき考現学 No.62)

2022/05/18

過去に起きたできごとについて考えるとき、
そのできごと自体は事実として存在し
すでに完了してしまったものだから、
永久に変えられないし、
ひとりの人間の意志や力などで
どうなるものでもないことはたしかだ。
 
でも、見方を変えたら、
人間にとっての過去のできごととは、
それぞれの人間の脳内にある
単なる記憶でしかないから、
そのできごとをどのように解釈し、
どのように意味づけをするかが
各々で異なっているのがふつうで、
一人ひとりに委ねられていると言ってもいい。
 
つまり、過去に起きたどんなできごとも、
けっして事実ばかりでできているわけでなく、
そこには個々の人間による解釈や
さまざまな意味づけ、認識が混ざっているから、
そのすべてが不変のものとは言えない。
 
よって、そのできごとを注意深く観察して、
自分勝手な解釈や意味づけを
混ぜてしまわないよう心がければ、
「事実」と「事実でないもの」とに
分離できるはずだ。
 
そう。わたしたち人間は
過去に生きているわけではなく、
生きているのは「いま」だから、
どんな過去のできごとに対してでも、
「いま」ある自分が
それとどう対峙しどう認識するか、
その向き合い方、受けとめ方次第で、
終わってしまった過去のものではなくなるし、
変えられない「事実」以外については、
どのようにでも変えられ得るのだ。(2017.6.12)

※井上淳之典のつぶやき考現学 No.62

 


COMMENT:あたりまえのことですが、

わたしたちには時間を過去に遡ることはできず、

過去に起きた事実を

今からやり直そうとしてもできません。

 

しかし、過去の事実は脳内の記憶でしかなく

その記憶を参照しているのは、

過去の自分ではなく、「いま」の自分です。

 

したがって、過去を何とかしようとするのでなく、

「いま」を生きようとすること・・・

つまり、いまある自分が変われば、

過去の事実をどう受け止めるかという

認識の部分については、

変えられる可能性がでてくるということです。

 

ただ、このことはNo.76の詞にも書いたんですが、

大脳思考の癖として事実と認識を区別できず、

混同してしまうのが常で、

切り離して見ることは易しくありません。
 

このことの大切さに気がついた人の一人が

お釈迦さまで、35歳の時に悟りを開いたとされる

内容の中核部分は「四諦」と「五蘊観」にあり、

四諦については

10日程前にこちらの記事に書きましたし、

仏教については他にも記事を書いていますので、

関連タグ「仏教」をクリックしてみてください。

 

また、つぶやき考現学として紹介している詞は、

短くシンプルに書くように努めることで、

逆に意味がとりにくくなることもあり、

何度もリライトすることが少なくないのですが、

この詞も最初のバージョンではなく、

2015年暮れに書いた次の詞をもとにして

リライトしたもので、

モトの詞も参考までに記しておきます。

 

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自分の思考パターンに無自覚でいると、

単なる記憶にすぎない過去の事実を

変えられない結果として捉えてしまい、

そこばかりに執着してしまいがちだ。

 

もちろん、起きてしまった過去の事実を

いま変えることは不可能だけれど、

どんな過去の事実も結果ではなく

ひとつのプロセスでしかないと

捉えることができれば、

その事実をどう解釈し

どう受けとめるかも自分次第だ、となる。

 

過去の事実ばかりが

「いま、ここ」を決めているわけではなく、

未来も「いま、ここ」を

決めていると考えることで

「いま、ここ」を生きることに

つながっていく。(2015.12.30)

 

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