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寺子屋塾生のらくだメソッドふりかえり文を紹介(その2)

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寺子屋塾生のらくだメソッドふりかえり文を紹介(その2)

寺子屋塾生のらくだメソッドふりかえり文を紹介(その2)

2023/08/21

タイトルに(その2)とあるように、

昨日投稿した記事の続きで、

寺子屋塾生・本田信英さんが

入塾時から3年間、3ヶ月毎に書いていた

らくだメソッド学習のふりかえり文を

少しずつ紹介しながら、

わたしのコメントを記しています。

 

なぜこのような記事を投稿しようとしたかなど、

きっかけなどの前口上をあれこれ書いたので

一昨日投稿した(その0)をご覧ください。

 

 

さて、昨日の記事では

3ヶ月目と6ヶ月目のふりかえりを

紹介しましたが、今日は9ヶ月目と1年目を。

 

まずは9ヶ月目のふりかえり文です。

 

(引用ここから)
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らくだメソッド9ヶ月の振り返り

 

らくだメソッドも9ヶ月を終えた。
今、私はかつてないほどに

できない状態に陥っている。

 

三日連続でできない日も珍しくない。


始めた頃でもこんなにできないことなんてなかった。

やっていないなと思いながら時が過ぎ、

気づけば日を跨いでいる。

疲れて寝てしまっても、23:30には目覚めて、

プリントへと向かっていた日々が嘘のようだ。

 

けれど、できないことが苦痛ではない。

 

始めた頃はできない日が苦痛で仕方なかった。
記録表の空白が自分の怠惰を

物語っているような気がしたからだ。

空白に苛まれて、後悔から逃れるために

駆り立てられるようにプリントへと向かった。

 

けれど、今はそうは思わない。
今日もできなかったな。
そうやって事実を事実として受け入れている。

 

やろうとしながらもできないことは

反省の気持ちは浮かんでくるけれど、

それ以上の感情は浮かんでこない。
ともすれば、それはプリントへのモチベーションを

失っているのかもしれない。
しかし、そもそもらくだメソッド自体が

やる気でどうこうするものではないのだ。

やったらそこから学べばよくて、

できなかったら「できなかったこと」から

学べばいいのだ。
あらゆることから学びを得る。
それこそが本当の学びなのだ。

 

とはいえ、約150日連続記録が途切れたことが

やらない日を増やしていることにはかわりない。

 

ただ、できなくなったことで私は

確実に自由になった。

 

続けることが目的であった時、確かに

自己効力感は湧いてきたけれど、

同時にそこに依存している自分もいたことを

否定できない。

「これだけ続けられているんだから、

自分は凄いんだ」と

自分に暗示をかけるようにして、過ごしていた。

 

連続記録が途切れた時に、

無念よりもほっとした自分がいた。

 

ああ、これで肩の荷が下りる。

 

つまりは、私は緊張しながら

毎日プリントをやっていたのだ。
張り詰めて張り詰めて、

耐えきれなかった糸が切れてしまった。

それが実情だ。

 

今の状態は私にとってどんな時期なのだろう?
そんな風に自問してみると、

「振り返り」の時期だと思っている。
これまで自分が辿って来た足跡を

じっと見つめ直してみる。

 

3ヶ月目の振り返りから、

テニスの壁打ちにと例えてきた。
それに倣うならば、今は休息の時なのかもしれない。

 

成長ばかりの段階から、

緩やかな成長と停滞を経て、一旦休む。
上手くなりたいからといって、

闇雲に取り組めばいいのかといえば、そうではない。

必要以上の疲労は身体を痛めるだけでなく

フォームも崩してしまう。

身体の超回復を促しながら、

頭で次はどんなことを意識しながら練習しようか、

どんな戦略で上達していくかに頭を巡らせている。

 

この時間をいかに過ごすかで次の飛躍が決まる。

地味だけれど、とても大切な時間。

毎日プリントができたりできなかったりしながら、

ゆらゆらと内省を深めていく。

 

6ヶ月目の振り返りを読み返すと、

「明確なゴール」がないことに気づいたと

書いてあった。
その想いは強くなるばかりで半ば、確信めいてきた。

 

その上で、ゴールを目指すことよりも

「今、どうあるか」を大切にするようになってきた。
今、目の前の人と接する時にどうあるだろうか。

真剣に真摯に向き合えているかを

自分に問いかけている。(2016年9月9日)

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(引用ここまで)

 

他の教材にはあまり見られない

らくだメソッドの大きな特徴の一つとして、

自分用のカリキュラムを

自分で自由に作れること

挙げられます。


たとえば、「1日1枚」という原則はありますが、

それはあくまで〝原則〟にすぎなくて、

「自分で決めて、自分でやる」学習というか。

 

本田さんも書いているように、
人間の大脳というのはなかなか厄介にできていて、

できないことにも依存すれば、

できることにも依存してしまうわけで、

もし、その自分の決め方に、

力が入りすぎていたり、無理があったりすれば、

自ずとできなくなるわけです。

 

つまり、じつはらくだメソッドというのは

その辺りもあらかじめ折り込み済みというか

想定した上でできているプログラムなので、

できなくなること自体は、

何ら悪いことでも問題でもなく、

そうしたときに

自分を責める必要などまったくないわけです。

 

たとえば、プリントが毎日続けられていることは、

ひとつの結果にすぎなくて、

だいたい、結果にすぎない「続けること」を

目的に置くこと自体、本末転倒なんですが、

ほとんどの人がアタマ主導になってますから、

カラダの動きを無視して

アタマの思考だけでやろうとするのが普通で、

その、本末転倒であることにすら

気付くことができないんですね。

 

でも、このらくだメソッドの学習においては、

それまで見えなかった課題が表面化するというか、

その人に必要な、絶妙なタイミングで

起きるべきことが起きてくるので、

紆余曲折のプロセスをさまざま経ながらも、

いまの自分にとってちょうどイイところに

落ち着いていくというか、

行き詰まることや、できないことすら

むしろ歓迎すべきことなんだとわかってきます。

 

とにかく、アタマで考えていないで、

やってみればいいわけなので。

 

もし、〝教える教育〟に問題があるとするなら、

まだ、何もやっていないうちから

うまくやろうとしたり、

わかったつもりになってしまう人間を

量産してしまいかねないことでしょう。

 

もうひとつ視野を大きく拡げることができれば、

そうした現象すら、

自然過程にすぎないとも言えることが

わかってくるので、

問題視したり批判したりする必要すらないんですが。

 

まわりの状況は

つねに変化し続けているわけですが、

同じように自分もまた変化していますから、

そうであればこそ、

そうした変化し続ける状況に対し

常にいま、この瞬間瞬間が、

日常的に折り合いをつける鍛錬になり得るわけです。

 

できない状態の自分自身を受け入れつつ、

自分と少し距離を置きながら、

「いまは内省を深めるタイミング」

ふりかえっている箇所が、

とりわけ印象的でしたね。

 

世阿弥の言う「離見の見」というのは、

おそらくこういうことで、

「どうするか」という視点から

「どうあるか」という視点にシフトできれば、

プリントをやることだけが学習なのではなく、

すべての現象から学べる姿勢が

いつのまにか身に付いてしまうことでしょう。

 

 

さて、次は1年経った時点のふりかえり文です。

(引用ここから)
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らくだメソッド1年の振り返り

 

らくだメソッドを始めて、1年が経過した。

長かったような、短かったような

奇妙な感慨を抱いている。

 

始めた時から、ずっと記録を取っていて

最初の記録を見たら2015年11月17日だった。
読み返してみると、

なぜかビクビクしている自分の姿が脳裏に浮かんだ。

 

1枚1枚をやるたびに、

自分が目をそらしてきたものが明らかになるようで、

あるいは覆っていた表皮が

剥がされるような感覚があって恐れていたのだろう。

記録の端々に「不安」という言葉が散らばっている。
肩肘張って、張り詰めた余裕のない文だ。

 

それに比べて最近の記録は、

どこか客観的な視点から

自分を見つめているような文章になっている。

プリントをやる中で浮かび上がってくる感情と

自分を切り離して、

それを弄ぶように味わっている。

同じ人間が書いているとはなかなか思えない。

 

それだけの変化が起こっているのだろう。

 

思えば、遠くまで来たものだ。
内容もわからないままに直感に従って、

井上さんに初めて会った翌週には

もう体験を始めていた。

がむしゃらにのめり込んで毎日やることで

自尊心を満たしていた時期もあったし、

1週間まるまるできなくなって

平然としている時期もあった。
1つだけわかるのは、

間違いなく肩の力は抜けてきている。

 

「こうでなければ」と自分で縛った鎖は

だいぶほどけてきた。
色んなことに諦めがつくようになって、

そしてそこからがスタートだと思えるようになった。

 

希望に満ち溢れているわけでなければ、

絶望に暮れるのでもない。
事実を把握して、事実へと取り組んでいく。

 

淡々とやる。

そのことの意味が実感として

ようやくわかってきたのかもしれない。

 

記録をとり、振り返りをする。
この枠組みは今の私の生活にとって

なくてはならないものになった。

 

ヨガや日記、インタビューゲームに至るまで

様々な記録を取るようになった。

記録の取りすぎて時間が足りなくなるくらいだ。

けれど、そのおかげでより一層の気づきが

私の中に芽生えるようになってきた。

 

「自分の変化をわかった気になる」ことと

「自分の変化がわかる」ということの間に

隔絶された高い壁があることを今ならばわかる。
自分の頭の中で理解する変化なんて

幻想でしかなくて、

事実から常に変化を見ていかなくてはいけない。

体験のない実感なんてないのだ。

 

私はこのらくだメソッドを

いつまで続けるのだろう?
最近、そんなことを思うようになってきた。
少なくとも高校全てが終わるまでは続くのだろう。

そしてそれを終えた時に、

私はどのようにプリント向き合おうとするのだろう?
全てを終えた時の自分が

どんな選択をするのか楽しみだ。(2016年11月)

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(引用ここまで)

 

このふりかえり文のなかで、

思えば、遠くまで来たものだと書かれた

この本田さんの言葉は、

わたし自身の実感でもあります。

 

わたしは学生時代には、コツコツやることが

本当に苦手な人間だったんですが、

一昨年の9/1に始めたこのblog記事の毎日更新も

もうすぐ丸2年になりますし、

朝30分の散歩は3年間、1日も休まずに

やり続けられていて、

「昔はコツコツやることが本当に苦手だった」

と塾生たちに言っても、誰も信じてくれません。笑

 

本田さんは、

「自分の変化をわかった気になる」ことと

「自分の変化がわかる」ということの間に

隔絶された高い壁があると書かれていますが、

たとえば、「目の前の現実」と言うときの、

その「現実」とは、一人ひとりが違っていて、

「現実=事実」ではない、ということが、

このらくだメソッドで学習を続けていると、

本当によくわかってきます。

 

らくだメソッドで学習したことがない方が、

この記事を読まれても、

よくわからないとおもうんですが、

本田さんも書かれているとおり、

そもそも、らくだメソッドの学習とは、

わからないことを、わからないままやる

学習なんですね。

 

わたし自身もかつてはそうでしたし、

「わからない」ということに対して、

恐怖心を持つ人はすくなくありませんが、

それも、すぐにわかったつもりになりたい

大脳の性質の為せるわざで、

「わかっている」といっても、

たいていの場合は、

単に知っているだけの次元にとどまっているか、

ほぼ勘違いなので。

 

そのことが心底腑に落ちると、

わからせようとする必要などなく、

わかるってこと自体が

そんなに大事なことじゃないとわかってきます。 

 

らくだメソッドの場合は、

手順に沿って解いていけば、

だれにでもできるようになるような
高度な思考力や発想を何ら必要としない、

計算問題主体で構成されていますから、

たとえば、「プリントをやるのが辛い」という人は、

「プリントをやる」という身体の行為に、

自分の過去の経験に基づく認識を

無自覚のうちに投影していて、

しかもそのことに、

自分で気がつけずにいる状態と言ってよいでしょう。

 

「思考は現実化する」という言葉がありますが、

結局のところ、目の前の事実をどう捉え、

どう認識しているかが

その人の現実を形づくっているわけです。

 

「おもいこみが強い」という言い方もしますね。

 

絶望も幻想ですが、夢や希望もまた

同じようにアタマの中だけにある

幻想でしかありません。

 

いまの世の中、アタマの中にしかない

過去や未来の幻想に

必要以上に振り回されている人が

少なくないように見受けられるのですが、

らくだメソッドの学習記録表は

そうした思考の外在化を促しますから、

事実ベースの記録に基づいて

内省しながら自己観察する姿勢が定着してくると

事実と認識の切り離しができるようになります。

 

そうした姿勢が習慣化し、

自分の認識と他者の認識の区別が

自然にできるようになってくると、

「いま、ここ、自分」が生きる主軸になって、

本当にラクになってきます。

 

よって、らくだメソッドは、

幻想に振り回されない

地に足の付いた生き方を日々実践し、

実現していこうとする人にとっては、

とても頼もしい応援ツールと言ってよいでしょう。

 

 

なお、本田さんのnoteにアップされている記事には、

このふりかえり文を書かれた時から

すこし時間を置いたタイミング(2018年2月)で

本田さん自身が書かれたコメントも付されていて、
わたしとは異なった視座、視点が垣間見えますから、

是非ご覧になってみてください。

らくだメソッド9ヶ月のふりかえり

らくだメソッド1年のふりかえり

 

この続きはまた明日に!

 

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