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古典とわたしたちのつながりを俯瞰すること

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古典とわたしたちのつながりを俯瞰すること

古典とわたしたちのつながりを俯瞰すること

2023/01/29

日曜は古典研究カテゴリーの記事を投稿していて、

主に論語や易経、仏典という

2000年以上前の作品をとりあげてきました。

 

また、昨年2月からは、

このように曜日別にカテゴリーを分けて、

原則そのカテゴリーに沿って投稿するスタイルで

やってきたんですが、

全体の記事バランスを意識することや、

わたしが書きたいことばかりを

書いてしまうことにならないように

ある程度の制約を設けておきたいといった、

当初の目的についてはほぼ達せられたように

感じていることもあり、

開始してからちょうど1年を迎える今月末にて

一応この曜日別の投稿スタイルは

ひと区切りつけようと考えています。

 

詳しくは、1月末日に投稿を予定している

月間記事タイトル一覧とふりかえりの記事で

書くつもりでいるんですが、

そのタイミングで、blog記事のカテゴリー分けも

若干見直すことになるかもしれません。

 

それで、今日これから書こうとしている記事は、

そうした古典と呼ばれる作品の

内容自体に関してのコメントではなく、

古典作品やそうした作品の成立に関わった

孔子、釈迦といった人々の存在と、

それ以後の時代を生きてきた多くの人々の

遺してきた足跡、作品、そして、

こんにち生きている

わたしたちとの〝つながり〟についてがメインです。

 

このような、古典とこんにち生きる

わたしたちとの〝つながり〟という内容の記事を

書いてみようとおもった直接の発端は、

1/24に投稿した記事
「見えた 何が 永遠が 〜立花隆 最後の旅 完全版〜」
を見ました
 に、人間の知識の体系が、

竹藪の根っこのようにつながっているということや、

断片化されバラバラになってしまっている知を

〝総合〟する視点の大切さに触れた話を

書いたときでした。

 

でも実は、こうした内容の記事を

前々から書いてみたいと意識してはいたんです。

 

たとえば、こんにち

たくさんの書物が出版されていますが、

人間の歴史を遡っていくことで、

こうした書物のルーツが

論語や仏典、易経といった古典に行き着くことは、

比較的理解しやすいことでしょう。

 

初源に立ち返って考える原理思考の大切さについては、

「情報洪水の時代をいかに生きるか」というテーマで

記事を連続投稿したときに、

情報洪水の時代をどう生きるか(その6)

で書いたので、未読の方は確認しておいて下さい。

 

 

さて、「井上さんの専門は何ですか?」と

人から尋ねられることがよくあるんですが、

わたしの場合は、高校は普通科で、大学へ行かずに

いろんな学問を独学で積み上げてきたので、

「専門はないんです」と答えています。

 

よって、いわゆるアカデミックな世界とは

ほぼ無縁の雑学人間でしかないんですが、

それでも10代後半、20代前半という時期に

優れた先人や多くの良書と出会えたお陰で、

いまのわたしがあるということで。

 

とりわけ、1981年4月にカッパブックスから

初版が出ている栗本慎一郎『パンツをはいたサル』

出版後すぐのタイミングで読んだんですが、

とっても大きなインパクトを受けました。

 

人間について考えようとするときには、

人類学ばかりを専門的に深く研究しても限界があり、

法学から経済学、生物学、物理学、精神医学といった

さまざまな学問分野を統合し俯瞰する視点が

欠かせないことや、

相互のつながりが大切だと知れたことは、

わたしにとってとても大きな収穫で、

マイケル・ポランニーの暗黙知という考え方は

寺子屋塾で実践している

〝教えない教育〟の土台にもなっています。

 


それで、わたしが梅棹忠夫さんや橋本治さん、

内田樹さんのように、

ひとつの学問領域だけに収まらず、

何が専門なのかがよくわからない人に

興味をもつ傾向があるのは、

栗本さんの影響といえるかもしれません。

 

ただ、栗本さんの学問に対する姿勢が

あまりに幅広くかつユニークであったことと、

1991年に突然大学を去り、

1993年頃から政治家としての活動が増えたことから

彼の研究を引き継いだ人がほとんどいなくて、

1999年秋に脳梗塞で倒れられて以後は

それまで書かれていたグローバルで斬新な著作も

影を潜めてしまいました。

 

栗本さんのような大きな視野をもちつつ、

様々な学問分野の垣根を取っ払いながら

各々のつながり意識してトータルに語れる学者には、

その後はなかなか出会うことがなかったんですが、

2013年秋に安冨歩さんの

〝魂の脱植民地化〟という研究テーマと出会って、

そのバックボーンを

『合理的な神秘主義 生きるための思想史』

垣間見ることができたときに、

20代で『パンツをはいたサル』と出会った時と

ほぼ同等のインパクトを受け、

それまでバラバラで学んできたことが

ひとつに統合されていく感じがあったんです。

 

そのことは、この本の最初の方に収められている、

登場する人物相互のつながりの全体を示した次の図が

一番わかりやすいのではないかとおもうのでご紹介!

トップバッターが『論語』の孔子で、

つぎが釈迦となっているのが

とっても象徴的なんですが、

ある人が「中国の古典といわれる作品も

枚挙に暇がない程さまざまあるけれど、

『論語』1冊だけをきちんと読み解けば

それで十分だ」と言われていたのが何故なのか、

何となくではありますが、

この図を見てわかったような気がしたのです。

 

それまでのわたしは、

釈迦の思想、仏教もさまざまな学問に

影響を与え、源流となっているということぐらいは

わかっていたつもりですが、

親鸞の思想とスピノザがつながっているとか、

ソクラテスの哲学とポランニーの思想を

関連付けて考えたことはありませんでした。

 

さまざまな宗教や哲学、科学というものも

もともとバラバラに存在していたわけではなく、

こういう風に学問体系を俯瞰する視点や、

つながりあっているという感覚が持てると
学んだ知識を自分の血肉にできるというか、

人生においてさまざまな壁に突き当たったときに

有効に活かせるんじゃないかと感じるわけです。

 

 

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