寺子屋塾

「できない自覚」が大切なのはなぜか?

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「できない自覚」が大切なのはなぜか?

「できない自覚」が大切なのはなぜか?

2024/01/18

社会人になって1年目の塾生のひとりから、

「仕事上で失敗ばかり続いて精神的に辛いんです」

という話を聞きました。

 

そういえば、このわたしにも

新入社員と呼ばれた時代があったよなぁ・・と

その話を聞きながら、

若い頃のコトをおもいだしたのです。

 

25歳から進学塾に勤めるようになったので、

教育の仕事に就いてからかれこれ 

40年近くになるんですが、

その前の20代前半は

5回も離転職を繰り返していて、同じ仕事が

2年以上続いたためしがなかったので・・・(^_^;)

 

20歳のころ、ピアノの調律や修理を学びながら、

楽器店でアルバイトをしていたときがありました。

 

でも、コミュ力に自信がなかったわたしには、

「ちゃんと対応できなかったらどうしよう・・・」と

お客さんから電話がかかってくるのが

毎日恐怖だったんです。

 

それにしても、そんなふうに、

何かができない辛さや苦しみって、

いったいどこからやってくるんでしょうねぇ。

 

だって、新入社員なんですから、

10年20年と同じ仕事をしていて失敗続きでは

たしかに困りますが、

たかだか1年やそこらで、

まともに仕事ができるようになるとおもうのも

自分を買いかぶりすぎだったなぁと。

 

前に書いたとおり、いまの寺子屋塾を始める前は、

小中学生対象の進学塾に7年間勤めていたんですが、

最初の1年は

「あの先生の言っていること、全然分からん!」と

子どもたちからしょっちゅう文句を言われ、

塾長からいつも怒られていました。

 

でも、そんなわたしでも3年経ったくらいには、

子どもたちから文句が来ることがなくなりました。

 

それでもまだ半人前・・・

 

「これから新しい教室を出すからその教室長に」と

塾長から推され、やっと1人前になれたかな、と

おもえたのは5〜6年経った頃ですね。

 

わたしの場合、子どもたちから文句を言われ、

塾長からいつも怒られていたにもかかわらず、

その仕事を辞めずに続けられたのは、

わたしという人間が

先生になりたかったわけでもなく、

大学で専門的に教育の勉強を修めたわけではなく、

まったくのゼロからのスタートだった

お陰かもしれません。


もちろん、失敗やうまくいかないことがツライのは

なぜか?とかんがえたとき、

その辛さの原因とおもえることはそれぞれにあり、

けっして一様ではないことでしょう。

 

とくに、日本社会ではここ20年ほどの間に

雇用の流動化が急激に進んで、

わたしが新入社員だった頃と今とでは、

就職事情や就労環境が大きく変わっていますし、

おそらくは、昔よりも今の方が

より厳しい環境となっていることは確かですから。

 

しかし、厳しい環境となっているからこそ

おもうのです。

 

根底にある各々の人間の認識のあり方って、

そんなにすぐに

変わるものではないんじゃないか・・と。

 

いまの自分が「できる自分」だとおもっている、

あるいは「できる自分」だとおもいたいという

願望が幅を利かせているというのは、

今も昔もそれほど変わらないのではないかと。

 

結局、ありたい自分と現実の自分とのギャップが

苦しさを生んでいるわけですが、

その苦しさって、

他でもない自分自身がつくっているんですよねぇ。。

 

そもそもありたい自分って

脳内で勝手に描くイメージにすぎないし、

リアルな現実の自分とは、

次元が異なるものなので。

 

そうなのです。

 

いまの現実の自分の姿を

ありのままに見ればいいだけなのに、

それを見ていない、見ようとしていない・・。

 

「ちゃんと対応できなかったらどうしよう・・・」と

お客さんから電話がかかってくるのが

毎日恐怖だった新入社員のときの自分も

まさにそうだったよなぁ・・と。

 

「できる自分」が出発点で、

そこからスタートすれば、

ゴールに待っているのは「できない自分」でしかなく、

人はそれを挫折とか失敗とか言って

辛く感じるわけです。

 

ところが、そもそもなにをもって「できる」とし、

なにをもって「できない」としているのか・・・

じつは、そのモノサシ自体がアヤシイんですね。

 

もしかしたら、その「できる」というのは、

所詮自分の勝手なおもいこみに

すぎないのではないか?と

自分に対して問いが浮かんで、

ちょっと引いたところからみる余裕さえあったら

随分違うんじゃないかと。


じつは、らくだメソッドで

学習者自身が〝自分で決めて〟

1日1枚のプリントをやり続ける学習は、

〝引き算の教育〟というか、

〝脳に空白部分をつくる学習〟なんですという話を

教室ではよくしています。

 

1枚のプリントのめやす時間は

10〜15分程のものがほとんどで、

学習に要する時間は

答え合わせを入れてだいたい30分前後。

 

1日24時間あるわけですから、

可処分時間のうち30分を

そのために宛てられるくらいの

余裕をもって過ごすように努めることは、

自分自身を客観的に眺める鍛錬であり、

1日1日を丁寧に過ごす練習でもあるんだと。

 

何かができるようになることを目的に置くのでなく

むしろ、自分の決めたように

うまくできないような状況が生じたときこそ、

自分の生活や時間の使い方を

見直すきっかけが生まれ

またとないチャンスにできるわけで。

 

日々仕事や生活に追われていると、

どうしても埋没してしまいがちなんですが、

たった1枚のプリントであっても

それを学習するという行為を、

自分の生活のなかに

自分の意志で位置づけようとすることによって、

そこには

その人の日々の生活のあり方や、

仕事に対する姿勢といった諸々のものが映し出され、

鏡のような働きをしてくれるわけですね。

 


ちょっと話が脱線してしまいましたが、

まだ仕事について1年そこそこで、

うまくなんてやれるわけがないし、

日々仕事をしていて失敗がない、

なんてことはそもそもあり得ない・・・と、

「できない自分」が現状として受け入れられ、

そこが自分のスタート地点だとおもえていれば、

そのことに辛さや苦しみを感じることも減ります。

 

わたしがこんな考え方を、

20代半ばぐらいでできるようになった要因として、

前記したようにわたしが

大学へ行っていなかったことは

大きかったとおもいますが、

16歳のときに得た厄介な病気を、

医師の力を借りず、

日常生活の食事を見直すことで

自分なりに克服した体験もありました。

 

つまり、もし不自然な生活をしている現状が

病気を生んでいるのであれば、

それを見直せばいいのだし、

自然に沿った生活をこころがけていくことで、

病気は自ずと回復に向かってゆく・・・。

 

そのことと同じで、

現状をありのままにみて、

何もできていない自分なんだ、という

〝できない自覚〟さえあればいいわけです。

 

今の自分を「できる自分」だとおもっていれば、

ゴールとして待っているのは、

「できない自分」でしかありません。

 

でも、〝できない自覚〟さえあれば、

自ずと「できる」に向かっていくし、

ゴールには「できる自分」が待っててくれるんだと。

 

「できない」という言葉は

どうしてもネガティブに響いてしまうので、

〝できない自覚〟が大切、という話は

なかなか伝わりにくかったんですが、

最近は冒頭のフリップを見せながら話すので、

格段につたわりやすくなったように感じています。

 

旧ブログ2015.10.17の記事をリライトしました

 

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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は

 こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ

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