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寺子屋塾生のらくだメソッドふりかえり文を紹介(その1)

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寺子屋塾生のらくだメソッドふりかえり文を紹介(その1)

寺子屋塾生のらくだメソッドふりかえり文を紹介(その1)

2023/08/20

昨日投稿した記事は前口上だけで

終わってしまい(その0)としたんですが、

入塾時から3ヶ月毎に書かれた

本田信英さんのらくだメソッド学習ふりかえり文を

今日から少しずつ紹介しようとおもいます。

 

なぜこのような記事を投稿しようとしたかなど、

きっかけなどについては、

昨日の記事に詳しく書いたので、

未読の方は昨日の記事からご覧ください。

 

まずは3ヶ月のふりかえり文です。

 

(引用ここから)
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らくだメソッド3ヶ月間の学習をふりかえって

 

らくだメソッドの存在を知り、

初めて説明を受けて体験した時に

これは凄いな、と感じた。
ただ、それが一体どんなところが凄いのかは

その時にわからなかった。

 

3ヶ月以上が経過した今、その凄さが

少しずつわかってきた。

 

私にとって計算(勉強)をすることは答えを出し、

それが当たっているか否かが全てだった。

だから、正解であれば善であり、

不正解であれば悪だった。

実際、学校システムはそういうルールに則って

運営されていた。
けれど、仮にも成人した今、

四則演算ができたところでどうということはない。

正解したら誰かから評価してもらえるわけでもなく、

不正解だったら誰かに窘められるわけでもない。
そういう他人の評価から自由になった時、

計算という単純な作業の中に

自分を見つけることができた。

問題を解くプロセス、間違いのパターン、

そして記録の取り方まで

実は自分の癖が現れていることに気づけた。
1枚のプリントの隅々まで

私という個性が現れていた。

 

私は個性が見た目や言動など

表に現れると思っていた。

けれど、実は細部の見えづらい場所にこそ

あることがわかった。

自分のだけでなく、寺子屋塾に来た

色んな人の話を聞くとその思いは強くなった。

 

正直、今始めた当初のことを思い返すと

酷いものだった。
何重にも折り重なった狭い枠組みにとらわれて

鎖に縛りつけられて、苦しんでいた。
けれど、続けていく過程で

その鎖を生み出しているのが

自分だと気づいてからは、

一本ずつ解けていくようになった。
なにか1つ上手くいかないだけで不安に駆られ、

動揺していた心は最近あまり動じなくなった。

もちろん不安になることもあるし、

感情が不安定な時でもあるけれど、

その振り幅は間違いなく少なくなってきた。
まだまだたくさんの鎖が残っているけれど、

それもやがて解けていく予想がつくことで

慌てる必要もなくなってきた。

 

らくだをやることは自分と対話をすることなのだと

最近思うようになった。
対話、というと他者との間にしか

成立しないもののように感じるけれど、

意外とそうでもない。

それはテニスの壁打ちにも似ていて、

計算を通して一旦自分の外に吐き出し、

答え合わせによって跳ね返って来たプロセスを

今一度吟味する。

そして、そのボールをまた打ち出すのだ。
その繰り返しによって、

最初はあっちこっちへ飛んで行ったボールが

だんだん集まってきて、

ぶれることもなくなっていく。
でも、どうやって上達していくかと言えば、

そのあらぬ方向へ飛んでいく

ミスがあることによって成長していくのだ。

まぐれで真っ直ぐ飛んで、

真っ直ぐ返ってきたボールなんて

ほとんど役に立たない。だって、

それはなんで真っ直ぐ飛んだのかわからないから。

 

ミスがあるからこそ、

ミスをどうにか減らしたいと望むからこそ、

人は上達する。
失敗することがずっと怖しかったし、

今もまだ怖しさはあるけれど、

随分その抵抗感は少なくなってきた。

それはらくだをやりながら

上手くいかない経験を積んできたからだろう。

らくだの良さは単純さにあると思う。

どれだけをミスをしても、

自分の人格が否定されるわけでない。

上手くいかないのは当たり前。

それを知れただけでもらくだをやって良かった。

(2016年2月)
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(引用ここまで)

 

本田さんのこの文章には、

重要な気づきがいくつか書かれているんですが、

まず、最後の結びに書かれている

どれだけをミスをしても、

自分の人格が否定されるわけでない。

上手くいかないのは当たり前

という箇所は、らくだメソッドの学習において

とりわけ大切にしているところです。

 

たとえば柔道では、最初は誰もが

受け身の練習からスタートするという話は

よく知られていることですが、

らくだメソッドで「できない体験」を重視するのは、

この、柔道でいう「受け身の練習」に

なぞらえることができると言ってよいでしょう。

 

「できるようになることを目指さない」という

言い方をすることもあるんですが、

どんな場合においても「できることが良いことで

できないことは悪いこと」とは限りませんから。

 

そもそもこの「できる、できない」という基準が、

テストの点数であるとか、

他者からの評価であるとか、

他者との比較であるとか、

相対的な意味しかもっていない

曖昧さを含んだものであるにも関わらず、

いつのまにか絶対化してしまいがちです。

 

でも、めやす時間台、ミスの数3つ以内という

「できる」基準が明確に設定されている

らくだメソッドで学習していると、

「できる自分」というのも、その実

自分のおもいこみであり、幻想にすぎないことが、

実感をともなって体験できますし、

「できない自分」を受容することの大切さにも

つながるというわけです。

 

また、らくだメソッドの算数、数学教材は、

計算問題中心につくられているので、

一見すると「計算ドリル」のように見えるんですが、

もし、正確に早く解けることが目的であるのならば、

電卓やコンピュータを使ってやったほうが

ずっといいはずです。

 

「なぜ人間は算数を学ぶ必要があるのか?」

という問いにもつながるのですが、

電卓やコンピュータがあるんだから、

学校で算数や数学を学ぶことは

ムダなんじゃないかという意見が

巷でほとんど聞かれないのは、

すくなくとも、正確に早く問題が

解けるようになること以外の所に

学習目的があることは明白でしょう。

 

教材を開発された平井雷太さんは

「〝算数を学ぶ〟から〝算数で学ぶ〟へ」と

よく仰っていたんですが、

算数の学習は一つの手段にすぎませんから。

 

本田さんの文章のなかに、

らくだをやることは自分と対話をすることなのだと

最近思うようになった

という箇所がありましたが、

算数をツールに、自己内対話を促し、

自分自身の現状把握というか、

自分という人間を自分で知ることを

大事にしているわけです。

 

これらのことをまとめて

セルフラーニングと言っているわけですが、

らくだメソッドにおいては、

教材のつくりがシンプルになっているからこそ、

他者評価中心のものの見方から脱却し、

正しさへの囚われから自由になったり、

そして自分自身と対話したりすることが

可能なのでしょう。


 

さて、つぎは本田さんの

らくだメソッド6ヶ月間のふりかえり文です。

 

(引用ここから)

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らくだメソッド6ヶ月間の学習をふりかえって

 

らくだメソッドを始めて半年が過ぎた。
今、私は3ヶ月目の時とはまた違った状態にいる。
3ヶ月目までは「自分に気づく」ための

プロセスだった。

今まで意識的あるいは無意識的に

見ないようにしていたことが

らくだを通して炙り出すような時間だったと思う。
それはまっさらな金脈で

砂金を見つけ出すような行為だった。

次から次へと発見があり、

その作業はどちらかといえば楽しかった。

「知っている」と思っていた私自身の

知らない一面をどんどん知ることができたからだ。

時には嫌なものも出てきたけれど、

それは探索と発見のプロセスはとても愉快だった。

 

そして半年が過ぎた今、

別の過程に移り変わってきたように感じる。
すなわち、「自分と向き合う」プロセスだ。
浮き彫りになった自分に気づいた。
ただそれだけではどうも前に進めないぞ、

ということが朧げながらわかってきた。
気づいた以上はもはや、

そのまま眼を逸らすことはできない。

出先で自分の寝癖に気づくと、

もうそのままにしておくのは辛いようなものだ。

 

直そうと意気込んだらいきなり変わるものでもない。
なぜなら、それは自分が生きてきた

年月だけ身体に染み込んだものだから。

ちょっとやそっと染み抜きを使ったくらいで

どうにかなるものでもない。
そこで初めて直面した。

自分を変えることの難しさに。
こうしよう、と頭では思っていても

身体は慣れ親しんだ方向へと動いてしまう。

手ぐしではなかなか寝癖が直らないように、

思い通りにならないのが歯がゆい。

 

自分の「出来なさ」と相対することが

以前はそれほど辛くなかったけれど、

今は少し辛く感じる。
そこにどんな違いがあるのだろうか?
自らに問いかけてみると、

沈黙の後にポツポツと言葉が返ってくる。

自分ができないことが

当たり前ではなくなってきているのだ。

だから「できないこと」が

余計に際立って迫ってくる。
 
それは自分が前進している証だと

わかっていても苦しい。
自分の嫌な面がどうにもならないことに

苛立ちすら感じる。

 

3か月の時点での振り返りで、

テニスの壁打ちの例を出したけれど、

やはり練習すれば最初は上手くなる。

伸び代ばかりだからだ。

けれど、ある程度習熟してきた時に、

一旦壁にぶつかる。

成長自体は続いているのだけど、

それは最初に比べれば

かなり緩やかになってしまっているからだ。
ともすれば、

成長していないのではないかと不安がもたげる。
あらぬ方向にボールが飛ぶことは

ほとんどなくなった。

けれど、逆にどれだけやっても

スイートスポット(中心)から

少しずつずれてしまう。

そのズレに意識が向き始めると、

もどかしさと歯がゆさが湧き上がってくる。

たまにミスをして、

とんでもない方向に飛んでいけば、

ことさら疲労感がのしかかってくる。

 

それでもなお続けるということは

一体どういうことなのだろうか?
止めてしまえばいいのに、夜遅くとも、

疲れていようとも、

私を机に向かわせるのはなんなのか?
そんな疑問を抱えながら

毎日プリントへと向かっている。

 

そうして壁打ちを重ねていくと、

だんだんそんなモヤモヤも

どうでも良くなってくる瞬間がある。
考え疲れて、悩み疲れて

半ば投げやりな気分で力が抜けてくる。
すると壁打ちの回数を数えることから、

いかにペースを、すなわち自分自身を

保つことができるかに意識が向き始める。

つまり、いつまででも続けられると

確信できる心身の状態があって、

いかにそれを持続できるかが焦点になってくる。
「壁打ち」という行動をしていたはずなのに、

その動作から抜け出して、

いつの間にか自分との対話になっているのだ。
ただ、少しでも「良い状態だな」と自分で自覚した、

その次の瞬間には慢心が生じて、

安定した状態は崩壊してしまう。

生き物として、常に変化し続けている人間が

ペースをキープし続けることが

いかに難しいかを思い知らされている。
今はそんな状態だ。

 

私は自分の求めていた

「明確なゴール」がないことに、

朧げながら気づいてしまった。
それは井上さんとの会話の中でも

既に知っていたことだけれど、実感した。
今は中学生のプリントをやっていて、

このまま高校までのプリントを終えたとして、

それでおしまいなのかと言われれば

終わりはないのだ。
すなわち、100回やってミスしなくなっても

1000回やったらミスが出てくる。

1000回やってミスがなくても

10000回やったらミスが出る。

人間はパソコンではないから

完璧にこなすことはできない。
つまり、どこにも終わりがないのだ。

ただ、いつでも終わらせることはできる。
   
それは生きることと同じだったりする。
だから私は今、このらくだを通して、

どうやって生きていくのかを考えているのだろう。
正直、なぜ毎日続けられているのが

自分でも不思議なのだけど、

きっとそういうことなのだと折り合いをつけている。

(2016年5月)

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(引用ここまで)

 

3ヶ月経ったときのふりかえり文と

比較しながら書いているので、

とてもわかりやすいんですが、

最初の頃の自分の変化といまの自分の変化とが

違っていることなど、

3ヶ月経った時点で見えていたこととは

違うところに自分がいま来ているということが、

具体的にくわしく書かれていますね。

 

そういう意味で、

その時々の〝いまの自分〟を

このように書き残しておくということは、

とても大事だと改めて実感しました。

 

とりわけ興味深いのは、

自分と向き合うことの

面白さと歯がゆさの両面に触れつつも、

「疲労感を自覚しながらも、やり続けている自分、

机に向かおうとしている自分はいったい何なのか? 

いったい何がそうさせているのか?」と

〝問い〟続けていることです。

 

そして、

「この学習には終わりがないが、いつでも

自分の意志で終わらせられる」ことに触れつつ、

「らくだの学習は、生きることと同じだ」と

表現されているところですね。

 

なお、本田さんのnoteにアップされている記事には、

このふりかえり文を書かれた時から

すこし時間を置いたタイミング(2018年2月)で

本田さん自身が書かれたコメントも付されていて、
わたしとは異なった視座、視点が垣間見えますから、

是非ご覧になってみてください。

らくだメソッド3ヶ月のふりかえり

らくだメソッド6ヶ月のふりかえり

 

この続きはまた明日に!

【参考記事】
らくだメソッドではなぜ時間を計るのですか?
まず、ひとつのことから

 

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