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「〝教えない〟性教育」考(その8)

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「〝教えない〟性教育」考(その8)

「〝教えない〟性教育」考(その8)

2023/11/13

11/6より教えない性教育をテーマに記事を書き始め、

これで8回目となりました。

 

(その1)から(その4)までは、

教えない性教育という概念の基本的枠組みを

呈示し、(その5)からは、

〝教えない性教育〟を実践しようとする際に

わたしが推薦するに値すると考える

情報素材の紹介に入っています。

 

それで、(その5)から(その7)までの、

3回にわたって、

わたしにとっては、

その情報素材の筆頭に位置づけている

橋本治さんの『ぼくらのSEX』を紹介しました。

 

この記事だけを読まれても

内容の理解については問題はないとおもいますが、

これまでの投稿に未読記事がある方は

適宜参照された上で

以下の記事を読んで下さると有難いです。

「〝教えない〟性教育」考(その1)

「〝教えない〟性教育」考(その2)

「〝教えない〟性教育」考(その3)

「〝教えない〟性教育」考(その4)

「〝教えない〟性教育」考(その5)

「〝教えない〟性教育」考(その6)

「〝教えない〟性教育」考(その7)

 

 

さて、今回「教えない性教育」というテーマで

記事を書き始めたきっかけは、

映画『春画先生』を紹介しようと

したことだったんですが、

現状、これまで7回の記事には、

春画の話題はまったく出てきていません。

 

(その4)には、

webちくまで7/13からスタートした

佐々木敦さんの記事

「教授」と呼ばれた男 坂本龍一とその時代

を紹介したんですが、

記事タイトルに「教授」とあるのに、

「教授」と呼ばれるYMO以前の話だけで、

文字数6万を超えていたので、

わたしも前段の話だけで

20回分ぐらいの記事を書いても大丈夫かも

ナンテことを書いたりしてたんですが・・。笑

 

まだまだ「教えない性教育」のことで

紹介しておきたいテキストがいろいろあるので、

このテーマはしばらく続けるつもりなんですが、

昨日まで紹介してきた

『ぼくらのSEX』の著者・橋本治さんが、

春画について話しているインタビュー記事や

類似のテーマについて書かれた本があるので、

このタイミングで紹介しておこうかと。

 

冒頭の写真にあるように、

月刊雑誌『芸術新潮』2010年12月号は、

「恋する春画」と題された特集記事が掲載され、

のちに記事内容を増補して編集された

単行本『恋する春画』も出版されました。

 

特集記事の編者は、フリーのライターで

2015年に春画展が開かれた

永青文庫の副館長でもある橋本麻里さん。

 

まずは橋本麻里さんが書かれた

単行本『恋する春画』のまえがきを。

 

(引用ここから)

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本書は、書店での立ち読み断念、挙動不審で親バレ、レジにイケメンがいたので購入躊躇など、嬉しい悲鳴(?)が相次いだ『芸術新潮』7年ぶりとなる春画特集「恋する春画」(2010年12月号)を再編集したものです。これまで女性読者には敷居が高いと思われていたテーマである春画について、まずは手に取るところから始め、本来の魅力を知ってもらうために立てた企画でしたが、期せずして女性ばかりでなく、多くの読者にとって「目ウロコ」な特集となりました。


日本ではいまだに「春画」というと、ひと目を憚るもの、声を潜めて語らなければならないもの、罪深いもの、淫靡で卑猥な恥じるべきもの、という感覚が強く残っていますが、これは明治以降に西洋から持ち込まれた、キリスト教的道徳観に裏打ちされた見方。江戸時代までの日本人にとって、「性」は恥ずべきものでも隠すべきものでもありませんでした。本書ではそうした春画へのタブー意識を取り払い、「読む」「笑う」という、従来あまり注目されてこなかった、しかし江戸時代の庶民にとっての「リアルな春画」を理解する上で非常に重要な要素を、大きく採り上げています。そしてよくよく見てみれば、ナンパあり、不倫あり、コスプレあり、BL(ボーイズラブ)あり、コメディあり、悲劇あり、ファンタジーまである百花繚乱の大江戸春画ワールドは、現代とも地続き。「遠くのTVドラマより近くの春画」というわけで、下駄履きご近所感覚でお楽しみいただければ幸いです。

 

橋本麻里編 早川聞多 橋本治 赤間亮『恋する春画 浮世絵入門』(新潮社・とんぼの本)より 編者によるまえがき

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(引用ここまで)

 

短い文章ですが、春画についての

基本的な情報として大事な見解はほぼ

ここに出揃っていると考えてよいとおもいます。

 

江戸時代の春画は「笑い絵」と呼ばれ、

男性だけのためのポルノグラフィーではなく、

嫁入り前の娘も共白髪の夫婦も、

老若男女問わず親しんでいたようで。

 

春画そのものの歴史については、

この「教えない性教育」の記事が

一段落したあとで、

詳しく書こうとおもっているんですが、

この「恋する春画」特集記事に

橋本治さんが、橋本麻里さんから

インタビューされている記事があります。

 

「夢見る大江戸セックス・ライフ」と題された

このインタビュー記事の冒頭部分を

すこしだけご紹介。

 

(引用ここから)

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Q:春画をつぶさに見ていくと、「一般庶民のセックスライフ」を丹念に採集していることが よくわかるのですが、同時にその多様さ、自由さに驚かされます。それを女性たちが享受していたことにも。


橋本:「享受する」となると、「喜んで受け入れる」というニュアンスが強くなっちゃうんで、そこまで言っていいのかなっていう気がするんですよ。我々は春画が禁忌になった後の時代から江戸時代を振り返っていて、でも江戸時代は、春画をタブーとはしない時代の延長線上にあるんですよね。春画が「ただ当たり前に存在している」という現実に我々が慣れないと、なんとも言えないと思う。結局、江戸時代って性的に自由というより、むしろ「性的に不自由という状態が基本的にない」状態だったと思うんです。 不自由かどうかは、そのために使える金があるかないかという、即物的な問題でしかない。春画を描いた絵師たちもなにか過剰な肉欲を持っていた人ではなく、欲望を特別視していないだけでした。セックスなんか当たり前にできるんだから、当たり前にすればいい。ただ「あんまり当たり前すぎてうっかり忘れちゃうから、時々忘れないように描いてます」という、春画のポジションはそういうもののような気がします。春画そのものを愉しむと言うより、「自由にやってもいいんだ」という欲望をオープンにするための誘い水だったのかもしれません。
 
Q:江戸時代というと、封建的で男尊女卑、体制と秩序を維持することが第一、という価値観でがんじがらめになっているイメージでしたが。 


橋本;もちろん建前はありますよ。「不義は御家の御法度」じゃないけど、世間の噂になることは恥じるし、恋愛を日常生活の中に持ち込むのは行儀が悪いからとはばかる感覚は確かにある。歌舞伎を観ているとよくあるのが、幕が開と御殿の前で庭を掃除してる奥女中が「なんとかさんとなんとかさんが、どうこうなんです」なんて噂をしている。そこへ1ランク上の奥女中が現れて、「下として上のお噂慎みましょうぞ」と言って本編へ入っていくシーンです。ところが平安時代の女房たちなんか、女主人の前でも平気で噂話を、しかも当の女主人が男に見限られてかわいそうよね、なんて話をしているんです。その時点ではまだ儒教的なモラルが下の階級まで行き届いていなかったのが、庶民レベルまで到達したのが江戸時代でした。それは長く平和な時代が続いたからこそだし、本場中国では男尊女卑が徹底してるから、女性に儒教なんか教えない。儒教はそもそも士大夫の嗜みだから、下の身分の者が知る必要はないんです。東アジアで女性に儒教を教えたのは日本くらいじゃないでしょうか。そうやって全国民がそこそこカルティベートされた状態になってしまった江戸時代の日本は、管理社会の理念だけが先行し、同時に「それはそうだけどさ・・・」という欲望の部分ではやりたい放題という、不思議な国になっていたと思うのです。

 

Q:春画、特に鈴木春信の作品を見ていると、振り袖を着た少女かと思うと裾の間から覗いている性器は男性のものだったり、その一見少女のような少年と男がセックスしていたり、セックスもジェンダーも非常に曖昧です。


橋本:ジェンダーが自由というより、そもそもジェンダーみたいな考え方はない、という方が近いのではないでしょうか。男で前髪がある(=若衆)ということは、自分では稼いでいない、他人に食べさせてもらっているような立場だということ。そうするとなんでこいつらは遊んでいられるんだろうって、いつも不思議に思うんです。春信の絵はそういうことに関して、全部曖昧にしているからこそ漂うニュアンス、というものがある。要はファンタジーなんです。春信好きな男の人は、自分のむくつけき男である部分が嫌いなんじゃないのかという感じがします。それは歌麿にも言えることですが。
だから元服前の少年というのは、女と同じようなきれいなもの、というカテゴリーに入れておいて、成人した後は、男らしくありたい人は男らしく、そうでない人でたとえば学問に優れているなら、「尻奉公」なんて悪口言われるかも知れないけど、それで御取り立てということもある。それは元服後の「成人としてのあり方」の問題であって、ジェンダーという考え方とは直接関係ないと思います。


Q:元服をしていなければ、年齢とは関わりなく、どんなあり方であっても咎められることや白眼視されることはないと。


橋本:なかったんじゃないでしょうか。だって平安時代中期の藤原頼通の愛人だった男の子なんて、元服させるのが惜しいと言って、いつまでもさせてもらえなかったせいで酒乱になったそうですよ(笑)。江戸時代には歌舞伎役者予備軍の少年たちを集めた「陰間茶屋」というものもありましたけど、その男の子たちは普通の男も相手にするし、坊主も、奥女中も、「なんでもあり」で相手にする。だからこそ春画の題材にもなったわけです。ちなみに西鶴の『好色五人女』以来、八百屋お七の恋人ということになっている吉三も、寺の小姓(若衆)だから、たぶんそっちの人だったんですね。

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(引用ここまで)

 

『芸術新潮』の元記事で18ページある

ロングインタビューなので、

この続きはぜひ雑誌のバックナンバーもしくは

単行本を手に入れてご覧ください。

 

さいごに橋本治さんが

日本人の性意識を論じている本を

ご紹介しておきます。

 

『性のタブーのない日本』

 

この続きはまた明日!

 

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