<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>自ら学ぶ力を育てるための情報を更新 | 名古屋で自己学習力を高める塾をお探しなら寺子屋塾</title>
<link>https://terakoya-juku.com/blog/</link>
<atom:link href="https://terakoya-juku.com/rss/285992/" rel="self" type="application/rss+xml" />
<description>独自性の高い学習システムによって教室の運営をしているため、いわゆる学習塾といった感覚にはおさまらないという思いを持っています。そのため、できるだけ教室の雰囲気や学習システムについて皆さまに知っていただきたいという思いから、広くお読みいただけるブログ記事を更新しております。日々の教室での学びの様子やらくだメソッドの詳細についてなど随時ご紹介しています。また、教室の様子や教育に関連する事柄のみならず、日々の雑感なども発信していきたいと考えています。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>ザ・メンタルモデルについて（その11）「〝源（みなもと）〟とは何か？③」</title>
<description>
<![CDATA[
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会の事前準備を兼ねて、著者のおひとり由佐美加子さんが発見された〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。昨日までに投稿してきた記事を未読の方はまず次から先にどうぞ！
・ザ・メンタルモデルについて（その１）「はたあそ（第１部）」・ザ・メンタルモデルについて（その２）「はたあそ（第２部）」
・ザ・メンタルモデルについて（その３）「TEDxTalksプレゼン動画」・ザ・メンタルモデルについて（その４）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？①・ザ・メンタルモデルについて（その５）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？②・ザ・メンタルモデルについて（その６）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？③・ザ・メンタルモデルについて（その７）『学習する組織』と『Ｕ理論』・ザ・メンタルモデルについて（その８）「〝痛み〟とどう向き合うか」・ザ・メンタルモデルについて（その９）「〝源（みなもと）〟とは何か？①」・ザ・メンタルモデルについて（その10）「〝源（みなもと）〟とは何か？②」
さて、この連載記事も回を重ねて11回目となったんですが、本日のメインコンテンツは、冒頭の写真に示したように、J.クリシュナムルティの書いた文章です。一昨日から「〝源（みなもと）〟とは何か？」というテーマで記事を書いているんですが、このテーマをもう少し引っ張ってみようかと。
というのは、わたし自身、高校２年生になったばかりの16歳のとき、学校を１ヶ月以上休まなければいけない様な厄介な病気を経験したことがありました。そういう体験がきっかけとなり、「身体を作っている〝源〟は何か？」という問いとかれこれ50年以上にわたって向き合ってきたようにおもいます。よって、こんにちまで、〝いのち〟というテーマについて考える機会は少なくなかったし、言うなれば、「源を問う」「源から生きる」という姿勢が、わたしの人生を形づくってきたもののようにも感じられるからです。1/11に投稿した「易経は機の哲学」という記事にも書いたことなんですが、20代前半から易経に触れるようになったのも食べ物と身体の関係や、東洋医学に対する関心が元でした。中国で成立したのが4000年前とも5000年前とも言われる易経を学ぶということは、まさに、〝源〟から生きるとはどういうことか？という問いに応えていく実践でもあって、寺子屋塾の教室はわたし自身にとっては〝源から生きる姿勢〟の実践道場とも言えるものです。（その３）の記事で紹介したTEDでの由佐さんのトーク内容に「わたしたちの内側の世界が外側を創っている」というフレーズがありました。ほんとうに「わたしたちの内側の世界が外側を創っている」かどうかは証明することが難しいですし、正しいかどうかはわかりません。ただ、これが正しいと仮定するなら、わたしたちの内側にあるものが〝源〟ということになるわけですね。わたし自身、「内側の世界が外側を創っている」という考えに触れたのは、由佐さんの〝ザ・メンタルモデル〟が初めてではなく、結構昔に遡ります。昨日の記事の終わりに参考関連記事でリストしておいたんですが、わたしが最初に触れたのは20歳のときで、J.クリシュナムルティが著した書物を通じてでした。・J.クリシュナムルティ「あなたは世界であり、世界はあなたである」（今日の名言・その68）
（引用ここから）
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー私たち人間は、何百万年も存在してきたもの途方もなく貪欲で、嫉妬深く、攻撃的で、ひがみっぽく、不安でやけっぱちで、そしてたまに喜びや愛情のほとばしりがあるといった存在です。私たちは憎悪と恐怖、優しさの奇妙な混合物です。私たちは暴力的でもあれば平和的でもあります。外部的には牛車からジェット機への進歩がありました。が、心理的には個人は全く変わっていません。そして世界中の社会の構造は個々人によって生み出されたものです。外部的な社会の構造は、私たちの人間関係がもつ内的な心理構造の結果です。というのも、個人は人の経験と知識、行為全体の結果だからです。私たちめいめいはあらゆる過去の貯蔵庫です。個人は全人類であるところの人間です。人の全歴史は私たち自身の中に書かれているのです。どうか観察して下さいあなたが権力、地位、特権、名声、成功その他諸々のもののために野心をたぎらせながら生きている、その競争的な文化の中で、あなた自身の内と外部にどんなことが実際に起きているかを。あなたがたいそう誇りに思っている業績を、あらゆる種類の関係の中に対立があり、憎悪と敵対、残忍さ、果てしない戦争を生み出す、あなたが生と呼んでいるこの全領野を観察するのです。このフィールド、この生が、私たちの知っているすべてであり、その巨大な生存闘争[全体]を理解することができないので、私たちは自然にそれを恐れ、あらゆる種類の巧みなやり方でそれからの逃避法を見つけ出すのです。そして私たちはまた、未知のものにおびえています死におびえ、明日の向うにあるものにおびえているのです。だから私たちは既知のものと未知のものの両方を恐れているのです。それが私たちの日々の生活であり、そこには何の希望もないので、あらゆる種類の哲学、理論的なコンセプトは現実にあるものからのたんなる逃避になってしまうのです。※J.クリシュナムルティ『既知からの自由』第１章よりこの続きはまた明日に！(^^)/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案内
6/28(日)10:30～易経入門講座〔第３期〕
14:00～易経準中級講座第13回7/11(土)10:30～18:30寺子屋Notion未来デザイン考程セミナー7/20(月・祝)13:30～16:30
『レゾナント・コミュニケーション』読書会ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎らくだメソッド無料体験学習（１週間）詳細についてはこちらの記事をどうぞ！
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
]]>
</description>
<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260626/</link>
<pubDate>Fri, 26 Jun 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ザ・メンタルモデルについて（その10）「〝源（みなもと）〟とは何か？②」</title>
<description>
<![CDATA[
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会の事前準備を兼ねて、著者のおひとり由佐美加子さんが発見された〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。昨日までに投稿してきた記事を未読の方はまず次から先にどうぞ！
・ザ・メンタルモデルについて（その１）「はたあそ（第１部）」・ザ・メンタルモデルについて（その２）「はたあそ（第２部）」
・ザ・メンタルモデルについて（その３）「TEDxTalksプレゼン動画」・ザ・メンタルモデルについて（その４）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？①・ザ・メンタルモデルについて（その５）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？②・ザ・メンタルモデルについて（その６）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？③・ザ・メンタルモデルについて（その７）『学習する組織』と『Ｕ理論』・ザ・メンタルモデルについて（その８）「〝痛み〟とどう向き合うか」・ザ・メンタルモデルについて（その９）「〝源（みなもと）〟とは何か？①」
さて、この連載記事も10回目となったんですが、昨日は「〝源（みなもと）〟とは何か？」という由佐さんのレクチャー動画を文字起こし付きでご紹介しました。・「源から生きる、生き方革命」第1回「源から生きる、生き方とは？」由佐さんがそれまでの人生を賭けてたどり着かれた世界観ですから、簡単には理解できないかもしれません。わたしはかれこれ10回以上は聴いているんですが、繰り返し繰り返し聴いて感じてみてください。さて、今日は昨日記事の最後で予告した通り由佐さんの「〝源（みなもと）〟とは何か？」にわたしなりのコメントを書いてみようとおもいます。由佐さんが語られていたことは、いわゆる「源（ソース）」を、怪しげなスピリチュアルの話としてでなく、わたしたちを生かしている〝いのち〟そのものの源泉として捉え直そう、という提案だったように受け取りました。空気も水も食べものも、無数の生命の微細なバランスの上に成り立っていて、わたしたちは「生きている」というより、圧倒的に「生かされている」存在だからです。それが完全に腑に落ちたならば、「じゃあ、わたしはここで何をするために生かされているんだろう？」という〝問い〟が自然に立ち上がってくるんだと。つまり、この「源」という言葉を、ふわっとした概念として扱うのでなく、生活に欠かせないインフラとして捉えると、地に足がつく感じがしました。生態系が少し崩れただけで空気も水も一瞬で危うくなるわけですから「源とつながる」というのは、非現実的な別世界に飛ぶことじゃなくて、むしろ、目の前にある現実を丁寧に扱える感覚に立ち戻ることなんだとおもえてきます。ドラマ逃げ恥の100回連載記事でも〝生活〟というキーワードを結構多用したんですが、どうもわたしは、頭で理解するより先に、生活次元で感じられる暮らしの手触りを大切にしたい人間のようで。身体の調子、季節の巡り、食べること、眠ること、身の回りの人間関係といった一見〝あたりまえ〟のところにこそ、〝源〟につながる回路があるんじゃないかと。そして、その「丁寧に扱う」を支えるのが、寺子屋塾でずっと大事にしている〝よみかき、そろばん〟〝自学自習〟のキャッチフレーズで語っている「実学中心の学び」でもあるんですね。〝源〟って、結局学習においては、「何から先に学ぶか？」ってことなんですが、〝よみかき〟は読書、コミュニケーション等に通じ、〝そろばん〟は算数・数学や論理的な思考、お金の循環、経営っていうテーマに通じます。状況をよく観る、人の話を聴く、自分の内側を観て言語化し、外にむけて表現する、現実の資源（時間やお金や体力）をちゃんと計る。つまり、このどれもが、いのちを続けていくための具体的な生活技術に他なりません。源を語ることが、急に〝遠い話〟になるのは、ここが抜け落ちたときなのかもしれないとおもいました。源の話は、生活の話から離れた瞬間に、遊離し浮いてしまうし、逆に言えば、生活の精度を上げることそのものが、源に近づく道にもなるのでしょう。もうひとつ、由佐さんの言葉で印象に残ったのは、外側の世界に求められることに応え続けて、いざ社会に放り出された途端に「自己分析しろ」と言われても、自分が何をやっているのか、どうしたらいいのか分からなくなる、というくだりです。これって今日でもいろんな場面で起きている気がします。何か困るとすぐに「何をしたらいいですか」とすぐにHowtoを探してしまう。でもそうした反応は、外側のレールの上を走る習慣が強いほど起きやすいことでしょう。寺子屋塾で能動的に〝自ら学ぶ〟姿勢を大事にしているのは、まさにその逆方向内側の感覚を取り戻して、自分で観察して、試して、振り返って、自分の足で確かめる力を育てたいからです。源につながるための〝内側の筋肉〟って、けっして特別な才能じゃなくてだれにでももともと備わっているものだし、日々の積み重ねと小さな反復で鍛えられていくんじゃないでしょうか。すぐに正解を探そうとするのでなく、まず、自分は〝何を感じたのか〟反応を観る。いま何が気になる？どこが苦しい？何に引っかかった？等々そうした引っかかりを、丁寧に言葉にしてみる。その上で、現実の一歩を小さく踏み出してみる。そうすると、外側の世界が急に変わらなくても、自分の立ち位置やが見えてくるし、自ずと行動が変わってくる。わたしは、そういう変化のほうを大切にしたいとおもっています。「源から生きる」というのは、きっと〝大きな宣言〟ではなくて、あたりまえの日常において、日々の扱い方の〝質〟を上げてゆくこと。外的な刺激に振り回されたり自分を責めたりするよりも、内側に戻れる拠り所を増やすこと。そうした積み重ねの先に、由佐さんの言われる「私はここで何をするために生まれてきたのか」という問いも、少しずつ現実味を帯びてくるのではないでしょうか。今日の記事で書いた内容は、これまでこのブログで何度も繰り返し書いていることでもあるので、難しく感じられたり、あまりピンと来なかったりした方は次の記事をご覧下さい。【参考関連記事】・J.クリシュナムルティ「あなたは世界であり、世界はあなたである」（今日の名言・その68）
・情報洪水の時代をどう生きるか（その２）・情報洪水の時代をどう生きるか（その６）・情報洪水の時代をどう生きるか（その８）・情報洪水の時代をどう生きるか（参考本24）この続きはまた明日に！(^^)/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案内
6/28(日)10:30～易経入門講座〔第３期〕
14:00～易経準中級講座第13回7/11(土)10:30～18:30寺子屋Notion未来デザイン考程セミナー7/20(月・祝)13:30～16:30
『レゾナント・コミュニケーション』読書会ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎らくだメソッド無料体験学習（１週間）詳細についてはこちらの記事をどうぞ！
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
]]>
</description>
<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260625/</link>
<pubDate>Thu, 25 Jun 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ザ・メンタルモデルについて（その９）「〝源（みなもと）〟とは何か？」</title>
<description>
<![CDATA[
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会の事前準備を兼ねて、著者のおひとり由佐美加子さんが発見された〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。昨日までに投稿してきた記事を未読の方はまず次から先にどうぞ！
・ザ・メンタルモデルについて（その１）「はたあそ（第１部）」・ザ・メンタルモデルについて（その２）「はたあそ（第２部）」
・ザ・メンタルモデルについて（その３）「TEDxTalksプレゼン動画」・ザ・メンタルモデルについて（その４）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？①・ザ・メンタルモデルについて（その５）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？②・ザ・メンタルモデルについて（その６）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？③・ザ・メンタルモデルについて（その７）『学習する組織』と『Ｕ理論』・ザ・メンタルモデルについて（その８）「〝痛み〟とどう向き合うか」
さて、この連載記事も９回目となりましたが、今日の記事もザ・メンタルモデルの中味についての話ではなく、その前段に関係する話です。由佐さんが関わっておられるＣＣＣのYouTubeチャンネルにメンタルモデルに関連する動画のリストがあり、「源から生きる生き方革命」シリーズの〝源〟という言葉にピンと来たので、本日投稿する記事のメインコンテンツは、このシリーズ動画の第１回「源から生きる、生き方とは？」を文字起こしテキスト付きでご紹介します。ところで、（その２）の記事で文字起こしテキストを紹介した「はたあそ第２部」の後半部で、『学習する組織』と『U理論』に触れた箇所がありましたね。わたしが由佐さんを初めて知ったのが写真右側にある『Ｕ理論』の本で、この２冊はどちらも由佐さんを紹介する上で欠かせない重要な書物ということから（その７）の記事で『学習する組織』『Ｕ理論』について書いた次第です。（その２）の記事後半「留学→体系化→世界観の形成」と中見出しをつけたところに次のようにありました。いろんな手法を自分の中に加えていって、そこから、「これは使える」と思ったものだけを、ある意味、自分で昇華させたものが、だんだん世界観になっていくんですよね。最初は手法から始まったんだけど、自分のなかで「世界観」が出来上がっていって、「本来、人間ってどういうふうに機能できるのか」っていうことが能力を開発していくと見えてくるから、こういう風に人間って本当はできるんだとか、こういうふうに在れるんだみたいな世界が見えてくると、どういう世界に人間は生きられるのかということを追っかけていくようになって。なので能力開発から結局社会はみたいな意識に広がるし、地球全体で起こっていることに対して、こういう智慧とか叡智みたいなものはどう使えるのか、みたいなところにも興味が広がるので、それを追いかけていった結果、今の〝全体性から生きる〟っていう世界観に行き着くんだよね。全体性って、人間の全ての機能をフルに使ったときに、人間にはどんな可能性があるのかっていう世界観なんだけど、「良いも悪いもない」っていう二元論を超えて行く先に人間の統合があるし、その統合にはエネルギーのすべてが使えるって世界があるっていうのを、自分なりに追っかけるようになっていって。だから、初めはいろんな人のいろんな手法を学んでいったんだけど、自分がその世界で統合できるものっていう風になって自分の軸ができてくると、今度はその世界観で何ができるのかっていう風に切り替わっていったのが５年ぐらい前からかな。このなかで、由佐さんがいろんな手法を自分の中に加えていって、「これは使える」と思ったものだけを自分で昇華させたものが、だんだん世界観になっていく。と書かれているところについて、わたし自身の体験に引き寄せてコメントすると、次のようになります。これまで32年間、寺子屋塾を運営する中で「らくだメソッド」「インタビューゲーム」「未来デザイン考程」「トータルゲーム（経営ゲーム）」等々自分で効果を実感できた学習ツールだけを人に対して提供するよう努めてきたんですが、わたし自身も学習ツールを厳選して日常的に使いこなす行動が結果的にそのまま自身の世界観の醸成につながった実感がありました。そうしたこともあり、由佐さんの行き着かれた人間の全ての機能をフルに使ったときに、人間にはどんな可能性があるのか〝全体性から生きる〟っていう世界観についても、非常に興味関心を持った次第です。
由佐さんご自身が語られているこの動画には、その内容を具体的に知るだけでなく、ザ・メンタルモデルについて理解を深めるヒントがあるように感じたので、まずはご覧になってみて下さい。・「源から生きる、生き方革命」第1回「源から生きる、生き方とは？」（文字起こし・ここから）
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーみっつ（進行役・山本光裕）：
では、時間になりましたので始めたいと思います。皆さん、こんばんは。今日から「源から生きる、生き方革命」という講座を始めていくんですけれども、第１回目は「源から生きる生き方とは」というタイトルでお届けします。今日の意図としては、「源って何だろう」「源から生きるとは、どういうことだろうか」というあたりの輪郭を、皆さんに掴んでいただくことです。
また、「源って、こういう感じなのね」と理解するというか、腑落ちするというか、そういう状態になってもらえたらいいな、という意図を持ちながら進めていきたいと思っています。よろしくお願いします。由佐：
なんか、フォーマルな感じでしたが（笑）、ちゃんとやってるなという感じがいいなと思っているんだけど。由佐です。よろしくお願いします。

わたしたちが今生きている時代は、なかなか大変な様相を呈している状態になっていると思います。そこで本当に何が必要なのかを追いかけていたときに、わたしはやっぱり、一人ひとりが自分の本当に内側にある世界と、命につながり直していくことが、人間にすごく必要だと思うに至ったプロセスがあります。そこにつながって本当に生きる、というのは、どんな生き方なのか。日々どんなことをやっていて、そこから生きると、人間は本当はどう在れるのか。このシリーズを通じて、いろいろな切り込み方で、皆さんと分かち合いたいなとすごく思っています。
わたしの一番最初の問いは、「わたしたちは、どうしてこの世界に生まれてきたのか」という問いです。わたしたちは子どものときに、そういう問いを持っていると思うんですね。でも残念ながら、ほとんどの場合、それは大人にまともに受け取られません。結局、外側の世界がわたしたちに求めることに、わたしたちは応え尽くして大きくなっていきます。期待に応えて、能力はついた。

でも、社会に放り出された瞬間に、「自己分析しろ」と言われる。そして、一体本当に自分はここで何をしているのかがわからないまま、生きなければいけない状態になっている。社会的に言うと、「成功とはこんな感じです」「幸せとは、こういうものがあると幸せになれるでしょう」というイメージや、刷り込まれたものだけはあります。
でも、わたしはそれを追いかけたときに、自分がまったくそれになれなかった、という体験がありました。本当に人間が、この三次元の、この世界で充足して生きるためには、一体何が必要なのか。そして、人間がそこに戻れたときに、わたしたちが今抱えているいろいろな環境問題や、なかなか平和にならないこと、いろんな人たちが自分を傷つけてしまうような、本当に今、最悪な状態に見えるものの中にも、糸口があるんじゃないかと思っています。その全体を、どんなふうに捉えているのか。それを皆さんと一緒に考えたり、分かち合ったりしていけたらいいなと思っています。

今日は、本当にイントロというか、一番最初の始まりなので、ソース（source）というものをどういうものだと捉えているのか、ということをお話しします。ソース、源というのは、「神」と言われたり「大いなるもの」と言われたり、いろいろな呼び方をされています。基本的には、世の中では「怪しい」とか「スピ系」とか捉えられているものでもあります（笑）。でもわたしは、基本的にそれをいのちの源泉だと思っています。それがどういうふうに自分たちの内側にあり、わたしたちは本来、そこにどんなふうにつながれるのか。そのことを、まったくスピ系でも、宗教でも、信仰でもない形で理解することが、すごく大事だと思っています。なので、１回目はそのあたりをやりたいなと思っています。

まず、「何を感じて、ここに来てくださっているのか」ということを、３人ぐらいで共有していただく時間を、10分ぐらい取りたいと思っています。お願いします。

みっつ：
では、15分ぐらい、３人で対話をしてきてください。それでは、いってらっしゃい。お願いします。

みっつ：
皆さんお帰りなさい。どんな話が出たか。なぜ自分はここにいるのか。どんな関心があって来たのか。そのあたりを、ぜひ皆さん、Zoomのチャット機能がありますので、そこに書いていただいてもよろしいですか。

いただいているものを見ると、「源とつながることとは」「源につながるステップ」「内側を見る感覚をより知りたい」「源につながったときの感覚」源って漢字がたくさん出てますね。「源からの自己表現」「源につながっているときと、つながっていないときの違い」「源につながることに飽きることはありますか？」って面白い質問ですね。あとは、「源とはどんな状態なのか？」「持続するには？」「源とつながることを妨げるものは？」……そんな感じですかね、頂いてるのは。源とはなにか由佐：
今日は、「源」というキーワードに惹かれて来てくださっている方が多いと思っているので、まずそのことに関して話そうかなと思います。「源とは何か？」を一言で言うと、「この世界にある全生命体」です。〝いのち〟です。この世界はいのちでできていて、いのちのつながり合いでわたしたちは生かされています。誰がどう逆らっても、それが真理だと思うんですよね。この生態系の微細なバランスが崩れたら、わたしたちは空気さえ吸えないし、水さえ飲めない。そうなったら、人間はあっという間に死んでしまうわけです。この微細な生命が保っている意識の源。この生命体を生かし、育み、進化させようとしている意識が、わたしは常に働いていると思っています。他の生物と同じように、人間もその「何かを育む力」に突き動かされていると思っています。それを生きる、ということ。
わたしたちがこの星で、この地球上で生きるというのは、今は「自分たちが生きている」という意識で生きていると思うんですけれども、むしろ「生かされている」というほうが正しいよね、と。生かされているのだとしたら、「わたしたちは、どうしてここに生かされているのか？」という問いが、絶対に次にやってくると思っています。わたしは、人間が本当に持てる意識というのは、すべてのいのちに関心を持つことができる意識だと思っています。それが多分、人間の内側に本当にある、生命に対するすべての愛です。この地球上にある生命を守り、育んでいる意識とまったく同じものを、人間は自分の中に持っていると思っています。そこから人間が意識として生きられるというのが、本当の人間の姿としてあり得るんじゃないかなと思っています。
わたしが〝ソース〟と呼んでいるのは、この全生命体を守ろうとして、育もうとして、この微細で本当に美しい生命の編み目を保とうとしている意識体そのものです。その意識体そのものが、自分の中にあるということを信じることだと思っています。その意識に使われたときに、「わたしはここで何をするように生まれてきているのか？」という話になります。結局、「わたしたちはここで何をしているのか？」と見てみたときに、やっぱりこの進化のプロセスの〝何か〟を担いに来ているんだと思っています。それが本当に、このソースと呼ばれている意識体が望んでいることだと思うし、その意識と自分がつながれたときに、「今、この状態で、この地球上で、この時代で、わたしのいのちは、どんなふうにそのいのちに使われていくのか？」ということが、すごく大事なことだと思っています。
だけど、今の人間社会の意識は、そういうことよりも、「あなたはどれぐらい社会で評価され、承認され、成功していて、物質的にどれだけ満たされているかっていうのがあなたの幸せなんです」という世界観を、いまだに押しつけています。わたしはここに、徹底的にものすごい虚無感を覚えた時代がありました。その時代を生きていたときに、人生がそれで崩壊しちゃったんですね。社会がわたしに概念として与えた幸せを、わたしは全然幸せだと思えなかった。そして、人生はぶっ壊れた。
だから自分で、「本当に自分のいのちは、ここで何をしに来たのか？」ということを探しまくったんです。いろいろなものを探しました。そこで至った結論が、この地球上のわたしたちのいのちを司っている意識は、たぶん、すべての生命が進化し続けていくことを目的としているということでした。そして、自分はこの世界に、その何かを担いたいと思って生まれてきたと思っている。では、それをどういうふうに自分が表現していけば、その一端を担えるのかということに興味があります。

源から預かっているミッション源から預かっているミッションというものが、みんなやっぱりあるんですよね。その紐解き方もあります。それがどういうロジックで見えたかというと、わたしたちは一番欲しいものを、この地球に生まれたときに、「ないんだ」という世界を通して体験しているんですよね。たとえば、「愛がない」「つながりがない」「自分が本当に欲しいものが、ここにはない」という〝痛み〟を、みんな持っています。この痛みに、ものすごくヒントがあります。自分は、何の痛みを抱えてきたのか？自分の生きている過程の中で、どんな痛みを抱えてきたのか。それを見たときに、自分のミッションは、実はその〝痛みの裏側〟にあります。それが痛かったということは、「自分は本当にここに、何があるはずだ」という世界観があるんです。それを、みんなもたらしたいと思っている。一人ひとりもたらしたいと思っているものは違います。
わたしが毎回それを見るたびに本当に感動するのは、それが本当に美しいということです。一人ひとりが、この世界に本当に美しいものをもたらしたくて生まれてきている。でも、わたしたちはそこから切り離されていて、自分がどんな世界を作り出したくてここに生まれてきているのかが、わからなくなってしまっている。要は、わたしたちはここに、作り出すものとして生まれているんです。従属したり、適合したりするためではない。本当に欲しい世界を、一人ひとりが現実として生み出す。そういう力を、人間は機能として備えて生まれてきています。残念ながら、今はそれが全然使われていないんですけれども、それをどういうふうに、自分が兼ね揃えている機能に目覚めて使えていって、この現実を変えていけるのか。そこを集合的な能力として、やっぱり持ちたいんですよね。
それは、新しいものを見つけることではなく、基本的には〝思い出す〟だけです。自分がそれを持っている。こういうふうに使ったら、こういうふうに現実は作り出せるんだ。そのことを一人ひとりが思い出していくことができたら、あっという間に本当は現実は塗り替えられるんです。そしてそのヒントは全部、自分の内側の「ある世界」にどうつながっていくのか、というテクノロジーにしかありません。でも、今の人間はそのテクノロジーを知らないし、「外側で何かをすれば現実が変わる」という幻想に、完全にはまっているんですよね。だから、みんな外側の行動力をものすごく増やします。何か困ったことや不快なことがあると、「何をしたらいいんでしょうか？」と、みんな言うわけです。でも、「何をしたら？」というふうになってしまったら、基本的には内側の何にもつながれずに、外側で今までの自分のパターンを繰り返すだけです。だから、現実を変える力は、本当はそこにはありません。でも、「そのHowtoを新しいものにしたり、違うことができるようになったら、現実は変わる」と思い込んでしまっている。でも本当はそうではありません。

自分の内側にどうやってつながるのか。そして、内側の世界が変わった瞬間に、外側は全部塗り替わりますってことを本当に伝えたいんです。昔は、たぶん「悟りを開く」とか「目覚める」とかいう言葉で言われていたことが、今は、この日常の生活で起こることを通して、人間はそこから本当に進化していける糧を得られる時代が来ていると思っています。その現実をどう認知したらいいのか。そこを、第２回目以降でやりたいなと思っています。日々、自分に起こることをどう扱うかが、自分の真価を実際に決めています。でも、その扱い方を、わたしたちはちゃんと教えてもらえません。だから、何かが起こると、「ああ、嫌なことが起きちゃった！」で終わってしまう。そして、「あいつのせいだ！」という話になってしまう。でも、そうではありません。本当に自分の内側の世界の糧にして、そこからどうやって現実を作り出していくのか。そこが、今のこの時代に絶対的に必要なテクノロジーだと思っています。だから、それをやっていきます。というか、それしかやりたくないんですけれども（笑）、それをやりたいなと思っている、という感じです。
だからわたしは、ソースというのは、みんなが集合的につながっている、いのちを司っている大元にある意識だと思っている。そして、それを自分の中に感じている、ということです。そこに使われたいと思っている。そこにつながったときに、自分が日々この現実自分に起こる現実をどうやって扱っていけば、そこにつながり続けられるのか。そのことを、このシリーズでやっていきたいなと思っているんですよね。（続く）
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー（文字起こし・ここまで）YouTubeにて公開されているこの動画はダイジェスト版で完全版はHMTのwebsiteから購入できます。明日は、由佐さんがこの動画「源から生きる、生き方革命」第１回で話された内容について、わたしのコメントを書く予定です。(^^)/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案内
6/28(日)10:30～易経入門講座〔第３期〕
14:00～易経準中級講座第13回7/11(土)10:30～18:30寺子屋Notion未来デザイン考程セミナー7/20(月・祝)13:30～16:30
『レゾナント・コミュニケーション』読書会ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎らくだメソッド無料体験学習（１週間）詳細についてはこちらの記事をどうぞ！
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
]]>
</description>
<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260624/</link>
<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ザ・メンタルモデルについて（その８）「〝痛み〟とどう向き合うか」</title>
<description>
<![CDATA[
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会の事前準備を兼ねて、著者のおひとり由佐美加子さんが発見された〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。昨日までに投稿してきた記事を未読の方はまず次から先にどうぞ！
・ザ・メンタルモデルについて（その１）「はたあそ（第１部）」・ザ・メンタルモデルについて（その２）「はたあそ（第２部）」
・ザ・メンタルモデルについて（その３）「TEDxTalksプレゼン動画」・ザ・メンタルモデルについて（その４）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？①・ザ・メンタルモデルについて（その５）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？②・ザ・メンタルモデルについて（その６）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？③・ザ・メンタルモデルについて（その７）『学習する組織』と『Ｕ理論』
さて、今日の記事もザ・メンタルモデルの中味についての話ではなく、その前段に関係する話を書きます。昨日は『学習する組織』『Ｕ理論』についてでしたが今日はわたし自身が体験したことをとっかかりにして書き始めてみようかと。一昨日6/21午後に本田信英さんが主催され名古屋の大曽根で開かれた東畑開人『聞く技術聞いて貰う技術』読書会に参加しました。この本を読むのは今回が２回目で、6/21に読んだのは43ページの終わりから四行目から73ページの終わりまでです。その日読んだ箇所に、著者が朝日新聞に寄稿し2021.9.16に社会季評欄に掲載された「国民へ言葉が届かなかった菅首相、足りなかった孤独」があり、その文章ではメルケル首相がコロナ禍が始まった2020年3月にテレビを通じて行った演説に触れられていました。本書内にも引用されているその記事には次のような文章があります。「刺すような痛みに踏みとどまることには報酬がある。そこで感じる孤独が、相手の中にあった孤独を想像することを、ほんの少しではあるにせよ可能にしてくれるからだ。遠くの耳にまで届く言葉が生まれるのはそういうときだ。思い出してほしい。東独で育ったメルケル首相は、自身がかつて移動を制限されていた痛みに言及しながら、人々が感じているであろう痛みを言葉にしていた。シビアな痛みから生まれる言葉だけが、孤独の向こうにまでたどり着ける。」この、東畑さんが書かれた「刺すような痛みに踏みとどまることには報酬がある。」を読んだとき、（その３）の記事で紹介した由佐さんのTEDxTalksプレゼン動画の内容が蘇ってきました。とりわけ、色濃く響いてきたのは、由佐さんが人事の仕事をされるようになり、多くの人の相談に乗るようになった際、どんな人の中にも〝痛み〟があるという真実を見出したと話された箇所です。そして、その内側の〝痛み〟を二度と味わいたくないと痛みを避けたり、克服しようとしたりして行動すればするほど、そこからは、〝痛み〟を感じるような現実を創り出してしまうと。つまり、まさにこれは「わたしたちの内側の世界が外側を創っている」ってことなんですね。何度も何度も繰り返し書いていますが、ジョージ・ウェインバーグの言うように、人間の行動は、その背後に隠された動機を強化するわけですから。非常にシンプルな構造で別段難しい話ではありません。刺すような痛みを回避しようとして行動すれば、その痛みが増幅されてやってくるだけなので、痛みを感じる状態でぐっとこらえてそこで踏みとどまれる人には〝報酬〟があるんだと。結局のところ、わたしたちはこの〝痛み〟をちゃんと受け止められていないというか、何のために痛みがあるのかがよくわからないまま機械的に反応してしまっているのではないかという疑いがあるんですね。たとえば、身体がケガをしたときわたしたちの身体がもし、痛みを感じられなかったらどうでしょう？ナイフでちょっと傷つけたぐらいならまだしも大ケガで出血量が多いような時には気がつかずに放っておいたら命を失いかねません。つまり、この場合の〝痛み〟とは身体に危険が迫っていることを教えてくれる有難いメッセージであるわけで。この〝痛み〟とどう向き合うかという問題はネガティブな感情との付き合い方にもつながります。でも、ネガティブな感情との付き合い方って、学校ではほとんど教わりません。そういうこともあって、寺子屋塾の学習においては、かねてから苦手意識との向き合い方を例にして、ネガティブな感情との付き合い方の大切さを折に触れて話すようにしてきました。・苦手意識は克服しなくていい（つぶやき考現学No.49）・苦手意識を持ち続けるメリットとは？（つぶやき考現学No.71）勉強するのが苦手だとか、人前で話すのが苦手とか、お金の計算をするのが苦手とか、
この、苦手意識ってごく当たり前に存在し、枚挙にいとまがありません。でも、その苦手意識って裏返してみればその奥にあるのは、本当はできるようになりたいっていう〝意欲〟そのものなんですよ。「裏返す」とか「裏側や奥を見る」というのが本当は誰でもできることなんだけど、自分の内側とか内面を観るっていうのは、習慣化されていないばかりか、そのこと自体に慣れていない人がほとんど。つまり、そのハードルを超えるのに、ちょっとだけ技術が要るので、観察力の解像度を磨く必要があって、そこで引っかかってしまう人、諦める人がすくなくないんですが。これって結局、易経でいえば、陰と陽の関係であり、心の仕組みとして捉えるなら、顕在意識と潜在意識の関係とも言えるので、両者はもともと表裏一体だったって見做せると、きっと納得できるはずです。本心ではできるようになりたいから、苦手に感じるというのは、ごく当たり前の帰結であるわけで、もし、どうでもいいようなことなら、苦手意識すら湧かないことでしょう。つまり、苦手意識の正体って結局感じ方が過敏すぎるから過剰反応を引き起こしているとも言えるし、それを克服しようと頑張るのも目を反らして逃げようとするのも実は、その根っこはいずれも抵抗する心理にもとづく回避行動なんですね。心理学、行動学カテゴリで〝馴化（じゅんか）〟という言葉があるんですが、過敏すぎて過剰に反応してしまうのなら何とかしようとするのを止め、動かずにそのままとどまって〝鈍感〟になっちまえばいいんだと。笑つまり、どんなに恐い雷おやじのお説教でも毎日のように聞いていればそのうち慣れてしまいますから。頑張らず、特別視せず、かといって遠ざけず、目の前にあるできることだけを坦々とやり過ごすというか、学習そのものを無理なく日常化してしまって、自分を馴らすようにすればいいわけで。つまり、寺子屋塾の理念であり戦略でもある「学習活動の日常化」とは、克服しようと頑張るのでも、避けたり逃げたりするのでもない〝第三の道〟なんです。わたしの勝手な見方でしかありませんが、寺子屋塾で実践しているこの第三の道的アプローチというのが、〝ザ・メンタルモデル〟の考え方に通じているように感じているということから背景部分の理解を深めるのにわずかなりとも資することできればという想いから今日はこんな記事を書いてみました。ちなみに、冒頭に書いた本田さんの読書会は次回は7/12(日)13:30～に開催予定とのこと。東畑開人さんの本、面白いですよ。興味ある方、ぜひご参加ください。
続きはまた明日に！(^^)/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案内
6/28(日)10:30～易経入門講座〔第３期〕
14:00～易経準中級講座第13回7/11(土)10:30～18:30寺子屋Notion未来デザイン考程セミナー7/20(月・祝)13:30～16:30
『レゾナント・コミュニケーション』読書会ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎らくだメソッド無料体験学習（１週間）詳細についてはこちらの記事をどうぞ！
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
]]>
</description>
<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260623/</link>
<pubDate>Tue, 23 Jun 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ザ・メンタルモデルについて（その７）『学習する組織』と『Ｕ理論』</title>
<description>
<![CDATA[
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会の事前準備を兼ねて、著者のおひとり由佐美加子さんが発見された〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。昨日までに投稿してきた記事を未読の方はまず次から先にどうぞ！
・ザ・メンタルモデルについて（その１）「はたあそ（第１部）」・ザ・メンタルモデルについて（その２）「はたあそ（第２部）」
・ザ・メンタルモデルについて（その３）「TEDxTalksプレゼン動画」・ザ・メンタルモデルについて（その４）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？①・ザ・メンタルモデルについて（その５）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？②・ザ・メンタルモデルについて（その６）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？③（その４）から（その６）まで３回にわたって、
ドラマ『逃げ恥』の登場人物が４つの〝ザ・メンタルモデル〟のどれに当て嵌まるか考察する記事を書きました。
（その３）の記事の終わりに書いたことですが、人は誰もがザ・メンタルモデルに示された４つの要素のすべてを持っていて、しかもその４つの濃淡すべてが個別に違います。このような記事を書いた動機については（その４）の冒頭に述べた通りですが、
各々が四類型のうちの
どれに当て嵌まるかを知ることが重要だと言いたかったわけではありません。ただ、当塾では、セルフラーニングという学び方を採用していて、「自己観察が大切だ」という話を日常的にしているのですが、自分の〝何〟を〝どのように〟観察するのかが伝わっていないように感じることが少なくなく、そうした場面で〝ザ・メンタルモデル〟の考え方が役立てられるんじゃないかと感じました。とはいえ、だれにとっても正解となるような唯一のやり方が存在しているわけでなく、対話的な関わりの中で個別に見出していく必要があり、ノウハウとしては語れなくても、〝ザ・メンタルモデル〟への理解を深めることは、具体的な自己観察の視点や方法を自ら考える段においては、参考になるんじゃないかと考えた次第です。それと、四類型についても（その３）の記事でざっくり概略を説明しただけだったので、ドラマ『逃げ恥』の登場人物という架空な存在であっても抽象的な説明を重ねるよりは、具体的に考察するほうがリアリティが感じられ、〝ザ・メンタルモデル〟に対しての理解も深まるのではないかと。さて、ザ・メンタルモデルの四類型発見に至るプロセスやその前段にあたる話でまだ触れられていないことがいくつかあり、本日はそれについて。（その２）で文字起こしテキストを紹介したはたあそ第２部の記事中に、『学習する組織』と『U理論』に触れられてました。以前に書いたようにわたしも由佐さんを初めて知ったのは、『Ｕ理論』の本からでしたし、この２冊はどちらも由佐さんを紹介する上で欠かせない重要な書物です。
しかし、とにかく分厚い本で、内容に言及し始めるとそれだけでブログ10回分くらいの記事を書いてしまいそうなんですが、主テーマの〝ザ・メンタルモデル〟から逸れてしまうので、
ここでは各々の最重要ポイントと
要約記事の紹介のみさせていただきます。『学習する組織』については、前野隆司さんとの対談本『無意識が変われば人生が変わる』の
24ページで由佐さんは次のように話されています。
『学習する組織』でとくに惹かれたのは自己マスタリーという概念です。いろいろな研究者が指摘しているように、組織の問題を追究していくと、「リーダーの意識の変容」に行き着きます。リーダー一人の意識が変わるだけで、組織には驚くようなインパクトが出る。またＵ理論については、次のYouTube動画の、
1時間14分ほど経過したところから、参加者の質問に応じながら、「Ｕ理論では〝起点のチェック〟が最も重要」というお話をされていました。
・【公開トークセッション】Co-Creationという世界の生き方、リーダーシップこの起点のチェックが最も重要というお話は、6/14投稿した記事で紹介した
「人間の行動は、背後に隠された動機を強化する」というウェインバーグの言葉にほぼ重なるので、未読の方は次の記事をご覧下さい。
・ジョージ・ウェインバーグ「人間の行動は、その背後に隠された動機を強化する」（今日の名言・その128）最後に２冊の本の要約記事です。手元にこの２冊の本がなく、内容に関心のある方は次の記事をどうぞ！※オススメ要約記事（吉住海斗さんのnoteより）
・『学習する組織』徹底まとめ＆解説約7万字・『U理論』徹底まとめ＆解説約6万字
この続きはまた明日に！(^^)/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案内
6/28(日)10:30～易経入門講座〔第３期〕
14:00～易経準中級講座第13回7/11(土)10:30～18:30寺子屋Notion未来デザイン考程セミナー7/20(月・祝)13:30～16:30
『レゾナント・コミュニケーション』読書会ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎らくだメソッド無料体験学習（１週間）詳細についてはこちらの記事をどうぞ！
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
]]>
</description>
<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260622/</link>
<pubDate>Mon, 22 Jun 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ザ・メンタルモデルについて（その６）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？③</title>
<description>
<![CDATA[
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会の事前準備を兼ねて、著者のおひとり由佐美加子さんが発見された〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。昨日までに投稿してきた記事を未読の方はまず次から先にどうぞ！
・ザ・メンタルモデルについて（その１）「はたあそ（第１部）」・ザ・メンタルモデルについて（その２）「はたあそ（第２部）」
・ザ・メンタルモデルについて（その３）「TEDxTalksプレゼン動画」・ザ・メンタルモデルについて（その４）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？①・ザ・メンタルモデルについて（その５）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？②さて、ドラマ『逃げ恥』の登場人物が４つの〝ザ・メンタルモデル〟のどれに当て嵌まるか考察する記事を２回にわたって投稿しました。それで、記事を読んだ塾生のひとりから、「日野さん入ってなかったけど、どうして？」と聞かれたので、今日は、そのことについて書いてみようと。
実は、昨日までの２回の記事中に日野秀司を入れなかったのは入れてないなりの理由があったんですが。その結論を最初に書いておくと、わたしはこのドラマ『逃げ恥』において日野は、「４類型の欠乏が比較的薄いバランサー役」を果たしているように受け止めたためです。でも、そういう意味で、この日野秀司という人物の、〝ザ・メンタルモデル〟の分類を考察してみることで、彼がこのドラマ上では、かなり面白い存在なんだなとも改めて感じました。よって、もし敢えて４つのどこかに分類しなければならないということなら、①価値なしモデルの健全寄り／生活者型で、ただし欠乏はかなり薄いと見るのがよいとおもいます。1.「役に立つこと」で関係を支える人日野は、平匡と同じ3Ｉシステムの同僚ですが、彼だけはかなりはっきり〝家庭を持つ普通の生活者〟として描かれているんですね。これまで書いてきたように、平匡が「プロの独身」、風見が「結婚に興味がないハイスペック独身」、沼田が観察者・媒介者だとすると、日野はその中で唯一、結婚・子ども・家庭を日常の中で引き受けている人物と言えるので。たとえば、（その80）の記事で紹介したように第３話で、ぶどう狩りに行く予定だったのに、子どもが風邪をひいてキャンセルする出来事がありました。結果として、沼田と風見が代わりに来るのですが、つまり日野は「家庭の事情で予定を変える人」として描かれています。何かが欠落していることが動機としてあって「家族のために動く」「父・夫として機能する」というよりは、自分の居場所をちゃんと見出しているという意味で、もし、敢えて分類する必要があるなら、①価値なしモデルの穏やかな形と判断した次第。2.平匡の「ひとりぼっち」と対照になる存在日野は、平匡の対照的な存在として重要です。平匡は「プロの独身」として、他者と深く関わらない安全地帯にいます。一方の日野は、家庭があり、子どもがいて、面倒なことも多いけれど、そこから逃げていない。日野は、平匡にとっての「普通に家庭を持っている男性」のサンプルです。ただし、ドラマ『逃げ恥』はこの日野を理想化しすぎているわけではないんですね。家庭があるから偉いとか、結婚しているから完成している、という描き方でなく、家庭持ちには家庭持ちなりの制約・面倒・役割があるものとして描いています。つまり日野は、平匡に対して、人と暮らすことはいろいろ面倒だけど、そうした面倒さの中にも普通に生きている人がいるという現実を見せる存在だったといえばいいでしょうか。3.「結婚は楽しいし」と言える軽さつまり日野は、結婚を過剰にロマン化するわけでも、過剰に否定する存在でもありません。第1話～序盤の同僚たちの会話の中で、既婚者の日野は、結婚について比較的自然に「楽しいし」という立場を取ります。一方で、風見は結婚を「必要ないものを買う行為」のように捉える独身男性として対比されていたわけで、ここが日野らしいところなんですね。日野にとって結婚や家庭は、思想でも理想でもなく、生活そのもの。この「生活として引き受けている」感じが、①の健全形に近いのではないかと。①価値なしモデルというのは、こじれると、役に立たなければ愛されない稼がなければ価値がない家族を支えられなければ自分はダメだになりがちです。でも日野の場合、そこまで悲壮感はありません。むしろ、家族がいるから予定は変わるし、子どもが熱を出せばそちらを優先する。でも、それも含めて生活なんだよねという、かなり地に足のついた人物ですから。4.物語上の役割は「普通の生活の代表」このように日野は、このドラマのメインの恋愛軸に大きく絡む人物ではありませんが、作品全体の中では大事な役割があります。最終話でも、日野夫婦が子どもとともに登場し、百合と風見、沼田と梅原、やっさん、みくりと平匡たちと並んで、それぞれの形の幸せの一部として描かれてました。つまり、日野夫婦は、〝普通の夫婦〟に見える人たちにも、その人たちなりの生活があるという位置にいる存在なんですね。そもそも『逃げ恥』は、「結婚している人が正解」「独身は未完成」という物語ではありません。むしろ、結婚・独身・契約結婚・同性カップル・シングルマザー・年の差恋愛等々、いろいろな形をフラットに並べて見せる作品です。その中で日野は、いわば〝既婚・子持ち・会社員〟という世間的に最も一般的に見えるモデルを担当していたんだと。よって、日野をどうしても４類型に入れるなら①価値なしモデル／生活者型・健全寄りではないかと。5.根っこの信念として想定できるもの自分は、家族や周囲の役に立っていることで居場所を持つ。夫として、父として、会社員として、ちゃんと役割を果たすことが大事。ただし、みくりや百合ほど「価値を証明しなければ」という切迫感は弱いです。なぜなら、みくりの①は、「役に立てなければ、ここにいていいかわからない」に近い存在だったし、百合の①は、「仕事ができる私でなければ、社会に価値を認められない」に近い。その点、日野の①は、もっと穏やかで、「家族や職場の中で、自分の役割を普通に果たす」という形なんじゃないかと。6.他のモデルでない理由②愛なしモデルではなさそう日野には、「愛されたい」「選ばれたい」「見捨てられたくない」という切迫した動きはほとんど見えません。家庭内での愛情不安よりも、生活上の役割を淡々と引き受けている印象です。③ひとりぼっちモデルでもなさそう平匡のように、自分だけの安全な領域を作って閉じこもる感じもありません。むしろ、家庭・会社・同僚関係の中にごく普通に属していました。④欠陥・欠損モデルでも薄い「自分には根本的に何か欠けている」という痛みも、日野にはあまり前面化していません。もちろん、人間ですから、内面にはきっと何かを抱えていることでしょうが、ドラマ上はそこまで描かれていません。以上をまとめると日野秀司は、メンタルモデル的には次のように置くのがよさそうです。一言でいうと、日野は「欠乏に強く駆動されている人」でなく、〝役割を引き受けて生活している人〟です。そういう理由で、昨日までの２回の記事では敢えて４類型には入れなかったんですが、無理無理にどこかに入れるとするなら①価値なしモデルの健全形でも、このドラマ『逃げ恥』の作品構造上は、平匡たちのこじらせを浮き彫りにするための〝普通の生活者ポジション〟と見るのがわたしには一番しっくりきたんですが。……なんて、気づいてみると、日野ひとりだけで、随分長い記事を書いてしまったんですが、皆さんなら日野をどう分類しますか？
この続きはまた明日に！(^^)/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案内
6/28(日)10:30～易経入門講座〔第３期〕
14:00～易経準中級講座第13回7/11(土)10:30～18:30寺子屋Notion未来デザイン考程セミナー7/20(月・祝)13:30～16:30
『レゾナント・コミュニケーション』読書会ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎らくだメソッド無料体験学習（１週間）詳細についてはこちらの記事をどうぞ！
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
]]>
</description>
<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260621/</link>
<pubDate>Sun, 21 Jun 2026 18:30:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ザ・メンタルモデルについて（その５）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？②</title>
<description>
<![CDATA[
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会の事前準備を兼ねて、著者のおひとりである、由佐美加子さんが発見された〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。昨日までに投稿してきた記事を未読の方はまず次から先にどうぞ！
・ザ・メンタルモデルについて（その１）「はたあそ（第１部）」・ザ・メンタルモデルについて（その２）「はたあそ（第２部）」
・ザ・メンタルモデルについて（その３）「TEDxTalksプレゼン動画」・ザ・メンタルモデルについて（その４）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？①さて、昨日から、ドラマ『逃げ恥』の登場人物が４つのザ・メンタルモデルのどれに当て嵌まるか考察する記事を書きはじめたんですが、①価値なしモデル（Ihavenovalue）
②愛なしモデル（Iamnotloved）
の２つを書いただけで結構な分量になってしまい、そこで一区切りとさせてもらいました。ですから、今日はその続きとして、③ひとりぼっちモデル（Iamalone）
④欠陥・欠損モデル（Iamflawed）を書いて行きますね。


③ひとりぼっちモデル「わたしは結局ひとりだ」津崎平匡：主③／副④
平匡は、最もはっきり③「ひとりぼっちモデル」として読める人物です。（その12）の記事で紹介したシーンで
彼は自分を「プロの独身」と位置づけていました。これは単なる独身生活の長さでなく、何よりも他者と深く関わらないようにすることで自分を守る〝生存戦略〟と言ってよいでしょう。恋愛や親密さを避け、生活を整え、ルールと距離で安全を確保する。

（その60）の記事でコメントしたんですが、何よりも第５話のハグ交渉シーンは、その象徴だという風に捉えました。ハグという本来は感情的・身体的な親密さを表す行為を、平匡とみくりは「交渉」「提案」「合意」「頻度」といった契約の言語で処理しようとします。これは、親密さに入りたいのに怖い二人が、共同幻想＝契約やルールを使って、対幻想＝二者関係の熱と怖さに近づこうとする場面と捉えました。

第７話のキス後、平匡がみくりから距離を取る場面も③の反応で、近づきたいのに、近づいた瞬間に怖くなって逃げる。（その40）の記事で触れたドア越しメッセージのやり取りなどは、まさに「近づきたい／でも直接は怖い」という平匡の距離感を表しています。

副④「欠陥・欠損モデル」は、「自分は普通ではない」「自分には恋愛や結婚は起こりえない」という感覚に出ていました。つまり、第10話で平匡が「自分には起こりえない話だと思っていた。ですが、みくりさんと出会って変わった」と語る流れは、彼の根底にある欠損感が、みくりとの関係で揺らいでいく場面です。

また、（その63）の記事で紹介した、第８話「因数分解／素因数分解」の場面も象徴的でした。自分の気持ちを開こうとしている大事な場面で、平匡が言葉の定義に引っかかるこれは、彼の理系的な可愛さでもありますが、同時に、感情の高圧に直接触れるのが怖くて、言葉の正確さに逃げるとも読めます。

平匡は、
「ひとりでいれば安全。でも本当はつながりたい。けれど、つながると自分の欠陥が露呈しそうで怖い」
という③＋④の構造を持っているんじゃないかと。
梅原ナツキ：主③寄り
梅原は、平匡ほど内面が描かれていたわけでなく、かなり想像を含んだ私見ではあるんですが、③寄りの人物と読むと納得できるんではないかと。
彼は百合の部下として登場し、職場では飄々と仕事をしています。（その66）の記事で触れたように、最終話付近では、百合と風見の関係、そして自分自身のセクシュアリティや人間関係の問題が浮かび上がっていました。ポジティブモンスター・五十嵐杏奈とともに、物語に欠かせない脇役として欠かせない人物の一人と言ってよいでしょう。

とても印象的だったのは、「いいじゃないですか、それくらいのハードル。生きて会えるんだから」という彼の言葉です。これは一見、軽い台詞に見えて人と人との関係性の本質を突いていて、大きな困難や違いがあっても、生きて会えるなら関係は可能だ、という見方です。

最終話では、沼田との同性カップルにも触れ、星野源による主題歌『恋』の歌詞「夫婦」「二人」「一人」という問題を超えていく登場人物として描かれていましたね。

梅原の③は、自分を全面的に理解されることを初めから期待しすぎず、それでも関係を諦めない距離感にあります。つまり、平匡のように閉じた孤独でなく、もっと軽やかで現代的で成熟した③ではないかと。
沼田頼綱：主③
沼田も③「ひとりぼっちモデル」の成熟形として読むと面白い人物ですよね～
彼はゲイとして描かれ、周囲を観察する鋭さを備えていました。平匡に対しても、契約結婚の不自然さに早くから気づきます。沼田は、男目線と女目線の両方を持つからこそ鋭い、と言及される場面もありました。

この「鋭さ」は、単なる勘の良さでなく、周縁にいる人への観察眼です。自分が多数派のど真ん中にいないからこそ、人の嘘や距離感、不自然さに敏感になる。これは③の「わたしはひとりだ」という感覚が成熟すると、場を読む力・人の孤独に気づく力へと変わる例なのでしょう。
第10話で、沼田は平匡をリストラ対象として選ぶ苦しい役割を担います。それでも平匡との信頼関係が完全には壊れない。これは、沼田が単なるお調子者でなく、厳しい現実もきちんと引き受ける人物として描かれているからでしょう。

最終的に、沼田と梅原の同性カップルも、「それぞれが自分の生き方で幸せを選ぶ」物語の一部として配置されていましたね。

沼田は、孤独を知っているからこそ、人の孤独を見抜き、場をつなぐことができる人。だから、③の成熟形という読みが妥当なのではないかと。
④欠陥・欠損モデル「私には根本的に何かが欠けている」森山桜：主④
森山桜は、表面的には明るく家族思いの母です。ただ、④「欠陥・欠損モデル」で読むなら、その根拠となるポイントは「自分がいなくなった後、家族は大丈夫なのか」という不安です。
（その８）の記事で紹介したように、第８話には、桜が骨折し、家事や生活の流れが崩れてしまうシーンがありました。このとき桜は、夫に厳しくする理由として「もしわたしが先に死んだら……」という不安を抱えていることが示されます。これは、単に夫を鍛えたいのでなく、自分が担ってきた家庭機能が失われたとき、家族が壊れてしまうのではないかという欠損不安から来ていたのでしょう。

また、星野源さんが語った第８話の好きなシーンとして、桜が「みんな帰っちゃって寂しいな」と言い、その後みくりに「ずっといてもいいのよ」（ホンネではそうではない）という母子の会話が挙げられていました。ここには、母として娘を手放す寂しさと、家族の中で自分が満たされたい気持ちという二重構造が滲みでています。

桜の④は、平匡のような「自分は恋愛できない」という欠陥感ではなく、もっと生活者的な欠陥感ではないかと。
わたしがちゃんとしていないと家族が困る
わたしがいなくなったらどうなるのか
母として、妻として、十分だったのかという形で出ています。
それで桜は、〝家庭を支えてきた自分〟の裏側に、「自分が欠けたら家族が崩れるのでは」という不安を抱えた人として、④に置いてみました。
津崎平匡：副④
前記したように、平匡の主モデルは③ひとりぼっちと判断したんですが、副④欠陥欠損も非常に強いんじゃないかと。
この④は、「自分には恋愛や結婚が起こりえない」「自分は普通ではない」という自己認識からです。だから、みくりが近づいてくると嬉しい一方で、怖くなるという二重構造。新婚旅行後のキス、ハグ、みくりの好意の表明など、親密さが増す場面ほど、平匡は逃げたり固まったりします。

（その74）の記事で紹介したんですが、第８話で、みくりがいなくなった部屋に残された料理を平匡が手に取れなかったことはいちばん象徴的だったと言えるでしょう。彼は料理そのものではなく、そこに込められたみくりの気持ちを直視できなかったわけで。後に「自分の気持ちでいっぱいで、みくりさんの残していってくれた料理を手に取ることもしなかった」と反省する流れは、平匡が自分の未熟さ・怖さに気づく場面です。

つまり、平匡の④は、「親密になれば、自分の未熟さや欠けた部分が露呈してしまう」という恐れです。
だから彼は、ルール化し、契約し、言葉を正確にし、距離を取ろうとする。こんな風に、③の孤独戦略と④の欠損恐怖が、かなり密接に絡んでいるんじゃないかと。昨日今日２日間で書いて来た内容を表にまとめてみました。
この続きはまた明日に！(^^)/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案内
6/28(日)10:30～易経入門講座〔第３期〕
14:00～易経準中級講座第13回7/11(土)10:30～18:30寺子屋Notion未来デザイン考程セミナー7/20(月・祝)13:30～16:30
『レゾナント・コミュニケーション』読書会ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎らくだメソッド無料体験学習（１週間）詳細についてはこちらの記事をどうぞ！
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
]]>
</description>
<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260620/</link>
<pubDate>Sat, 20 Jun 2026 12:45:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ザ・メンタルモデルについて（その４）ドラマ『逃げ恥』の登場人物はどれ？①</title>
<description>
<![CDATA[
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会の事前準備を兼ねて、著者のおひとりである、由佐美加子さんが発見された〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。今日の記事がその４回目になるので、昨日までに投稿してきた記事を未読の方はまず次から先にどうぞ！
・ザ・メンタルモデルについて（その１）「はたあそ（第１部）」・ザ・メンタルモデルについて（その２）「はたあそ（第２部）」
・ザ・メンタルモデルについて（その３）「TEDxTalksプレゼン動画」さて、昨日の記事では、生いたちの話から、〝ザ・メンタルモデル〟発見に至るプロセスを
由佐さんがプレゼンテーションされた動画を
文字起こしテキスト付きでご紹介しました。

・世界にないものは、あなたの中にある|MikakoYusa|TEDxHimiまた、文字起こしテキストの後に、４つのザ・メンタルモデルについて、ざっくりとですが、概要を整理して示しました。
ところで、2/10から5/20までこの寺子屋塾ブログでは、100回にわたって、
ＴＢＳドラマ『逃げ恥』名セリフ＆名場面集を投稿したことがありました。それで、（その60）や（その77）に書いたように吉本隆明さんの『共同幻想論』を理解するのにドラマ『逃げ恥』のストーリーを重ね合わせることが役立ったので、由佐さんの〝ザ・メンタルモデル〟についても、同じようにやってみるとどうなるかと。

せっかく知り得たことを知っただけにしておくだけなら、知らないのと大差ありませんからね。何事においても、まずはやってみること、知り得たことを現実の生活や仕事で活用してみて自分で使いこなせるようにしていくのが寺子屋塾の大切にしている流儀ですから。
それで昨日、記事の最後で予告したように、ドラマ『逃げ恥』の登場人物が次の４つのザ・メンタルモデルのどれに当て嵌まるか考察してみようとおもいます。①価値なしモデル（Ihavenovalue）
②愛なしモデル（Iamnotloved）
③ひとりぼっちモデル（Iamalone）
④欠陥・欠損モデル（Iamflawed）
とはいえこれは、登場人物の
性格を分析することが目的ではありません。自分の〝痛み〟を避けるためにそれぞれがどういう〝生存戦略〟を発達させているのかという視点を土台に人間観察を試みると、見えてくることや気づきが沢山あるんですね。もちろん、あくまでわたしの試論というか、個人的な解釈にすぎず、確定しているわけではないのはもちろん、別の解釈も当然あり得ますし
異論、反論、大歓迎！です。目的は、由佐さんが発見された〝ザ・メンタルモデル〟について、より多面的に理解するためにすこしでも参考になればという想いからやってみようとおもったんですが。①価値なしモデル「役に立たない・自分は価値がない」森山みくり：主①（副②）みくりは典型的な「価値なしモデル」で、その根拠は、まず第１話～序盤の設定です。（その98）の記事で紹介したように、
第１話では平匡に向かってみくりがそれまでの経緯を語るシーンがありましたが就職活動がうまくいかず、自分の能力や学歴が社会にうまく接続されない状態に置かれます。その中で、父親からの突拍子もない提案から平匡のマンションに通い始め、結果として家事労働が認められ、「家事が仕事になったらいいのに」という発想から、契約結婚へ向かっていく流れがありました。みくりにとって家事は、単なる生活行為でなく、自分が役に立てること／価値を証明できる場所として捉えているわけで。とくに「夫＝雇用主、妻＝従業員」という契約結婚の構図は、そうしたみくりにとってかなり象徴的です。つまり、愛されるかどうかの不確かさよりも、労働・対価・契約という見える形で関係を成立させようとしている。これは、「感情の場」では不安定だけど、「役に立つ場」なら居場所を作れる、というのは①の戦略に近いように感じるからです。そういう意味で、第10話ラストにあった「愛情の搾取」発言もこの見方を裏付けている重要なシーンでしょう。平匡のプロポーズに対して、みくりは「好きならば、愛があれば、なんだってできる」という無償化の論理を拒みました。これは一見、合理性やフェミニズム発言とも受け取れるのですが、ザ・メンタルモデル的に読むと、自分の労働価値が〝愛〟の名のもとに消されることへの強い恐れと読めるからです。あと、副モデルとして②「愛なし」としたのは、恋愛が動き始めた後の立ち居振る舞いからです。たとえば、（その41）の記事で紹介したように、新婚旅行という名の社員旅行の後、第７話のエンディングで、平匡に拒まれたシーンがありましたが、みくりは「自分は求められていない」と傷ついて母の桜が骨折したことを口実に、303号室から実家に〝逃げる〟という展開がありましたね。第８話で、平匡がみくりの残した料理を手に取れずにいたこと、みくりが実家へ帰ろうとしたときに二人がバスですれ違うことなどはすべて、役に立つ存在であろうとしたみくりが、愛の場面で傷ついた流れとして読めます。つまり、みくりは、「わたしは役に立てるなら、ここにいていい」「でも、役割を超えて本当に求められるかは不安」「だから、愛情だけに依存する関係は怖い」という構造を持っているようにわたしには見えた次第。土屋百合：主①（副④）百合もかなり強く①「価値なしモデル」で読めます。独身・アラフィフ・管理職・キャリア女性として描かれる彼女は「仕事ができる」「かっこよく生きる」ことで自分を支えてきた人物です。第10話付近で、「カッコよく生きなきゃ」と頑張ってきた、と語られるように、百合は自分の価値を能力・自立・仕事上の強さで保ってきました。第３話で大学の同期にバーで口説かれそうになったときの「一人って、どうしてこう足元見られるのかしら」というセリフも象徴的でしょう。これは単なる独身女性の嘆きではなく、「未婚者」「若くない」「母ではない」ことで、社会から価値を低く見積もられる痛みへの反応です。さらに、（その11）の記事で紹介した五十嵐杏奈に対して「あなたはずいぶんと、自分の若さに価値を見出しているのね」と言う場面がありましたね。ここでは百合自身もまた、社会が女性に押しつける「若さ＝価値」という呪いと戦ってきたことが見えます。最終話で百合が「私たちのまわりには、たくさんの呪いがある。そんな呪いからはさっさと逃げてしまいなさい」と言う流れは、自分自身を縛ってきた価値観からの解放でもあったことでしょう。副④「欠陥・欠損モデル」としたのは、風見との関係から、そのように判断しました。百合は本心では風見に惹かれているのに、「親子ほど年が違う」と言って、年齢差を理由にかわそうとします。風見の本気を冗談や理屈で遠ざける姿には、「若くない自分」「恋愛対象として見られるはずがない自分」という、根本的な欠損感が見えますね。つまり百合は、〝仕事ができるわたし〟で価値を保ってきたけれど、〝女として愛されるわたし〟には自信がない人物として見ると、①＋④の配置がしっくりくるんじゃないでしょうか。森山栃男：①寄り栃男は登場するシーンが少なく、主要人物ほど内面が深掘りされていないので、これはかなり推測の混ざった考察ですが、４つのうちに分類するなら①寄りだろうと。栃男は、みくりの父として、家族を明るく支える役割を担っています。平匡を激しくハグする場面や、みくりの全記録を平匡に見せるような場面には、感情を細かく言語化するよりも、父親として場を盛り上げ、家族を包み込み、役割で愛情を示す傾向が出ています。①の「役に立たない自分は愛されない」が強烈に出ているというより、〝父として機能すること〟によって、家族内の居場所を保っている人という意味で、敢えて４つのどれかに分類するなら、価値なしモデル寄りと見るのが自然ではないかと。②愛なしモデル「わたしは愛されない・世界には愛がない」風見涼太：主②（副④）風見は、一見「愛なしモデル」に見えにくいので、意外におもわれる方もいらっしゃるでしょう。むしろ、イケメンでモテるし、余裕あるし、傷ついていないように見える。けれど、そこがまさに②の〝成熟した防衛〟として読むことができるんじゃないかと。風見は、軽やかで、誰に対してもスマートに距離を取れる人物として描かれています。しかし、こちらの記事で取りあげた第8～9話で、中学時代の恋人の話が出てきていましたね。彼女が「私は地味だし、かわいくないし……」という自己否定を抱えていたこと、風見が結局その相手をどうにもできなかったことが語られてました。この過去の体験は、風見にとっては、「自分が誰かを本当に愛しても、その相手を救えるとは限らない」「心でつながることは難しい」という感覚につながっているように見えます。だから風見は、恋愛に深く踏み込みすぎず、魅力的に振る舞いながら、どこか一歩引いています。とりわけ百合との関係で、風見の②がよりはっきり見えます。風見は百合に本気で惹かれていき、「僕はかっこいい百合さんが好きです」と伝えますが、百合には年齢差でかわされてしまった。風見はそこで、軽い遊びでなく、ちゃんと「求めている」ことを伝えようとします。副④は、風見の〝見た目のよさ〟や〝ハイスペックさ〟の裏にある、「それでも本当の自分は届かないかもしれない」という感覚からです。もちろん、風見は愛されない人ではないし、むしろ外側では愛されやすい。だからこそ、彼の痛みは、表面的に好かれる。でも本当に目の前の相手と心でつながれるのか？という不安が拭えないところにあるように見えたんですが。田中安恵：主②みくりの同級生やっさんこと安恵は、夫の浮気や離婚を経て、シングルマザーとしての生活を背負っていることから、②「愛なしモデル」と見做すのは自然だし、おそらく異論がないでしょう。やっさんは漫画の原作にないキャラなんですが、第３話で、旦那の浮気に悩まされている親友として登場しました。②の核は「私は愛されない」「選ばれない」「求められない」という痛みです。やっさんの場合、夫の浮気はその痛みをさぞ強く刺激したことでしょう。だからこそ彼女は、怒りや強さ、元ヤン的なたくましさで自分を守ります。ただしやっさんは、単に「愛されない人」ではありません。実家の八百屋や、みくりとの友情、子どもとの関係の中で、②の痛みを抱えながらも、生活の中で回復していく人といっていいでしょう。つまり、このドラマでやっさんは、「パートナーから愛されなかった痛み」を、女友達・家族・子どもとのつながりで再構築していく人物として捉えました。堀内柚：主②（副③）堀内は、登場するシーンが少ないので慎重に考察する必要があるんですが、この、②＋③という組み合わせはなかなかユニークな存在なんじゃないでしょうか。堀内は、百合の職場側の若い女性として、百合や梅原との関係の中で現れます。特に、百合・梅原・若い女性たちの職場パートは、「若さ」「女性性」「評価」「セクハラ／パワハラ」「見られ方」の問題が扱われていました。堀内の②は、若い女性として「どう見られるか」「どう扱われるか」に敏感なように見えて、その行動が、根っこのところで、「自分はホントは愛されていないんじゃないか」という怯え、恐怖からきているんじゃないかと。（その45）の記事で紹介したんですが、第１話のカフェで百合、梅原と話してるとき、風見の「無くても困らないものをわざわざ買う？」という発言に、ただ一人だけ共感を示していたことがありました。愛される／選ばれる／かわいがられるという外側の反応に影響を受けやすくても、その動機が、人からの愛情や人の見方を本当は信じていないからではないかとおもったので、そう判断してみたんですが。一方で副③は、職場の空気の中で本音を出しきれない、若い世代特有の孤立感からです。たとえば、第７話の後半で、同僚に向かって「人のことあーだこーだ言う暇あったら土屋さんの半分も仕事すればいいのに」とハッキリ発言するシーンがありました。そうやってまわりから孤立することを恐れずに自分の感覚をまっすぐ出しつつも、どこか距離を取っているように見えたからです。堀内は、主要人物ほど深く描かれませんが、〝愛される若さ〟を武器にしつつ、ホンネのところでは愛に絶望し、本当にはわかってもらえない孤立感を抱える若い女性として考察すると、②＋③が見えてくるんじゃないでしょうか。……ってな感じでおもいつくまま書いてきましたが、こんな感じで書き続けていくとちょっと収拾がつかなくなくなりそうなので、③ひとりぼっちモデル④欠陥・欠損モデルは、明日投稿することにしましょう。
では、この続きをおたのしみに！(^^)/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案内
6/28(日)10:30～易経入門講座〔第３期〕
14:00～易経準中級講座第12回7/11(土)10:30～18:30寺子屋Notion未来デザイン考程セミナー7/20(月・祝)13:30～16:30
『レゾナント・コミュニケーション』読書会ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎らくだメソッド無料体験学習（１週間）詳細についてはこちらの記事をどうぞ！
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
]]>
</description>
<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260619/</link>
<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 16:30:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ザ・メンタルモデルについて（その３）「TEDx Talksプレゼン動画」</title>
<description>
<![CDATA[
6/16からこの寺子屋塾ブログでは、
7/20(月・祝)に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会の事前準備を兼ねて、著者のおひとりである、由佐美加子さんが発見された〝ザ・メンタルモデル〟について書いています。昨日までの２回は
〝ザ・メンタルモデル〟発見に至るまでの前史前段の話でしたが、
起点、動機、背景はとても重要なので、
未読の方はまずこちらから先にどうぞ！
・ザ・メンタルモデルについて（その１）「はたあそ（第１部）」・ザ・メンタルモデルについて（その２）「はたあそ（第２部）」
今日は、前史前段の生いたちの話から、〝ザ・メンタルモデル〟の発見に至るプロセスを２０１７年１月に富山県氷見市で行われたTEDのトークイベントで由佐さんがプレゼンテーションする形で話されている姿を収録した動画を文字起こし付きでご紹介することにしました。


・世界にないものは、あなたの中にある|MikakoYusa|TEDxHimi
（文字起こし・ここから）
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーわたしは、日本で生まれました。父の仕事の関係で、９歳から22歳まで、３大陸４カ国で育ちました。最初に住んだ国は、ギリシャのアテネです。父は駐在員で、シルバーのBMWに乗っていました。ポンコツでよくエンジンがかからない車だったんですけれども、家族はよくその車で、中心街まで出かけていました。よく行く交差点のところで、いつもそこに浅黒い肌の色をした子どもたちがいる場所がありました。信号が赤になると、その子たちは車に寄ってきて、コンコンと窓をノックするんです。「花を買って！」そう言って、わたしのほうを見ます。わたしはそのとき、全く同じ空間にいるのに、ドアを隔てた外側と内側にいるだけなのに、わたしのいる世界と、その子のいる世界は、全然違う世界なんだという感覚を覚えました。それは、何か罪悪感のような、申し訳ないような、「何もできなくて本当にごめん！」という感じの、謝罪したいような、隠れてしまいたいような……言葉ではとても言いにくい、とても複雑な気持ちがありました。それは、もしかしたら、わたしがこの世界で最初に感じた「無力感」だったのかもしれません。わたしはその後、日本に帰ってきました。その日本の中学校は、管理教育で有名で、初めて行ったその学校の始業式は、体育館を出るときに頭髪検査がありました。わたしは、そのようなルール自分がよくわからないことだったり、すでにできているコミュニティの中で自分だけがよくわからない、という感覚。自分だけがいつも孤独だ、という感覚を、それから何回も何回も味わっていきます。その後、父はまた転勤になり、シンガポールへ。わたしは死ぬ気で英語を勉強しました。だけれども、クラスに座ったら、一体宿題が何が出ているのかもわからない。そんな中でわたしは必死に、「その中に溶け込まなくちゃ」「自分だけひとりぼっちで、早くこの人たちの中に入っていかなくちゃ」そう思って、頑張って生きてきました。日本に帰ってきてから、わたしはコンサルティング業界で仕事を始めました。基本的には、顧客の課題を解決する仕事です。何か問題を特定して、そこに対して「こういうことをやったら、その問題はなくなりますよ」という処方箋を書きます。それを顧客に提案して、行動を取ってもらえたら、現実は変わるはずだ。あらゆるロジカルシンキングを駆使して、わたしは仕事をしていました。そこから、わたしの関心が人事「人や組織はどうやったら良くなるんだろう」というキャリアに変わっていったときに、わたしは考え始めました。「どうしてこんなに外側で、一所懸命、何か行動したり直したりするのに、現実はなかなか変わらないんだろう？」確かに、一所懸命何か行動したら、一瞬物事は良くなったかのように見えます。けれども、また次の問題が起きてしまう。わたしの関心は、人や組織から、社会課題へと移っていきました。
この世界には、たくさんこの世界を良くしようと思って、活動したり運動したり、いのちを使っている人が、こんなにたくさんいるのに、どうして、なかなか現実は変わらないの？そんなとき、わたしは本当に自分は無力で、自分のやっていることが本当にちっぽけで、まるで、あの花を売りに来た子たちに何もしてあげられなかったその無力感を想い出して、絶望するようになっていきました。そんなときに、ある考えに出会います。「わたしたちの内側の世界が外側を創っている」。この「内側の世界」が何なのかを知りたいと思うようになりました。外側で為す術がない課題がいっぱいある中で、もし、人間の内側の世界が何か変われば、外側の現実が変えられるんだったら、内側の世界をどう変えるのか、知りたいと思うようになりました。その頃、わたしは人事の仕事をするようになっていて、毎日たくさんの人が相談に来ました。「部下が思い通りに仕事をしてくれない」「自分の家族のことで悩んでいる」「パフォーマンスが出ない」その悩みはみんないろいろでしたが、みんな何か「変えたい現実」を持っていました。わたしはその一人ひとりと一緒に、「自分の内側にどんなことがあるから、その現実が生まれているのか？」ということを、一緒に探し始めました。その数は、何年か経つと数百人を超えるぐらいになっていました。わたしはその中から、ひとつの真実を見出したのです。どんな人の中にも〝痛み〟がある。そしてその痛みは、感情が守っています。悲しみや怒りといったものを、みんな一所懸命押し殺して。そして、その痛みを二度と味わいたくない、というふうに、人生で頑張って生きている。でも、その痛みを二度と味わいたくない、というふうに行動すればするほど、わたしたちは頑張っている気持ちにもなれるし効力感も感じられる。でも、そこから創り出す現実は、やっぱり不本意なんです。

わたしはこれを「欠乏モデル」と名づけました。大きく言うと、「世界には愛がない」（もしくは「わたしは愛されない」）「自分には価値がない」「自分は何かが欠けている」「わたしはひとりぼっちだ」こんな信念を、みんな心の奥に持っています。わたしのモデルは「ひとりぼっち」なんです。わたしは２歳のときに、妹が生まれるとき、母が流産しそうになって、祖父母の家に預けられました。わたしはそのとき、言葉を少し話していたようで、多分、事情はよくわかっていたんだ、というふうに親は思っていたんだと思います。でもわたしは、そのときに、自分の母親が突然目の前からいなくなってしまった悲しみを自分で封じ込めるために、「わたしはどうせひとりぼっちなんだ」という信念を創り出したらしいのです。わたしはそれに気づいたときに、自分のそれまでの人生を全部振り返ってみました。高校に行ったときに、アメリカの高校で高校３年生で、もうみんな卒業間近で、みんな仲良くって、わたしは図書館でひとりで勉強して、ランチの時間、怖くて食堂に行くことができなかった。わたしは、ひとりぼっちだったんです。でも、その「ひとりぼっち」という体験は、みんなに言えば「それは頑張ったね」とか「環境のせいだ」と言ってくれるかもしれない。けれどもわたしは、その「ひとりぼっち」という体験を、自分で創り出しました。わたしはこのひとりぼっちを回避するために、20代は死ぬ気で働きました。「自分は強くならなくちゃ」「誰に見捨てられても、わたしはひとりで生きていかなくちゃ」そんなふうに思っていたことに気づいたのです。わたしは人を信じていませんでした。どうせわたしは見捨てられる。いつかみんな自分の元から去っていく。そうやって人を試して、切られそうになると、自分からその人のところを離れていきました。そんな自分の人生が、本当に走馬灯のように自分の中で巡ったときに、わたしははっきりわかったんです。わたしは人生を創り出してきた。そして、その創り出す大元になった信念は、わたしが望んだものではなかった。じゃあ、わたしが本当に望んでいる世界は何なのか？わたしがこの世界から新しい世界を創るには、わたしは本当は何を想い出したいのか？そしてわたしは、行きついたんです。わたしが欲しい世界は、身体がバラバラに見えたとしても、わたしたちは「いのち」として、ひとつにつながっているという世界です。数年前に、あるアメリカ人の長老ネイティブアメリカンと言われる部族の長老に出会いました。彼はわたしに、こう言ったんです。「人間は、本当に大事なことを、生まれてきたときに忘れてしまうんだ。でも誰もが、この人生をかけて、それを想い出していくんだよ」。わたしは、「いのちがつながっている」という世界をこの世界にもたらしたい。わたしがそれを生きるにはどうしたらいいのか、ということを試行錯誤し始めました。この世界にないものなんか、本当はないんです。もしあなたが今、「この世界に愛がない」と思っているなら、あなたの内側にある愛を、「世界にこれがある」というふうに表現してください。その愛を、世界に与えてあげてください。もしあなたが、「自分は価値がない」と思っているなら、「人間はいのちとして、存在として価値がある。何をやっても、何ができなくても、価値があるんだよ」ということを、世界に表してください。もしあなたが、他の人と比べて、何か自分を劣っていたり欠けていると感じているなら、人間はみんなでこぼこで、一人ひとりできることとできないことがある。だからこそ世界は支え合える。だからこそ世界は、一人ひとりがユニークで、かけがえのない存在なんだ、ということを、世界に表現してください。もしあなたが、ひとりぼっちだと思っているなら、あなたは決してひとりではない、ということを想い出してください。わたしたちはこれまで、「何かがない。だからもっとこうならなくちゃ。だからもっと成長しなくちゃ。だからもっといろんなものを手に入れなくちゃ」というふうに、わたしたちの外側の世界は、そんなふうにどんどん豊かになっていったのかもしれません。でも、わたしたちの内側の世界が、「自分はダメだ」「何かが足りない」――そんな世界でできていたとしたら、そこから創り出せる外側の世界は、本当に満たされた世界にはならないと思います。でもわたしたちは、想い出せる。忘れてしまったものを今、みんなで。一人ひとりが想い出すときだと思います。一人ひとりが本当に自分の中にあること、本当にすべてあるということを想い出し、そこから現実を創る。どんなに世界に、それが「ない」というふうに思えたとしても、あなたが「ない」と思うのは、あなたの内側にそれが「ある」からだと思うんです。わたしたちの社会は今、とても大きな転換期を迎えていると言われています。難民の数は増える一方で、核や放射能の問題もあるし、ひとりでは手に負えないと言われているような問題が、たくさん、たくさんあります。それでもわたしは、一人ひとりが本当に自分の中で大事にしたいものを想い出すために、世界の現実わたしたちの外側の世界に起こることは、すべて起こっていると思っています。そこからわたしたちが、自分の内側にあるものを想い出し、そこから本当に自分が生み出したい世界を創り出せたら、きっと世界は希望の持てる場所になっていくと思うのです。何かすごいことをやろうとか、何か大きなことをやろうとか、世界を変えなくちゃ、じゃなくって、一人ひとりが今、自分の半径５メーターでいい。この自分のつながっている日常の中で、自分が大事にしたい人たちとのつながりの中から、自分が本当に大事にしたいものを表現していける。そんな世界が、次の世界の希望を創っていけると、わたしは思っています。自分たちの外側の世界は、それを想い出すためにすぎない。わたしたちは、幸せは内側で感じるから幸せなんです。何か外側で持っているから、何かがあるから幸せなんじゃない。わたしたちは、感じることができます。わたしたちにあることを感じて、わたしたちが「あるもの」から表現したときに、わたしたちは一緒にきっと希望を創っていくことができると思います。この人生は本当に冒険で、人生はこの身体を通して体験をしていく。その体験から、わたしたちは「自分が本当は誰なのか」を想い出していく旅なのかもしれません。わたしたち一人ひとりがこれから、きっと一緒に支え合って、どんなことが外側で起きたとしても、そこから自分たちが本当に大事にしたいこと、そこから起こる力につながって、現実を創造していきたい。「人間は現実を創造できるようにできている。完璧に」わたしはそう思っています。

子どもたちに、孫たちに、その先の世代に、本当にこの豊かな自然と、この美しい環境を、わたしは残していってあげたいと思っています。わたしは誰よりもその自然を享受してきたと思うし、この豊かさをほんとうに人生で楽しんできました。だから、それを継続して渡していきたい。そして、ここにいらっしゃる皆さんも、きっとそうだと思います。そしてそれは、わたしたち一人ひとりの半径５メーターから、きっとできる。わたしはそう信じています。ご清聴ありがとうございました。（拍手）ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
（文字起こし・ここまで）

このプレゼンテーションでは、メンタルモデルの発見に至るプロセスと、四類型が示されていましたね。

以下、整理しておきましょう。◆4つのメンタルモデル（生存適合OS）
①価値なしモデル（Ihavenovalue）
特徴:「私には価値がない」という感覚。
行動:成果や結果を出し続け、自分の価値を証明しようとする。何もしない自分を許せない。
恐れ:「役に立たない自分は愛されない」
②愛なしモデル（Iamnotloved）
特徴:「私は愛されない、求められない」という感覚。
行動:他者から愛されようと魅力的に振る舞う、または愛を奪い取ろうとする。相手の反応に敏感。
恐れ:「誰からも愛されず、孤独になる」
③ひとりぼっちモデル（Iamalone）
特徴:「私は結局一人だ」という分離感・疎外感。
行動:誰とも深く関わらず、自立して一人で生きようとする。感情を閉ざす傾向がある。
恐れ:「人と深く関わって傷つくこと」
④欠陥・欠損モデル（Iamflawed）
特徴:「私には何か根本的な欠陥がある」という感覚。
行動:欠陥を隠そうとし、完璧主義的になる。または、あえて欠陥のある自分を晒して反応を見る。
恐れ:「根底から拒絶されること」全ての人がこの四つの要素をすべて持っているので、グラデーションというかスペクトラムというかその濃淡が個別に違うだけであって
自分がこの四類型のうちのどれに当て嵌まるかを知ることが重要なのではありません。でも、どうやらわたし自身は、由佐さんと同じひとりぼっちモデルに最も親和性が高いようで、そんなところも、由佐さんの生き方やアプローチに共感する理由なのでしょう。さて、明日はドラマ『逃げ恥』の登場人物がこのメンタルモデルのどれに当て嵌まるかを考察してみようかと。

おたのしみに！(^^)/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案内
6/28(日)10:30～易経入門講座〔第３期〕
14:00～易経準中級講座第12回7/11(土)10:30～18:30寺子屋Notion未来デザイン考程セミナー7/20(月・祝)13:30～16:30
『レゾナント・コミュニケーション』読書会ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎らくだメソッド無料体験学習（１週間）詳細についてはこちらの記事をどうぞ！
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
]]>
</description>
<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260618/</link>
<pubDate>Thu, 18 Jun 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ザ・メンタルモデルについて（その２）「はたあそ（第２部）」</title>
<description>
<![CDATA[
昨日投稿した記事の続きです。

7/20に予定している
『レゾナント・コミュニケーション』読書会の事前準備を兼ねて、課題図書の著者のおひとりである、由佐美加子さんが発見されたザ・メンタルモデルについての記事を昨日から書き始めました。
昨日の記事でご紹介したのは、由佐さんが出演されている100本以上あるYouTube動画の中からわたしがセレクトしたもので、１時間番組のうちほとんどが、
ザ・メンタルモデルの発見に至るまでの
前段にあたる自己紹介に充てられていたつぎの驚愕の動画です。
・はたあそ⑯～由佐美加子～
以下ご紹介する文字起こしテキストは、
後半の第２部にあたる大学院を卒業し就職されて以後のお話を。
（文字起こし・ここから）
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー第２部：就職～組織開発に入るまでひろき社長：じゃあ第２部いきましょうか。由佐：就職したのは、たぶん97年かな。96年かな……そのぐらい。まだリクナビとかなくて、ハガキの時代で。就職氷河期の終わりかけ、超氷河期みたいな時期で、院卒女子なんて何の価値もないって。「帰国子女」とか「英語が喋れる」っていっても、今みたいに評価される時代じゃなかったんですよね。その頃は年齢制限とかも平気であったし、「帰国子女なんて」みたいな空気もあった。受けられるところも限られていて、帰国子女を募集しているところなんて、外資系のコンサルとか広告とか、日系でもそういう系統のところぐらい。絞り込んで受けてました。それで、野村総研が拾ってくれたに近いかな。拾ってくれたので、そこで何が何だか分からないまま働き始めた感じです。よく拾ってくれたと思うけどね。明らかに海外要員というか、海外プロジェクトに合ってた、みたいな。由佐：そう、たぶん「使えそう」って思われたんだと思う（笑）。同期は70人くらいだったかな。みんなピッカピカの子たちで、学歴もさることながら、すごい頭の良い人たちばっかり。女子はその中で10人くらいだったかな。総合職って言われてた時代（笑）。国際系とかグローバル系のプロジェクトが多いところに配属されて、面白かったけどね。３年半、いろんなプロジェクトに放り込まれて、海外案件もやってって感じでした。由佐：ただ、コンサルって色々学べるんだけど、やっぱりそれだけでは「勝負できないな」って感覚もあって。野村総研ってブランド力があるから、バッチ着けてれば、企業のVIPにも会えて直に話ができる。でも、一番嫌だったのは、「若い女なんか出してきて」って感じが丸わかりだし、年取ってったときに女性はどこか倒れてる。何より実業経験もないのに、分かっているようなことを言わなきゃいけないのが苦しかった。上に行けば行くほど、「結局いくらお金を持って来れるの？」っていう業界でもあるから、そこも自分の感覚と合わないところがあったんだと思う。自分に自信がないまま、「口八丁手八丁でお金を持ってくる」みたいな動きは自分にはできないな、って。だから、リアルにビジネスをやっているところで、「ビジネスって何なのか」を一回体験したいって、ずっと思ってたんですよね。由佐：で、野村総研に３年半くらいいた時、転職活動してたわけじゃないんだけど、ある日、実家は朝日新聞を取っていて、暇でリビングでペラペラ新聞めくってたら、リクルートの求人広告が載ってたんですよ。キャッチコピーが大きく出ていて、そこに「会社のために働くのはやめて、社会と自分のために働かないか」って書いてあった。「ここまで言い切れるの、すごい会社だな」って思って。わたしは院卒だったので、リクルートって会社も、当時ほとんど知らなかったんだけど、とにかく、その言い切りがすごい、って。で、しばらくそのことを忘れてたんだけど、会社にいてある日ランチの時に「あの会社、面白いこと言ってたなぁ」ってふと思い出して、ホームページを見に行ったら中途採用のタブがあって、いま勤めてる社名とメールアドレスだけ入れればいい、みたいな感じだったから、送ったんですよね。
そしたら、そこからだね。呼び出されて長い面接、会社独特の。延々いろんなことを聞かれて。で、最終的に「どうする？」って聞かれて、「どうすんだろうね」って思ったんだけど、でも出てきた人が面白かったから、「来ようかな」って言って。でも、次の日からすぐ出張でいなくなったりしたので、向こうからすると「あいつは本当に入る気あるの？」みたいになったらしいんだけど（笑）。結局、野村総研を辞めて、総研の人には「あんな垂れ幕かかってる会社に行って何やるんだ？」って言われつつ、リクルートに移りました。ひろき社長：何やるか分からないまま？由佐：そう。何をやるか分からないまま。あとから聞いた話だと、「こいつ面白そうだから、まあいっか」ぐらいだったと思う（笑）。リクルート：企画～上海案件～抜け殻→人材開発へ由佐：それが2000年。社会人になって４年目。リクルートに移って最初に配属になったのが、当時HRって言われている「人材ビジネス」を扱っている事業部の参謀チーム、「事業企画室」みたいなところ。企画室があったんです。そこに放り込まれて、そこで２年間仕事してたのかな、最初ね。企画室なので、「何やってもいい」んですよね。それがまたわたしには衝撃で。コンサルってプロジェクトに放り込まれるけど、自分で企画するっていうのはなかったんだよね。リクルートの企画っていうのは、「こういうことやったら面白い」って自分で考えて、提案し、営業を巻き込んで、お客さんを動かす、っていう世界。でもわたしは「企画」をちゃんとやったことがなかったから、最初全然分からなくて。
「お前、何やりたいの？」って言われても、そもそも、コンサルって「やって下さい」ってクライアントからお願いされるところから始まる仕事だったし、自分がやりたいことをやる仕事じゃないと思ってたから、「やりたいって何だろう？」って。それで、いきなり放置されて超びっくりして。でも面白くて、それもだんだん慣れていくんですけど。結局リクルートは、営業部隊を動かせないと企画が形にならない。当たり前だけど、営業が協力してくれないと、お客さんも動かせない。だから営業からすると、「企画なんて顔が見えない」「よく分からない」みたいに扱われて、一緒に行ってくれない、みたいなことも起きるんです。当時、わたしが役に立ったのは「英語」でした。リクルートには当時あんまり英語できる人がいなかった。外資のトップって、やっぱり外国人が多いじゃないですか。外資系クライアントを担当してる営業マンが、わたしが英語できるらしいって聞きつけて、わたしを連れて行ってくれて。社長にプレゼンするときに同席して、でっかい受注が取れたりして。そういうのがあると、社内で「あいつの言うことなら分かった」みたいに通りやすくなって、いろんなことをやれるようになりました。企画を２年間やって、３年目くらいの時に、上海で求人誌を出す事業ができないか、っていう案件があったんです。上司がそれを引き受けて、「面白いから」ってわたしも入れてくれて。結構単身で上海に行って、事業としてものになるかどうか調べる。現地との関係を作る。いろんなことをリサーチする、っていうのをやってた。わたしはそれを、ものにしたかった。現地でやってみたかったし、新事業を出したかった。
でも、最終的にその案件が「ダメ」ってなった時に、そこに時間とエネルギーをかけてたから、抜け殻みたいになっちゃって。「燃え尽き症候群」みたいな感じ。その時期は本当にやる気がなくて、会社にいても、ミーティングがなかったらサボってたぐらいな感じだったと思う。ひろき社長：想像つかないですね。由佐：でも、悔しいから、社内の事業コンペみたいので「ゼクシィを上海で出そう」っていう案に加担して。それが先に（形として）出たんですけど、たぶんそこから開けていったとは思う。ただ、やっぱり残念だったから、もう辞めようかとも思ったんですよ。やりたいことがなくなっちゃったから。
そんな抜け殻みたいになった時に、上司からいきなり電話がかかってきて、「おまえ最近どうなの？」って呼び出されて。話を聞いてくれて、何日か後にまた電話がかかってきて、「人事に来ないか」って誘われたんですよね。いわゆる人材開発っていう人事の仕事。でもわたしは、人事部なんて考えたこともなかったし、人材開発も「何それ？」って感じだった。人間にそんなに興味があるっていう意識すらなかったから。その時は、どっちにしろやりたいことがなかったから、どうせ辞めようと思うなら、まあやってみるか、って動きました。それで社内転職制度を使って、2002～3年頃だったか人材開発に移ったんです。上司が採用メインの人で、とにかく忙しかったから、開発のほうを見る余裕もなくて、基本的に全部任せてくれた。上の役員からは、「次世代リーダーを育てろ！この会社の次を担えるやつを育てろ！」って、結構明確に言われて。でもわたしってぺーぺーだし、管理職でもないのに、無茶の極みだよね（笑）。人間のことも分かってない、開発って何なのかも分からない、何も知りません、みたいな状態だったから。でも、任せてくれたことに対しては、いろんな意味で今でもすごく感謝がある。好き放題やらせてくれた、って感じだった。人材開発に動いて、最初にやったのは「次世代リーダーを育てろ」っていうミッションでした。でもわたしは、人間のことも分かってない。開発って何なのかも分からない。研修業界って何？トレーニングって何をしてるの？っていう状態。だから、とにかくいろいろ調べたんですよね。コーチング、いわゆる能力開発、研修プログラム……。散々試した挙げ句、わたしが出した結論は、当時の感覚で言うと「研修業界は終わってる！」でした。
ひろき社長：（笑）
由佐：だって、そこに「リーダーシップがトレーニングできるもの」が見当たらなかったんですよ。研修業界の人にしたらまったく失礼な話なんですけど。でも、決まったパワーポイントみたいなのがあって、それを見せられて、ワークやって、全部落としどころが決まってて……。「違うじゃない？これじゃないんじゃないの？」っていう感覚しかなくて。「何か新しいタネはないのか？」って探しまくってた。それで、ある会社に行って、「『次世代リーダーを育てろ』って言われてるんですけど、全くイメージがないんですよね」って話したら、そこの会社のトップの人が出てきてくれて。その時に言われたのが、「由佐さん、これまでのリーダーはDoing（どうやるか）の世界です。でもこれからはBeing（どうあるか）の世界になります。」って。それを聞いた瞬間に、「ここに絶対何かある!!」って直感で思った。何言ってるか、その時点では正直分かってないんだけど（笑）、でも「ここだ!!」って思った。ひろき社長：それ、何年前ぐらいですか？由佐：15年くらい前ですね。「それがやれるものを探してるんです」って言ったら、「ありません！」って言われて。じゃあ「作りたいんですけど」って言ったら、「分かりました。共同開発しましょう！」って。そこから始まりです。今の仕事。その話が、今の自分のやってることのすべての最初です。ひろき社長：話が濃厚すぎる第２弾なんですけど（笑）。尺の方が若干迫っておりまして。今のその話の流れで、今の仕事に入ってる話を。
共同開発→プログラム導入→組織開発にハマる由佐：ここからは結構簡単だから。で、結果的に何が起きたかっていうと、そこで開発したプログラムを、２泊３日を２回やって、その後、月１で集まるっていう。当時のリクルートにとっては、ありえない長さと、ありえないスパンのプログラムなんですよ。それを会社で入れるのは最初すごく大変だったんだけど、いろんな力でそれを入れてくれて、いろんな人が助けてくれて。それが結果的にすごく社内で評価されたんです。そのプログラムは「学習する組織」っていう、ピーター・センゲ（MITの先生）が作った組織開発論をベースにしたプログラムで、今で言われるアクションラーニングみたいな、「意識変容から行動変容を促す」っていうプロトタイプだったんです。12人×2チーム。当時のマネージャー、課長クラス。トップ層だけを集めてやりたいっていうのを、何とかやらせてくれて。そのプロセスで、わたし完全にハマったんですよね。
「人間が変わるってどういうことなのか」「意識が変わった時に何が起こるのか」「変容ってどう起きるのか」それをそこで学ばせてもらって、完全にのめり込んだ。個人の変容は、結局組織の変容でもあるし、リーダーが変わることで組織やチームが変わっていく。そこから「組織開発って何なんだろう？」って、興味が広がっていったんです。
予算もあったから学びまくったし、自分でも投資したし、いろんなことを試させてもらった。体系化される前に、直感でいろいろ試して導入したりして。当時は「リクルートビジネスカレッジ」っていう企業内大学みたいなものを持ってて、学びの場もあったから、そこに「これがイケてる」と思うものを全部突っ込んで、「どういうふうに人がどう変わるのか」を実験させてもらえた、みたいな時間だった。留学→体系化→世界観の形成由佐：それで、ある程度経験を積んで、次は「体系化したものを学びたい」って思って。「自分は何をやってるんだろう、ここで」っていうのをちゃんと学びたいな、と思って。そこからアメリカの、当時最先端だった組織開発のプログラムに留学させてもらって。そこではじめて「こういう世界なんだ」って体系化される感覚があった。そこで、あらゆるものを学ばせてもらって。「人間って何なんだろう」「人間の進化って何なんだろう」っていうところに行き着いて、それは結局どういうプロセスで起こるのか。その進化は、どんな現実を作り出せるのか。手法だったり、あらゆる素材になるものを、かき集めまくっていた感じですね。面白い人がいれば会いに行くし、その延長線上に「Ｕ理論」があって、それで、うちの夫がその版権を買いたいって言い出し、英語で突き合わせる人がいなかったから、（翻訳をわたしが）やるはめになり、みたいな流れからいろんな縁がつながっていって。

いろんな手法を自分の中に加えていって、そこから、「これは使える」と思ったものだけを、ある意味、自分で昇華させたものが、だんだん世界観になっていくんですよね。最初は手法から始まったんだけど、自分のなかで「世界観」が出来上がっていって、「本来、人間ってどういうふうに機能できるのか」っていうことが能力を開発していくと見えてくるから、こういう風に人間って本当はできるんだとか、こういうふうに在れるんだみたいな世界が見えてくると、どういう世界に人間は生きられるのかということを追っかけていくようになって。なので能力開発から結局社会はみたいな意識に広がるし、地球全体で起こっていることに対して、こういう智慧とか叡智みたいなものはどう使えるのか、みたいなところにも興味が広がるので、それを追いかけていった結果、今の〝全体性から生きる〟っていう世界観に行き着くんだよね。全体性って、人間の全ての機能をフルに使ったときに、人間にはどんな可能性があるのかっていう世界観なんだけど、「良いも悪いもない」っていう二元論を超えて行く先に人間の統合があるし、その統合にはエネルギーのすべてが使えるって世界があるっていうのを、自分なりに追っかけるようになっていって。だから、初めはいろんな人のいろんな手法を学んでいったんだけど、自分がその世界で統合できるものっていう風になって自分の軸ができてくると、今度はその世界観で何ができるのかっていう風に切り替わっていったのが５年ぐらい前からかな。外資→独立→個人向けへ由佐：その後、外資系の企業に１回行くんですけど、子どもが生まれて、うちの息子が１歳だった時に転職をして、リクルートってその頃はまだ結構〝不夜城〟的な文化があったので、パフォーマンスさえ出してれば何時に帰ってもいいって会社に移って。もともと外資で働いてみたいという気持ちはあって。海外では、人材開発・組織開発って明らかにスペシャリストがやってる専門家の仕事なんだけど、日本はそうなってない。外資グローバル企業のほうがレベルが高かったから、海外で何が最先端なのかにも興味があって、外資に移った。その会社で、ファシリテーションも外注すると高いから、自分でやり始めて。それが今の「場づくり」の仕事にもつながっていく。いろんな資格もいろいろ取らせてもらって、独立する前の礎を、その会社に与えてもらってるんですけど。コーチングもしてたし、ファシリテーションもしてたし。で、独立して、いろんな会社でやるようになって。本当は「個人」だけは最後までやりたくなかったの。公開講座みたいに個人相手にするのは、やりたくなかった。でも結局行き着いたのが、組織変革っていうのは、結局人間の内的世界の変容からしか始まらないってわかってしまったので。そこがきっかけで、今みたいに両輪でまわすようになって、個人向けにもいろいろやるし、経営者向けにもっていうふうになったのがこの４～５年です。そんな感じですね。ひろき社長：15年～16年前ぐらい？先輩に言ってもらったのがきっかけで、由佐：うん。人間っていうものに目を向けて、人間を掘り下げていった16年間って感じ。ラスト：若い社会人へのメッセージひろき社長：あと1時間ぐらい尺ほしいんですけども（笑）。ないということなんで、最後にですね。若い社会人に向けて、働くっていうことの意味だったり、応援の言葉を一言お願いします。由佐：
わたしはね、すごい数の人たち相手に、その人たちの「生きること」をサポートしてきてる仕事だと思うんですけど、本当に一人一人が、この世界で「何をしに来てるか」を持ってるんですよね。人生の目的って、魂なんて言うとどうかな、って思う人もいるかもしれないけど、決めてきていることがあって。表現の仕方は自由なんだけど、何かやりたくて、とにかくここに生まれてきてる。それを「思い出していく」っていうプロセスが、わたしは前半の人生だと思っていて。だから、それを思い出すには、苦しみとか葛藤とか痛みっていうものは、すごく大事。だけど今の世の中って、「心地いいことをやりなさい」とか「好きなことをやりなさい」って言っちゃうから、不快さや痛みを避けましょう、みたいなことが「幸せ」みたいになってる。でも、人間が生きるっていう観点から言うと、それは全然的外れだなと思っていて。若い時にある「試練」とか「葛藤」とか「苦悩」とか、そういうものは、「自分は本当はここで何をしに来たのか」を思い出していくための体験として、絶対に必要だし。それがもとに、自分が何に惹かれていくのか、何が本当に自分がここで為したいことなのか、が見えてくるので。だから「ラクで、好きなことをやる」のは、40代以降でいいんじゃないかと思う。それより前に、思い出すプロセスをどれだけ丁寧に、目の前のことをどれくらい誠実に雑巾がけみたいなことも含めて体験して、味わえるか。逃げずに向き合ってほしいな、って思ってます。起きること全部、意味がある。全部必要だし、それがたとえ苦しくて不快であったとしても、「今の自分にこれが必要なことだ」っていうことと、「ここから学べることは何か？」って問う内省力は、絶対に必要。それを自分の軸を作る糧にしてほしい。楽な道を行くな！って言いたい（笑）。別に敢えて苦しむ必要はないけど。でも、何かが自分に差し出された時自分にとってピンと来なくても、「やってみよう」っていうのはすごく大事。とにかくやってみよう。とにかく受けて立って、やってみよう。それがどういう意味を成してきたのかは、後になって分かるし。キャリアは自分の後ろにしかないと思うんですよね。前にはない。だから、いま目の前にあるものを精一杯やることで、道は前にじゃなくて――いつのまにか後ろに出来ていく。それを信じて、受けて立ってやってたらいい。そう思ってます。この年になると。そんな感じになると。ひろき社長：ありがとうございます。最後の言葉がグサグサ刺さる、37歳の僕ですけども（笑）。こんな格好しててすいません。時間が全く足りないと言いながらも10分延長してるんですけど、

由佐：
すいません！
ひろき社長：
今日はどうもありがとうございました。この続きは、由佐さんの講座を受けてください。はたあそ16回目のゲスト、由佐美加子さん、みーちゃんでした。どうもありがとうございまーす。
由佐：ありがとうございましたー。
ひろき社長：みんなばいばーい！ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
（文字起こし・ここまで）この続きはまた明日！(^^)/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧は
]]>
</description>
<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260617/</link>
<pubDate>Wed, 17 Jun 2026 20:45:00 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
