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らくだメソッドはなぜ、学習者が自分でマルつけするのか?

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らくだメソッドはなぜ、学習者が自分でマルつけするのか?

らくだメソッドはなぜ、学習者が自分でマルつけするのか?

2023/03/26

らくだメソッド開発者である

平井雷太さんが1997年に出された著書に

『見えない学校 教えない教育』があるんですが、

3/20よりこのblogでは、

その本の「第2章 教えない教育」より、

らくだメソッドを生み出したプロセスや

全体的な構成、特徴などを6回にわたって紹介し

井上のコメントも記してきました。

 

らくだメソッドはなぜ計算問題中心なのか?(その1)

らくだメソッドはなぜ計算問題中心なのか?(その2)

らくだメソッドはなぜ「わかる」より「できる」を重視したのか?(その1)

らくだメソッドはなぜ「わかる」より「できる」を重視したのか?(その2)
らくだメソッドはなぜ「わかる」より「できる」を重視したのか?(その3)

らくだメソッドはなぜ、時間を計ることが大事なのか?

 

今日のテーマは、

「なぜ、学習者が自分で採点するのか」です。

平井さんの本の中見出しでは、

「なぜ、子どもが自分で採点するのか」

になっていますが、現在の寺子屋塾では、

8割以上の塾生が社会人ですし、

点数をつけるわけではないので、

記事タイトルは「子ども」を「学習者」とし

「採点」を「マルつけ」としました。


(引用ここから)
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私が「すくーるらくだ」というスペースを始めたときに、いくつかの「絶対に〜しない」と決めた原則がありましたが、その一つが私が子どものやったプリントの「採点をしない」でした。 他にも、「怒鳴らない」「手を上げない」「授業をしない」「教えない」 「生徒の学ぶ教材を私が決めない」等々といろいろな「〜しない」がありました。その中でも徹底して行ったのが、「採点をしない」でした。つまり、私が「採点をしない」を実行したのですから、自分のやったプリントを採点するのは、すべてそのプリントをやった生徒自身ということになります。

 

評価のための採点を超えて
全面的に生徒に採点を任せると、とんでもないことが続発しました。答えを見ながら採点し、間違っているにもかかわらず、ついうっかり不注意でマルをつけてしまうのなら仕方ないとしても、答えを見ないで、堂々と自分のやったプリントに全部マルをつける生徒がいました。それで本当に全部できているのかと思って見直してみると、いくつも間違っている箇所があるのです。しかし、本人は悪びれた様子もなく、「全部あっていると思ったから、全問題にマルをつけた」といわんばかりです。また、間違いがあると答えを見て、ただ写して、直してマルにしてしまう生徒もいました。なぜマルをつけるのか、どうして間違っている場合にはバツをつけなくてはいけないのか、その意味が何も伝わっていないのではないかと思われる生徒がたくさんいることに驚いてしまいました。


自分で採点することで、自分はどんな傾向の問題をよく間違えるのかがわかります。そして、間違えたところを自分の力でやり直していくうちに、どうすれば正しい答えを導き出すことができるかがわかってきます。そのプロセスを通ることで、次にやるときには間違えないようになっていくのです。ですから、自分の苦手な箇所とか、わかっていない箇所を見つけるのに、バツは大歓迎だと思うのですが、どうもバツが嫌いな生徒が多いのです。せっかくのバツを活かさず、どんな手段を使ってもバツをマルに直して、できた気になってしまう子が多いのです。中学生であれば、学校に7年も8年も通っているわけですから、採点することの意味がわかっていて然るべきと思ったのですが、現実はそうではありませんでした。


間違っている答えを書いているにもかかわらず、分かっていることにして、マルにして、そのまま先にすすんでも困るのは本人です。にもかかわらず、性懲りもなく、ごまかすことを繰り返し続ける子どもが多いのはどうしてなのでしょうか。また、一方で「採点してきます」といくら約束しても、採点することを必ず忘れてくる子もいました。ただプリントをやって、そこに数字を埋めているだけで、自分のやった結果にまるで関心がないのです。


だからといって、生徒がやったプリントの採点を私がやってしまうと、これはセルフラーニングではなくなってしまいます。子どもがやったプリントをなぜ教師が採点するかといえば、これはテストだからです。教師が教えたことを子どもはどのくらい理解しているかをテストをして試して、その結果で子どもに優劣をつけて、子どもを評価の対象にしているのです。でも、これほどばかばかしい話はないと思います。子どもの点数が仮に低ければ、責められるのは教師ではなく、子どもになるからです。その低い点数は、教師が必要な情報をきちんと子どもに与えず、子どもがどのくらいそれを身につけているかをわからないまま、やみくもにテストをした結果であって、教師の稚拙な教え方に対しての点数であるにもかかわらず、その点数で評価される対象が子どもになってしまうのは本当に不思議です。ですから、悪い点数をとるとがっかりするのは子どもであって、それを自分の教え方の稚拙なせいだと思う教師が少ないのは異常な現象でしょう。ですから、悪い点をとるとその原因は、教え方の悪い教師ではなく、がんばって勉強しなかった自分に問題があったからだと、子ども自身まで思ってしまう構造が、テストのシステムにはあるのです。


私のところでやっていることはセルフラーニングですから、私は決して採点しません。それは、子どもがやっていることを「テストにしない」ためです。ですから、採点は子ども自身が自分でやるのです。間違えた問題の数が何個あったのかを数えますが、点数はいっさいつけません。どの問題ができなかったのか、間違えたのはどうしてなのか、それだけが問題だからです。自分のやったプリントが合っているのか、間違っているのかを確認するだけですから、何も人にやってもらう必要はまったくないのです。学習した本人が自分でやったことを自分で点検しなければ、セルフラーニングにはならないのです。そして、ミスの数が3個以内であれば、そのプリントは合格という基準を設定しているのですが、そのようにしていると、ミスが多いときには間違えた問題を自分の力で訂正して、「わからないからできない」箇所がなくなる状態になるまで、子どもたちは同じプリントを繰り返します。そして、目安の時間でできて、ミスの数が3個以内になれば、そのプリントは合格したとして、次のプリントにすすむというわけです。


しかし、間違えた問題を訂正することの意味さえわかっていない子どもが結構いるのです。どうして間違えたのかに関心を示さず、ただ答えを写して、わかったつもりになるというのは、いったいどのような神経をしているのか疑いたくなりますが、そのような子どもを量産しているのが、今の学校なのかもしれません。


子どもたちに採点をまかせ、間違い直しを全面的に子どもたちに任せたことで、見えてきたのは、ただやりさえすればいいという態度で、与えられたことを何も考えずにただやっている姿勢でした。なぜそのようなことをするのか、なんのためにやっているのか、その意味を少しも考えていない現実です。しかし、こんなことを書いている私にしても、「テストはしない」と決めて、採点することを全面的に子どもたちに任せてみたことで、「採点するとは何か?」「テストとは何か?」「なぜ間違い直しが大事なのか?」等々のことを考えることができたように思うのです。

 

平井雷太『見えない学校 教えない教育』

 第2章 教えない教育

 5.なぜ、子どもが自分で採点するのか? の前半部分より

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(引用ここまで)

 

この項の後半部分は、

平井雷太さんの教室すくーるらくだの

生徒実例の話が続くので省略します。

 

自分で丸つけをするというテーマについては、

2022年4月に4日間連続で書いたblog記事があり、

平井さんの著書に書かれた文章を紹介しながら

わたしの考えや実践を書きました。

 

未読の方は、次の記事をご覧下さい。

らくだ教材は他の教材とどう違うのか(平井雷太『らくだ学習法』から)
自分で採点することの大切さ
セルフコーチング時代の到来
ドラマ逃げ恥「平匡さんの自由意志です。どうしますか?」(「今日の名言・その13」)

 

自分で丸ツケをすることの効用については、

前記4件の記事でほぼ書き尽くしているので、

繰り返しになってしまうのですが、

結局、採点する行為のみを単独で取りあげ

その是非を論じようとしても限界があり、

しくみ全体を捉える視点が大事ではないかと。

 

たとえば、多くの学校で行われている

教えるスタイルの授業、定期テスト、

成績表というしくみと関わり方を

無条件で是とすれば、

平井さんが指摘されているように、

まわりの大人たちが、

「自分で採点できる子どもなんて

 ごくわずかしかいない」と考えるのは、

当然の帰結と言えるでしょうから。

 

らくだメソッドの場合、

学校教育で行われているしくみとは

まったく異なった考え方から発案され

異なるしくみによって成り立っていますから、

「自分で採点することは易しくないけれども

 関わり方次第でだれもができるようになる」

というのが、長年にわたって

この教材を使って指導してきたわたしの実感です。

 

こちらの朝日新聞EduAの記事にあるように、

公立中学校でも、

宿題や担任制、定期テストを廃止した、

麹町中学校のような学校も生まれてきています。

 

結局のところ、どんな人間観にもとづいて、

どういう目的のために、しくみを作りあげていくか、

これまでにあったもの、いまあるものを

無条件に是とせず、前提を問う姿勢が大事でしょう。

 

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