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他人を見捨てる「日本社会」なぜ助け合わないのか?(その2)

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他人を見捨てる「日本社会」なぜ助け合わないのか?(その2)

他人を見捨てる「日本社会」なぜ助け合わないのか?(その2)

2023/09/29

昨日投稿した記事の続きで

宮台真司さんと波頭亮さんの対話動画3回目の

YouTube動画をもとに作成した

講義録その2で、後半部分です。

 

モトにした動画データはこちら↓

 

 【宮台真司】"他人を見捨てる"「日本社会」

なぜ助け合わないのか?

 

宮台:さてですね、僕たち民主制だってことがね、出発点になりますよね。民主主義には大前提があるんですよね。でそれは、「民主主義の民主以前的な前提」っていう風に一部の社会学者が言いますけれど、それはまあざっくり民度と言ってもいいんです。で民度というのは、実は、個人の問題というよりも、さっきコーヒーハウス的伝統って申し上げたように、人々が普段からどういうコミュニケーションをしているのかっていうことなんですよね。だから、人々のそういう地場のコミュニケーションのモード、あるいはそれを支える生活形式次第では、民主制は非常に危ないものになる。日本は民主主義だから良い国です、民主主義の価値観を守ろうとする国々と連帯します、とかって、例えば安倍、岸田、それ以前も言ってますけれども、これは大問題で、民主制は民度次第、あるいは民度を支える生活形式次第なんだよねっていうことを、政治家も言わない、学校の先生も言わない、子供たちは、民主制だから良いのだと思っていて、そうじゃなくて、民主制はいいかどうかわからんが、お前らが一定の生活形式ゆえの一定の民度を持っていれば素晴らしいものになるという風に、「民主主義は条件付きでいいものなんだよ、条件次第ではひどいものなんだよ」っていうことを、教えてないんですよね。まずね、ここがヒントになります。

 

波頭:有名な話ですけど、自力で生きていけない人は、もう見捨ててもしょうがないっていうレートって、世界で日本が一番高いんですよね。

 

宮台:そうですね、圧倒的ですね。

 

波頭:約40%ですね。

 

宮台:そうですね。

 

波頭:先進国だろうが、発展途上国だろうが約10%。要するに人間という群れの動物のナチュラルなところは、自分で生きていけない人は包摂して群れて助けてあげようっていう価値観を持つ人が9割で、10%ぐらいそうじゃないっていうのが、やっぱり進化論的にみたときの合理的なバランスなのに、日本だけ40%の人が見捨てろっていう。だからね、そこも何とかしないと、日本って次のステージに行けない。要するにみんなでコミュニティとして幸せになれる段階にいけないんだろうと思いますよね。

 

宮台:これはすごいデータだけれど、でも時々起こるね、生活保護不正受給者バッシング。これ1%に満たないのに、それをバッシングしてるんですよね。それよりも統計的には生活保護の未補足率が8割に及び、他の国は、逆に補足率が8割に及んでいるっていう事の方をね、批判しなきゃいけないのに、「なんで俺の金がずるしてるやつに行くんだ!」みたいになるのは、異常ですよね。要はね「日本人には〝社会〟という概念がないんだっ」ていう柳田邦男が言った、あの世間の話で書いていることにやっぱり直結しますよね。だから、僕がよく言うのはね、昔は地域共同体があった。だから、自分が何かあったら助けてもらうような界隈っていうのがね、おそらく数十人っていう規模でね、まあ、親族含めてあった。しかし、最近では、仲間の範囲がどんどんちっちゃくなって、94年段階だとだいたい3人っていう感じ。で、それがその後さらにちっちゃくなって、仲間がゼロになったっていうのが、90年代後半から末の話で、酒鬼薔薇聖斗事件その他ね、いわゆるキレる少年犯罪が頻発した時に、そういう風に言ってきたことではありますけれども、だからその意味で言うと、もっともっと地域社会、あるいは地域的な共同性があった時には、公共性、まあ公共性というふうに評価されるようなね、ギフト、ある種の無償のギフト、贈与を与えるという感覚が人にあったとして、見知らぬ人間に対してどうするのかということについての、もともとの枠組み、マインドセットが日本人にはないようなんですね。なので、特にとりわけ日本では、もともと血縁主義の伝統も、柳田が言うように皆無ってことがあるので。血縁意識の伝統っていうのは、どんなに離れていても血縁上のネットワークにあるよって分かれば、もう顔を知らなくても名前を知らなくても助けるという伝統ですけど、日本はそれが全くないので。

 

波頭:宗教もないですよね。

 

宮台:ないですよね。だから、血縁主義っていうのは必ず宗教と結びついていて。(世界には)2つすごい血縁主義の集団があって、ひとつはユダヤの方々だけど、これはユダヤ教という宗教によって血縁主義的なるものが担保されていて、(もうひとつの)中国は儒教的なるものによって・・・

 

波頭:韓国も強いですね。

 

宮台:韓国も強いですが、日本にはそれもない。宗教もない。だから、もちろん血縁主義もないんだけど宗教もないって言うと、実は地域でTogetherでいるっていう事によって働く、ある人の「助け合わなきゃ」っていうのを守らないと、つまり例えば地域が開発されるとか、公害がですね、進んでしまうとかっていうことがあると、途端に残念だけどそういうバトルフィールドではないホームグラウンド、ホームベースっていうのは一挙に壊れるんですね、でそれが今の状態ということです。

これは、いわゆる政策的な失敗という風にはなかなか言いづらいところがあって、誰が政権を取っても、これを止めるっていう方向にはね、頭を使わなかった可能性があるって意味では、残念だけれども、日本人の劣等性がそこにある。この劣等性っていうのは、近代から見た場合のってことなんだけれどね。波頭さんね、あの要はその日本人に規範がない問題っていうのがあります。例えばね、日本人は平目でキョロ目でまわりを伺う。これは集団主義か?っていう提議をされたのが、社会主任学者の山岸俊夫さん。統計調査をすると、これは集団主義ではなくて、「自分のポジションを保とうとする自己中心主義の表れなんだ」っていう風に断じられたんですね。で、僕の人生経験でも全くそのように思います、残念だけど。空っぽなんですよ。まわりの空気は一変すれば、昨日まで「僕が一番の天皇主義者です」とか言ってたのが突然「僕が一番の民主主義者です」って同じ奴が同じ口で言い始めるっていうね・・・

 

波頭:個人的な目先の非常にマテリアルスティックな、小さい損得だけで動くっていうね、その空っぽっていうそのものになっちゃいましたよね。

 

宮台:で、波頭さんね、だから、そこが実は処方箋の第一歩になる。それこそ50年とか100年のスパンで見た時に、どういう国にならないとまずいのかって言えば、子々孫々までメンバーズに加えたような発想が大事だという、その前提でしゃべりますけれど、今お話してきたように、語り合ってきたように、要は仲間を守る、あるいは仲間を守るために、自分は多少犠牲になっても構わんっていうようなメンタリティーを、やはり規範として樹立するっていうのを作っていくしかないんですね。

最近ブーバー、僕が中学2年の時にちょっと影響を受けたんだけど、読み返してみてちょっとすごかったんでですね、びっくりして、最近いろんなところで言ってますけれど、例えばハーバンスのちょっと上の世代なんですね、ブーバーは。ちょっといっても十数年上なんですけど、ハーバンスには生活世界っていう概念がありますよね、まあレーベンスベルトで、それをホームベースだって言うんですね。それに対して、システム世界、ここはバトルフィールドだっていう風に言うんですね。で、これ素晴らしい発想だなと思ったら、はっきり言うと、ブーバーの方がもっと分かりやすく包括的に問題を言っているんですよ。で、バトルフィールドである市場や行政は、人を「それ」、つまり it として扱う世界なんですね。それに対して、ホームベースは、人を「汝」you として扱う世界なんですね。で「我と汝」という関係と、「我とそれ」っていう関係は、徹底的に違うよって言うんですね。「我とそれ」の関係では、それは入れ替え可能、リプレイサブルだと言います。なるほどな。あのこれ僕の例ですけど、カレーライスを作る時にジャガイモ、人参、玉ねぎを使う。その時に、じゃがいも、人参、玉ねぎに名前はつけませんよね。つまり、いい材料だったら何でもいいわけです。で、つまりこれはバトルフィールド、市場や行政における人間とそれの関わりなんですね。でも、人間はそれだと孤独になるんですね。誰かに you として、つまりリプレイサブルな it ではなくて、イリプレイサブル、つまり置き換え不能な、入れ替え不能な you として眼差された時に、初めて輪郭と重みが与えられるんだっていう風に言うんですよね。特に若い人になればなるほど、あるいは、今だったらもうかなり年長の人でもそうだけど、友達がいない。単にまあある種、都合がいいから付き合ってるだけで、その意味で言うと、例えば孤独だから、孤独の埋め合わせに人を使っている。孤独の埋め合わせっていう人の使い方は、やっぱり道具なんですよ。感情的な安全が保証される場がないと、またバトルフィールドにリエントリーできないんですよ。だからリエントリーできない人がたくさんいるんですよ。たくさん働くからバーニングアウトする、いやそれもあるんだけど、たくさん働いてホームベースがないと、バーニングアウトするんですよね。そういう意味で、 例えば損得勘定のですね我利我利亡者グリーディーな人がこれを見ているとして、それだとしてもそういう方に言いたいのはホーム ベースを保って、そこに帰還しリターンしてリセットしてリエントリーできるような、そういう場、生活世界あるいはお互いを言うとして it としてではなく眼差し合う場がないと、残念ながら人のこの言い方は冷たいけど、生産性は上がらない。

 

 

波頭:効率性合理性をベースにした 計算可能な世界だけどそれだけじゃダメだから、要するに 非合理あるいは情緒的、感情に直結した世界で生きなさいっていう

 

 

宮台:でも、多くの場合親は、条件付き承認、例えばバイオリンが上手く弾けたからきたからあなたはいい子、数学の成績が上がったからあなたはいい子、鈍感な奴ならともかく、敏感な子なら、「そうか、別に数学ができれば、誰でもいいってわけだな」っていう風に子供は思うんですよね。あなたが何ができようができまいが、あなたはあなただから好きっていう関係の中でしか、自分の世界もOKっていう感覚は得られない。それで言うと、「あなたは自分に価値があると思いますか?」っていう、7年ごとに行われる青少年研究会のデータアメリカは、まあ6割、中国でも5割、まぁだいたい経年調査ですけど、だいたいそうだって答えます。日本でそうだと答えるのは、少ない時は6%、最近は9%で、だいたい平均して7%。すごいと思いませんか?だから(日本には諸外国の)10分の1弱ぐらいしか自分に価値があるっていう風に思えないやつがいる。誰なの?誰の責任なの?ってことを考えると、それは親と学校と地域、まわりの大人の責任ですよね。だから、残念だけどこのデータを見る限り、日本の社会は、もう構造的に壊れていて、ホームベースをもう子供の時期から与えることができていない。そんなところで、それこそバトルフィールドでの戦闘力があるような兵士が育つか?この言い方嫌だけど、グリーディー(強欲)な人が見てたら伝わるようにってことを言ってるんですけど、戦闘力のある兵士なんか生まれないよ。

 

波頭:いま世の中の正しいことって、合理性と効率性が正しいこと。特に経済的価値に帰着するようなものばっかりで、そうじゃない生き方で、要するに感情だったり利他だったりということに対して、自己肯定感を高められるような生き方をしろっていうのが宮台さんからのメッセージですよね。

 

宮台:そうですね。  ♫〜音楽〜♫

 

波頭:まとめの一言、キーワードをお願いします。

 

宮台:なぜあなたの毎日はつまらないのか。皆さんは成功すれば面白いと思っているでしょうか?その今の時点でですね、皆さんが成功だと思っているものを得たら幸せになれるという、その馬鹿げた思い込みを捨てないと、こんなはずじゃなかった感に苛まれてしまいます。じゃあどうすれば幸せになるの?インスタの「いいね!」かき集めで・・・なわけねえだろ!そうじゃない、さっきの it と you で話したことですよ。あなたはかけがえのない存在だと、「私はあなたのことが好きだ、なぜならば、あなたはあなただからだ 」っていう風に言われることで、そういう人たちが仲間であって、その仲間のために頑張っている時に人はやっぱり成果には関係なく、つまらないとは感じないですよね。

 

波頭:ありがとうございます。

 

After Talk

波頭:宮台さんとのお話は、毎回ですけど中身濃いよね。で勉強になったり、なるほどって頷かされることを多かったんだけど、感情とか、自分自身の内にあるものに根差した自己肯定感が持てるような生き方しないとダメよっていうメッセージは、若い人に届いたんじゃないかな。それと対になる形で若い人に伝えたいなと思ったこと、自己決定権を確保して生きろという、合理性とか、あるいは効率性の奴隷になるな!部品になるな!っていうこと。自分のその感情の声もそうだけど、倫理だったり、自分の好き嫌いだったり、それを守っていける自己決定権を自分の手にするために頑張ろうっていう風に思って生きてほしいなって思います。(了)

 

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