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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その3)

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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その3)

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その3)

2023/06/08

昨日投稿した記事の続きです。

 

平井さんの著書『「〜しなさい」と言わない教育』

から昨日引用した文章の焦点は、

「月1書くこと」(『らくだ通信』発行)から、

「毎日続けて書くこと」へのシフトでしたね。

 

始めるとき、質を問わずに

まずはできるところから

単語ひとつでもOKとするのは

毎日続けていくうえで、とっても大事な心得です。

 

「毎日続けること」と「内容や質を問うこと」を

いきなり最初から同時に追いかけようとすれば、

行き詰まるに決まっていますから。

 

書くことを毎日続けてさえいれば、

続けているうちに

アウトプットされる気づきの質も密度も

自ずと上がっていくので、

「毎日続けること」を優先するというように、

まずは一つのことに集中して、

順序を守ることなんですね。

 

たとえば、ピアノの練習でも同じで、

ショパンに「子犬のワルツ」と呼ばれ、

別名 minute valse(1分ワルツ)って言われている

皆さんよくご存知の曲があるんですが、


Berezovsky Chopin-Godowsky "Minute Waltz"

このベレゾフスキーのような

プロのピアニストならまだしも、

いきなりこんなに速いスピードで弾ける人は稀で、

練習する手順としては、まず楽譜通りに

ゆっくり正確に弾くことが先です。

 

らくだメソッドのプリント学習でも同じで、

合格のめやすとして、

時間とミスの数が設定されているんですが、

まず、ゆっくりでいいので、手順に従って

正確に間違いなく解けるようになることが先で

時間はその後というふうに、

メリハリをつけること。

 

「二兎を追う者は一兎をも得ず」という

ことわざがありますが、

結局、時間をクリアする一番のコツは、

「時間を気にせずに問題を解くこと」なんです。

 

 

ちなみに、平井さんの「毎日書く」ことについては、

次の記事でも紹介しましたので、

未読の方はご覧下さい。

講演録『教えない教育、治さない医療』(その6)

 

次の映像は、昨日の記事で引用した

『月刊らくだ』第1号

「街中至るところニュースクール」の現物です。

 

 

ところで、昨日引用した文章に、

すくーるらくだの『らくだ通信』が

100号になったのが、

1992年4月とありました。

 

わたしが7年勤めた進学塾を退職して上京し、

日本CI協会で仕事を始めたのが

1992年4月、

平井さんと初めてお目にかかったのが

その年の8月だったことをおもいだしたのです。

 

その頃の自分は、

平井さんがつくられたらくだメソッドを使って

教室をすることになるとは

微塵も考えていませんでしたが、

シンクロナイズしているようで面白いです。

 

一昨日に投稿した記事では、

藤坂泰介さんの「教えない教育」のことも

ご紹介したんですが、

藤坂さんが考案されたシステムキャンプで

初めて玄米食が採り入れられたのも

その年1992年のことでした。

 

マクロビオティック創始者・桜沢如一のことや

日本CI協会、オーサワジャパンを

参加される皆さんに紹介してほしいと請われ

わたしがシステムキャンプに初めて参加したのが

その年の秋のことでしたから、

たぶん上京するのが

1年早くても1年遅くても、

わたしの人生はおそらく

まったく違った展開になっていたことでしょう。

 

 

それで、話を戻しますが

平井さんが、毎日書いて発信するということが

どうしてできたのかといえば、

できるかできないかという

余計なことを考えずに「ただ書く」

実践されたからなんですね。

 

今でこそこんなふうに

このblogも1年半以上毎日更新できてますが、

わたしという人間は、昔からコツコツやるのが

得意だったわけではけっしてなく

学生時代は一夜漬けタイプで、

自分で決めたことが

なかなか継続できないタイプの人間だったんです。

 

引用した箇所にも出て来た

通過儀礼(イニシエーション)ということにも

関わってくる話なんですが、

らくだメソッドの指導を長年続けてきたことで、

もしかすると一番変わったのは

わたし自身なのかもしれません。

 

あまり大きな声では言えませんが・・・笑

 

Microsoft社の創業者ビル・ゲイツの

意志決定があまりに速くて驚いたという

伝説があるようですが、

余計なことに囚われていなければ、

瞬時に答が出せるのでしょうね。

 

次のつぶやき考現学は、

そんな話を人から伝え聴いて書いたものです。

 

「考える力」の習得には考えず〝ただやる〟鍛錬を

(つぶやき考現学 No.13)

 

 

さて、昨日ご紹介した

平井さんの著書『「〜しなさい」と言わない教育』

から続きの部分をご紹介。

 

今日ご紹介する箇所は

講座のゲスト講師・上野千鶴子さんのレクチャーで

「考現学」という概念と出会ったことに

触れているところです。

 

(引用ここから)

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考現学の誕生
毎日、フッと気になったことをただ書くことを続けていました。らくだメソッドを使った教室をやるのに、月刊の「通信」を発行することは不可欠の条件だとは思っていたのですが、私が毎日書き始めても、最初のころは私以外のらくだメソッドの指導者に毎日書くことをすすめる気はありませんでした。私が四苦八苦でやっていることを、人に「これはおもしろいからやってみたら...」とそう簡単にすすめられるわけもありません。しかし、これを皆が始める時期がある日、突然に訪れたのです。第4期のニュースクール講座を終えたあとの鳥取でのらくだ研究会(らくだメソッド指導者で構成されている研究会)の席上でした。

 

なぜそうなったのか。それは第4期のニュースクール講座で講師だった上野千鶴子さん(当時は京都精華大学助教授)の話を聞いていて、私が日々気づきを書き留めていることは「考現学」(考古学ではなく、現在を考えるという意味で)に非常に近いものであることがわかったからでした。 自分のやっていることが「考現学」であるとわかると、一気に伝わります。このときにも「ニュースクール」という言葉と出会ったときと同じような感覚がありました。「みんなで『考現学』を書いてみよう」と言っただけで、らくだ研究会のそこにいたみんなに何かが伝わって、その人なりの考現学をそれぞれが書き出したのです。

 

考現学の決まった書き方というものがあるわけではありません。その人がその人なりにフッと気になったことを書き留めるだけでいいのです。しかし、日記ではありませんから、当然、公開することが前提です。つまり、人が読んでもわかるように書くということです。そんなことがあってから、1ヵ月に1回の通信を書くよりも、考現学を書くほうが楽であるということが体験からわかっていきます。何でもフッと気になったことを書き留めることをしていれば、自分がどんな問題意識で何を見ながら生きているのかが見えてきます。教室で必ず毎日一個の考現学を書く と決めるだけで、教室でどんな問題が起きているのかも具体的に見えやすくなってきます。書いたものを自己評価することさえしなければ、考現学を書けないということはありえないのです。まさに、〈「書ける・書けない」を考えず、ただ書くこと〉の実践そのものだったのです。

 

そんなことを体験する中で、その後の「ニュースクール講座」そのものも変わっていきました。 誰でもが「考現学」を体験する場がニュースクール講座になっていったのです。「これが考現学だ」と考現学を教えようとすると、考現学は書けなくなってしまいます。しかし、そこで感じたことや思ったことを好きに書いたものをさして、「これが考現学です」と言えば、誰でも書けてしまうのです。例えば、そこで「一体、考現学とは何なのだろう?」と、問いが浮かべば、その人がその人なりの考現学を考えていけばいいのです。そうこうするうちに、考現学を書く人が増えていき、「考現学を交換する会=ニュースクール研究会」が、1993年の4月よりスタートすることになりました。私が毎日何かを書くと決めてから、16ヵ月目の出来事でした。

 

「考現学」を書く人が私だけではなく、全国に何人も増えてくる中で、毎日書くことをただやり続けていると、私の書く量が増えて、私の書いたものの中から、「街中至るところニュースクール」に掲載するものを選ぶことができにくくなっていきます。あれも載せたい、これも載せたいと、それには通信のスペースが狭すぎるのです。「書けなかったらどうしよう」と思っていたときと比べると大変な変化です。ただ毎日書くということを決めて、続けてきたことで起きた変化でした。

 

そのうち通信の読者の方から、「『街中至るところニュースクール』に掲載されているものは書 いているもののうちのほんの一部でしょ。他の考現学も読んでみたい」という人が現れて、毎日書いたものを1ヵ月ごとに1冊の小冊子にして『ニュースクールテキストブック』として発行するようになったのが、1993年の12月でした。創刊当初42ページだった内容も、1年後の13号のときには146ページになっていました。その間に、私の書いていた考現学は「日刊考現学」として毎日のようにファックスで読者の方に送られていくようになります。

 

また、月刊の通信は1年ごとにその体裁が変わって、『月刊らくだ』から『月刊ニュースクール』『月刊コラボレーション』となっていきました。私以外にも書く人がどんどん増えて、1994年の5月に発行された『月刊コラボレーション』はらくだ研究会の編集で、私以外のらくだメソッドの指導者が作る通信となっていたのです。そして、また、新たに今年の5月からは初心に返って生徒の親向けの通信として、私の考現学を中心に毎月60ページの『新・らくだ通信』を発行するようになっています。

 

これらすべての動きは、〈「書ける・書けない」を考えず、ただ書く〉ことを、ただ実践してきたことで起きたことでした。「書くこと」で何が出てくるのか、書いてみなければわかりません。書き続けることで、そこに波紋が起き、波紋が波紋を呼んで書く人が増えてきます。私のところにも全国各地から毎日のようにファックスが入ります。マスコミに流されているニュースとは違う形の情報です。その人にしか書けない日々の出来事の数々、教室で起きていること、家庭の中で親と子の関係のはざまで起きていること等々・・・。それを読むと、触発されてまた書いてみたくなったりするのです。書くことの相乗効果が起こります。

 

書くことが思いつかない日でも、ワープロに向かうと何かを書き出します。頭で考えたときには何も出てこないはずが、指は勝手に動きだしたりするのです。ですから、「書けない」と思ったときには、書けないときだからこそ書けることがあります。そんなとき、ふだんと違う自分と出会うことができるのです。すでにわかっていることを書くのではなく、書いているうちに何が言いたいのかわかってくる体験、そんな体験が私の中にある未知なるものを引き出す役割をしてくれているようにも思うのです。目標を持たずにただ書く体験は、答えのあることだけを教える教育では決して学ぶことができない世界へ私たちを誘うことをしてくれるようにも思うのです。

 

平井雷太『「〜しなさい」と言わない教育』

 第3章「できる・できない」を考えず、

 ただやる教育とは何か 「考現学の誕生」より

 

※冒頭の画像は1992年から1994年にかけて

 平井さんの教室で出されていた通信

 『月刊ニュースクール』『月刊コラボレーション』

 

この続きはまた明日に!

 

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