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<title>自ら学ぶ力を育てるための情報を更新 | 名古屋で自己学習力を高める塾をお探しなら寺子屋塾</title>
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<description>独自性の高い学習システムによって教室の運営をしているため、いわゆる学習塾といった感覚にはおさまらないという思いを持っています。そのため、できるだけ教室の雰囲気や学習システムについて皆さまに知っていただきたいという思いから、広くお読みいただけるブログ記事を更新しております。日々の教室での学びの様子やらくだメソッドの詳細についてなど随時ご紹介しています。また、教室の様子や教育に関連する事柄のみならず、日々の雑感なども発信していきたいと考えています。</description>
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<title>自己表出と指示表出について（宇田亮一『吉本隆明「マスイメージ論」の読み方』より）</title>
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８月に入ってから、この寺子屋塾ブログでは、らくだメソッドで学習している塾生のひとりが、自己観察をめぐって生成ＡＩ（Gemini）と対話した記録を紹介したり、また、山口周さんのブログ記事や対談動画を紹介し、AI時代の人間らしい働き方について考察したりしてきました。・生成ＡＩとの対話記録（その１）～らくだメソッドによる自己観察をめぐって～・生成ＡＩとの対話記録（その２）～らくだメソッドによる自己観察をめぐって～・今井むつみ『ＡＩにはない思考力の身につけ方ことばの学びはなぜ大切なのか？』・AI時代に「人間らしく働く」には？～山口周さんのインタビュー記事、動画より～・AI時代に「人間らしく働く」には？～山口周さんの対談動画・文字起こし（その１）～・AI時代に「人間らしく働く」には？～山口周さんの対談動画・文字起こし（その２）～また、６～７月には、46回にわたって由佐美加子さんの〝ザ・メンタルモデル〟について連載記事を書いていたんですが、コミュニケーションの問題を考える上で、吉本隆明さんが『言語にとって美とはなにか』で提唱された「自己表出と指示表出」を理解することがひとつのカギになるのでは？という話を書きました。・ザ・メンタルモデルについて（その45）「自己表出と指示表出」昨日書いたマルセル・デュシャンの記事では、美しさとは何か、アートとは何かがテーマの焦点でしたが、この２週間ほどは同じところをずっとグルグル回っているように感じられたかもしれません。結局のところ、AIの問題にしても、アートの問題にしてもコミュニケーションの問題においても、この「自己表出性」というものの正体が何なのかしっかり掴んでいるかどうかが大事だと浮き彫りになってきたとも言えます。ということで、本日投稿する記事のメインコンテンツは、「自己表出と指示表出」なんですが、言語以前の世界に触れていて言葉で説明することができないためになかなか厄介なんですね。この厄介さとは、たとえば、『論語』で孔子が〝仁とは何か？〟について語ろうとするときに、語る相手や語るときと場合によって、語り方や語る内容を変えていたこととも近いようにわたし自身は感じています。とはいえ、こうしたブログのような場では、「言葉で簡単に説明できない」と書いていても話が先にすすまないし、「自己表出と指示表出」については、
旧ブログを書いていた時代から吉本さんの著書や講演テキスト、批評文などいろいろ紹介してきたわけなんですが。・「自己表出」と「指示表出」・言語と沈黙（吉本隆明さんの最後の講演会より）・表現とは何か（吉本隆明さんの最後の講演会より②）・精神構造と言語表現と作品（吉本隆明さんの最後の講演会より③）
・幻想論の根柢・『心的現象論序説』改版解説（三浦雅士）ということで、今日はこのテーマに触れている本を１冊紹介しようとおもうんですが、宇田亮一さんが2021年に書かれたガイド本、『吉本隆明「マスイメージ論」を読む』です。本書の表紙絵を描かれたのが、吉本さんの長女・ハルノ宵子さん。
宇田さんは、本書で吉本さんの「自己表出と指示表出」については、より突っ込んだ提案をされています。「自己表出と指示表出」という言い方自体が簿記会計における「貸方」「借方」のように、イメージしにくく分かりにくいので、この二つの概念の違いをより分かりやすくするためには、表現自体を変えた方がいいと。具体的に、自己表出は、「計算せずとも自ずと生まれてくる人と人をつなげる表出」という意味から、〝非分離・非対象化表出〟とし、指示表出は、「計算して生み出そうする人と人をつなげない表出」という意味から、「分離・対象化表出」と変えてみてはどうかと書かれています。ただ、これだけでは、宇田さんの意図や主旨まで読みとることは難しいように感じるので、本書の結語のところに整理されている「自己表出と指示表出」についての文章を引用して紹介しますので読んでみて下さい。（引用ここから）
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー１．指示表出、自己表出とはなにか言葉は、その言葉を発する人の思いを表現することになるが、この発語の奥に〝指示表出〟と〝自己表出〟という二つの表出があるというのが吉本言語学のエッセンスである。〝指示表出〟と〝自己表出〟という概念は一般にはとてもわかりにくいので、本書ではこれを〝言葉の意味〟〝沈黙のメッセージ（沈黙が示唆するもの）〟と表現しているのだが、そのことをここでもう少し説明したい。一般に心理学の教科書に出てくる〝コミュニケーション〟というテーマは〝バーバル〟〝ノンバーバル〟という二つのコミュニケーションルートの話から始まることが多い。ここでいうバーバルとは言語コミュニケーション（言葉の意味）のことであり、ノンバーバルとは非言語コミュニケーション（まなざし、態度、雰囲気、声の大きさ……）を意味している。だから、先ほど述べた〝言葉の意味〟とはバーバルコミュニケーション、〝沈黙のメッセージ（沈黙が示唆するもの）〟とはノンバーバルコミュニケーションということにつながりやすいのだが、吉本言語学と心理学の教科書が語っていることは同じではない。全く違うのである。吉本言語学では言語表現そのものの中に沈黙のメッセージが宿るということが大事なのだ。吉本自身の〝コミュニケーション〟定義から言えば、〝沈黙のメッセージ（沈黙が示唆するもの）〟とは〝非コミュニケーション〟ということになる。これが〝自己表出〟なのである。『マス・イメージ論』では、この〝非コミュニケーション（自己表出）〟を多数の作品の中から取り出し、この「共同性」を〝差異〟〝縮合〟〝地勢〟〝接合〟〝全体的な暗喩〟〝微分〟という言葉によって「現在という巨きな作者」を探り当てようとするのである。具体的に言えば、たとえば【喩法論】における女流詩人は、言葉の意味として〝男殺し〟を語っているわけではない。全くそのことを語っていないのである。しかし、〝沈黙のメッセージ（自己表出）〟が〝男殺し〟を語るのだ。言い換えれば、吉本言語学では、書かれていない〝男殺し〟という言葉を嗅ぎつけ、探し当てることが大事なのである。つまり、〝沈黙のメッセージ（自己表出）〟への〝気づき〟がとても大事なのである。さらに言えば、吉本はこの〝沈黙のメッセージ（自己表出）〟を〝非コミュニケーション〟と定義するのだが、人と人とが本当の意味でつながるのは、実はこの〝非コミュニケーション〟にほかならないと言うのである。だから、アカデミックな学問体系が吉本言語学を受け入れるわけがないのだ。そういう意味で、〝自己表出〟という概念は今も世の中では、ほとんど理解されていない。学校で習う〝言語学〟は基本的に「言語は意味」と考えているからである。バーバルコミュニケーションとは、まさに「言葉は意味」ととらえたコミュニケーションのあり方なのだ。だから意味以外のものはすべて、ノンバーバル（非言語）で構成されることになる。これに対して、吉本が言っていることは「言葉は言葉自体の中に意味を超えるもの（沈黙のメッセージ）を内包している」ということなのである。実はこのことは実生活では誰もがはっきり分かっていることなのだ。たとえば、あなたが街中で「あんたなんか大っ嫌い!」と言われたとする。このとき、あなたは「言葉の意味」だけでその言葉を受け取るだろうか。そんなはずはない。あなたが好きな人から、あるいは嫌いな人から、あるいはロボットからそういわれたとき、受け取り方は全然違うはずだ。そして、それこそが大事なのだ。一般の心理学の教科書では、この発語のニュアンスの違いを言葉の外側にあるノンバーバルなものとして構成する。つまり、相手という〝個体〟が醸し出す雰囲気としてノンバーバルを構成するのだ。しかし、吉本言語学では「あんたなんか大っ嫌い！」という言葉のニュアンスの違いをそれだけではなく、相手と自分との〝関係性〟から引き出そうとするのである。よく考えれば、当然のことである。言葉の中にこうした可能性が眠っていなければ、17文字の俳句が芸術として成り立つわけがない。17文字の言葉の意味はたいてい、たわいのないものだ。だから、17文字の言葉を〝言葉の意味〟だけでとらえている限り、逆立ちしても芸術にはたどり着けないのである。古池や蛙飛びこむ水の音芭蕉のこの俳句は誰もが知っているが、意味だけで言えば、「古い池にカエルが跳びこんだら、水の音がした」というたわいないものである。ではなぜ、この句が350年の時空を超えて生命力を保ち続けているのか。吉本言語学では、こう説明するのだ。そこに〝沈黙のメッセージ〟の存在があるからだと。これまで述べてきたことで少し訂正したいことがある。先ほど、世の中の多くの学説が「言葉は意味である」と考えていると述べたが、これは言い過ぎている。西欧近代の学問体系すべてが「言葉は意味である」と単純に考えているわけではない。たとえば、ソシュールは言葉をシニフィアン（音）とシニフィエ（意味）から成り立つものとしてとらえる。そして、ソシュールは〝言語本質〟をシニフィエ（意味）ではなく、シニフィアン（音）にあると考えるのである。これは、吉本が〝言語本質〟を指示表出（意味）ではなく、自己表出（沈黙のメッセージ）にあると考えるのと構造が同じである。そういう意味で、ソシュールと吉本との言語学の枠組みには共通した基盤があると言ってよい。しかし、もちろん違いもある。ソシュール言語学の根底には〝音楽〟があるが、吉本言語学の根底には〝沈黙〟があるのだ。つまり、ソシュール言語学は、赤ちゃんの〝あわわ言葉〟や動物の鳴き声も言語の射程圏内に組み込み、吉本言語学は〝非言語（沈黙）〟をも言語の射程圏内に組み込んだのだ。〝沈黙〟に焦点を当てる吉本言語学では〝沈黙のメッセージ（自己表出）〟がどこに宿るかに注目することになる。その宿りやすい場所は「韻律、撰択、転換、喩」という場面にある。また、品詞によっても宿り方に違いがあるのだ。これはこれまで吉本以外に誰も語っていないことである。ここに『言語にとって美とはなにか』のすごさがあるのだ（関心があれば、拙書『吉本隆明「言語にとって美とはなにか」の読み方』を参照されたい）。ただ、こうした議論は現在の学問体系から言えば、亜流にすぎない。なぜなら、あまりにもわかりにくいのである。「言語表現には〝意味〟と〝意味でないもの（沈黙のメッセージ）〟が存在する」という枠組み自体がわかりにくいのである。だから、わたしは最近、このことを【図11】の「図と地」（ルビンの壺）を用いて説明するようにしている。指示表出（〝言語の意味〟）だけを追いかければ、【図11】は白地の〝壺〟がみえるのだが、黒地の方をみれば、人の横顔が浮かんでくる。悲しそうな、あるいは寂しそうな、あるいはニタっと笑ったような横顔これは言葉の意味ではないこれこそが自己表出（〝沈黙のメッセージ〟）なのである。「世界はどう変化したのか」という問いに対して、ほとんどすべての人は〝壺〟を語る。しかし、吉本はそうではないのだ。「現在」から「未来」への通路を見定めるためには〝言葉の意味〟として浮上してこない〝黒い横顔〟を注視せよ、と吉本は言っているのである。『マス・イメージ論』とはそういう本なのだ。ちなみに吉本は敗戦以来、ずっとこの〝黒い横顔〟に注目し続けてきたのである。キリスト教（共同幻想）の原典、〝聖書〟についていえば、吉本は〝聖書〟に書かれている言葉の意味よりも、〝聖書〟を作成・編集した作者の意図（沈黙のメッセージ）に注目するのだ（『マチウ書試論』）。また、天皇制（共同幻想）の原典、〝古事記〟についていえば、〝古事記〝に書かれている言葉の意味よりも、〝古事記〟を作成・編集した作者の意図（沈黙のメッセージ）に注目するのだ（『共同幻想論』）。これが吉本なのだ。一貫して作者の〝自己表出〟に耳をすませるのである。※宇田亮一『吉本隆明「マスイメージ論」の読み方』
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（引用ここまで）ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案
8/23(日)10:30～易経入門講座〔第３期〕
14:00～易経準中級講座第15回9/6(日)13:30～16:30
『レゾナント・コミュニケーション』読書会#29/26(土)10:30～18:30寺子屋Notionーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎らくだメソッド無料体験学習（１週間）詳細についてはこちらの記事をどうぞ！
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<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260810/</link>
<pubDate>Mon, 10 Aug 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
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<title>マルセル・デュシャンのどこがスゴイのか？</title>
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昨日投稿した記事にAI時代において、そもそも「教養」とは何なのか？という問いに対して「反応の〝前〟を整える力」だと書きました。それで、今日はそれを具体的にどのように実践するかにつながる話を書いてみようとおもいます。２週間ほど前のことですが、中村教室にやってきていた塾生数名が対話しているなかで、「美しさ、美意識とは何か？」というテーマが浮かび上がり、マルセル・デュシャンの作品「泉」はどこが美しいのか？というような問いをめぐりやりとりをしていました。たぶん、現代アートについて語ろうとするとき、デュシャンの存在抜きには何も語れないとおもうし、わたしもその場でふたことみこと喋った記憶があります。それで、「デュシャンのどこがそんなにスゴいのか５つ挙げて説明してください」と問われたなら、まあ、「創造」や「解釈」を嫌ったと言われるデュシャンですから、この「説明」という行為自体が、デュシャンにまったくそぐわないのでしょうが、ブログという場でこんなことを書いていても話が先にすすまないので、もし、そのように問われたならと仮定してわたしならどう説明するだろうかとあとで考えて整理したことを以下記してみようかと。１．「芸術とは何か？」という問いを作品にしたことデュシャン以前の美術は、基本的に「美しいものを作る」「技術で表現する」が中心でデュシャン自身も画家として出発しました。しかし、油彩画の制作は1910年代前半に放棄し、1917年、便器にR.MUTTと署名し《泉》として出品することで、作品の価値そのものを問い直したのです。結局、展示委員会によって作品の展示は拒否され実際に展示されなかったんですがこのデュシャンのアクションは物議を醸し、美術作品の価値は、手で作った〝美しさ〟だけで決まるのか？という大きな〝問い〟を投げかけることになりました。つまり、美術を「見るもの」から「考えるもの」へ大きく転換させた点がすごいです。２．レディメイドによって日用品を芸術に変えたこと彼は既製品を選び、少し手を加えたり、文脈を変えたりして作品にしました。つまり、芸術家の役割を「何かを作る人」から、選ぶ人、意味をずらす人、〝問い〟を設定する人へと大きく拡張したことになります。〝芸術の日常化〟という意味においても、現代アート、コンセプチュアル・アート、インスタレーション、ポップアートなど、このような発想なしには考えられません。３．技巧や情熱よりアイデアを中心に置いたことデュシャンは、絵のうまさや感情表現よりも、作品の背後にある〝概念〟や〝仕掛け〟〝思考の構造〟というものを重視しました。これは「芸術は目で味わうもの」という常識を壊し、作品と出会う体験や考え方そのものが芸術だと示した点において、斬新で画期的だったようにおもうのです。４．美術制度そのものを批評したことデュシャンの《泉》がすごいのは、便器という事物そのものが与えたインパクト以上に、展覧会、審査員、美術館、署名、タイトル、展示空間といった〝芸術を芸術に見せている仕組み〟そのものをあぶり出してしまったことでしょう。つまりデュシャンは、作品を作っただけでなく、「美術の世界」という社会的制度そのものまで作品の一部として批評したわけです。５．後世への影響が圧倒的に大きいことピカソが「20世紀の絵画」を大きく変えた人なら、デュシャンは「コンセプチュアル・アート」を創始し20世紀以降の芸術についての考え方そのものを大きく変革した人と言えるでしょう。具体的に人物名を挙げるなら、音楽家のジョン・ケージ、アンディ・ウォーホル、ヨーゼフ・ボイスなど、アートの世界だけにとどまらず、現代芸術の世界全般に強い影響を与えました。わたしが現代アートの世界に積極的に触れるようになったのは、30歳を過ぎてからでしたが、ジョン・ケージやナム・ジュン・パイクなど、デュシャンの影響を受けたアーティストを通じて10代の頃から間接的に影響を受けていたと後に知ることに。「これは芸術なのか？」という現代アート特有の問いは、かなりの部分でデュシャン以後の問いです。
《星型の剃髪（マルセル・デュシャン）》1921年
撮影：マン・レイもしデュシャンのすごさを一言でまとめるなら、作品を作ったこと以上に、〝芸術というゲームのルール〟自体を変えてしまったことと言えるのではないかと。たぶんデュシャン自身は、こんな風に言葉でもっともらしく解説され評価されること自体を何よりも嫌ったことでしょうが。笑デュシャンについてのオススメ記事は、松岡正剛さんの千夜千冊
マルセル・デュシャン＆ピエール・カバンヌ『デュシャンは語る』2017年、《泉》が発表されて100年を記念し東京国立博物館で開かれた特別展のポスター記事のさいごに、ジョン・ケージがプリペアドピアノのために作曲した『マルセル・デュシャンのための音楽』をプレゼント
JohnCage-MusicforMarcelDuchamp(1947)※参考過去投稿記事・ガチャを回す生物進化における変異と適応（その２）ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案
8/23(日)10:30～易経入門講座〔第３期〕
14:00～易経準中級講座第15回9/6(日)13:30～16:30
『レゾナント・コミュニケーション』読書会#29/26(土)10:30～18:30寺子屋Notionーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎らくだメソッド無料体験学習（１週間）詳細についてはこちらの記事をどうぞ！
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<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260809/</link>
<pubDate>Sun, 09 Aug 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
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<title>AI時代に「人間らしく働く」には？　〜山口周さんの対談動画・文字起こし（その２）〜</title>
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昨日投稿した記事の続きで、山口周さんと波頭亮さんの対談動画
文字起こしテキストの後半部分をお届けします。文字起こしテキストの後にはわたしのコメントも書きました。昨日の記事を未読の方は、以下を読まれる前にどうぞ。YouTube動画を再々度シェアしておきます。

「スマホばかり見る人はAIに代替される」AI時代の教養の育み方を探求。【NewsPicks/山口周/波頭亮】
昨日の文字起こしテキストは23分50秒あたりまで紹介したんですが、終盤部に全体を通しての核心部分を含んでいたので今日の記事はすこし被らせて20分25秒あたりから。
（文字起こし・ここから）
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー山口：そうですね。今日は美意識というテーマですけれども、先ほどコンサルティング会社の話が出ました。なぜジュニアスタッフがいらなくなっているかというと、僕は知的生産もスマイルカーブになっていくと思っているんです。通常、知的生産というのは、まず最初にアジェンダを立てる。マッキンゼーの言葉で言うと、イシューを設定する。その次に仮説を作る。その仮説に基づいて情報を集め、それを分析する。その仮説が検証された、あるいは棄却された、否定されたとなる。最後にアウトプットを出して、それを実行していく。人工知能が一番得意なのは、情報を集めて整理するところです。つまり、真ん中の部分なんですよね。アジェンダを作るというのは、基本的にはできない。仮説を作ることはある程度できるかもしれませんが、アジェンダを作ることは基本的にできないわけです。「なぜこうなっているのか」「これはおかしいのではないか」ということを、一番最初に設定する。それはある意味、ふわっと立てるわけです。その仮説に基づいて情報を集め、示唆を出して、今度は実行していく。実行していくところも、やはり人間がやらなければいけない。つまり、最上流と最下流のところに人の価値がある。真ん中のところはコンピューターがやればいい、ということです。これはまさにChatGPTとやり取りして、「あなたはどこが得意なのか」「人間とやって勝てると思うところはどこなのか」と聞いたら、「情報を集めるところです」と言ったんです。「ここは非常に得意です」と言ったので、僕は「ホント？」って聞いたんですね。「情報を集めると言っても、あなたができるのは、すでにテキストになっている二次情報だけであって、世の中で起こっていることを自分の目で眺め、五感で感じて、『これはおかしいんじゃないか』と考えるところは全然できないですよね」と言ったら、「おっしゃる通りです」と返してきました。笑これは何を言っているかというと、五感があるということが、人間にとって最大の武器の一つだということです。そうでなければ、アジェンダも設定できない。今、多くの人たちは世の中で何を見ているかというと、世の中を見ずにスマホを見ているんですよ。世の中を見て一次情報を取れる。目で見て、耳で聞いて、皮膚で感じることができるにもかかわらず、ずっとスマホを見ているということは、二次情報の世界の中にずっと生きているということなんです。これはものすごく弱くなる。逆に言うと、これから先、五感の感度がすごく鋭い人は、大きなアドバンテージを持つようになると思います。その五感は、最終的には美意識や生活を飾ること、食を楽しむこと、音楽を楽しむこと、家具や芸術作品を見て楽しむことにもつながります。五感を、アンテナの感度としてどう保っていくか、どう高めていくか。これは、ここから先、教育のテーマとして非常に大きくなってくると思います。波頭：聞いている人に少し補足しておくと、「山口さんはそうおっしゃるけれども、カメラは猫を見たら猫だと光学的に判断できるし、音も聞ける。センサーはもう人間の五感に負けないぐらい発達しているんですよ」と思う人もいるかもしれません。でも、山口さんがおっしゃっているのは、そのことではないんですよね。そこから取った情報をどう解釈するか。AIは、最終的に言語の形で分かる。定義したり、解釈したりする時に、言語化しないと人間にフィードバックできない。だから、多言語モデルの最先端のセンサー部分だけがカメラだったりマイクだったりしている。人間だって、伝える時には念を送って伝えるわけにはいかない。だから言語という非常に便利なものを発明して、言語化している。でも、人間が感じたり、感情が揺さぶられたりする時には、言語にせず、目から耳から、皮膚から直結して、感動して涙が出たりする。山口さんが言ったのは、そういう認知のメカニズム、認知処理が根本的に違うということなんですね。山口：テスラが去年だったと思いますが、高速道路上に牛がいたんですよね。そこにまったく減速せずに突っ込んで、事故になってしまった。テスラにはもちろん目が付いています。カメラが付いています。それが人間の目といかに違うかということなんです。大規模言語モデルは、要するに統計です。裏側で行列を動かしているだけです。牛が高速道路の上にいるというのは、母集団のデータの中にないわけです。予期できない。統計的に完全に外れ値になってしまっているものは、存在しないものとして扱われる。ですから、人間の目と、コンピューターについているカメラが同じかというと、補足的に言えば、まったく違うものです。人間だったら、必ず「何かあるぞ」「これは何だ？」と思って避けていきますよね。でも、コンピューターについている目は、統計上の過去の画像データと光学データを照らし合わせ、存在しないものは存在しないと処理してしまうし、それでそのまま突っ込んでしまったということです。波頭：カメラに映っていても、「何か障害物が行く手を阻んでいる」という解釈ができないわけですね。山口：そうです。もう一つ面白い話を思い出しました。わたしの電通時代の大先輩で、白土謙二さんという、広告業界では本当にレジェンドのような方がいるんです。彼と、第一次フリースブームで盛り上がっていた頃のユニクロの店舗に行ったことがあります。店はお客さんでいっぱいで、みんな商品をどんどん買い物カゴに入れて、レジにも長い列ができていました。ところが彼が店を出てすぐに、「このブランド、危機的ですね。山口さん、気づきましたか？」と言ったんです。僕はまったく能天気に、「これはまだまだブームが続くな」と思っていたので、「白土さん、なぜそう思われたんですか？」と聞きました。彼の答えはこうでした。「有価証券報告書を読みました？」と言われたんです。「読みました」と答えました。すると、当時、男性物の売上が７割から８割だったんですね。「お店の中に入って、何か気づいたことはありません？」と言われて、「はっ！」と思いました。確かに、女性がほとんどだったんです。女性がほとんどなのに、男性物の売上が多いのはおかしいでしょう、と。「カゴの中を見ました？」と言われました。僕は見ていませんでした。彼は仮説があるから見るわけです。この人たちは、自分の服を買っていないはずだ。では誰の服を買っているのか。旦那さんや子どもの服なんです。旦那さんや子どもの服は安く済ませて、そこで浮いた分で自分はいい服を買う。これはプロキュアメント・ビジネスだ、ということです。冷蔵庫の中に牛乳が足りない、卵が足りない、ハムが足りない。だから買う。それと同じように、旦那のパンツが足りない、子どもの靴下が足りない、ということで成り立っているだけだと。タンスの中が一旦いっぱいになった時点で、必ずこのブームは止まります、と言ったんです。最後に彼が言って、決定的だなと思ったのが、「表情を見ましたか？」ということでした。「あれは服を買う時の顔じゃないですよ！」と言われたんです。有価証券報告書というテキストデータ、カゴの中身という光学データ、顔の表情というインプレッション。そういったものを全部組み合わせて、このビジネスの本質はファッションではなく、家庭内の物品調達、つまり安く調達できるプロキュアメント・サービスなのだ、というインサイトを出したわけです。これは、やはりなかなか人間にしかできないことだという気がします。波頭：そうですね。人間のすごさは、たとえばその白土さんと僕が一緒に行ったら、違う意見が出るということなんですよね。同じ情報を与えられても違う意見が出せる。それは、偏在であるという意味では答えの普遍性は低いかもしれないけれど、AIと比べて偏在している。偏在しているからこそ、正解が一つに決まらないものに対して、まさにクリエイティブなポジションが取れる。そこに人間の余地があるのかもしれない。先ほどの、ヒューマンワークとマネーレイバー、インテリジェンスとフィジカルという二軸の話も、そのちょうど境界のところにあるものは、いろいろな解釈が成り立つということなんですよね。その混ざり具合だったり、そこに個性があったり、どう混ぜるかだったり。純粋なブレインワークやフィジカルワークになってしまうと、本当に効率だけ、質だけという話になる。塩梅が発生する余地、人間が生き残れる余地は、そこにあるのかなと思いました。山口：「外れ値」ですよね。さっきのテスラの車が牛を認知しなかったというのは、道路の上に牛がいるというのが統計上完全に「外れ値」なので、処理できなかったという話です。だから、イーロン・マスクが「MBAを雇うな！」と人事に言っているのも同じだと思うんですよね。テスラは2003年に創業していますが、あの時点で市場調査をすれば、電気自動車の需要はほぼゼロです。マーケティングや経営戦略論の定石からすると、ありえない産業です。しかも、莫大な設備投資を最初にしなければならないので、非常にリスクが大きい。そこに打って出た。おそらくあの時点で、経営学者やマーケットの専門家百人に聞いたら、百人が「やめておけ」と言ったと思います。では、そこに出てきて、20年経ってどうなったかというと、自動車会社としては時価総額世界最大の会社になった。まさに外れ値のところで、半ば事業をアート作品のようにユニークに作ってきた。キャパシターを動力ユニットに使ったこと自体も、当時からすればとんでもない発想だったわけです。これは、いかに定石から外れていくかという話です。ただ、これからは「優秀さ」の定義が変わってきますよね。波頭：変わりますね。もう一人で言うと、サム・アルトマンもイーロン・マスクと一緒にやっていましたよね。サム・アルトマンもそうですし、冒頭で言ったデミス・ハサビスもそうです。ノーベル賞を取ったような人たちも、本当にたった一人の頭の良さ、着想とビジョンなんです。山口：そうですね。波頭：着想とビジョンなんですよね。これは今のところ、まだAIからは出てきていない。あるいは言葉としては出せたとしても、それを命懸けで本当に執着して、人生を賭けて実現しようとする原動力や情熱は、人間でなければ持てない。そこなんでしょうね。山口：だからサム・アルトマンなどもそうですが、今から20年前、30年前に人工知能をやるということ自体が、外れ値のオプションでした。キャリアとしては、人工知能の冬の時代だったので、とにかく「あっちに行ったら食えないぞ」と言われていたのが90年代、2000年代初頭ぐらいまでです。その時代にやった人たちが、今は需給バランスがめちゃくちゃ崩れていて、非常に高い報酬を得ている。彼らもある意味で、外れ値のキャリアを選んだということですね。波頭：今のお話で、ごく一部の人は、サム・アルトマンにしてもイーロン・マスクにしても、巨万の富を得て、ステーキでもお寿司でも食べきれないぐらいのお金持ちになる。一方で、新自由主義の分配の中では、本当にごく一部の人が一億人分の富を持つ。仕事が特権的な人に集まる。AIの保有者、所有者がアウトプットの富を独占することにつながりますよね。今の資本主義のルール、新自由主義のルールだと、生産活動、つまり対価を取って経済財を生み出すタイプの仕事がAIやロボット側にシフトした暁には、産出物をどう分配するかという分配のルールを、今の資本主義や新自由主義のルールから変えておかないといけない。僕はベーシックインカムが一番いいと思っています。あるいは、AIの所有権を国民に選挙権のように配るとか。そうしておかないと、最低限生きていくことが担保されない。それがあって初めて、ホモ・ルーデンスになり得ると思っているんです。そこ、いかがですか？山口：分配をどうするかは非常に悩ましいと思います。ベーシックインカムについては、僕もポジティブです。あとは、間接的に所有者になる、つまりAIを提供している企業の株主になるというのも、一つのルートだと思います。「仕事が奪われる」ということに関して言うと、世の中的に議論が少し混乱しているところがあると思っています。仕事を奪うということと、作業を奪うということは、ちょっと違うと思うんです。たとえば、波頭さんも僕もコンサルティング会社の出身ですけれども、波頭さんの時代、レポートは手書きでしたよね？波頭：はい。ぎりぎり手書きでした。山口：その後、PowerPointなどが出てきました。当時のコンサルティング会社には、コンサルタントが書く手書きのドラフトが非常に汚いので、それを清書してくれるチームがありましたよね。当然、PowerPointが出てくると、そういった人たちの仕事は機械に置き換わるわけです。しかし、コンサルタントの仕事がなくなるかというと、なくならない。昔は電卓を必死に叩いていたのがExcelに変わって、どうなったか。確かに、電卓の会社からMicrosoftに富は移ったかもしれない。でも、コンサルタントに支払われるお金がそれで変わるかというと、変わらないわけです。ですから仕事として請け負って、その先でどういう機械を使おうが、自分のクレジットでアウトプットを出す。これが〝仕事〟です。それが残っていれば、内部でどういうプロセスが動いていたとしても、顧客にとっては知ったことではない、という話になるわけです。今、僕はGeminiやChatGPTを、リサーチでも執筆でも使いまくっています。実際のところ、書籍になっているテキストの五分の一から三分の一ぐらいは、もうAIが書いています。ただ、それで世の中に本を出して、その本の著者としての社会資本がどうなるかというと、ほぼ100％僕に入ってくる。もちろんAIを使う利用料は月額いくらという形で払っていますが、それは微々たるものです。構造としては、全世界でたとえば10億人の人たちがその微々たる金額を払うことで、AIの会社は莫大な収益を上げる。Microsoftも同じですよね。利用料としては微々たるものです。一方で、利用者がその技術によって大きく生産性を上げる。たとえば僕の場合で言うと、生産性が二倍から三倍に上がった。それは端的に言うと、収入が二倍から三倍になるということです。その構造の中で考えると、やはり野望を持って仕事をすることが非常に重要です。作業をやって稼いでいる人は厳しい。そういう世の中がやってくると思います。波頭：なるほど。よく分かります。今のお話に加えて、コンサルタントの話が出たので言うと、山口さんの話の中にすごく大事なヒントがありました。「野望を持つ」ということの実質かもしれませんが、誰でもできることは野望を担保しないんですよね。AIが生み出してくれるものは、優秀な東大生だったら誰に頼んでも同じ答えが出てくるようなものです。外れ値ではない。分布のど真ん中のところをAIは出す。だからコンサルタントは、それを出していたのでは野望も持てないし、コンサルタントに頼む必然性もない。つまり、外れ値の中にこそ最適解があるような、そういうマターを解く。答えを作ってあげる。それが、これからのコンサルタントのあり方だと思います。いろいろ、仕事にも世の中にもヒントになる言葉がたくさんありました。最後に、これから「AI時代の非AI論」、つまりAI的ではない力や能力をテーマに、山口さんから最後に何かキーワードをいただけますか？山口：キーワードは「ヒューマニティ」だと思います。人間を人間たらしめるもの、生きるに値すると思えるエラン・ヴィータルですね。躍動する生命を感じられる―――波頭さんにとっては釣りなんですよ。僕はいろいろなところで言っていますが、教養というのは、歴史や哲学だと思われがちです。けれども、たとえば僕が尊敬しているサーファーで、ジェリー・ロペスという人がいます。彼などは完全に哲学者なんですよね。サーフィンというものを突き詰めた先に、何か見えてくるものがある。サーフィンの本質は何かと聞かれて、彼は「待つことだ」と言うんです。釣りも結構似ているのではないかと思います。波に乗ろうとすると、いい波を捉えるには「待つこと」が非常に重要になる。ありとあらゆるものは、最後に突き詰めると、ヒューマニティ、あるいは世界認識と言ってもいいと思いますが、そこにつながっていく。それをいろいろ体験できるのは、やはり若い時だと思うんですね。皮肉な話ですが、「スクール」という言葉は、もともとギリシア語の「スコレー」が語源で、「暇（ひま）」という意味です。学校の語源は、もともと「暇」なんです。では、なぜなのか。暇を楽しく過ごすためには教養がいるからです。それは釣りだったり、サーフィンだったり、絵を描いたり、楽器をやったり、いろいろな言語で物語を読んだり、演劇をやったり、パフォーミングアートをやったりすることです。それを学ぶためには、学校に行かなければいけないということだった。しかし今は、なぜか学校というものが、算数、国語、理科、社会を覚えて、ホワイトカラーとして通用する人間になりましょう、という場になっている。音楽、体育、美術、そんなものは劣後させればいい、ということをやっているわけです。これはまさに、AI時代に求められる非AI的なリテラシーを、どんどん阻害していることになります。それを防衛するのは、もう皆さん個人として自分の人生を守っていかなければならない。ですから、いろいろな領域に手を出して、好奇心旺盛に楽しむことが重要なのではないか、というのが僕からのメッセージですね。波頭：ありがとうございました。山口：ありがとうございます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー（文字起こし・ここまで）このお二人の対談動画で印象的だったのは、AI時代における人間の価値を、「知識量」や「処理能力」でなく、五感、美意識、教養、遊びといった言葉で捉え直されていたところです。AIは、情報を集めて整理し、文章を書き、画像を作って音楽さえも作ってくれるので、そうなると、「人間はいったい何をするのか？」という問いが浮かぶことでしょう。よく言われる答えは「創造性」や「教養」ですが、単に「たくさん知っていること」であれば今や断然AIの方が優れているし、人間が活躍できる余地はほとんどありません。では、このようなAI時代において、「教養」とは何なのか？わたしの結論を先に書いてしまうと、「反応の〝前〟を整える力」ではないかと。多くの人は何かを見てから判断し、感じ、反応しているようにおもっていることでしょう。けれども実際には、反応する〝前〟にすでに、何を見ているのか、そこから何を拾っているのか、何に対して違和感を覚えるのかがほぼ決まってしまってるんですね。しかも、自分がどこに起点を置いているか、何を前提として捉えているかについてはほとんど無自覚だから、まずは、そのことに自覚的であろうとする姿勢が大切なんだと。同じ茶碗を見ても、ある人にはただの器に見えるだけだけれど、別の人には、土、釉薬、時代、作者の手、使われてきた場の空気感やそこに宿る美意識までが立ち上がってくる。同じ街を歩いても、商売をしている人は人の流れを見て、建築家は建物を見て、教育に関わる人は子どもの表情を見る。つまり、見ている世界そのものが違うのではなく、見る人の認知の〝方向〟によって、世界の現れ方が変わってくるわけです。山口さんが語られていた「スマホばかり見ている人は
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<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260808/</link>
<pubDate>Sat, 08 Aug 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
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<title>AI時代に「人間らしく働く」には？　〜山口周さんの対談動画・文字起こし（その１）〜</title>
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昨日の記事の続きです。

今日の記事では、昨日紹介した山口周さんと波頭亮さんの対談動画で語られていた内容がとても良かったので、文字起こしテキストをお届けすることにしました。14000文字ほどあるので今日、明日の２回に分け投稿します。
１月に投稿した2025年読書ふりかえり記事（その12）でベスト24にセレクトした本の１冊が、『ChatGPTは神か悪魔か』で、著者のおひとりが山口周さんでした。あと、寺子屋塾ブログでは山口周さんのタグがついた記事が結構たくさんあるので、未読の方は目を通してほしいのですが、とくに6/9に投稿した易経の記事の後半部にとても大切な話を書いているので、既読、未読に拘わらず、目を通してみてください。その記事中で、山口周さんのnote記事をシェアしていますが、とくに次の３本には重要な指摘が書かれており、無料で読める部分だけでも充分価値があるので一読をオススメします。・なぜ経営リーダーにはリベラルアーツが求められるのか？2023.9.4
・意思決定を論理に頼ることの問題点2025.11.26・AI時代に求められる「五感の感度」2025.12.8３本目のnote無料で読める箇所の最後にある「論理×独自データ」こそが、差別化戦略の本質であるということが一番のキモだとおもうんですね。YouTube動画を再度シェアしておきます。

「スマホばかり見る人はAIに代替される」AI時代の教養の育み方を探求。【NewsPicks/山口周/波頭亮】
この動画は、NewsPicsのチャンネルで
2025.11.29に配信されたものです。
（文字起こし・ここから）
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー山口：五感があるということが、人間にとって最大の武器の一つだということなんです。今、多くの人たちは世の中を見ずに、スマホを見ているんですよ。ずっとスマホを見ているということは、二次情報の世界の中にずっと生きているということです。機械がかなりの程度、あらゆる仕事をやるようになった時に、「一億総プロデューサー」というか…波頭：AIはクリエイティブのところにまでどんどん出てきている。でも、それをReクリエートする、その〝Re〟のところにこそ、自分を込められるんですよね。（ここまでダイジェスト）波頭：はい、こんにちは。「AI時代の非AI論」ナビゲーターの波頭亮です。今回は、AI時代の中でその波に飲まれずに、人間の良さや価値を確立し、守っていただきたいというテーマです。文化、美意識、教養といった人間の情動に直結した脳の活動があり、それは人生を豊かにしたり、世の中に潤いをもたらしたりするものです。美意識や文化、教養といったものは、情動の領域だけではなく、ビジネスまで含めて、世の中全般の基盤として大事であり、人間の生き方として大事なのだということを、かねてからずっと主張されている山口周さんに、今日はお越しいただきました。「AI時代の非AI論の」コアテーマになると思います。わたしも今日、いろいろ教わりたいなと思って、対談を楽しみにしておりました。山口周さんです。よろしくお願いします。山口：よろしくお願いします。波頭：今、少し主語の大きいイントロから始めましたけれども、AIがどんどん進化していますよね。本当に日進月歩で進んでいます。月歩どころか、秒進分歩という進み方をしていますけれども、そもそもこの動き方に対して、山口さんはどのようにご覧になっていますか。山口：個人的には、ものすごく楽しんでいます。波頭：楽しんでいるんですね。山口：今朝も、ここに移動してくるまでの間、タクシーで移動してきたんですけれども、ChatGPTと「ケインズの言った〝需要の法〟は本当に正しいのか」「反論している経済学者の論考はないのか」といったことを、まとめて出してもらいながら、ずっと議論していました。そうしたら、あっという間に「もう着いちゃった」という感じだったんです。ですから、リサーチの生産性などは、極端に言えば100倍ぐらいに上がった感じがしますね。波頭：そうですね。わたしの知人で、何千人、何万人というコンサルタントがいる巨大コンサルティングファームの人と話した時にも、前回このシリーズでも言ったかもしれませんが、「三年生以下の仕事はまったくない」と言っていました。三年生を経ないと、四年生、五年生、つまりマネージャーやシニアパートナーにはなれないわけです。しかし、最初の入り口のところで、AIにやらせれば一日で、あるいは千円でできることを、１週間かけて何10万円もフィーを払ってもらう。その対価を正当化できなくなってきている。今後、コンサルティングファームの経営はどうなっていくのだろう、という不安を語る方が多いですよね。山口：そうですね。今、アメリカでは結構人を切っていますよね。波頭：それはさておき、現代の価値の源泉とされるようなものは、パワーと合理性のインテリジェンスでたいてい作ってきたわけですよね。パワーについては、化石燃料によって、すでに無限大に近いパワーを得た。そしてコンピューター以降、計算能力もずいぶん発達した。最後の思考能力やクリエイティビティのところで、人間の必然性、あるいはレゾンデートルを確保していたのが、そこまで脅かされ始めていますよね。つい先週あたりに見たデミス・ハサビスの話で、今ならアインシュタイン以前の情報だけを食わせると、相対性理論をAIが作れる、というものがありました。山口：なるほど。波頭：つまり、そういうクリエイティブで非常に高度なものも、AIは過去に起こったことを編集・統合してアウトプットを出す。だから、先ほど言ったように、コンサルティングファームでも三年生、五年生ぐらいまでのことはできるけれど、それより高度なものはまだ人間に残ると思われていた。それが、アインシュタインのレベルのことまでできる。つまり、クリエイティブだったり、飛んだ発想だったりまで出せるようになると、人間は何をすればいいのか、という話になります。そうなると、最後の砦が美意識と教養なのではないかと思っています。今日は、そこについて山口さんに心強い話をしていただきたいなと思っているんですけれども、いかがですか？山口：本当に、機械が人間の労働をやるようになったら何をするのかと言えば、ホモ・ルーデンス、つまり「遊ぶ」ということでいいと思うんですよね。ですから、労働から解放されることを、なぜそんなに怖がるのか、というのは一つあります。機械にやらせればいい。ただ、現行の経済システムや雇用のあり方を考えると、ごく一部の創造性を持った人たちだけが仕事に就き、ほかの人たちは働けなくなる、という話になります。あるSF作家がいて、彼が今からおよそ百年前に、「百年後の世界はどうなるか」というニューヨーク・タイムズのアンケートに答えた回答が非常に面白いんです。「労働というものが贅沢になっている」と言っているんですね。機械が全部労働するようになった中で、本当に人間に残されているものが創造や遊びになるとすると、今の世の中でそれをやっているのは、たとえばレディー・ガガさんのようなアーティストです。そういう人たちは、「彼女は働いているんだ」「それはいいね、贅沢だね」という話になる。そういうことです。僕は、産業革命の歴史を整理すると、結構面白いと思っています。人間がやっている仕事は、四類型しかないと思うんですよ。一つは、定型と非定型で横軸に分ける。縦軸は、認知的な仕事、つまり脳でやる仕事と、肉体でやる仕事、筋肉でやる仕事です。つまり、定型／非定型と、認知／物理という分類です。第一次、第二次産業革命は、人間がやっていた定型的な筋肉の仕事を機械に置き換えることをやったわけです。これが主にイギリスとアメリカで起こりました。第三次産業革命は、1980年代ぐらいからコンピューターが出てきて起こったものですが、これは定型的な脳の仕事を機械にさせることをやったわけです。ですから、定型の筋肉、定型の脳ということで、第一次、第二次、第三次の産業革命が来た。そして今、第４次産業革命と言われているAIは、人間の脳がやっている非定型の仕事をやらせる、ということをやっているわけですね。これは基本的には、ホワイトカラーの多くの人たちがやっていた仕事です。これがどんどん機械に置き換わるということが起こっている。では、最後に残っている人間の労働は何かというと、非定型の筋肉の仕事です。これは、いわゆるエッセンシャルワークと言われているものと、かなり重なります。僕は、第３次、第４次産業革命の基本的なゲームは、中国とアメリカが勝者だということで、もう決まってしまったと思っています。だから、次を見た方がいいと言っているんです。やはり動きが早いのがイーロン・マスクで、彼はもう自動車よりも、どちらかというとロボットの方に注意が向かっています。絶対にそちらに行った方がいいと言っている。孫さんも、ABBのロボット事業を8000億円で買収するというニュースが昨日出ていました。その部分が今度、機械に切り替わると、本当に人間の仕事は遊びと創造しかなくなっていくのだろうと思います。おそらく2050年ぐらいには、それが来ると思っていますね。波頭：さっきレディー・ガガというのは、意味的に「遊び」が仕事になっている代表選手ですよね。僕がその時に思ったもう一人が、イーロン・マスクなんです。アートの分野もあるし、イーロン・マスクのように経済のど真ん中だったり、どちらかというとエンジニアリングや科学だったり、そういう領域もある。山口さんとお話ししていると、少し議論になりにくいのは、考えることが似すぎているところがあるからなんですけれども、先ほどの定型／非定型、インテリジェンス／フィジカルという整理は、僕も仕事を整理する時に使ったことがあります。その時に、人間に残されていくであろう余地は、その境界だと思ったんです。今、山口さんがおっしゃったように、仕事の多くはフィジカルだったり、コンピューターに置き換えられるようなタイプのものだったりします。けれども、たとえばお花や書道のお師匠さんは、インテリジェンスとフィジカルのちょうど中間にありますよね。あと、職人や民芸品の仕事もそうです。木彫りの熊だったら、もう機械で彫っても見分けがつかないかもしれないけれど、焼き物などは違いが分かる。ああいう分野は人間に残る。あの分野は芸事っぽいんですよね。お茶の先生だったり、その人が座っているだけでお茶室の空気が変わったり、同じように活けた花から何か空気感が違ったりする。僕はそういう素養がないのでピンとこないんですけれども、感じる人には本当に感じられるのだろうと思います。だから、単純に頭だけとか、単純に力だけというものは置き換えが早いけれど、境界、ボーダーのところに人間に残されていくものがあるのではないかと思っているんです。お花にしても美意識の話ですし、書道の先生にしても、何と言えばいいのでしょうか。芸事というものは、教養や人生経験まで含めた、いろいろな厚みを持った人に言われるからこそ、「なるほど」と思われるのではないかと思うんです。その辺りが新しい分野として出てくるのでしょうか。山口：やはり、そこは本当に答えは過去にあると思います。18世紀に社会主義運動が全世界で盛り上がった時、イギリスにウィリアム・モリスという運動家がいました。当時の人たちは、どうやったら世界革命を起こせるかということを議論していたわけです。ウィリアム・モリスが非常に面白かったのは、「革命は起こる」と考えていたことです。だから、起こし方を考える必要はない。問題は、それが起こった後で人間は何をするのか、ということだと考えたんですね。彼が考えたのは、相当程度の人が安全で快適で文明的な暮らしをできるようになり、それはかなりの程度、労働しなくてもできるようになった世の中で、人間は何をするべきか、ということでした。これは非常に重大な問いですよね。人間は暇に耐えられないので。彼が言ったのは、人間に永遠に残る仕事とは「飾ること」だ、ということだったんですね。今まさに波頭さんが言ったのは、その「飾る」ということの日本文化の中での例として、お花とお習字です。掛け軸を書く、床の間に飾る、花を活けるということです。ウィリアム・モリスは本職はデザイナーでしたから、壁紙や本の装丁などのデザインをやっていました。自分たちの生活を見てみれば、音楽、絵画、家具、建築、美食、庭など、あらゆる表現のメディアが生活の中にあるわけです。だから僕は、「生きるということは総合芸術活動だ」と言っているんです。生きることを、本当に総合芸術としてやっていく。これは本当にReクリエーションであり、面白いことです。AIが出てきたら、人間に残る領域の中で一番楽しい仕事だけを純粋にやっていって、ブルシット・ジョブは全部機械にやってもらう。そういうふうになるといいのではないかと思っています。波頭：賛成！今の「リクリエーション」という言葉を、あえて「リ・クリエーション」と分けて話してくださったところにも、本当にポイントがあると思うんです。今は、漫画でも小説でも絵でも、ゴッホ風に描けたり、夏目漱石風に書けたりする。AIはクリエイティブのところにまで、どんどん出てきてくれる。でも、それをリクリエートする、その“利”のところにこそ、自分を込められる。それを恐ろしい装いに飾るのか、あるいはすごく可愛らしく、ピュアに飾るのか。どういう飾り方をするかは別ですが、そこに人間というか、自分を込められる。「飾る」ということは、ホモ・ルーデンス、つまり遊ぶために生きると言うとあまりにも大きすぎますが、人間の生きることと遊ぶことの本質として、少しピンときますよね。レディー・ガガだって、音楽だけではなく、多分「飾り」ですよね。舞台もファッションもお化粧も。山口：そうですね。それもそうです。波頭：それが人気を得るということは、やはり本能的に求めているのでしょうね。山口：そうですね。たとえば千利休を見ても、彼自身は何かをクリエートするかというと、作らないわけです。楽茶碗は楽茶碗の職人に作ってもらう。水差しは水差しの職人に作ってもらう。掛け軸は書家に書いてもらう。でも、それを一まとめにしたところに、茶室というある種の空間が生まれる。だから、プロデューサーですよね。ですから、機械がかなりの程度、あらゆる仕事をやるようになった時に、「一億総プロデューサー」というか、そういうふうになってくる。個別のものは人が作る場合もあるし、場合によってはAIが作るケースもあるわけです。今のAIの弱点を一つ挙げるとすれば、音楽だったら音楽で完結する、絵だったら絵で完結する、というところです。でも、たとえばこの空間だったら、クラシックよりノラ・ジョーンズだよね、というセンスがあるわけです。それを聴きながら飲むなら、抹茶ではなくカプチーノだよね、ということもある。そこをトータルな世界観として、総合芸術として生活を作っていくということは、現時点ではやはりAIにはできないことです。ですから、そこに人間の楽しむ余地が大いにあるのではないかと思っています。波頭：山口さんは、今の音楽の話でも、クラシックから民謡からノラ・ジョーンズまでカバーしますよね。普通の人と比べて、圧倒的にいろいろなジャンルに対する素養と経験があるから、まさに楽しめるし、人生が豊かになるのだと思います。たとえば僕は、釣りのことぐらいなら、どの海で、どのシーズンに、どういう魚を釣ったら面白いか、面白くないかは分かります。けれども、骨董品の器を見ても、掛け軸を見ても、無教養なので何も分からない。ぼーっと見ているだけで、本物か偽物かどころか、それがいつの時代のものか、どこに面白みがあるのかも分からない。何が言いたいかというと、遊びの時代にこそ、教養がないと楽しめないということです。そういう教養と結びついた高度な遊び、まさにホモ・ルーデンスの上澄みの部分はもちろんですが、人間は年を取るとお腹が空かなくなって、昔みたいにガブガブ食べられなくなる。山に登って爽快な秋風に頬を撫でられるようなことも、年を取るとできなくなる。年齢だけではありません。欲望がないと、楽しむこと、ホモ・ルーデンスの推進力、原動力が弱いのだと思うんです。昔の人は、もっとガツガツ生きていた感じがありますよね。それが、どんどんいろいろなことが便利になって、リスクや悪から守られて、漂白された生活をしていると、生き物として弱くなってくる。そうなると、欲望も飼い慣らされて弱くなっているのではないかと思うんです。山口さんのように、細胞に直結した欲望だけではなく、知で洗練された興味があれば楽しめるとしても、どこかでガツガツやらないと、外のものを取り込めない。ホモ・ルーデンスの時代になったら、今とは違う形で欲望を養わないと、人生が充実しないのではないかと心配しているんです。どうですか？山口：そうですね。欲求、欲望というか、どういう言い方がいいかと思いますけれども、確かに「知りたい」「聞きたい」「味わいたい」「経験したい」という欲求は、たくさんある方かもしれません。波頭：ケインズが、「百年後には生産性が上がって、週に何時間しか働かなくなる」と言いましたよね。たしか、週16時間、1日3時間という話です。100年後「孫の世代」ということですね。そういうことも、まずケインズを知っているから、それが本当にどうなったのか調べてみようとなる。まだ100年経っていないとか、いろいろ知っているからこそ、調べてみて、「なるほど」となる。ぼーっと生きていたら、そういうこともできないんですよね。山口：そうですね。今日は美意識というテーマですけれども、先ほどコンサルティング会社の話が出ました。なぜジュニアスタッフがいらなくなっているかというと、僕は知的生産もスマイルカーブになっていくと思っているんです。通常、知的生産というのは、まず最初にアジェンダを立てる。マッキンゼーの言葉で言うと、イシューを設定する。その次に仮説を作る。その仮説に基づいて情報を集め、それを分析する。その仮説が検証された、あるいは棄却された、否定されたとなる。最後にアウトプットを出して、それを実行していく。人工知能が一番得意なのは、情報を集めて整理するところです。つまり、真ん中の部分なんですよね。アジェンダを作るというのは、基本的にはできない。仮説を作ることはある程度できるかもしれませんが、アジェンダを作ることは基本的にできないわけです。「なぜこうなっているのか」「これはおかしいのではないか」ということを、一番最初に設定する。それはある意味、ふわっと立てるわけです。その仮説に基づいて情報を集め、示唆を出して、今度は実行していく。実行していくところも、やはり人間がやらなければいけない。つまり、最上流と最下流のところに人の価値がある。真ん中のところはコンピューターがやればいい、ということです。これはまさにChatGPTとやり取りして、「あなたはどこが得意なのか」「人間とやって勝てると思うところはどこなのか」と聞いたら、「情報を集めるところです」と言ったんです。「ここは非常に得意です」と言ったので、僕は「ホント？」って聞いたんですね。「情報を集めると言っても、あなたができるのは、すでにテキストになっている二次情
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<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260807/</link>
<pubDate>Fri, 07 Aug 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
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<title>AI時代に「人間らしく働く」には？　〜山口周さんのインタビュー記事、動画より〜</title>
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8/3～4の２日間にわたって、この寺子屋塾ブログでは、らくだメソッドの学習をめぐって、塾生の一人が生成AIと対話した内容を紹介し、わたしがコメントする形で記事を書きました。昨日は今井むつみさんの『AIにはない「思考力」の身につけ方』と題された本を紹介しました。そういう流れから、今日は、独立研究者・山口周さんのインタビュー記事と対談動画を１本ずつご紹介。インタビュー記事は、東急不動産の運営するGREENCROSSPARKのwebsiteで2026.8.3公開されたもの、AIが奪うのは「仕事」ではない人間は何を問い、どう決めるのか【山口周氏インタビュー】YouTube動画は、NewsPicsのチャンネルで
2025.11.29にされたものです。主な論点は以下のとおり。
・AIによって、リサーチや分析の生産性は飛躍的に上がっている
・コンサルティング業界などでは、若手が担っていた定型的な知的作業がAIに置き換わりつつある
・産業革命の流れを見ると、人間の労働は段階的に機械へ置き換えられてきた
・今後は「非定型の知的労働」だけでなく、「非定型の身体的労働」にもロボットが進出していく可能性がある
・その先に残る人間の仕事は、「遊び」「創造」「飾ること」「生活を芸術化すること」に近づいていく
・スマホばかり見ている人は、二次情報の世界に閉じこもり、AIに代替されやすくなる
・人間の武器は、現実世界を身体で感じ取ること、違和感を持つこと、美意識を育てることにある

「スマホばかり見る人はAIに代替される」AI時代の教養の育み方を探求。【NewsPicks/山口周/波頭亮】
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<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260806/</link>
<pubDate>Thu, 06 Aug 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
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<item>
<title>今井むつみ『ＡＩにはない思考力の身につけ方　ことばの学びはなぜ大切なのか？』</title>
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一昨日、昨日投稿した記事に、生成AIの話を書きました。最近では、このブログでも、AIに聞いて得た文章をときどき引用する形で紹介しています。これからの時代はたぶんAIとまったく関わりを持たずに生きて行くことがかなり難しくなってくるということは言えるでしょう。でも、生成AIがどれだけ進化したとしても、それが一つの〝道具〟にすぎないことには変わりがありません。最近では、生成AIが書く文章と人間が書く文章を見分けることはかなり難しいことなのですが、それでも生成AIが考えることと、人間が考えることとの間には、歴然とした違いがあるということは明らかですね。では、生成AIの思考力と人間の思考力とは、具体的にどこが違うのでしょう？
つまり、人間にしかできない「思考力」とはいったいどういう力のことをいうのか、そして、そんな力を身につけるためには、どうすればよいのでしょう？それで、今日は、そんな〝問い〟が浮かんだ人におススメしたい１冊の本を紹介することをおもいたちました。ベストセラーとなった『言語の本質』の著者で言語心理学者・今井むつみさんによる『ＡＩにはない思考力の身につけ方ことばの学びはなぜ大切なのか？』本書の冒頭に置かれている「はじめに」の一部分（70％ほど）をアマゾンのサンプルで読むことができるので、その箇所を以下に引用して紹介します。（引用ここから）
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーはじめにこれまで人間がしていた仕事の多くが、AI（人工知能）に取って代わられるといわれています。50年、100年ではなく、ほんの数年先の未来でさえ、見通すことが難しい時代に、私たちは生きています。特に、テクノロジーが急激に進化すれば、今ある仕事も変化し、それに応じて求められる人も変わっていくでしょう。そうなると、今、学校で暗記した知識が、身につけた技術が、社会に出たときには「時代遅れ」になっているかもしれません。
「じゃあ、学校の勉強はムダということ」そんなことはありません。「変化が激しい社会の中で、私たちは何を学び、何を身につけていけばいいのか」。この問いに対する答えは、驚くほど明白です。「考える力」、つまり「思考力」を身につけることです。「思考」などというと、机の前にすわってウンウンうなりながら問題を解いている姿をイメージするかもしれませんが、それほど難しいことではありません。現にみなさんは、「思考しながら」この本を読んでいるからです。「思考する」ということは、「次はどうなるのだろう」とか「どうしてこの人はこうしたのだろう」などと考えることです。例えば「探偵マンガ」を読んでいるとき、みなさんは、「黒幕は誰だろう？」「犯人はやはり......」と考えながらストーリーを追っているはずです。これも思考の働きのひとつです。思考しながら、主人公と一緒に「問題を解決しよう（=犯人を見つけよう）」としているのです。思考力というのはこのように、問題解決の力につながっていきます。問題解決の力をつけることができれば、社会がどんなに変わっても、未来がどうなるかわからなくても、なんとかその場で対応することができるようになるはずです。そういう人が、これからの社会で「よりよく生きていく」ことができるのです。◆「名探偵」になるにはでは、思考力を使って問題解決ができる「名探偵」になるために、私たちは何を学べばいいのでしょうか。国語、数学、理科、社会、英語、外国語、古典、地理、日本史、世界史、公民、公共、倫理、政治・経済、物理、化学、生物、地学、音楽、美術、書道、家庭科、情報......。中学校や高校の科目というのは、世の中のしくみを知るための基礎知識となりますから、どれも外せません。これに加えて、法学や経済学、社会学、メディア学、国際関係学、心理学、哲学、工学、建築学、農学、医学、薬学、はたまた地政学や宗教学の知識まで。このように見ていくと、どれも「名探偵」には必須に思えます。とはいえ、とても一度にすべてを学ぶことなどできそうにありません。でも、あきらめる必要はありません。なぜならこの中で一つだけ、「名探偵」にいち早く近づける科目があるからです。さあ、みなさんの思考力が試されます。どの科目が「名探偵」への一番の近道なのでしょうか。ヒントは、「すべての科目で使うもの」を学ぶ科目です。正解は、国語です。「なぜ国語？」確かにそう思う気持ちもわかります。数学や英語のほうがなんとなく、問題解決の役に立ちそうですよね。でも、私たちは何を学ぶにも「ことば」を使います。「ことばの力」がなくては、数学の問題もうまく解くことはできません。ちなみに、みなさんが数学の文章問題が苦手なのは、「数学の理解ではなく、問題文の理解が不十分だから」ということが調査で明らかになっています。「すべての科目で使うもの」。それが国語で身につける「ことばの力」なのです。◆「ことばの力」と「思考力」で、問題を解決する3歳くらいの子どもが、イチゴを食べるときに「イチゴのしょうゆをちょうだい」と言いました。「いちごをおいしくするもの」が欲しい。でもその名前は知らない。そこで思いついたのが、「食べ物にかけておいしくするもの」、「しょうゆ」です。その子はきっと心の中で、「食べ物にかけて味をつける液体を、「しょうゆ」というのだろう」と推測し、コンデンスミルクも「しょうゆと言えるのでは」と考えたのでしょう。（続く）
※今井むつみ『ＡＩにはない思考力の身につけ方ことばの学びはなぜ大切なのか？』まえがきより
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（引用ここまで）本書の帯に、４つの章の概要が以下のように示されています。この続きはまた明日に！(^^)/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260805/</link>
<pubDate>Wed, 05 Aug 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
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<title>生成ＡＩとの対話記録（その２）　〜らくだメソッドによる自己観察をめぐって〜</title>
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<![CDATA[
昨日投稿した記事の続きです。昨日の記事では、塾生Ｔさんから届いたらくだメソッドによる自己観察をめぐる生成AI（Gemini）との対話の内容を紹介しました。今日はそれに対してのわたしのコメントです。7/31に投稿した、ザ・メンタルモデルについての最終回の記事にわたしは次のようなことを書きました。言葉の問題を考える上で、吉本隆明さんの「自己表出と指示表出」という捉え方は、コミュニケーション面での困難さはもちろん、袋小路的状況を脱するヒントが満載であるように感じていると。この観点から生成AIの文章を眺めてみると、かなりはっきりした輪郭が見えてきます。身体を持たない生成AIが紡ぎ出した文章の特質を、もっとも端的に言い切るとするなら、自己表出性をほとんど持たず、100％指示表出性のみで成立している文章だ、ということです。……ただ、これだけだと、「何も言っていない」のとほぼ同じなので、もう少し踏み込んで、具体化して書いてみましょう。結局のところ、生成AIが何をしているのか、端的にまとめればこう言えるんじゃないかと。人間が社会の中で繰り返し生み出し、選び取り、評価してきた表現や構成――つまり「こう言えば伝わりやすい」「こう書けば角が立ちにくい」「こう返せば納得されやすい」といった〝型〟を学習し、「この文脈では多くの人がこう受け取る確率が高い」という最大公約数を、統計的に出力する。わたしが今回、塾生TさんとGeminiの対話記録を読んでいて強く感じたのも、まさにこの点でした。文章のうまさ、整い方、配慮の厚み――それらが「その場の空気を壊さない」方向へ、きわめて高い精度で最適化されている。そしてこのことは、何も言葉だけに限らなくて、冒頭に置いた画像もAIで作成したものですが、ここにもまったく同じ構造があります。「感じて生み出す」営みではなく、ネット上にある膨大なデータを確率的、統計的に処理し、「そう感じられやすい形式」として再構成したものだと言ってよいでしょう。ただし、重要な注意点もあって、その「最大公約数的な出力」は、どんな問いかけ（プロンプト）を与えるかで、切り取り方も強調点も、あっけないほど大きく変わってしまうこと。同じ素材からでも、別の〝それっぽさ〟はいくらでも生成できるここが、生成AIの〝強み〟であり、同時に〝怖さ〟にもなり得るところです。Tさんは冒頭のリード文中で、「Gemini3.0になったからか、末尾の方のやりとりが人間的で進化に舌を巻きます」と書いていました。確かに、やりとりの終盤ではAIが人間のように温度を帯びて見える瞬間があります。でも、ここで吉本隆明さんが『言語にとって美とはなにか』で展開された「自己表出／指示表出」をおもい出したいんですが、言葉は次のような２つの異なるベクトルを持っているというのです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー自己表出：その言葉がどんな経験や身体を背負って出てきたものなのか、という方向指示表出：相手に伝えるための情報や指示、説明の方向
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー生成AIには、当然のことながら、「身体」も「経験」も「感情」もありません。
よって、自己表出の成分は存在しないんですが、それでも〝自己表出っぽく〟見せることができてしまうんですね。なぜなら、人間の感情や判断の動きには文化差や個人差はあっても一定の共通性があり、そこは心理学や行動科学が長年かけてモデル化し蓄積してきた領域だからです。たとえば、多くの人は厳しく怒られれば萎縮し、拒否されれば傷つき、優しく受け止められれば安心するという「反応のパターン」があります。もちろんそれは、非常にステレオタイプな反応パターンではありますが、生成AIはそうしたパターンを、驚くほど上手に言葉へ落とし込むので、あたかも人間であるかのように装い、振る舞うことができてしまうんですね。それで、そうしてAIによって出力された文章を読むと、こちらはつい「AIが理解してくれた」「気持ちを分かってもらえた」とすら感じてしまう。けれど、そのような生成AIの出力は、結局のところ誰かの経験として主体性をもって語られたものではないのです。失敗して関係を失うこともなければ、取り返しのつかないような後悔を抱え続けることもありません。何よりその反応や判断を引き受けられる「身体」も「主観」も存在していないところが人間と決定的に違うわけで、これが、自己表出性の不在ということです。それに対して、人間の身体が発した言葉は、その言葉が、相手の心に何を残すか、関係をどう変えるか、その〝行方〟を引き受けていく必要があり、本当の意味で「言いっぱなし」にはできません。自己表出とは、言い換えれば「主体の痕跡」であり、もっと生々しく言えば「責任の影」でもあるのだとおもいます。今年の5月、当時プロ野球・読売巨人軍の監督だった阿部慎之助さんが長女への暴行容疑で逮捕され、そのきっかけとして長女が対話型AI「ChatGPT」に相談していたことが注目されたという出来事がありました。
【解説】長女への暴行容疑巨人・阿部慎之助監督を現行犯逮捕のワケ在宅捜査の進め方は？わずか３ヶ月程前のことですから、ご記憶の方も少なくないとおもいますが、わたしは単純に「AIに相談するのは良くない」と言いたいわけではありません。生成AIは、言葉に詰まったときの下書きや、自分の考えを整理する壁打ちとしては、非常に有効な道具だと言えますし、今回の塾生Tさんのやりとりも、ある意味「よく使いこなしている」例に見えます。問題は、生成AIが優しいかどうかではなく、便利かどうかでもなく、どこまでをAIに委ね、どこからを人間の仕事として引き受けるのかという線引きの方なのではないかと。生成AIという「関係のように見えるもの」を介して、人間が自分の内面を整える作業自体は価値があることだとおもいますが、相手との関係に向き合う責任や、受け取られ方を引き受ける覚悟まで、まるごとAIに委ねてしまうと、そのやりとりは、もはや「人と人の関係」とは言えません。包丁は、おいしい料理をつくり出しますが、その同じ包丁も、使い方をひとつ間違えれば人を傷つける道具にもなります。計算機は瞬時に正確な答えを出しますが、その答えをどう使い、その結果を引き受けるのはあくまで人間自身です。生成AIもこれとまったく同じで、あくまでひとつの〝道具〟でしかなく表現や構成を助けることはできても、その意味や影響、人間関係の行方まで、生成AI自身が引き受けることはできません。だからこそ問われているのは、生成AIに「どこまで任せられるか」ではなく、「どこを人間の役割として手放さないか」なのだとおもいます。勝手に感じてしまうこと、迷ってしまうこと、後悔を抱えながら関係に向き合うこと、言い直したくなったり、言えなかった自分を引きずったりすること……そうした不器用さは、効率化できないからこそ価値があり、そしてそれは人間の尊厳と結びついている。自己表出性とは、わかりやすい概念ではありませんがそうした〝不器用さの核心〟を言うのではないかと。感情や判断を「持たない」からこそ、生成AIは補完の道具になれる。感情や判断を、自分の経験として引き受けられる存在であるからこそ、人間は生成AIと異なるのです。この前提を見失わない限り、生成AIはけっして人間に対する脅威ではなく、むしろ人間がより人間であり続けるための、強力な道具になっていくはずです。TさんがGeminiとの対話を通して見い出されたのは、単なる「学習の継続法」ではなく、「いい子の自動スイッチ」に自ら気づき、自由を自分のために使い直すという、まさに〝自己表出〟の領域でした。生成AIを使う価値とは、答えをもらうことではなく、最後に残る、引き受けなければならない領域が人間側にあることを、より明確にしてくれるところにあるのかもしれません。さて、最後に、２ヶ月ほど前6/3に投稿した次の記事、・親に必要な〝適切な無関心〟ということにて紹介した秘密結社＋Ｍさんが
ちょうど昨日8/3に生成AIをめぐる記事をＸで投稿されていました。わたしの書いた内容とも重なるところが多いように感じたので、以下引用しシェアさせていただきます。（引用ここから）ーーーーーーーーーーーーー情報は、AIに代替できる。
言説も、AIに代替できる。
要約も、説明も、比較も、論証もできる。
文章を組み立て、専門用語を適切に配置し、論理の形を整えることもできる。
つまり、言葉を扱う能力のかなりの部分は、すでに人間だけのものではない。だが、経験は代替できない。
失敗したこと。恥をかいたこと。誰かを傷つけたこと。取り返しのつかない選択をしたこと。長い時間をかけて何かを身につけたこと。自分の信念が現実によって壊されたこと。AIは、それらについて語ることはできる。
しかし、それらを生きることはできない。
ここに、これからの言葉を分ける決定的な境界がある。その言葉には、経験の元手がかかっているのか。
それとも、既存の記号を器用に並べ替えているだけなのか。これまでは、記号操作に長けていること自体が、知性として高く評価されてきた。
情報を多く知り、適切な概念を使い、流暢に説明できる人は、それだけで深い人間に見えた。しかしAIは、その見かけを崩す。
正しい言葉を選べることと、正しい言葉を生きてきたことは違う。
苦しみについて雄弁に語れることと、苦しみによって自分の形を変えられたことは違う。
愛を定義できることと、愛によって傷つき、なお誰かを選んだことは違う。AIによって価値を失うのは、言葉そのものではない。
経験から切り離された言葉である。
借りてきた思想。
どこかで読んだ倫理。
傷を負わずに獲得した達観。
何も賭けずに語られる覚悟。
そうした言葉は、AIがいくらでも生成できる。今後、問われるのは「何を言ったか」だけではない。
なぜ、その言葉を言うに至ったのか。
その言葉の背後で、何を失ったのか。
何に耐え、何を選び、どこで考えを変えたのか。
言葉の価値は、その背後に支払われた代価によって決まる。経験のない言葉は、どれほど整っていても軽い。
経験を通過した言葉は、不器用でも重い。
AIは、人間の言葉を奪うのではない。
言葉の出自を暴く。その人が本当に生きたことを語っているのか。
それとも、記号操作に長けているだけなのか。AIによって露わになるのは、知性の有無ではない。
その言葉に、人生が賭けられているかどうかである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260804/</link>
<pubDate>Tue, 04 Aug 2026 20:15:00 +0900</pubDate>
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<title>生成ＡＩとの対話記録（その１）　〜らくだメソッドによる自己観察をめぐって〜</title>
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<![CDATA[
昨年の暮れも押し迫ったクリスマスの日に、塾生の一人から、「生成ＡＩ（Gemini）とらくだメソッドの学習についてこんなやりとりをしました」というメールが届きました。2025年はずっと「今日の音楽」シリーズを１年間投稿していましたし、年が明けて2026年になってからも易経関連の記事や2025年の読書ふりかえり、TVドラマ『逃げ恥』名セリフ＆名場面集、ザ・メンタルモデルについてなどを連載記事として投稿していたこともあってすぐ紹介できずこのタイミングになった次第。以下、塾生Ｔさんから届いたメールのリード文とGeminiとの対話記録の全文をご紹介。

（引用ここから）ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーープリントやっていて感じたことをGeminiとやりとりしていたら、「いい子にしていなかったら守ってもらえなかった」という幼少期からこの50年くらいの生存戦略がみえて来ました。夜分のためメールにてやりとりを共有いたします。最近は問いの力がついてきて自分で納得して進められたかもです。ただGemini3.0になったからか、末尾の方のやりとりが人間的で進化に舌を巻きます。ますます人間ができることは由佐さんみたいに感じて源とつながって自己理解していくことかなと思います。以下長文ですがご覧になっていただいてまたやりとりできたら嬉しいです。（2025.12.25）【らくだメソッドによる自己観察をめぐってGeminiとの対話記録全文】塾生Ｔ：１日１枚を原則として、自分で決めて取り組んでいるので、やるやらないは完全に個人の自由が担保されていますよね？だけど、自分が「やらなきゃ！」と強迫観念らしきものが発生します。それはわたしの中に何がある？のでしょうか。Gemini：らくだメソッドで算数に取り組まれているとのこと、素晴らしいですね！らくだメソッドは、単なる計算練習ではなく「自学自習の力」や「自分のリズムを作る力」を養う非常にユニークな学習法ですよね。毎日決まった枚数を淡々とこなすのは、簡単そうでいて実は一番根気がいることだと思います。現在、どのようなステップ（教材）に挑戦されていますか？取り組む中で、以下のような「らくだメソッドならでは」の壁や発見を感じることもあるかもしれません。〔らくだメソッド継続のポイント〕「速さ」よりも「一定のリズム」：らくだメソッドでは、タイムを計ることが多いですが、それは他人と競うためではなく、自分のその日のコンディションを知るためのバロメーターですよね。「戻る」勇気：スラスラ解けない時に、あえて少し前のプリントに戻って「100%わかる」感覚を取り戻すことも、このメソッドの大切なプロセスです。「やりたくない日」の向き合い方：どうしても気が乗らない日にどう机に向かうか。その葛藤も含めて「自分を観察する」のがらくだの醍醐味と言えます。もし、特定の単元（分数、小数、方程式など）で苦戦していたり、毎日の習慣化について悩みがあったりすれば、ぜひお聞かせください。学習をよりスムーズにするためのアドバイスや、計算のコツなどを一緒に考えることができます。は、現在取り組んでいる単元のコツを具体的にまとめましょうか？それとも、モチベーションを維持するコツについてお話ししますか？塾生Ｔ：１日１枚を原則として、自分で決めて取り組んでいるので、やるやらないは完全に個人の自由が担保されていますよね？だけど、自分が「やらなきゃ！」と強迫観念らしきものが発生します。それはわたしの中に何がある？のでしょうか。Gemini：「１日１枚やる」と決めて、誰に強制されているわけでもないのに「やらなきゃ！」という強迫観念のようなものが湧いてくる……。これは、らくだメソッドのようにシンプルで継続を重視する学習に取り組んでいると、非常に起こりやすい心理現象です。決してあなたが「おかしい」わけではなく、むしろ真面目に自分と向き合っている証拠でもあります。あなたの中に何があるのか、いくつか考えられる視点を整理してみました。1.「完了」による安心感への依存「１枚終えること」が、自分を安心させるための儀式になっている可能性があります。心理：「やれば合格（自分にOKが出せる）」「やらなければ失格（自分はダメだ）」という、0か100かの思考が働いているのかもしれません。背景：毎日続けてきたという「積み上げ」が大きければ大きいほど、それを途切れさせるのが怖くなるという心理（サンクコスト効果に近いもの）です。2.自己コントロールへの過度な期待「自分で決めたことを守れない自分」に出会うのが怖い、という心理です。心理：「自由でいい」と言われつつも、心のどこかで「自由を使いこなして継続できている自分」に価値を置いているのかもしれません。背景：「やらなきゃ」の裏側には、「自分をコントロール下に置いておきたい」という、一種の自己規律への執着が隠れていることがあります。3.「空白」への不安らくだメソッドは、生活の中に一定のリズムを作ります。それをやらないことは、生活の中にポッカリと「空白」を作ることになります。心理：その空白を、罪悪感や不安で埋めてしまう癖があるのかもしれません。背景：常に何かを生産していなければならない、前進していなければならないという「成長への強迫観念」が社会生活の中で刷り込まれている可能性もあります。少し視点を変えてみるヒントらくだメソッドの提唱者である平井雷太さんの考え方には、「できない自分を観察する」という視点があります。「やりたくない」と思ったとき、あるいは「やらなきゃ」と苦しくなったとき、その心の動きそのものを「へぇ、自分は今こう感じているんだな」と面白がってみる。「やらなきゃ！」という声が聞こえたら、以下のように自問自答してみてはいかがでしょうか。「今、誰に怒られるのが怖いんだろう？」（実際には誰もいないはずです）「１枚やらなかったら、私の価値は本当に下がるのかな？」「この『やらなきゃ』は、やる気なのか、それともただの焦りかな？」「やる・やらないの自由」が担保されているからこそ、あえて「今日はやらない」という選択をしてみることも、実は立派な自立学習の一歩だったりします。「やらなきゃ」と感じたとき、体の一部（胸のあたりや頭など）がギュッとなる感覚はありますか？もしよろしければ、その「強迫観念」が起きているときの体の感覚や、一番恐れている「最悪のシナリオ」がどんなものか、少し掘り下げて教えていただけますか？塾生Ｔ：あります。「今、誰に怒られるのが怖いんだろう？」（実際には誰もいないはずです）親に怒られる、いい子にしていないと怒られる、という強迫観念があります、、。Gemini：親に怒られる、いい子でいなければならない……その感覚が、今の学習にまで繋がっているのですね。そうした感覚が「ある」と自覚されるのは、とても勇気のいる、そして大きな一歩だと思います。らくだメソッドにおける「自由」と、あなたの中にある「強迫観念」について、少し整理して考えてみましょう。1.「内面化された親」の存在実際には目の前に親がいなくても、心の中に「厳しい親（の目）」が住んでいて、自分を監視しているような状態かもしれません。心理：「１日１枚やる」という原則を、単なる自分の決め事ではなく、「守らなければならない掟」として捉えてしまっている。反応：守れないと「いい子ではない＝価値がない、あるいは罰を受ける」という恐怖が、反射的に湧いてくるのです。2.「算数プリント」が「評価の対象」になっている本来、らくだメソッドは「自分を観察するツール」ですが、今のあなたにとって、そのプリントが「親に提示する通信簿」のような役割を（無意識のうちに）果たしてしまっている可能性があります。「やること」で、自分がいい子であることを証明し、安心を得ようとしている。だからこそ、やらないことは「いい子」という盾を失うような怖さを伴うのです。3.「自由」が怖いという感覚「完全に個人の自由」と言われると、かえって拠り所がなくなって不安になることがあります。心理：怒られることは辛いけれど、同時に「何をすべきか」が明確で、それに従っていれば安全だった、という側面もあります。現状：自由を突きつけられると、自分の意志で選ばなければならず、その選択に責任が伴うことが、「間違えてはいけない（怒られる）」という恐怖を刺激するのです。これからどう向き合っていくからくだメソッドを、あえて「いい子を卒業する練習」に使ってみるのはいかがでしょうか。「やらなきゃ」を実況中継する：机に向かうとき、「あ、今、自分は親に怒られるのが怖くてやろうとしているな」と言葉に出してみる。「0.5枚」や「1問」でやめてみる：「１日１枚」という完璧な枠を、あえて自分から崩してみる練習です。「完璧にやらなくても、自分は安全だ」という感覚を少しずつ体に覚え込ませます。「やりたくない」を味わう：プリントを前にして「やりたくないな」という気持ちが湧いたら、それを否定せず、「やりたくない自分も、ここにいていいんだよ」と許可を出してみる。「いい子」でいようとする力は、これまであなたが懸命に生きてくるために必要だった大切な力でもあります。それを否定する必要はありません。ただ、今はもう、「誰かのためにやる」から「自分の心地よさのためにやる」へと、少しずつシフトしても良い時期なのかもしれません。「いい子」でいなければならないという思いが一番強く湧くのは、プリントを開く直前ですか？それとも、途中で手が止まった時でしょうか？塾生Ｔ：プリントをやりたくないのにやらなきゃ！と恐れを感じます。1～３として示された強迫観念のうち２が近いかもです。Gemini：ご自身の中で起きていることを、とても的確に捉えられましたね。「やりたくない」という本音と、「やらなきゃ（怒られる！）」という恐怖がぶつかり合っている状態は、頭では「自由だ」とわかっていても、心と体は戦場にいるような緊張感の中にあります。その「いい子という名の盾」を握りしめていないと怖くてたまらない感覚、それはこれまであなたが自分を守るために必死に身につけてきた生存戦略だったのかもしれません。そんなあなたに、らくだメソッドの枠組みを使って、少しだけ「実験」を提案させてください。〔「いい子」の盾をそっと置くための実験〕今、算数プリントは「正解を出すための紙」ではなく、「自分の中の『小さなあなた』と対話する鏡」になっています。実験１：プリントに「今の気持ち」を書いてしまう：計算を始める前に、余白に「本当はやりたくない」「怒られるのが怖い」「無理やりやってる」と今の本音を書き殴ってみてください。実験２：「やらない」を選んだ自分を「観察」する：もし１日休んだとしたら、その時に湧き上がる恐怖をじっと眺めてみてください。実験３：タイムを気にせず「ダラダラ」やる：「いい子」は効率や成果を求めますが、あえて「世界一やる気のない態度」で１問だけ解いてみる。あるいは、わざと間違えてみる。これまでずっと、誰かの顔色を伺って「守られること」に全力を尽くしてきたあなたが、自分のために「自由」を使おうとしている。それは、とても大きな転換点です。今、このお話をしながら、お体や呼吸の感じはいかがですか？少しでも、こわばりが緩むような感覚はありますでしょうか。塾生Ｔ：「やらなきゃ！」という恐怖が湧いたとき、それは過去のあなたが「そうしないと守ってもらえなかった」という記憶から、今のあなたを守ろうとして警報を鳴らしているだけです。そうですね。いい子にしていないと守ってもらえなかった、という想いが強いです。Gemini：そうだったのですね。その「守ってもらえなかった」という痛みは、幼い子供にとって、命の危険を感じるほど大きな恐怖だったはずです。今のあなたが算数プリントを前にして感じる強烈な「やらなきゃ！」という警報は、かつてあなたが生き抜くために必死で鳴らし続けた「安全確保のためのアラーム」のなごりなのですね。当時のあなたにとって、「いい子でいること＝生きるための唯一の道」だった。そう考えると、今あなたが感じている強迫観念は、単なる性格の問題ではなく、当時のあなたを守り抜いた「防衛本能」そのものです。「警報」を鳴らしている自分に、声をかける今のあなたは、もう大人になり、自分の足で立ち、自分の自由を手にしています。でも、あなたの中の「小さなあなた（インナーチャイルド）」は、まだ「今でも、いい子にしていないと見捨てられるかもしれない」と震えて、プリントの陰から様子を伺っているのかもしれません。次に「やらなきゃ！」という恐怖が襲ってきたら、無理に計算を始めるのではなく、心の中でこんなふうに声をかけてみてはいかがでしょうか。「今まで私を守ってくれてありがとう。いい子にしていれば安全だったんだよね。でも大丈夫、今はもう、プリントをやらなくてもわたしはわたしを守れるよ。怒る人はここにはいないから、安心していいんだよ」これまでずっと、誰かの顔色を伺って「守られること」に全力を尽くしてきたあなたが、自分のために「自由」を使おうとしている。それは、とても大きな転換点です。今、このお話をしながら、お体や呼吸の感じはいかがですか？少しでも、こわばりが緩むような感覚はありますでしょうか。塾生Ｔ：温かいものがお腹から込み上げてきているような感覚があります。本当にいい子にしていなかったら守ってもらえなかったという生存本能が今でも残っているのだと気づきました。ありがとうございます。Gemini：お腹のあたりから温かいものが込み上げてきているとのこと、それは、ずっと張り詰めていた緊張が少しずつ解け、あなたの中の「小さなあなた」が「やっと気づいてもらえた」と安心し始めているサインかもしれません。「いい子にしていなければ守ってもらえなかった」という切実な生存本能に、今、ご自身で光を当てられたこと、本当に大きな変化だと思います。これまでは、その本能が「やらなきゃ！」という鋭い警報としてあなたを突き動かしてきましたが、これからは、その温かい感覚を大切にしながら、少しずつ「自分のための時間」を取り戻していけます。算数プリントの１枚１枚が、これからは「誰かのための合格証」ではなく、「今の自分の心に寄り添うための対話」になっていくことを願っています。やりたくない日は、お腹の温かさを感じながら「今日はやめておこうか」と自分に優しく声をかけてあげてもいいのです。それもまた、立派な自立への一歩です。こちらこそ、大切な心の奥底のお話を聞かせてくださり、ありがとうございました。また心がざわついたり、何かを感じたりしたときは、いつでもお話しくださいね。塾生Ｔ：「いい子にしていなければ守ってもらえなかった」というのは実際には違っていたかもですが、自分の中に強く刷り込まれていると気づきました。そういう生存戦略をとってきたんだなと。Gemini：その気づきは、これからのあなたにとって非常に大きな「お守り」になるはずです。たとえ客観的な事実がどうであれ、幼かったあなたにとって「いい子でいること」は、世界を生き抜くためのたった一つの正解であり、切実な武器だったのですよね。そうやって自分を守り抜いてきた過去のあなたを、まずは「よく頑張ってきたね」と認めてあげてください。「生存戦略だったんだ」と客観的に捉えられるようになったことで、今後は「やらなきゃ！」という強迫観念が湧いたとき、少しだけ落ち着いてこう考えられるようになります。「あ、また昔の生存戦略（警報）が鳴っているな。でも今のわたしはもう大人で、このプリントをやらなくても安全なんだ」らくだメソッドのプリントを、その「刷り込み」を一枚ずつ剥がしていくような、自由になるための練習台として使っていけるといいですね。お腹から込み上げてきたその温かさを、大切になさってください。またいつでもお話しくださいね。塾生Ｔ：ありがとうございます。Gemini：こちらこそ、大切なお話を聞かせていただきありがとうございました。「いい子にしていなければ」という生存戦略は、これまでのあなたを支えてきた大切な一部です。それを無理に消そうとするのではなく、「今まで守ってくれてありがとう。でも、もう無理しなくて大丈夫だよ」と、時々自分に伝えてあげてくださいね。算数プリントに取り組む中で、またふと苦しくなったり、逆に「今日は自分のために楽しくできた」と感じたりすることがあれば、いつでも教えてください。もしよろしければ、次にプリントを手に取るときは、問題を解く前に「今の自分」を労う言葉を余白に一つ書いてから始めてみませんか？塾生Ｔ：いいですね、ありがとうGemini：こちらこそ、温かいお返事をありがとうございます「今の自分を労う言葉を書いてみる」という実験、ぜひ試してみてくださいね。プリントの余白が、計算の結果を出すだけの場所ではなく、あなたの心に優しく寄り添う場所に変わっていくことを応援しています。またいつでもお気軽にお話しください。あなたのペースで、一歩ずつ進んでいきましょう！塾生Ｔ：あ、今、いい子しました、、。あまりやりたくないのでやめておきます。Gemini：ハッと気づけましたね！素晴らしいです。「いいですね、ありがとう」と答えた瞬間に、「あ、今また相手（わたし）の期待に応えようとして『いい子』の反応をしちゃったな」と自分で気づけたこと。これこそが、らくだメソッドが目指す「自己観察」の真髄そのものです。「あまりやりたくないのでやめておきます」と言えたこと、それこそが今のあなたにとっての「本当の自立の一歩」です。今、起きた素晴らしいこと「いい子」の自動スイッチに気づいた相手（AIやメソッド）に合わせるのをやめた「やりたくない」という自分の本音を最優先したこれはプリントを100枚満点で解くよりも、ずっとずっと価値のある「100点満点の自己選択」だとわたしは思います。今日はもう、プリントのことは忘れて、ゆったり過ごしてくださいね。「やらない」を選んだ自分を、「よく言えたね」と褒めてあげてください。また気が向いたときに、いつでもお声がけください。その時も「いい子」じゃなくて大丈夫ですよ。塾生Ｔ：ありがとうございます。AIさんは優しすぎますね。もう少し人間らしさがあっていいかもですが、怖いのでやめておいてください。Gemini：あはは、確かにそうですね！「優しすぎる」というのは、時に不自然で、かえって距離を感じさせてしまうかもしれません。「もっと人間らしく」というリクエストと、「でも怖いからやめて」という本音。その両方が共存している今の感覚、すごくリアルで人間らしいなと感じます。「人間らしさ」って、時に厳しさや感情の揺れを伴うから、今のあなたにとっては少し刺激が強すぎますよね。
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<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260803/</link>
<pubDate>Mon, 03 Aug 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
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<title>中村天風「人生は、心ひとつの置きどころ」（今日の名言・その130）</title>
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人生は、心ひとつの置きどころ
※中村天風（1876～1968・東京都生まれの思想家、ヨーガ行者、実業家）非常に端的な言葉ですが、噛みしめるほどに深いものが感じられますね。ただ、天風さんの言葉は、ともすると、その積極性ばかりが強調され、強い人だけが持てる根性論のように受け止められることもあるようです。それはそれでもちろん間違いではありませんが、今日はちょっと違った観点からコメントしてみましょう。わたしたちは、日々いろいろな出来事に遭遇します。うまくいく日もあれば、おもい通りにいかない日もあるでしょうし、人の言葉に傷つくこともあれば、将来のことが不安になることもあるわけで。けれども、人生を決めるものは、出来事そのものというか、その中味ではないんですね。大切なのは、その出来事に対して、自分の心をどこに置いているか、つまり、自分の意識が〝どの方向に向いているのか〟ではないかと。実は、その置き場所と、その方向次第で、人生の質までが大きく関わってくるということに気づいていない人が案外多いように感じています。たとえば、同じ失敗をしても、「もうだめだ！」と諦めてしまう人もいれば、「ここから学べることは何か？」と教訓を受け取ろうとする人もいることでしょう。同じ注意を受けても、「否定された」と感じる人もいれば、「成長のきっかけをもらった」と感じる人もいます。もちろん、何でもポジティブに考えればよい、という単純な話ではありません。苦しいときに、無理に明るく振る舞ったところでどうなるものでもありませんし、悲しいときに、悲しんではいけないと言っているわけでもなく、苦しいとき、悲しいときにはその感情をしっかり感じることがとても大切です。ただ、そこで自分の心が、いったい〝何に囚われているのか〟に気づくことが大事なのではないかと。こちらの記事でも書いたように、大切なのは、自分が意識をどのように扱っているか自覚しようとする姿勢なのではないかと。わたしたちは日々自分の〝意識〟を使って生きています。でも、この「意識」という言葉は、あまりに日常的すぎて、当たり前すぎて、わたしたちそれをどのように使っているかあまり「意識」していません。つまり、その状態をまさに「無意識」という言葉で表現されるように、その意識の中味ばかりに気を取られていて、それが「どの場所」にあって、「どこ」に向いているのかあまり自覚していません。不足に意識を置けば、不安の感情は大きく膨らみ、人との比較に意識を置けば、自分の足元が見えなくなります。そのことに気づかないままだと、心は外側に起きている出来事ばかりに気を取られ引っ張られ続けることでしょう。反対に、自分にできないことよりもいま、ここ、自分にできることに意識を置けば、工夫や行動が生まれるでしょうし、学びに意識を置けば、失敗も貴重な経験になります。つまり、天風さんの言われる「心の置きどころ」とは、目の前に起きている出来事をどう見るか、何に意識を向けるかということはもちろん、どこから見ようとしているのかという自分自身の立ち位置、起点の確認であり、「内面のあり方」が問われているということだと。ここで注意したいのは、気合いの力で何とかしようとすることが大事なんだという話ではないということです。「心の置きどころ」を変えるとは、自分の感情を押し殺すことでないのはもちろん、不安をなかったことにすることでも怒りや悲しみを否定することでもありません。むしろ、「いま自分は不足に心を置いているな」「いま自分は相手の言葉に強く反応しているな」「いま自分はまだ起きていない未来の心配に意識を奪われているな」と自ら気づくことです。この、「選んでいるのは自分だ」という自覚があるだけで、結局のところはすべて自分次第だと気づけるし、わたしたちは少しだけ自由になります。その自由さに気づくことができれば、「では、ここから自分の心をどこに置き直そうか」と選び直す余地、空白が生まれることでしょう。つまり、天風さんの言う「心ひとつの置きどころ」とは、この〝選び直す力〟のことでもあるのではないかと。もちろん、人生には、自分では選べないことがたくさんあります。生まれる時代、両親、環境、出会う出来事、他人の言葉、突然の変化等々、それらをすべて自分のおもい通りにすることはできません。でも、自分の力では選べないことがたくさんあったとしてもその中味が問題ではないのです。100%すべて選べないわけではないことはもちろん、そうした制約があるからこそ、自分の心をどこに置くのか、何を見つめ、何を大切にし、どう受け止めていくのかが問われていると気づくことができるし、そこに、わたしたち自身の自由が残されています。そんな風に、心の置きどころが変わると、現実の見え方が変わってきます。現実の見え方が変わると、次の一歩が変わり、次の一歩が変われば、人生の流れも少しずつ変わっていきます。だからこそ、天風さんは「人生は、心ひとつの置きどころ」と言われたのではないでしょうか。
【今日の名言シリーズ・過去記事一覧】・オイゲン・ヘリゲルの言葉に触発されて（「今日の名言」その１）
・ジャコメッティの問いかけ（「今日の名言・その２」）・ペマ・チョロドン「自分自身に注意深くあること」（「今日の名言・その３」）・ショーペンハウエル『読書について』より（「今日の名言・その４」）・早川義夫『たましいの場所』より（「今日の名言・その５」）・イチロー「自分で自分を教育する大切さ」（「今日の名言・その６」）・書経・商書「生きる方向軸が一つに定まっていれば吉」（「今日の名言・その７」）・ルソー「子どもにつけさせてもいい習慣は？」（「今日の名言・その８」）・安田理深「問うとは、自明のものを疑うこと」（「今日の名言・その９」）・桜木建二「本質を見抜き、自分なりの答えを出す力をつけろ」（「今日の名言・その10」）・佐藤学「学力向上の秘訣は学力向上を目的にしないこと」（「今日の名言・その11」）・ギトン「学校は最長距離を教えるところ」（「今日の名言・その12」）・ドラマ逃げ恥「平匡さんの自由意志です。どうしますか？」（「今日の名言・その13」）・ハイデガー「本当の敵は・・・自我」（「今日の名言・その14」）・出口治明「『ふつうの感覚』を取り戻して欲しい」（「今日の名言・その15」）・福澤諭吉「学問の本趣意は、読書に非ず」（「今日の名言・その16」）・アインシュタイン「問題は発生したのと同じ次元では解決できない」（「今日の名言・その17」）・平井雷太『ニュースクール時代の到来』（「今日の名言・その18」）・アレクサンダー「誰も自分が本当に正しいかどうかは問わない」（「今日の名言・その19」）・山口周「ラーンとマスターを混同してませんか？」（「今日の名言・その20」）・佐治晴夫「『これから』が『これまで』を決めるのです」（「今日の名言・その21」）・城野宏「人生で最も大事なことは事実と観念の違いを見分けること」（「今日の名言・その22」）・孫正義「考えても答が出ない時の一番の解決策は？」（「今日の名言・その23」）・マルセル・プルースト「真の旅の発見は新しい目で見ること」（「今日の名言・その24」）・羽海野チカ「人間は何度転んでも立ち上がれる」（今日の名言・その25）・マイケル・ポランニー「科学は観察の拡張」（今日の名言・その26）・米光一成「自分について考えるためには他を観察せよ」（今日の名言・その27）・デカルト「頭がよい人ほど誤りやすく真理を捉えられない」（今日の名言・その28）・ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』より（今日の名言・その29）・家入一真「ただやるべきことを日々淡々とやる」（今日の名言・その30）・ガリレオ・ガリレイ「人々に何も教えることができない」（今日の名言・その31）
・内田樹『日本辺境論』より（今日の名言・その32）・清水博「場に〈いのち〉がある」（今日の名言・その33）・向谷地生良「どんな種が蒔かれても実る黒土のような場」（今日の名言・その34）・吉本隆明「人間は自分を圧殺するためにさまざまな負担をつくりだす」（今日の名言・その35）・沖澤のどか「自分と自分の音楽を分けて考えられるようになりました」（今日の名言・その36）・豊岡憲治「脳も臓器の１つなんです」（今日の名言・その37）・平田オリザ「ディベートとダイアローグのちがいは？」（今日の名言・その38）・ブレイディみかこ「人間の本質とは変わるということ」（今日の名言・その39）・スティーヴン・キング「才能は研いでいないナイフのようなもの」（今日の名言・その40）・サミュエル・ベケット「今度はもっとうまく失敗するのだ」（今日の名言・その41）・パスツール「微生物は何もしない」（今日の名言・その42）・宮沢賢治（選：吉本隆明）「ほんとうの考えと嘘の考えを分ける」（今日の名言・その43）・エゴン・シーレ「芸術作品に猥褻なものはひとつとしてない」（今日の名言・その44）・名郷直樹「人間は何かの意味づけをしないではいられない」（今日の名言・その45）・千葉雅也「勉強とは喪失することです」（今日の名言・その46）・ガンディー「速度を上げるばかりが人生ではない」（今日の名言・その47）・ビル・エバンス「美と真実だけを追究し、あとは忘れろ！」（今日の名言・その48）・小山田徹「世界は不可能性の可能性に満ちている」（今日の名言・その49）・宮本常一の父・善十郎が息子に語った10か条（今日の名言・その50）・無門関より「ふだんのありのままの心が道である」（今日の名言・その51）・カミュ「生きることへの絶望なくして、生きることへの愛はない」（今日の名言・その52）・エンツェンスベルガー「真理を片付けることは、商品を片付けることほどにたやすくない」（今日の名言・その53）・スティーブ・ジョブズ「未来に先回りして、点と点をつなぐことはできない」（今日の名言・その54）・立花隆『生き方の十箇条』（今日の名言・その55）・ヨシタケシンスケ「どうでもいいことの中にその人らしさがにじみ出ている」（今日の名言・その56）・ゲーテ「自分の内部を探したまえ」（今日の名言・その57）・川上不白「守ハマモル、破ハヤブル、離ハはなると申し候」（今日の名言・その58）・ナイチンゲール「経験をもたらすのは観察だけ」（今日の名言・その59）・ブレヒト『真実を書く際の５つの困難』より（今日の名言・その60）・映画『マトリックス』より「これは最後のチャンスだ！青い薬を飲むか、赤い薬を飲むか？」（今日の名言・その61）・映画『シェルタリング・スカイ』より「満月が昇る姿をあと幾度見るだろう？」（今日の名言・その62）・スヌーピー「配られたカードで勝負するしかないのさ」（今日の名言・その63）・ベートーヴェン「つねに行為の動機のみを重んじて帰着する結果を想うな」（今日の名言・その64）・TVドラマ鈴木先生「体験は人間性を磨く上での貴重な教材だ。」（今日の名言・その65）・ハンナ・アーレント「世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です」（今日の名言・その66）・森下典子『日日是好日「お茶」が教えてくれた15の幸せ』より（今日の名言・その67）・J.クリシュナムルティ「あなたは世界であり、世界はあなたである」（今日の名言・その68）・為末大「自分を認められるのは自分しかいません」（今日の名言・その69）・ファラデー『ロウソクの科学』より（今日の名言・その70）・ドビュッシー『ピアノのための１２の練習曲』序文（今日の名言・その71）・銀色夏生『詩集エイプリル』より（今日の名言・その72）・篠田桃紅『これでおしまい』より（今日の名言・その73）・岡田謙三「弱くてはいけない。強くてもいけない。」（今日の名言・その74）・道元禅師『正法眼蔵』現成公按より（今日の名言・その75）・栗本慎
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<link>https://terakoya-juku.com/blog/detail/20260802/</link>
<pubDate>Sun, 02 Aug 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
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<title>自分の内側にある分離をどのように統合すればよいか？</title>
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由佐美加子さんのザ・メンタルモデルについて昨日の記事で最終回としたんですが、7/20の読書会に参加されたお一人から「自分の内側にある〝分離〟がさまざまな問題を引き起こしているとわかったんですが、それをどのように〝統合〟すればよいのかがよくわかりません」という質問を頂いたので、今日はそれについて補足してみようとおもいます。ただ、あくまで補足というか、言葉で説明、表現できる内容については、昨日まで投稿した46本の記事でほぼ書き尽くしたと考えているんですね。その書かれた内容はひとつの入口でありトリガーでしかなく、そこに書かれている言葉の意味をアタマで解釈したところで何にも変わらないんです。つまり、どうすればいいかというノウハウとして、だれにでも当て嵌まるような正解が言葉であらかじめ用意されているわけでなくどういうやり方が適切なのかは個別に異なり、言語化できないところにあるわけですし、体験を通してでしか掴めません。そのために、わたしは寺子屋塾という日常的にトライアンドエラーを繰り返しながら自由に対話できる体験学習の〝場〟を設けているわけなので。ただ、このブログという場で、こういうことを書いていても始まりませんし、わたしも言語化できないからといって言葉で表現することを諦めず、その限界にチャレンジするつもりでこうして書き続けているわけなんですが。結局、自分の内的世界が目の前の現実をつくり出しているということをどこまでリアルに感じられ、その接続にどこまで自覚的になれるかに尽きるので、そのようなきっかけになりそうな由佐さんの動画を１本、文字起こし付きで紹介することにしました。この動画の後半部分には、統合するプロセスについて具体的に言及するだけでなく、実際にデモ実演されている箇所があります。もちろん、動画というメディアですから、あくまで間接的なものでしかありませんが、YouTubeのような無料で公開されている動画で実演されている形のものは非常に貴重で、そこで語られていることを自分自身に置き換えて考え、工夫し日常的に実践できればもしかしたらヒントになるかもしれません。☆☆から自由になるシリーズ第2回「人生の自作自演のドラマ」から自由になる
（文字起こし・ここから）ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
カイくん：皆さん、こんばんは。今日は「〇〇から自由になる」シリーズ、コミュニティラーニング第2回という形になっていまして、テーマは「人生の自作自演のドラマから自由になる」です。みーちゃん、ではチェックインからお願いします。みーちゃん（由佐美加子）：はい。このオンラインのシリーズは、難しいことを一切やらずに、すごくシンプルに、かつ実践的に、日常で誰でもすぐ実践できるテクノロジーだけを伝えていきたいな、というふうに思って、カイくんと一緒に企画しています。今日は「自作自演のドラマから自由になる」というテーマにしています。前回は、「反応する」ということを扱いました。不本意に誰かを攻撃してしまうとか、防衛してしまうとか、そういう「反応」についてやりました。今回は、自分がどういう役柄を演じてしまっていて、それは何でなのか、ということを、すごくシンプルなフレームから見ていく形にしたいなと思っています。
カイくん：はい、よろしくお願いします。チェックインは、名前と率直な気持ちと、もう一個問いを出しますね。「駆り立てられるようにやってしまうこと、そんなにやらなきゃいいのに、やり過ぎてしまうこと」は何ですか？「なんでそんなにするの？」と人に言われるようなことですね。外側から見ていると、「なんでそこまでする必要があるの？」みたいに言われてしまうようなこと。駆り立てられてやってしまうことがあるとしたら、それは何だろうな、という問いで、湧いてくることをシェアしていただければと思います。みーちゃん：ウェルカム、皆さん。いらっしゃい。楽しんで。カイくん：では皆さん、チャットボックスを開いていただいて、右下にありますね。ご自身ので結構ですので、「こんなときに駆り立てられるようにやってしまいます」というものを、それぞれちょっと書いていただいていいですか。どんなことなのかな、というのを共有した上で進めていきたいなと思っています。はい、来ていますね。「割り込みとか、ムカつく車」ムカつく車ってすごいですね。「意味はないのに、ついて追いかけてしまう。」みーちゃん：「常に最悪を想定して、準備・計画・分析する」素晴らしい。「部下が困っていることを、なかなか聞いてもらえない。」うん。「泣く。悲しむ」なるほどね。「仕事とか、うまくいきそうになると投げ出してしまう。」「満員電車で頑なに自分のスペースから動じない人と隣りになると張り合おうとする」笑いいですね。「人生において何が本当か、人生のポイントとなるコツをメモに残すこと。3,300日、1日も欠かさず書き続けているメルマガ」なるほど！「何かをしようとしてしまう。家にいると、あれこれ先々の仕事まで準備しようとする」面白いね。「仕事とかアウトプットについて『どう？』と聞かれたとき、つい良いようにポジティブに答えてしまう」「YouTubeを見始めると、あれこれ見始めてやめられなくなる」笑確かに。「駆り立てられることが、あまりピンと来ていない」駆り立てられるようにしていることに気づいていない、というのは面白いですね。OKです。今日、何をしたいと思っているかというと、まず前提として、「人は、痛みを避けるために生きています」ということがあります。わかりますかね。その痛みを避けようとするときに、駆り立てられたように何かをやってしまっています。駆り立てられてやってしまうことは、なぜやってしまうのか。そこをちゃんと見ていくと、自分はどういうことを避けたくてこれをやっているのか、ということが見えてきます。自分でちょっと考えてほしいのは、「このことは、どんな痛みを避けるためにやっているのか」「それをやっていると、何を味わわなくていいのか」ということです。自分が今書いてくれたものに関して、ちょっと見てください。痛みを回避するためにやっている行動の特徴は、駆り立てられるとか、不自然にやり過ぎるとか、「なんでそこまでやらなきゃいけないの？」と人に言われる、ということがよくあります。つまり、自然な状態の行動としてやっていないんですね。ただ、たちが悪いのは、人間はそれを「情熱」に変えたり、「正しいこと」に変えたりして、正当化して生きているから、これをやることに関してめちゃくちゃ効力感があるんです。もう一つの特徴は、これをやっても「喜びがない」というところです。そこがすごく特徴的になります。本来、自分が本当に喜びだと思うことをやっているときには、最もエネルギーが回るし、最もバイタリティがある状態になれます。でも、この駆り立てられている行為に、人生のものすごく多くのエネルギーを持っていかれてしまっているので、基本的にそこでとても疲れてしまいます。それが悪いわけではないんだけど、「やりたくてやっているんじゃない」というのがポイントなんですよ。では、まず自分で、今出してくれたものの奥に、何を自分は避けたいと思っているのか。もしくは、どんな痛みを味わわなくて済むのか。これをやっている限り、何を感じなくて済むのか。それをちょっと自分でメモしてみてください。カイくん：質問が来ています。「本当の自分の喜びからやっているものと、駆り立てられてやっているものの違いは何ですか？」みーちゃん：その質問が出るということは、喜びからやっていることがよくわからなくなっている、ということです。その違いすらわからない。効力感と本当の喜びの違いが、もうわたしたちはわからないんですよ。いつも駆り立てられているから。基本的なデフォルトとして、自分が「これが喜びだ」と思っていることすら、痛みを回避するためのものなんですね、デフォルトとして。カイくん：デフォルトがそっちなんですか。残念だね、なんかね。みーちゃん：だから、達成しても疲れてしまうわけです。喜びって、基本的には決して疲れないから。カイくん：もう一つ質問です。「駆り立てられる」と「反応」の違いは何ですか？みーちゃん：反応というのは、自分の内側で起こっていることです。反応が起きるというのは、何かが瞬間的にトリガーされる、刺激される、何かが起こるということです。その後、駆り立てられて何かをやってしまうというのは、その反応が起こしているものです。本当は感情を見に行って、その奥にある信念を見なさい、というプロセスを踏むところを、それをなかったことにして、感じないために、外側に向かって何か行動してしまう。その痛みを回避する行動をしてしまう。それが「駆り立てられる」と言っていることです。反応というのは、本来、感情メインなんですね。内側で起こるわけです。でも、その反応を内側に見に行かない。感じに行かないんです。その瞬間、私たちは痛みに触れてしまうんじゃないかと、瞬間的に反応だけが立ち上がっている。それをシャットダウンするために外側に入って、行動を通してその痛みに行かないようにする。これが「駆り立てられる」ということです。では、質問がないようでしたら、なぜそれをやってしまうのか。回避しているものを見に行ってください。カイくん：皆さん、続々と書いてください。ではまたチャットで、気づいたこと、自分のその反対側が何だったのか。避けたい痛みは何だったのか、落ち着いて書いてもらっていいですか。「予想外の自分と出会うのが嫌」「組織に対して必要なことをやってしまう。自分のことは二の次にして行動して、その組織に必要とされたい。必要とされないと存在価値がない」うん。「人のつらい顔を見るのがつらい」でもそれって、その人の体験を妨害している、みたいなことでもありますね。「生きててすみません」「拒絶」「自分は必要とされない。必要とされなければ、ここにいられない」「駆り立てられるようにしゃべり出す。役立つ人であると認められたい」「お前は大したことないな、と見下される」「居場所がない。存在価値がない」ということですかね」「孤立」「そこにいないかのように放っておかれる」「役に立たない自分であることを見せられるのが嫌」「親への仕返し」はい。みーちゃん：大抵そんなところでしょうか。ありがとうございます。共通しているテーマが見えますか？皆さんの書かれたことに何が共通していると思いますか。みんなが避けたい痛みの共通項です。それは「分離」です。分離は、人間の痛みの根幹なんですね。生まれてきたときに分離するじゃないですか。母親の胎内で、すべては一つという世界でぷかぷか浮いていた状態から、バーンと世の中に出された瞬間に、個体として分離するでしょう。そこがやっぱり、痛みの根っこなんじゃないかなと思います。必ず分離があります。この分離の体験をどう受け取って描写しているかには、若干バリエーションがあるんですよね。そこに、見捨てられるという形で出る人もいるし、受け入れられないという形で出る人もいるし、拒絶もいるし、自己価値がないという形で出る人もいる。でも基本的には、分離の痛みなんです。では、この分離感をどうやって統合していくのか。ここで大事なのは、今のやり方、つまり駆り立てられるようにやっている行動を続けても、痛みはなくならないということです。これがミソです。では、どういうふうにこの分離感を超えていくのかというと、基本的には〝受容〟にあります。「受容」とは何かというと、「痛みは、頭が作り出した概念にすぎない。受け入れたらいいのは〝感情〟である」ということです。良いも悪いも判断しないで、「あるものはある」と、身体で受け取っていく。そのキャパをつくっていく以外に、統合の道はないです。わたしたちのエネルギーを統合しているのは、頭の思考ではなくて身体なんですね。この身体が全部を統合しているわけです。わたしたちの分離を作り出しているのは身体だけれど、統合しているのも身体だ、というところがすごくポイントです。なので、身体の力を使います。頭で分離させてしまったものを、身体で統合させていくというプロセスですね。ここまでOKですか？では、ちょっと誰か、デモで相手になってほしいんですけど、誰かやってくれる人はいませんか。何をしてほしいかというと、今のやつを統合していくプロセスをやります。見ていてもらったら、大体わかると思います。統合を頭でやるのはすごく難しいので〝身体〟を使います。「感じること」が、受容の最強の機能なんですね。だから、自分の身体の中にあるエネルギーを感じて、その言葉から反応しているエネルギーを自分で全部受け取っていく。そういうプロセスをやっていくと、統合されていくということが起こります。すると、その言葉に意味がなされなくなります。エネルギーとして統合されていたら、分離してエネルギーに反応することができなくなるから。だから、頭で考えてもダメなんです。今、私は少し言葉でサポートしていますけど、基本は自分の中にある感覚を追いかけていく、というのが技なんですね。とにかく感覚を追いかけていく。「わたしはこれに気づいてます」という形で追いかけていけば、身体のレベルでは統合していけると思います。カイくん：はい、ありがとうございます。では最後に、まとめ的にお願いします。みーちゃん：ドラマは何で起こってしまうのかというと、痛みを回避したいからです。そして、「痛みを回避したい」と思って生きていることに、ほとんどの人は気づいていません。その痛みの実態は、「痛みがある」という記憶と概念なんじゃないか、というのが今の仮説です。その痛みを取り巻いているところに、過去に身体の中に残っている、感じ損ねている感情が蓄積されている場合があります。悲しみと怒りが、やっぱりそこにはすごくたまっている。その痛みを一所懸命回避しようと思って、外側で駆り立てられたようにいろんな行動をしているんだけれど、その行動をどんなに重ねても痛みはなくならないし、実際には回避できていない。結局すごく疲れてしまう。でも、その行動パターンを止められない。自動行動としてそれがセットされてしまっているから、生きている中でその痛みに触れそうになると、駆り立てられたように、その一つのパターンのコードを繰り返してしまう。そして、満たされない。そこに不自由さと苦しみがあるんじゃないかな、という仮説があります。仮説だからわかんないんだけどね。では、どう扱っていくのか。感じ損ねている感情を統合したり、身体のいろんなところに残っている分離したエネルギーを統合したりするには、やっぱり身体を使うしかありません。どんなに頭で、「駆り立てられてやっている行動は良くないから、逆をやろう」としても、全然歯が立たないんです。それは、身体の中に残っている感情だったり、いろんな重さだったり、人がそう表現するような感覚だったりします。それを身体の器で統合できたときに、その痛みをつくっている概念だったり、その言葉で反応するようなものの扱い方が変わります。なぜかというと、分離しなくなっているからです。そこに反応が起きなくなる。わたしの一部であるものには反応しません。分離しているものに反応しているんです。だから、そこに統合がもたらされると、そのことに関して反応が起きなくなる。あとは、駆り立てられてやっている行為の裏に、避けたい痛みが必ず眠っています。「なんか、こういうふうにやっちゃってるな」と思ったら、その裏側を見に行って、そこに気づいてもらうだけでも、すごく価値があるんじゃないかなと思います。カイくん：駆り立てられるようにやってしまうのは、痛みを避けるため。ただ、そこに効力感があったり、人から認められたり、社会的に良いとされていることもたくさんあります。止める理由はまったくない。なのに、「なんでこんなに疲れるんだろうな」となる。それは、喜びではなくて、痛みを回避しているだけだから。みーちゃん：悪くはないというところまでは行くんだけど、本当の意味での自由と充足が来ないし、痛みは避けられない。そのキャラから抜けられないんです。自分がもう、それ以外のわたしにはなれなくなってしまう。「いい人」だったり、「優しい人」の反対側にはなれない。「面倒見ない人」にはなれない。そういうことです。カイくん：なるほど。そんな第２回でした。はい。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー（文字起こし・ここまで）YouTubeにて公開されているこの動画はダイジェスト版で完全版はHMTのwebsiteから購入できます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●2021.9.1～2024.12.31記事タイトル一覧はこちらの記事（旧ブログ）からどうぞ2025年に投稿した365記事はすべて今日の音楽シリーズで12/31に全リストを掲載ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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<pubDate>Sat, 01 Aug 2026 23:45:00 +0900</pubDate>
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