寺子屋塾

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その2)

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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その2)

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その2)

2023/06/07

昨日投稿した記事の続きです。

 

まずは、最後に引用し紹介した

平井雷太『「〜しなさい」と言わない教育』

引用箇所についてのコメントから。

 

らくだメソッドは、平井雷太さんが

当初ご長男・有太くんのためにつくられたもので、

教材開発が目的ではありませんでした。

 

そのあたりの詳しい経緯は、

講演録『教えない教育、治さない医療』(その5)

平井さんが話された内容を収録していますので、

未読の方はそちらをどうぞ。

 

つまり、教材開発を目的に

つくったものではなかったということは、

平井さんご本人にも

出来上がったらくだメソッドで指導することや、

らくだメソッドの教室を

どうすれば運営できるのか

そのことにいったいどんな意義があるのか等、

そうした答が最初から

あったわけではありません。

 

それで、平井さんが最初の時点で

とりあえず決めたことは、

生徒の親御さん向けの通信物(ニュース)を

月1ペースで出し続けることでした。

 

つまり、そのことについて

誰から教えを請うことも叶わないというとき、

わからないことを、わからないままで

とりあえず書いてみるしかないわけですが、

そのために

・どうやって書くネタを探すか

・どうやって文章のクオリティを担保するか

・どうしたら興味深く読んでもらえるか

などについて

具体的に平井さんが採用されたやり方は

とても大きな示唆に富んだもので、

教えない教育の〝極意〟に繋がる発想がありました。

 

つまり、どうしたら文章が上手く書けるのかを

考えてから実践しようとするのではなく、

やっているうちに

結果的に文章がうまく書けるように

なってしまうような〝しくみ〟づくりを

いかに工夫するかが大事だということです。

 

ちなみに、わたしが寺子屋塾を開いた

1994年当時は、

らくだメソッド教室指導者としての契約条項中に、

月刊の通信物を作って発行すること

含まれていました。

 

わたしが『楽々かわらばん』を

毎月作って出していたのは、それが理由だったので、

その実践がどれくらい大事なことであるかとか、

通信を編集し作っていくプロセスで、

それを作る人にどういう能力が育つのかなどが

予めわかっていたわけではないんですが。(^^;)

 

つまりわたしも、平井さんに倣って

自分の書いた文章を通信物に載せるときには、

事前にまわりの人に読んでもらって、

気になるところやわかりにくいところを

指摘してもらったり、

通信を読んでいる人にはアンケート用紙を同封して、

感想や意見を求めたりすることは

心がけていたので、

それを7年続けたことで

わたし自身の文章を書く力が

どれだけ鍛えられたかわかりません。

 

 

あと、昨日の記事では、

日本におけるボーイスカウト運動の草分けで

ボーイスカウト指導者の指導にあたられていた

藤坂泰介さんの「教えない教育」についても

ご紹介しました。

 

次の画像は点塾(㈱博進堂)ホームページより

 

ただ、こんにちでは藤坂さんについての情報は

ネット上にはほとんどなく、

昨日は名古屋市立大・鵜飼宏成教授のblog記事の

リンクを貼らせて戴いたんですが、

見落とされた方は、次の記事をどうぞ!


2010/02/22『教えない教育』とは何か?・・・

点塾・えにし屋の「教えない教育」考

 

 

では、昨日引用した

平井雷太『「〜しなさい」と言わない教育』

第3章「できる・できない」を考えず、

ただやる教育とは何か」の続きを

今日は「毎日、書くこと」からご紹介します。

 

5/22に投稿したblog記事

イニシエーション(通過儀礼)としてのらくだメソッド

では、平井さんがすくーるらくだを始められてから

9年間にわたって出し続けた

「らくだ通信」を0号から100号まで収めた合本

『らくだのひとり歩き』第100号の内容を

紹介したことがありました。

 

本日ご紹介する箇所を読まれることで、

記事が書かれた背景が垣間見えるとおもいます。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1992年の年頭から、私は毎日何かを書くということを始めるようになります。1992年1月15日に発行の『らくだ通信』で97号になっていました。そのころのことを『月刊ニュースクール』第5号(1993.9.15発行)には次のように書いています。
   * * *
らくだ通信97号で、「セルフラーニングとは、自分で決めたことを自分で実現すること」と 定義したばかり。そのためか、1月13日付けの毎日新聞に掲載された鎌田東二氏(武蔵丘短大助教授・宗教学)の原稿「宗教―自分探しの旅」が眼に飛び込んできた。イニシエーションとは大人になるための儀式。それが現代になくなっている。しかし、「自分で決めたことを自分で実現すること=大人になること」と定義するなら、「セルフラーニング=大人になるための儀式」。らくだメソッドはもしかすると、現代のイニシエーションの役割を果たしているのではないかと閃いて、前述のような言葉になった。この時の気づきが、その後らくだ通信100号で「イニシエーション(人に成る=成人する)としてのらくだを考える」になるのだから、もし気づいたときに書き留めていなかったら、100号がこのようなテーマの原稿になったかどうかわからない。
   * * *
毎日フッと気づいたことを書き留めるようになったことで、私がらくだの教室をやり続けてきたのは、「大人になるためだったのか」と、その意味が見えてしまったのです。意味が見えたことで、「らくだ通信」100号の内容が決まり、98号、99号に何を書くべきかも一気に決まっていきました。9年ちかくにわたって出し続けてきた「らくだ通信」をやめるべき状況が自然に整っていきました。

 

通信は毎月必ず書いていましたが、それ以外の文章はほとんど詞の形式でした。そして、これらはまだどちらかといえば気分で書いていました。書きたくなったときには一気に書くのですが、書けないときには何も書かないという書き方です。しかし、このときにどうしてこんなことを思ったのか不思議なのですが、 「『毎月』書いたおかげで、多くの気づきがあったのだから、『毎日』書くことをすれば、どんなことが起きるかわからない。先が見えないことだからおもしろそう。やってみよう」と、好奇心からだったのでしょうか、ふとそんなことを思いついたのでした。

 

そんなことをやってみようという気になったもう一つの原因に松岡正剛氏 (編集工学研究所所長) の影響があるかもしれません。当時、すくーるらくだで松岡正剛氏の編集塾(詳細はニュースクール叢書10『編集革命』参照)を行っていましたから、そのときの話にも影響されていたでしょう。「毎日を一言で編集する」ということに対する興味もあって、〈「毎日書ける・書けない」を考えず、ただ毎日書いてみる〉ことをやってみようと思ったのです。

最初から毎日何かが書けるとは思っていませんでした。ですから、最初は単語ひとつでも良しとしていました。

 

 1月1日 ・上田紀行氏(『覚醒のネットワーク』著者・カタツムリ社発行)との電話で「なぜ、 ワークショップなのか」について話す。
 1月2日 ・一日を一言で編集する。

 1月3日 ・記録と記憶(テレビでの新春対談で五木寛之氏と松岡正剛氏との話の中で、印象に残った一言)

 1月4日 ・関係の際(際にこそ新しいものが生まれる余地があるという話を聞いて、結婚と不倫の際という言葉が浮かぶ)
 1月5日 ・特殊学級と同年令結婚(相似性を感じて)

 

こんなふうに書き続けていると、1月10日を過ぎるころから、単語ではなく文章になりはじめていきました。そして、私は何を書き残しているのかというと、そこに何かの気づきがあるときに、それを文章にしているのです。

 

 1月10日 ・人目を気にする人は、自分が何もやっていないことを自覚している人。何かやっている人は、どんな人の意見をも聞く。
 1月13日 ・上限のある拡大は、普及ではない(中城氏)
       ・すくーるらくだは大人になるための場所。大人とは自分で決めたことが自分で実現できる人(イニシエーション・鎌田東二氏)

 

このような形のものを書き残していくと、毎日が気づきの連続であることが見えてきます。 2月11日にはこれだけのことを書いていました。

 

 2月11日 ・どんなにわがままに振る舞っても、「人に迷惑をかけるわがまま」と「人に迷惑をかけないわがまま」がある。前者は迷惑をかけることが目的になっているため、これは単なる自分勝手。後者はあるがままに振る舞っているだけだから、人の迷惑になるわけもない。

       ・意味のありそうなことを学ぶことで人が育つと思っているのが欧米型教育とするなら、意味のなさそうなことを学ぶことで人が育つのが日本型教育(〜で学ぶ)だ。

       ・世の中に元気な人ばかりだったらたまらない。元気じゃない人の果たしている役割こそ重要だ。

       ・学校で学ぶだけでは学力はつかないと定義するだけで、そうだと納得する人がいれば、たったそれだけで学校は教師にとっても生徒にとっても解放区になっていく

 

毎日何かに気づいたことを書くなんて、とうていできるわけがないと思っていたのですが、〈「書ける・書けない」を考えず、ただ書く〉をやってみると、実際には思ったより書けるのです。これは大変な発見でした。「毎日、書く」と決めたことで、自分自身が毎日、どれだけのことに気づいているかがわかります。 しかし、これを通信に掲載するとなると状況は変わってきます。『らくだ通信』が100号になったのが、1992年の4月です。今までは、すくーるらくだに子どもを通わせている生徒の親向けにB4の用紙1枚裏表の形式で通信を発行していたのですが、5月からはA3用紙で2枚二つ折、計8ページの通信になっていきました。名称は『月刊らくだ』です。今までの倍以上の情報が入るようになって、通信の内容もらくだの指導者養成についてのことが多くなっていきました。私にとっては、この通信をうめることは今までにもましてプレッシャーを感じました。特にその中でも、「街中至るところニュースクール」のコーナーを設置したことが大変なプレッシャーとなって私を襲ってきました。


質を問うことなく、毎日ただ書いているときにはまだよかったのですが、毎日、それなりの気づきを書いていかなければ、「街中至るところニュースクール」のコーナーを埋めることはできないのです。毎月約15日分の気づきが掲載されますから、2日に1個の掲載になります。しかし、こればかりは、締切り間際にあわてて書くというわけにはいきません。そこで、毎日書かないわけにいかなくなったことで、今まで以上に「書けない」体験をさせられる羽目になっていきました。

 

『月刊らくだ』の創刊号の発行は1992年5月15日でしたが、「街中至るところニュースクール」(3月)の最初は次のような内容です。

 

・日々の営みの中で問題は絶えず起きています。しかし、起きた問題に気づいた時、問題が起きることを予測している人はその問題で悩みません。問題を解決しようとせず、問題が解決していくプロセスをながめていれば、問題はこじれることなく、問題が問題にならなくなっていくのです。

・命あるものはすべて、ひ弱からのスタートです。ひ弱のままでいられることは、強いことであるにもかかわらず、ひ弱の存在を認めず、ひ弱を治そうとして、しなくてもいい援助ばかりを行うと、ひ弱であることがよくないこととして伝わってしまいます。

 

これは第三期ニュースクール講座(於・湘南学園)の講師としてお願いした川口由一氏(自然農法家)の話に、農業と教育と分野が違っても、日頃考えていたことがいくつも重なりました。その場で川口農場ツアーの企画が決まり、7月18~19日に伺うことになりました。

 

このコーナーを毎月書くようになって初めて胃に穴があくような気分を体験しました。書いていてもおもしろくないものは自分でもわかります。こんなのを掲載するなら、載せないほうがいいと思うと、あのコーナーに載せるものがなく真っ白になって発行されている通信が夢の中に出てくることもありました。書きたいものを書いている気分のときとまるで違う体験です。こんなときほど〈「書ける・書けない」を考えず、ただ書くこと〉の大事さを感じたことはありません。書けるものが先にあるわけではありません。書くものがなくても、ワープロの前に座って手を動かしていれば、何かが出てくるのです。ですから、今までにもまして、どんな些細なことでも、フッと気になったことはすぐにメモにとるようになっていきました。

 

平井雷太『「〜しなさい」と言わない教育』

第3章「できる・できない」を考えず、ただやる教育とは何か

「毎日、書くこと」後半部分 より

 

※冒頭の画像は『月刊らくだ』1号、2号の一部分

 

この続きはまた明日に!

 

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