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自分とは何か(阿部謹也『大学論』より・その1)

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自分とは何か(阿部謹也『大学論』より・その1)

自分とは何か(阿部謹也『大学論』より・その1)

2023/09/23

イベント案内でお知らせしてきましたが、

今日は午後から中村教室で

読書会『言葉のズレと共感幻想』の

3回目がありました。

 

読書会そのものについては、

改めて記事として書くつもりでいるんですが、

今日読んだ部分のうち

第5章「引いた目で見れば」に、
佐渡島庸平さんが

先を見通す視点ということから、

アメリカと日本の著作権のあり方の違いや

法律の作り方の違いを例に出しながら
「政治家には、現在は非常識に感じるけれど

50年後には当たり前に感じる発言をしてほしい。

衆愚政治とは、今を見ちゃう仕組みの中の政治で

今の日本はそれに陥っている」

と発言されている箇所がありました。

 

その発言内容の是非はともかくとして、

その箇所を読みながらわたしがおもいだしたことは、

ちょうど、昨日の記事で紹介した

宮台真司さん&波頭亮さんの動画内容が

日本社会の政治状況に触れていたので、

不思議とつながっていたなぁということがひとつ。

 

そして、もうひとつは、

日本社会と欧米社会との違いを

晩年に〝世間〟や〝教養〟というキーワードから

オリジナリティの高い研究をされていた

歴史学者・阿部謹也さんの存在です。

 

阿部謹也さんは、一橋大学の学長を

2期6年勤められました。

 

その時に入学式、卒業式で話された式辞の内容が

書物に残されていて、

いつかこのblogでも紹介したいと

予てから考えていたのです。

 

今日はまず「自分とは何か」という

タイトルのつけられた1993年の入学式式辞から。

 

以下、1999年に出版された『大学論』の

付録として収められた文章からの引用です。

(引用ここから)
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自分とは何か  
 

国立の桜も満開の今日、平成5年度の新入生を迎えるにあたり、本学の伝統と学風を継承する刺とした若い皆さんの入学を心から歓迎し、お祝いの言葉を述べさせていただきます。
まず新入生の皆さんに心からおめでとうと申し上げたいと思います。現在の日本においては大学に入学するということは後々まで影響が残る大きな出来事です。めでたく困難な入試を突破して入学された皆さんにお祝いの言葉を述べると同時に、私がおめでとうということの意味をお話したいと思います。


自分を知ること
一般的には一流大学に合格すれば、将来の就職もいわば保証されたようなものだと、ご両親もお考えになっておられるかもしれません。しかし私がおめでとうと申し上げるのはそのような意味だけではありません。
わが国の学校制度のなかでは、大学はかなり特異な位置を占めています。たとえば皆さんのなかには、校則の厳しい高等学校で学んだ方もおられるでしょう。その校則をどのように評価するにせよ、一橋大学の学則は個人の行動に関しては服装も含めて特に定めておりません。それだけでなく、皆さんは大学生として教官、職員と対等な人格をもっていることが認められています。それは当たり前のことといえますが、日本の社会ではそれが必ずしも当たり前のことではなく、むしろ稀なことなのです。
さらに一橋大学においては授業の時間割は皆さん自身がつくることになっています。皆さん自身が講義やゼミナールを選択するのです。大学では学習の主体は学生だからです。これまでの高校の生活では教えられる立場であった皆さんが、今後は自ら学ぶ立場になるわけです。
また1年次からゼミナールを選択することができます。ゼミナールとは10名前後の学生が1人の教師を囲んで学ぶ形で、お互いに顔を覚え、親しい関係のなかで学ぶことができるシステムです。ゼミナールは一橋大学が誇る制度です。なぜなら専門科目の教官も含めて、原則としてすべての教官が何らかの形で1,2年次の講義やゼミナールを開講している大学は決して数が多くはないからです。1年生の時から教官とともに机を囲み、コンパに参加し、ゼミ旅行や合宿に参加できるのです。
しかしそれだけならある意味で当たり前のことです。大学に入るということはそれだけでなく、日本という社会を客観的に観察する足がかりとなるので、その意味で皆さんの人生の出発点になるのです。
どのような人生をおくるにしても自分というものを知り、自分が生まれた社会の状況を知ることが前提となります。自分はいったい何者なのか、どういう人間なのか、そして今後どういう人間になろうとしているのかということの自覚がなければ、その人はどのような人生をおくるとしても悔いが残る可能性があります。自分を知ることが人生の出発点であり、そこからはじめて社会を知る糸口がつかめるのです。
大学の最初の2年間はそのために一般教養課程とこれまで呼ばれてきました。そこではさまざまな教科を学び、そのなかで自己を発見してゆく期間とされているのです。しかし自分を知るということは容易なことではありません。どうしたら良いのかを少し考えてみたいと思います。

 

自己を変えてゆくこと
私は昨年まで1、2年次のゼミナールをもっていました。私にとってはたいへん楽しいゼミナールでした。そこでは「西欧中世における個人の発見」という書物を読み、日本人にとって個人とは何か、人格とは何かを皆で討論していたのです。夏休みには2泊3日の合宿をして、そこで 一人一人が「自分はなぜここにいるのか」という題で1時間ほど報告をしたのです。
一人一人が親との葛藤や高校の校則、趣味や野球の話を一所懸命してくれました。その後で全員が話し合うのですが、皆がお互いに理解し合い、共通の基礎ができたように思います。しかしそれ以上に自分というものを理解するきっかけがつかめたようなのです。
人間は20歳までの経験を基礎にして40歳まで食べて行くことが出来ると小説家のアラン・シリトーがいっています。どんな人でも20歳までの間にそれぞれ大きな経験をしています。幼いとき、感受性の強い時期に受けた外界の印象は強烈なので、それが人生の出発点となるという意味なのです。シリトーは小説家ですから20歳までの体験を基にして40歳まで小説の題材にすることが出来たということなのです。
功成り、名遂げた人の書く自伝などには興味はありますが、その人にとってはその自伝がそれ以後の人生の基礎になるというものではないでしょう。しかし、20歳以前に自分の幼い頃からの体験を、一度だけでよいですから紙に書いてみることをお薦めします。それによって自分が対象化されるからです。自己を対象化することこそ自己を知るための第1歩なのです。また他の人の自己分析の結果を聞くことも大変役にたちます。私のゼミナールではこうして長い間やってきましたが、成功していると思っています。
自己分析をした結果、自分というものを対象化し得たとき、その先はどうなるのかといいますと、大学はその意味で大変好都合な場所です。自己分析を通して自分をある程度歴史的に解明しえたとして、その上でその自己を変えてゆこうという意欲が生まれるでしょう。自分はどうしたら変われるのかを毎日考えなければならなくなるでしょう。それには学ぶということ以外にはありません。
ボートを漕ぐときも、山に登るにしても、そこには何らかの形で対人関係が生まれます。人間は人間に出会うことによってしか変わらないのです。優れた人物に出会うことが必要であり、大学にはそのチャンスが多いのです。一橋大学には400人の教官がいます。その誰にも自分の関心が向かないということは、まず無いでしょう。自由に連絡して訪ねていただきたいと思います。よく人は徐々に変わってゆくものといいます。私はそうではないのではないかと考えています。優れた人との出会いによって一夜にして変わるのが人間というものではないかと思うのです。この4年の間にそういう出会いがあることを願っています。

 

近代化と合理化
ところで一橋大学に入学するということは卒業後の就職も保証されたようなものだと考えられているようですが、そこにも問題がないわけではありません。皆さんの多くは合格した喜びにひたっていると思いますが、4年間の学習のなかで忘れてはならないことがあるのです。それは人間の知性の限界とでも言うべきことです。
どういうことかと言いますと、カール・シュミットという社会学者の言葉ですが、「人間は自分がおかれている環境にうまく適応している限りでその環境の本質を理解することは出来ない」というものです。この言葉が私たちに語りかけていることは大変重いといわなければなりません。つまり、皆さんは一橋大学に合格し、日本の社会のエリートとなる条件を手にいれられた訳ですが、その結果、日本の社会に適応しうる立場にたつことになり、日本の社会を洞察し得なくなるかも知れないといっているからです。
私たちは社会科学を学ぶものとして日本の社会の分析を怠ってはなりません。そのために常に自分が日本の社会に適応している存在であるということを忘れてはならないということなのです。明治以降、日本は欧米先進諸国に倣って近代化を志し、そのために努力してきました。そのなかで商法講習所から始まった東京高等商業学校も東京商科大学等を経て一橋大学へと変わってきたのです。旧制帝国大学が本来官僚養成のためにつくられたとすれば、一橋大学の前身は「キャプテン・オブ・インダストリー」という言葉に象徴されているように、日本の近代化のために実業人を養成することを目的としていました。
高等商業から商科大学への歩みは言うまでもなく、それ以前の非合理的な商慣行を近代化合理化するために、欧米の学問を取り入れようとすることにあったのです。しかし商慣行は日本人の日常生活の中に深く根ざすものでしたから、商慣行だけを合理化することは出来ません。
本学の前身である東京商科大学において、すでに哲学の左右田喜一郎、歴史学の三浦新七といった錚々たる学者を擁していたことは、当時すでに社会科学の総合大学としての実質を持っていたことを示しています。それはまさに当時の商科大学の理念にふさわしいものでした。商慣行だけでなく、日本社会の合理化のための学問が営まれていたのです。そのために社会科学の全分野にわたる研究者が本学には結集していたのです。そこでは日本社会を合理化するためにはどうしたらよいのかが、日々問われていたのです。合理的な経済・社会、合理的な法のあり方が探求されていたのです。
日本の大学は明治以来、日本社会の合理化のために努力してきたのですが、それに成功したのでしょうか。こう問うて見ると答は半ば成功し、半ばいまだしということになるでしょう。議会制度、経済、商業、教育、行政、司法などの分野では制度面の近代化は進んでいますが、制度を運用する人間のあり方を見ますと、政治の世界だけでなく、経済・商業の世界でもいまだに非合理的な人間関係が生き残っています。それは昨今の政財界の汚職事件を見れば明らかだといえるでしょう。
私たちは日本社会の合理化を制度の面だけでなく、人間関係の面でも押し進めなければなりません。そのために大学が果たすべき役割は大変大きなものがあります。大学こそはヨーロッパが12世紀以来、ヨーロッパ社会を合理化するためにつくった制度であったからです。明治以来日本の大学は、その意味でヨーロッパを追いかけてきました。
しかし私たちはヨーロッパ社会の合理化の道を辿るだけではすまないでしょう。社会の合理化には文化圏によって様々な形があるからであり、ヨーロッパ流の合理化がそのまま日本に適用できるわけではありません。日本の社会も明治以来のヨーロッパ化・近代化の努力にも関わらず、根底において、つまり人間関係という面では合理化されなかったのも、そこに原因があるといって良いでしょう。


個人と社会の関係
それでも私たちに可能な分野もあります。それは個人というものをもっと大切にし、個人の尊厳を日本の社会のなかでも自覚してゆく道を探ることです。わが国では個人というものは一応は認められているように見えながら、社会全体の中では必ずしも優位を認められているわけではありません。個人は全体に奉仕すべきものという考え方がいまだに残っています。
皆さん自身のこれまでの生活を振り返ってみてください。高校時代の校則との関係のなかで、あるいは大学進学にあたって皆さんは自分の意志を十分に発揮しえたでしょうか。それができたと思う人は幸せな人でしょう。多くの人はさまざまな制約を乗り越えて今日を迎えているのだと私は思います。憲法の条文にあるにも関わらず、わが国では個人の権利はいまだに社会の一般の常識になってはいないのです。
たとえば親は子どもに対して権利をもっていると思いがちで、日本の社会もそれを認めているかに見えます。子どもの就職や結婚に親が口を出し、ときには親の承認がないと結婚を認めないということすらあります。わが国で個人が真に生まれるためには親が子供から自立することが必要なのです。そして子どもも親から自立しなければならないでしょう。
親は子どもが自分と対等な人格をもつ存在であるということを認めなければならないのです。大学の4年間はこういう意味でも親離れの時期であり、親にとっては子どもを離れたところから観察する良い機会であるともいえます。
皆さんには、(教養課程を過ごす)小平(校舎)の2年間にさまざまな講義を聴き、ゼミナールに参加し、課外活動を行うなかで「自分とは何か」という問に対する答を見つけていただきたいのです。同時に自分が生まれ育った故郷をとらえなおし、自分のこれまでの生活を振り返ってください。その上で自分と日本の社会、そして世界の関係に想いを馳せてほしいのです。社会科学はそこから始まるのです。
社会とは本来、西欧においては個人が集まってつくるものと考えられていました。したがって個人が集まってその社会のあり方を必要ならば変えることが出来るとみなされていたのです。しかし日本においては社会はすでにあるものとして受けとめられる傾向があり、個々の人の生き方や考え方によって変わってくるものだという自覚が乏しいように思われます。これから皆さんは一橋大学において欧米の社会科学の古典や現代の学者の研究を読む機会が多いと思うのですが、日本の社会科学と欧米の社会科学との間にこのような大きな違いがあるということをまず知っておいていただきたいのです。
わが国の個人のあり方が西欧と同様なものであるなら、西欧の社会科学の書物の内容がそのままわが国に当てはまることになりますが、事実はわが国の個人と社会の関係が西欧と違っているために、西欧の社会科学の、古典も含めた研究の成果をそのままわが国に当てはめることが出来ないのです。
この問題はわが国の社会科学研究のなかでいちばん重要な問題です。西欧の社会科学の古典の背景になっている個人と社会のあり方とわが国のそれとの違いに気づくことが社会科学研究の出発点になるのです。そしてこれらすべての問題の前提に「自分とは何か」という問いがあります。 どうかこれからの4年間を無駄にすることなく、十分に勉強して頂きたいと思います。そのことを期待してお祝いの言葉といたします。

 

※一橋大学1993年入学式式辞より(阿部謹也『大学論』所収)

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(引用ここまで)

 

明日はこの入学式式辞へのわたし自身のコメントと、

1997年卒業式の式辞として話された

「建前と本音」を紹介する予定です。

 

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