寺子屋塾

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その12)

お問い合わせはこちら

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その12)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その12)

2024/04/23

4/12から書き始めた「自己決定」「自己責任」って

言葉の真意がなぜ伝わりにくいか

テーマにした記事も

今日で12回目になっています。

 

(その10)までは主に「自己決定とは?」を

中心テーマに記事を書いてきたんですが、

昨日4/22に投稿した記事では、

「自己責任」の言葉の〝責任〟という部分に

フォーカスし、

響月ケシーさんが2/8にアップされた

動画「開運思考法 苦しくない責任感」をシェアし、

動画から文字起こしして作成した

講義録をご紹介しました。

 

すべて読んでいないと

理解できない内容の連投記事ではありませんが、

今日は、ケシーさんの講義録に対しての

わたしのコメントを書こうとおもっているので、

少なくとも、昨日投稿した記事だけでも

読まれた上で、以下の記事を読んで欲しいですし

相互にテーマ的な関わりがあるので

未読記事がある方は、

可能な範囲で、末尾に付けた過去記事リンク集や

参考記事リストを適宜参照ください。

さて、ケシーさんの責任、責任感についての動画を

ご覧になって、あるいは講義録を読まれて

あなたがそれまで持っていた、

「責任」「責任感」という言葉の捉え方に

変化が生じたでしょうか?

 

もし、変化が生じたとしたら、

それはなぜでしょうか?

 

あるいはまた、全く変化しなかったとしたら、

それはなぜでしょうか?

 

もともとケシーさんと考え方が

同じだったのでしょうか?

 

あるいは、ケシーさんとあなたの

どこが違っていたのでしょうか?

 

ケシーさんは、どうして

「責任」「責任感」という言葉を

あなたとは違う捉え方ができたのでしょうか?

 

『現実創造の掟』という動画でケシーさんは、

巨人というエネルギー構造からの離脱という

お話をされてました。

 

つまり、この「責任」という言葉も、

実体のない幻想で、

巨人というエネルギー構造のひとつと言って

よいでしょう。

 

でも、それは、責任っていう概念自体が

悪いものであるとか

必要じゃないっていう意味ではありません。

 

否定するってことも、

結局、巨人に呑みこまれているって

ことでしたからね。

 

ケシーさんも言われてましたが、結局

責任感とか責任という言葉と、

どう付き合っていくべきなのかっていうことは、

イコールこの世界とどう付き合っていくのかと

直結してくるわけですね〜

 

つまり、「責任」という言葉と

どうつき合うかというところには、

あなたが、この世界をどのように捉えて、

どう向き合っているかという

生きる姿勢のようなものが

そのまま立ち現れているってことですね。

 

そもそも「責任」って何だろう?

という問いが、あなたの中にありましたか?

 

問いがなければ、ケシーさんの話を

そのまま信じて鵜呑みにするか、

否定して拒否するかという

正しいか、間違っているか

二者択一の世界に行くことはあっても、、

自分で考えるという方向には

なかなか向かっていかないことでしょう。

 

でももし、あなたが、「責任」という言葉に

苦しさを感じていたのであれば、

それをとっかかりにしながら、

あなたのどのような思考回路が

そうさせていたのかを問うことで、

「責任」の正体を見抜くことが

できるかもしれません。

 

ケシーさんは、

人や社会に押し付けられたものを、

なすべき務めとして受け入れているから、

責任感が自分にとって辛いものになっているだけ

と話されていました。

 

つまり、なすべき務めなどというものは、

そもそも存在しなかったわけですね。

 

なのに、もともと存在しないような概念を

よく考えないまま鵜呑みにして、

受け入れてしまっていた。

 

本当は、やりたいか、

やりたくないかしかないんだと。

やりたくないことは、いつでもやめていいんだと。

 

人や社会が勝手に押し付けてくるようなものは、

リース(一時貸出)で十分って。

 

結局、自分が本当にどう思ってるのかを

十分吟味しないまま、

それを全うしようとしてしまうから

苦しいのであって、

いつでもやめていいんだと。

 

つまり、その苦しさって、

結局誰のせいでもなく、

自分自身が生み出しているんですね。

 

でも、その苦しさを自分が

生み出しているって事実を

認めたくないというか、

どこかで他人のせいにしたいというか、

自分は被害者だというポジションに

安住したい自分がいるのかもしれません。

 

もちろん、そのことに自分自身が

気づいていないってことも

少なくないんじゃないかとおもうんですが、

そういう意味においても、

自分が本当はどうおもっているか、

本心を自分で知る姿勢って

本当に大事なことだとおもうんですね。

 

つまり、ひとことで言えば、

自覚的に生きようとするってことなんですが。

 

自分が本当にどう思ってるのかを

十分吟味しないまま、

それを全うしようとしてしまうのは、

結局、考えが足りないってことですからね。

 

この、自分が本当にどう思ってるのかってことを

大事にしながら

学習するということを実践しているのが、

寺子屋塾のセルフラーニングであり、

自分で決めて、自分でやる学習なんですね。

 

ちなみに、責任って言葉がいかに曖昧な概念で、

社会はそういう幻想や虚構に

溢れているって話は、次の記事でも紹介しました。

細谷功x佐渡島庸平『言葉のズレと共感幻想』

 

この続きはまた明日に!

 

 

【これまでの投稿記事】

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その1)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その2)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その3)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その4)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その5)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その6)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その7)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その8)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その9)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その10)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その11)

 

 

【テーマに関連する過去記事】

「できない自覚」が大切なのはなぜか?

改めて〝できない自覚〟の重要性について

自分自身の見張り役としての〝セルフラーニング〟

毎日の生活の中に自分で光を当てる鍛錬を(響月ケシーさんのYouTube動画より)

「信頼できる人ってどんな人ですか?」(読書会での意見交換から考えたコト)
坦々とやり続けていると後から自分のテーマが見えてくる

〝自分〟を意味する漢字になぜ「我」と「己」があるのか(つぶやき考現学 No.81)

響月ケシーさん”白アリ理論”動画の講義録

そもそも〝自分で決める〟とはどういうことか?(その1)

そもそも〝自分で決める〟とはどういうことか?(その2)

自己決定とは自分だけで決めないこと???

響月ケシー『現実創造の掟①大前提編~すでに私たちは現実を創っている~』

響月ケシー『現実創造の掟②破壊的巨人編~脱・大衆戦略~』

響月ケシー『現実創造の掟③ 破壊的巨人編 ~巨人と縁を切る方法~』
響月ケシー『現実創造の掟④ 潜在意識の操作編 ~幸運とは自然なことである~』

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は

 こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆寺子屋塾に関連するイベントのご案内☆

 4/29(月・祝) 未来デザイン考程ワンデイセミナー
 5/3(金・祝) 寺子屋デイ2024①
 5/12(日) 第26回経営ゲーム塾Bコース

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎らくだメソッド無料体験学習(1週間)

 詳細についてはこちらの記事をどうぞ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。