寺子屋塾

「家族」って何だろう?(26年前に書いた原稿から)

お問い合わせはこちら

「家族」って何だろう?(26年前に書いた原稿から)

「家族」って何だろう?(26年前に書いた原稿から)

2023/05/17

今週の月曜、5/15に

中村教室にいたときのことなんですが、

教室にやってきていた塾生のひとりから、

「家族とのコミュニケーションについて

 留意することって何かありますか?」

という質問を受けました。

 

ちょうどこのblogでは、

インタビューゲームのことを話題に、

8回にわたって記事を書いた直後のことで、

その記事のことも話題にしながら

直にやりとりしていたときのことですから、

(その2)のblog記事で、

インタビューゲームとは、

端的に言ってしまえば、

「対幻想の概念を実地のプログラムに

落とし込んだもの」と書き、また、

「個人幻想」と「対幻想」と「共同幻想」とは

次元が異なるものなので、

個人幻想の側に引き寄せてしまうのでも、

かといって、共同幻想の側に

呑み込まれてしまうのでもなく、

「自分が聞きたいこと」という個人幻想や、

「このようなシチュエーションであれば、

こういうことを聞くべきだ」という共同幻想を

いったん脇においた上で、

目の前の人とちゃんと向き合って

「聞くこと」を実践するということ

書いてはいたので、

少なくとも、対幻想的なやりとりというのが、

どういうコミュニケーションを言っているのか

というのが、

それを読んだ人には

ほとんど伝わっていないということだけは

わかったのでした。(^^;)

 

また、番外編3として書いたblog記事では、

今の日本に蔓延しているのは、

スキルや能力の問題でなく、

社会状況の側から、

理解することや理解し合うことを

強要されていることに

多くの人が気がついていなくて、

そもそも理解ということ自体が幻想であり、

理解することや理解し合うことが

誰にとっても良いことで必要だという

錯覚やおもい込みに過ぎないことを、

無自覚のウチに大前提としてしまっているために

起きている問題 

ということや、

目の前の人と〝対話〟するためには、

自分のなかにある

「こうすればいい」という正解を

捨てないとできない 

ということ、そして、

対話的な関係性の構築っていうのが、

いまの日本においては、

ほとんど成り立っていない

ということも書きました。

 

さらには、そしてなぜそうなのか、

その理由も、その記事中にシェアした

オリザさんが書かれた記事の中に書いてあります。

 

でも、(その3)のblog記事で書いたように

ふだんから、

本当は自分がどうしたいかっていう本心に

自覚的でいようとすることと、

言いたいコトをちゃんと言うこと、

つまり、自分がどうしたいか、そして、

自分が相手にどうして欲しいかを明確に伝えた上で、

その結果、相手がどうするかについては

相手の自由意志に任せる ことというのは、

たとえ、そのことがいかに大事なことであるか

アタマでわかっていたとしても、

実践は言葉で言うほど易しくありません。

 

これも記事中に繰り返し書いたことで、

寺子屋塾で学習テーマとしている

根幹部分に関わることでもあるんですが、

「わかる」と「できる」は全然別のことですから。


それで、その塾生とやりとりするなかで、

1997年11月につくった

『楽々かわらばん31号』で〝家族〟をテーマに

原稿を書いたことをおもいだしたのです。

 

寺子屋塾を創業して3年経った頃ですから

今から26年前に書いた古い原稿ではあるんですが、

そこにわたしが書いた内容自体は、

いま読んでみても

決して古くないように感じられたので、

今日のblogでは、「家族」って何だろう?と題した

その全文をご紹介することにしました。

 

また、このように、いまわたしが教室で塾生たちと

具体的にどんな対話をしているかという話は、

対幻想的なかかわりの実践を示すことにも

つながるように感じているので、

しばらくは、

対話やその周辺にあるテーマに関わる記事を

書いていく予定でいます。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「家族」って何だろう?
毎日書くと決めたのは1994年12月のことでしたから、かれこれ3年になります。今まで何度か書けない状態に陥ったのですが、その度に大きな気づきがあって、今年の5月以降は書けなくなることなく続いています。 現在、書いている考現学を約30名の方にFAXで発信し、その中の半分ほどの方々とは、相互に交換しているのですが、その中の一人である松尾晃子さん(すくーるあみん主宰)から少し前に届いた考現学を、松尾さんの了解を得てご紹介します。

 


8月5日付けの考現学で「私は、夫婦や家族などが距離が近くなればなるほど自分の思いが伝えにくくなってしまうようなのだが、いったいどういうことなのだろうか?」と書いたら、8月5日付けの三好麻里さん(すくーるかえる主宰)の考現学に「家族だからこそ、自分のすべてをさらけ出せないということはだれにでもあるように思うのだが、いかがだろうか?家族というシステムの中では、一定の役割というものが期待されていて、その中に入った途端に、常にその役割を演じざるを得ないような気がするのだ。でも、それは決して悪いことではないような気がする。そういう束縛があるからこそ、そこから自由になりたいと心底望んだとき、家族から自立して、私を生きることができるようになると思うからだ。そういう束縛が通過儀礼のように思う」と書かれてあった。

 

これを読んで、自分が親の元で子どもであった頃や、夫の元で妻であった頃のことを思い返してみた。すると私は親からの束縛をほとんど受けていないことに気がついた。つまり、私は子どもや夫に束縛されることを望み(母や妻という役割を演じ)、それを自分の自立への通過儀礼にしたかったのかもしれないと思えてきた。ということは、夫の存在は私が自分を生きるために必要不可欠な存在だったということか。ウーン、なんだか複雑な心境だなぁ。でも今の自分の子どもに対する日々の接し方を振り返ってみると、自分の存在が子どもの自立への通過儀礼のために必要なものだと思うと、何だかホッとしてしまう部分があるのは確かだ。しょせん親が子どもにできることは、通過儀礼としての束縛ぐらいのことかもしれないな。そう考えると、家族というのは一種の「※タガ」のようなものかもしれないと思えてくる。家族という「タガ」を背負うことで、より自分自身が際立ってくるということなのだろうか。(1997.8.7)

 

※井上による註:「箍(タガ)」とは「桶(おけ)のまわりの輪」のことを指す。「枷(カセ:押しつけられた不自由な制約)」とよく混同されがちだが微妙に違い、桶に箍がなければ桶でなく、箍とは制約に見えてその実、桶を桶たらしめているもの。慣用句として「箍を締める」「箍が緩む」「箍が外れる」のように使われる。 たとえば、俳句のルール「五七五の十七音」「季語を入れる」は、いわば俳句のタガ。タガをカセと捉えると窮屈だが、タガがあるからこそ俳句となり、言葉の芸術たり得る。

 

 

松尾さんの考現学を読みながら、「家族というものは一種のタガのようなもの」「家族というタガを背負うことで、より自分自身が際立ってくる」という部分にピンとくるものがあったので、これをテーマに考えてみました。


自分の場合も、1992年に上京し親元を離れて一人暮らしを始めたことが人生の一つの節目となったようです。それ以後は親を今までと違う目で見るようになったからです。親からの愛情にあまり恵まれずに育ったと勝手に思いこんでいたところがあったのですが、実はそうではなくて、両親が自分に示す愛情と、自分が両親に求める愛情が、単に食い違っていただけだったと気づいたのです。親に甘えて育ったわたしでしたが、自分から親元を離れてみて、むしろ両親の方が子離れしていないことが見えて来たのです。

 

しかし、その両親も昨年亡くなってしまいました。二人とも病気が原因でしたが、振り返ってみて、心の奥底では「死んでもいい」という気持ちがあったのでは、と思うことがあるのです。高校時代から大きな病気をしたり、大学受験に失敗したりして、両親にはさんざん心配をかけてきたのですが、そんなわたしも結婚して子どもも生まれ、まだまだ軌道に乗っているとまで言えないにしても、仕事もそれなりにやれていて、親として心配する材料がなくなったわけです。 両親にとって子どもの存在はとても大きかったのでしょう。これといって子どもの他に生きがいがなかったのか、両親は、病気を克服してこれ以上この世にとどまる理由が見いだせなかったのかもしれません。ですから、両親が子ども以外に生きがいとなるようなものを見つけていたなら、あるいは自分がもう少し親不孝を続けていたなら、もう少し長生きしてもらえたかもしれません。

 

子どもが親から離れて、親から自立するということは、親という存在を必要としなくなるということです。なくては困るし、あっては入るときに困るということで、親というのは「風呂のフタ」のような存在だろうかと思ったりもします。わたしが中学生の頃、猫を飼っていたことがあるのですが、人間以外の動物の場合はもっとはっきりしていて、子どもが成長すると、親は子どもが寄りつくことすら嫌うようになり、 自分から離れていきます。子育ては子どもの自立を願うものですが、子育てをする自分が不要になることが最終の目的であるという矛盾を抱え込んだ営みとも言えるので、親というのは悲しい存在だと思う人もあるでしょう。しかし、自分はそうは思いません。子どもが自立し、親という存在を必要としなくなったときにこそ、それまで親子の間でどのような関係を結んできたかが問われると思うのです。親子としてではなく人間としてお互いの存在を認め合い、尊敬できる間柄であったならば、子どもが自立してしまったからと言って生きがいを失ってしまうようなことにはならないように思うのです。

 

さて、こんなことを書いている自分も、いつの間にか二人の子どもを持つ親になりました。妻にとっては夫という立場にあり、自分にとって家族とは何か?子どもや妻との関係をどのように築いて行けばいいのか、そして、自分の役割とは何であるかなど、日々生活の中においても考えさせられることがしばしばです。妻がこの9月に次男を出産し、3ヶ月ほど前からは、自分で食事を作ったり、長男の面倒を見たり、風呂に入れたりなど、仕事の時間が制約を受けるようになりました。

 

そんな時に「家族のために仕事をしているのだから家族が大切」と考えてみても、「やっぱり自分にとっては仕事が第一」と考えてみても、結局どちらも「子どもがいるから仕事ができない」「仕事があるから子どもの面倒を見てやれない」という言いわけになってしまい、妻と何度も衝突しました。お盆休み明けはピークで、妻も出産を控え精神的に不安定だったこともあってか、自分もストレスで一時は誰とも口をききたくないほど落ち込んで、マイナスの想念をたくさん抱えている自分の姿を見せつけられました。また、次男の出産後、妻の入院中に、長男の晶雄が夜中に家から突然いなくなって警察に保護されるという事件が起き(次の新聞記事参照)、親の役割など色々考えさせられました。

 

こんな出来事の中で、「家庭をとるか仕事をとるか」という二者択一で考えるのではなく、いずれも自分が決めて自分が選んだかけがえのないものであることに気づかされ、いつしか「家族がいるから仕事も楽しくできる」「仕事があるからこそ家族と過ごす時間も大切」と自然に思えるようになり、今は気持ちがずいぶん楽になりました。


自分は、子どもや妻のためだけに仕事をしているのではありませんし、何かの主義主張のためでもありません。自分が本当にやりたいこと、やるべきことは何かと探し求めていた時期もありましたが、今はしていることが自分にとってのやりたいことと考えるようにしています。家族のためと思って、本当はやりたくない仕事をやっていると考えることは、家族の側からすれば負担でしょうし、どこかに無理があります。ですから、何かのために別の何かを犠牲にするような生き方はしない、と自分が決めることから始めようと思うのです。

 

目の前の人、隣の人という身近な人々との関係を考える中に、大切なことがたくさんあるように思うのですが、皆さんはいかがですか?

 

※『楽々かわらばん』第31号(1997.11.20発行)より転載

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
寺子屋塾に関連するイベントのご案内

 5/20(土) 未来デザイン考程ワンデイセミナー

 5/21(日) 第22回 経営ゲーム塾B
 5/27(土)『世界は贈与でできている』読書会 第9章

 5/28(日) 第12回 易経初級講座
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。