寺子屋塾

改めて〝できない自覚〟の重要性について

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改めて〝できない自覚〟の重要性について

改めて〝できない自覚〟の重要性について

2023/12/12

昨日投稿した記事では、

改めて〝セルフラーニング〟とは何か?について

書いたんですが、今日はその続きを。

 

昨日の記事の最後に

わたしは次のように書きました。

 

結局のところ、他でもない自分自身が

「できない」とおもいこんでいれば、

その「できない」という現実が

カタチとなって現前するだけのことなので、

「結局のところ、自分はどうありたいのか?」

という自分自身の本心とちゃんと向き合う力を、

自分ひとりではなく、

まわりの人との関わりやつながりの中で

培おうとするプロセスを

どこまで大切にできるかどうか

セルフラーニングの要と言ってよいでしょう。

 

この部分を、もしかすると、

 

「できない」状態はダメだから、

「できる」状態を目指して頑張らせる学習

 

というふうに受け止められた方も

いらっしゃるのではないかとおもったんですが、

わたしがお伝えしたかったことは、

「できない」自覚の重要性であって、

寺子屋塾で実践しているのは、

「できない」状態にある自分をそのまま受容し、

「できる」状態を目指して頑張らない学習

なのです。

 

といっても、できない状態のままでイイと

考えているわけではありませんし、

自己受容とか、頑張らないというコトバについては

昨日の記事で書いた内容だけでは

伝わりにくいように感じたので、

具体的に塾生の書いた文章も紹介しながら

補足してみようとおもいたちました。

 

寺子屋塾の通信コースでは、

原則として2週間に1回のインターバルで

教材のやり取りをしているんですが、

最初に紹介する次の文章は、

中村教室を開いて間もない頃、

通信コースに在籍していた塾生(30代女性)が

教材返送時に一緒に送られてきたものです。

 

(引用ここから)

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今回は、研修や旅行のときにも

プリントをもっていくことを忘れてしまい、

ほぼとりくめていない2週間でした。

地道にコツコツすすめるというのは難しいですね。

 

5月下旬に職場の団体で大きなイベントがあり、

そのちょっと前から朝早く出かけて

夜遅く帰るという生活が続き、

プリントに取り組む気力がわきませんでした。

 

それで、結果的にプリントは

取り組めなかったんですが、それでも、

気力がわかなくてとりくまないという

選択ができたのは、

わたしにとっては進歩かもしれません。

 

昔ならできない自分をさらすのがはずかしくて、

あるいは、できなかったことに対して

怒られるのが怖くて、

できる日にまとめてプリントにとりくんで、

すべての日にやれていたように、

うその時間を記入していたかもしれません。

 

はじめてこのプリントにとりくんだときには、

ものすごい緊張感がありました。

「こんな簡単な問題をまちがえるなんて、

はずかしい・・・」という気持ちが

あったからだと思います。

 

子どもの頃、丸つけをするとき、

とても緊張していたなあということ、

まちがえることが怖くて、丸つけのときに

こっそり目を盗んで自分の答えを

かえてしまったことも不意に思い出しました。

 

別に間違えたからといって、

それで人生が終わるわけでもないのに・・

「しっかりしないといけない」

「できないといけない」等々、

わたしをとりまく「~しないといけない病」は

根深いですね。

 

でも、「できる」ということに

だんだんこだわらなくなってきたのか、

今はプリントにとりくむときや、

丸つけのときの緊張感はなくなりました。

 

自分の気持ちに対し、すこしは素直に

行動できるようになってきたのかもしれません。

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(引用ここまで)

 

いかがですか?

 

「できない」状態はダメだから、

「できる」状態を目指して頑張らせる学習ではない

ってことは、これで伝わりますかね?

 

もう一人、塾生の太郎ちゃんこと、塩坂太郎くんが

学習を始めて間もない頃に

自身のblogに書いていた文章です。

 

(引用ここから)

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なぜこのらくだメソッドだと、
「できない」ということに出会い、
その「できない」という自覚が生まれるのか?

ということが
とっても不思議だなと思っています。
 
今までの経験でも、「できない」ということには、

たくさん出会ってきたわけだけど、
その「できない」ということから

なぜか目を背けたくなったり、

できるふりをしたりしてきました。
 
そして、「できない」ということが

原動力になったとしても、
そこには必ず自分以外の誰かの存在があり、
あいつには負けないように、、、とか、
誰かに褒めてもらったり、
あるいは怒られないように、、、など、
そんな形でしか

「できない」を原動力にできずにいました。
 
だけど、 この1日1枚の計算プリントで、
 「できない」ということに出会えること、
そして、その体験からの気づきや発見を通して、
「できない」ということとの向き合い方が

少しずつ変わってきたように思います。
 
でもなぜ、このプリントだと、
「できない」ということに出会い、
その「できない」という自覚が生まれ、
「できない」と向き合うことができるのか?
という問いがいつも生まれてきます。
 
*** *** ***
 
学校の勉強で「できない」ということに

直面したことは、幾度となくありました。
そんな「わからない=できない」体験を

振り返ってみると、
さまざまな「わからない」という状況が

あるように思います。
 
たとえば、ある問題が解けず、
なにが「わからないか?」と聞かれた時に、
自分が「わからない」と思っていることも、
そのことを理解するために、
分かっていないといけないことが、
 「わかっていない」ことだってあるし、
自分では、どこが分からないのか

「わからない」ということだってあります。
 
そんな時、まわりの先生だって、

親だって、本人が

どこでつまずいているのかがわからない。。。。
 
「わからない」という体験を振り返ってみると、
「わからない」状況が

かなり曖昧な状況にあったように思います。
 
一体自分はどこで、何につまずいているのか、、、と。
「できない」体験って、

意外と曖昧だったのかも!と思います。。。
 
この点から考えてみると、
らくだメソッドでは、
自分がどこでつまずいているのか?
どこに自分がいるのか?
目の前の学習者が、どこでつまずいているのか、
どこから分かっていないのか?
ということがとてもわかりやすくできているのです。
 
プリントを通して出会う「できない」という状況は、
かなり「明確なできない状況」のように思います。
 
「できない」が明確であるからこそ、
「できる」ことも明確になってくるのだと思います。
 
*** *** ***
 
明確な「できない」状況を作るために。
 
この明確な「できない」という状況は

どのようにしたら作ることができるのか?


このプリントを初めてやったとき、
かなりスモールステップで、

ゆっくり進んでいくなと思いました。
 
1枚のプリントの中で、

おさえなければいけないポイントは
ほぼ1つにまとめられていると思います。
 
初めてやったときに

そのような実感があったのだけれど、
この実感こそ、明確に「できない」状況を

作ってくれているのだと思います。
 
それは、このプリントが、
1つの単元を(たとえば約分とか)を

徹底的に分解して、
1つ1つの要素を、丁寧に順序よく

まとめてあるからだと思います。
 
そして、学習者がどんな状況にあり、

どんなところでつまずくのか?ということを

みっちり考えられて作られていると思います。

 

…ヒントの出し方が絶妙だったりします。
(平井さんは息子さんのためにこの教材を作られた

 というエピソードがありますが、
 まさに学習者が我が息子であったからこそ、

 ここまで考えられたのでは!と思っています。)
 
その点から考えても、
明確な「できない」状況を作るためには、
物事をあらゆる角度から見つめ、考えること。
 
物事を分解するということは、
身のまわりに起きている、「小さなこと」を

大切にしていくことにも繋がるように思います。
 
明確な「できない」状況に出会えることができれば、
「できない」という自覚が芽生え、
明確な「できる」自分と出会える。
 
だからこそ、明確な「できない」状況は

どのようにして生まれるのか、
ということを問い続けたいと思いました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(引用ここまで)

 

太郎ちゃんの元記事はこちらから読めます。

 
思考プロセスが丁寧に書かれていて、

とってもわかりやすいですよね?
 
ひとつのポイントは、

太郎ちゃんが今までのことをふりかえって、
 
「わからない」という体験を振り返ってみると、
「わからない」状況が

かなり曖昧な状況にあったように思います。
 
一体自分はどこで、何につまずいているのか、、と。
「できない」体験って、

意外と曖昧だったのかも!と思います。。。

 

と書いているとおり、
わたしたちは、明確な定義もないのに
「できない」「わからない」とおもいこみがちで、
この逆パターン・・・つまり、

「できる」「わかっている」というのも

何ら根拠がなく、勝手なおもいこみに

すぎなかったりすることも往々にしてあります。
 
それで、太郎ちゃんはらくだメソッドについて、
 
自分がどこでつまずいているのか?
どこに自分がいるのか?
目の前の学習者が、どこでつまずいているのか、
どこから分かっていないのか?
ということがとてもわかりやすくできているのです。

 
と書いているんですが、
太郎ちゃんのこの表現には

正確さを欠く部分も若干あり、

らくだメソッドを実際に体験されたことがないと

伝わりにくいように感じたので、
以下、このことについてちょっとだけ補足を。

 


らくだメソッドを開発された平井さんは、
らくだメソッドを開発される前に、
「さえら塾」という個人塾を

開かれていた時期が3年ほどありました。

 

さえら塾の算数・数学教材は、

遠山啓さんが創始された水道方式に基づくもので、
分数のわり算は、なぜ分母と分子を反対にして

かけ算すればいいのかとか、
円の面積は、なぜ「半径×半径×π」なのかなど、
おもしろい授業、わかりやすい授業をおこなって
子どもたちに理解させようとしていました。

 

平井さんは、勉強に興味の持てない子どもたちでも、
内容が理解でき、楽しく学べるようにさえなれば、
勉強ができるようになって、
成績も上がるんじゃないかと考えたわけです。
 
でも、そのようになったのは

ごく一部の限られた子どもだけで、
実際には多くの子どもたちがそうはならず、
「楽しい授業をしないと学ばない」というように
塾に対し依存的になっていく子どもまでが現れて、
愕然としてしまうんですね。

 

たとえば、学校ではテストが行われますが、
そのテストが、子どもたち自身にとって、
自分が学んだ内容を

ほんとうに「わかっているかどうか」
客観的、総合的に確認する手段に

なり得ているかどうかについては、

わたし自身も疑問に感じています。


なぜなら、本来テストによって

評価される対象とは、

指導を受けた子どもたちより以前に、
まず、指導している人間自身の

教える行為の良し悪しではないかとおもうから

ということがその理由のひとつめ。

 

そして、たとえば分数の約分の単元でいうなら、
子どもがどういう状態になったら
「分数の約分がわかっている」といえるのかを
一律に定義づけしようとすること自体
そもそも無理な相談ではないかというのが

ふたつめの理由です。
 
つまり、「わかる」というプロセスは、
一人ひとり異なる個別固有のものであって、

しかも外側に見えない内面的なものですから、
そうした多様性や曖昧な要素を

すべて排除したうえで、

客観的に判断できる指標を設けたり、

テストを実施するというようなカタチで

機械的に確認しようとしたりすること自体が、
不可能なアプローチだと言ってもいいでしょう。
 
平井さんは、このような体験から、
わかっているかどうかを

外部の人間が数値的に評価したり、
「わかる」ことと「できる」ことを
因果関係で結びつけようとすること自体に

無理があることに気がつきます。

 

つまり、教える教育というのは、

教える内容を教えた相手が理解すれば、

それができるようになるという考えに

基づいたものと言えるわけですが、

これはあくまでひとつの仮説にすぎません。

 

教わった内容が「わかる」ようになりさえすれば

だれもが「できる」ようになるかというと、

現実にはそんなことはないのですから、
子どもたちに教えて

「わからせようとする」行為を

無条件に良しとする教える教育のあり方自体にも

疑問を持つようになります。
 
そして、「わかっているかどうか」については

その指標を定義して、

客観的に確認することはできなくても、
「できているかどうか」については、

明確に定義でき確認できることに気づかれて、
「わからせようとする」行為に対して

必要以上に重きを置かずとも、

つまり、教えることをしなくても

「ミスが3つ以内で、めやす時間台にできる」

というように、
「できているかどうか」に着目して生まれた教材が
〝らくだメソッド〟
というわけです。

 

つまり、言い換えれば、

自分ができているかどうかの定義づけが

各々のプリントに明確に設定されていることが、

このらくだメソッドの、

他の教材に見られない際だった特徴で、

そのことによって、

セルフラーニングという学習スタイルを

可能にしているんですね。

 

つまり、セルフラーニングとは、

自分ができているかどうかを自分で判断でき、

自分の力で進めていける学習のことですから、

そうした意味で

できる、できないの基準が明確で、

なおかつ、人から一方的に

良し悪しの評価を受けることがないため、

安心して学習を進めていくことのできる学習環境

できない体験の重要性という認識にもとづいた

自己受容の姿勢と、
できる状態におのずと向かおうとする

学習者自身の自覚を生むわけです。

 

つまり、

自分でできない状態を否定的にとらえ、

そのようにおもいこんでいる状態と

できない自覚のある自己受容の姿勢とは、

似て非なるモノってことなんですが、

伝わったでしょうか?

 

このテーマはまだまだしばらく続きそうですね。

 

【関連参考記事(旧ブログより)】

「できない自覚」が大切なのはなぜ?

らくだメソッドでなぜ算数(数学)が重要なのか
わからない本をわからないままに読んでみること

 

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