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「信頼できる人ってどんな人ですか?」(読書会での意見交換から)

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「信頼できる人ってどんな人ですか?」(読書会での意見交換から考えたコト)

「信頼できる人ってどんな人ですか?」(読書会での意見交換から考えたコト)

2024/04/06

昨日投稿した記事にも書いたんですが、
今日は、13:30から寺子屋塾 中村教室で

塾生の本田信英さん主催による

7回目の『言葉のズレと共感幻想』読書会があり

主催の本田さんとわたしを含めて

参加者は9名でした。

 

2022年1月に出版された本書を手に入れたのは、

その年の春頃だったと記憶していて、

この本についてはその年の11月に

寺子屋塾ブログでもご紹介したことがあります。

細谷功x佐渡島庸平『言葉のズレと共感幻想』

 

今日、読書会で読んだ箇所は次の2章。

第12章 お金と居場所

第13章 幻想と妄想と虚構

 

この連続読書会に今回初めて参加される方もあり、

事前に本をどこまで読み込んでるかどうかも

各々マチマチなので、

最低限、情報を共有化できるように、

冒頭で本田さんが

本書の第11章までの概要やテーマ、

ポイント等を紹介してから全員で輪読。

 

読んだ後は、いつものように

読んだ箇所をめぐって意見交換を行ったんですが、

今日もさまざまな意見が飛び交いました。

 

2022年11月にわたしが投稿した記事で

紹介した箇所がちょうど第12章だったんですが、

「責任について」も、今日の読書会では

ホットなやりとりをしたテーマのひとつです。

 

 

また、「あなたにとって信頼できる人って

 どんな人ですか?」という問いを、

いろんな人に尋ねてみたいと言った人もいて、

今日の寺子屋塾ブログでは、

この「信頼」についてがテーマです。

 

読書会の中では何人かが

自分にとって信頼できる人がどんな人かについての

意見を述べたんですが、

わたしはその場では考えがまとまらず、

意見を言うタイミングを逸したこともあり、

問われた〝信頼〟というテーマに対して

自分だったらどのように答えるかということや、

皆さんの意見、やりとりを聞いて

感じたことを書いてみようとおもいたちました。

 

 

まず、この「信頼」についてという

問いのもとになった、

本書の中での細谷さんと佐渡島さんのやりとり

第12章から冒頭2ページ半の分量にあたる箇所を

抜粋して以下に紹介します。

 

(引用ここから)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
信頼できる人が生きやすい社会へ

佐渡島 現存する多くのコミュニティにおいては、成果を出せるかどうかという基準で人が集まってきている。会社もそうですよね。成果が重要な時点でもう、そこは長期的な居場所ではないです。なぜなら人は、一生成果を出す存在であり続けることはないですから。それは短期的な居場所にならざるをえないと思っています。
土地というのはそれ自体がコミュニティになりますが、現代では土地のコミュニティ機能が弱いですよね。だからだれでも受け入れるコミュニティが必要で、それは現代社会が安定的に発展していく上で、非常に重要な要素だと思います。問題は、だれがどういうふうにして作っていくのかですね。現実には、だれでもウェルカムにしてしまうと、荒らす人も出てきてしまう。(中略)


細谷 コミュニティの中だと、聞き上手にも居場所がありますか。


佐渡島 ありますよ。聞き上手な人は、仲間からものすごく信頼されています。資本主義ではお金を指標として扱っているので、利益を出すことはいいことだという価値観で回っていますけど、それに対して共感エコノミーの中では、フォロワー数だった共感をどれくらい得ているのかということが重要になってきますよね。評価エコノミーといってもいいかもしれない。
でも、これって中国の信用経済みたいなもので、さっきも言いましたが、ある種、監視社会じゃないですか。監視によって信用を決めているわけでしょう。カメラが常に回っている状態。


細谷 中国の一部地域ではキャッシュはほとんど使われなくなっているようですが、そこで用いられている WeChat Pay や Alipay、あるいはそこで信用情報として用いられている芝麻信用などは、個人データをフル活用しているようですからね。


佐渡島 監視社会という形ではなく、信頼できる人が生きやすい社会がどう作られていくかは、今後の大きな課題です。その答えの一つが、小さいコミュニティへのシェアリングエコノミーの導入かなと思っています。
「お金は持っていないけどいい人」っていうのは世の中にたくさんいるけれど、「やっぱりお金を持っている人のほうがいいよね」っていう価値観が強くある。それと同じで、SNSをやっていなくても、フォロワーが多くなくても、信頼できる人は世の中にたくさんいて、それなのにその人たちを見つけられないのはおかしい状態だと思うんですよ。(後略)

 

細谷功x佐渡島庸平『言葉のズレと共感幻想』第12章 お金と居場所より

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(引用ここまで)

 

一部分だけ抜粋したので、前後関係や

前提としている文脈がわからないと

理解しにくいところもあるかとおもいますが、

章の名となっている「お金と居場所」

冒頭に「信頼できる人が生きやすい社会へ」という

中見出しがあるので、

「信頼」ということがテーマとなっていることは

おわかりいただけたかと。

 

近年の日本では、都市化と過疎化が進み、

地縁コミュニティ機能が低下しているので、

だれもが受け入れられるような

新たなコミュニティの構築が必要であると。

 

でも、現実的なことを考えると

誰でもウェルカムというわけにはいかないし、

お金以外に評価指標となるものを

どれだけ多様にもっているかが

そのコミュニティのキャパシティ(包容力)とも

いえるとおもうのですが、

すくなくとも

信頼というのは重要な要素だろうという見方が

出された問いの背景として、

あったのかもしれません。

 

 

さてそれで、冒頭に挙げた問いについてです。

 

「自分にとって信頼できる人がどんな人か?」

という問いを考えるため、

現実にわたしのまわりにいる

わたしが信頼している5人ほどの人を

具体的に想い浮かべてみたんですが、

結局、なぜわたしがその人を

信頼しているかという〝理由〟はさまざまで、

一律ではないことが見えてきました。

 

結局、どんな人を信頼するかを定義しようとしても、

その使い方は人それぞれであるのはもちろん、

わたし一人の中でも多様であるために、

それを厳密に定義しようとしても

限界があるんだと。

 

それで、「信頼」という言葉と

同じように日常的に多用される言葉に

「信用」という言葉があるので、

この、「信頼」と「信用」という2つの言葉の

違いを対比しながら考えていくことで

「信頼」という言葉の意味を

浮き彫りにできるのではとふとおもったわけです。

 

たとえば、「信頼関係」という言葉はあっても、

「信用関係」とは言いませんし、

その逆として、「信用取引」という言葉はあっても

「信頼取引」とは言いませんし。

 

この「信用取引」の卑近なわかりやすい例として、

クレジットカードがすぐにおもい浮かぶんですが、

それは目に見えるやりとりが伴うのに対し、

「関係」は目に見えない形を言う表現で、

イメージしにくいわけです。

 

また、「信頼」とは、

「信じ」て「頼む」ですから、

主にその人自身の人柄や考え方に

期待する意味合いの強い主観的な指標に対し、

「信用」とは、

「信じ」て「用いる」ですから、

主にその人のそれまでの行いや実績に対する

客観的な要素の強い指標といえるでしょう。
 

端的に言うと、「信頼」と「信用」は

対象としていることや

主となる時間軸の焦点が違っているわけですね。

 

つまり、「信頼」は主として、

まだ起きていない

不確かな〝未来〟に対しての言葉なので、

担保なしで成立しても、

「信用」はおおむね、

既に起きてしまった、

為された〝過去〟についての言葉なので、

担保するものがあらかじめ存在していないと、

成立しにくい現実があるわけです。

 

 

次に、「信頼」と「信用」の両者の関係を

考えてみたいのですが、

「信頼」と「信用」は

独立した別個の概念なので、

たとえば、信用できる実績が存在していることが

信頼するために欠かせない

必要条件ということはありません。

 

でも、信用に値する実績がまったくない人物を

いきなり信頼できると見做すような人も

現実にはかなりレアケースでしょう。

 

もちろん、レアケースとはいえ、

まったく存在しないわけじゃないでしょうが。

 

つまり、「信頼」と「信用」は

独立した別個の概念だからこそ、

接続することが可能なわけで、

「あの人は信用できるから信頼する」という風に、

「信頼」と「信用」の両者を

セットで使ったとしても、

とくに大きな問題が生じるわけではありません。

 

さらに、現実をいえば、この世の中

「信頼と信用の意味の違いを説明できますか?」と

問われたとき、すぐにわかりやすく

説明できるような人ばかりではないでしょうし、

この両者を混同している人や、

両者の違いを重ね合わせて使うような人も

存在しているでしょうから、

この辺りが言葉の扱い方の

何とも一筋縄で行かない難しいところですね。

 

 

結局のところ、信頼も信用も、

なぜ信頼するか、なぜ信用するかという

各々の理由、原因となるさまざまな事柄の

上位概念にあたる

抽象的な言葉である以上、

その言葉が意味する内容の多様さや曖昧さを

排除することは不可能なので。

 

となると、たとえばAさんがBさんのことを

信頼しているといっても、

それは、あくまで〝結果〟でしかありません。

 

その信頼する理由は、さまざまであるばかりか、

Aさんの主観的要素が非常に強いので、

AさんがBさんのことを信頼しているからと言って

Aさん以外の人が、必ずしもBさんを

信頼できるかどうかはわからないってことですね。

 

つまり、ここからが一番重要なんですが、

その人をなぜ信頼できるのかという

理由や要素の方が先にあり、

(信頼できる理由を必要としないことも含め)

信頼は、結果として

その後に生まれるものですから、

信頼の原因となっている理由や要素を抜きに、

「信頼」を達成すべき目標として掲げ

それを目指そうとしても

このブログでしばしば登場している

「原因と結果の取り違え」

なってしまいかねないわけです。

 

 

あと、信頼という言葉でおもうことは、

AさんはBさんを信頼していないけど、

BさんがAさんを信頼しているという

片思いというか、一方的な信頼関係も、

もちろんありだとはおもうんですが、

双方向の相互性は、信頼を育む大事な要素に

なり得るってことですね〜。

 

つまり、自分が目の前にいる相手から

信頼されるに値する人間に

なりたいのであれば、

それよりも先に、

自分自身がその相手を信頼することから

はじめることでしょう。

 

よく言われることではありますが、

信頼関係は、壊すのは簡単であっても、

築くことは簡単ではないってことでしょうね。

 

信頼は結果として生まれるものであって

目指すモノではないって話につながりますが、

信頼関係は一朝一夕でできるようなものではなく、

自分が信頼している人との関わりを

大切にするのみならず、

人からもまた信頼されることに

つながるようなアクションを

日々地道にコツコツ積み重ねていくしか

ないのでは・・・という

いつもわたしがこのブログに

書いているような話に

結局のところ落ち着いてしまいました。笑

 

 

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