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「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その9)

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「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その9)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その9)

2024/04/20

昨日投稿した記事の続きです。

 

4/12から「自己決定」「自己責任」って言葉の

真意がなぜ伝わりにくいか

をテーマに書き始め、今日で9回目になりました。

 

本日これから投稿しようとしている記事内容も、

これまで8回投稿してきた内容を

踏まえながら書くつもりなので、

未読記事がある方は、

まずはそちらからご覧戴ければ幸いです。

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その1)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その2)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その3)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その4)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その5)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その6)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その7)

「自己決定」「自己責任」って言葉の真意がなぜ伝わりにくいか(その8)

 

 

さて、(その6)から(その8)まで、

らくだメソッド・開発者平井雷太さんが

弁護士の鈴木利廣さんにインタビューされた内容を

3回にわたって紹介してきましたが、

本日の記事のメインは、その内容の補足です。

 

 

鈴木利廣さんは、子どもの権利条約にも関わり、

医療過誤訴訟に取り組み続けて来られた弁護士で、

2008年には、NHKのTV番組

『プロフェッショナル・仕事』の流儀にも

出演されたことがある方。

 

(その6)の記事冒頭で、そもそも平井さんが

鈴木さんにインタビューすることになった

経緯について書いたんですが、

全国PTA問題研究会主催の第17回全国大会で

「子どもの自己決定権とは」をテーマした

分科会のパネリストの一人として話された内容が

非常に印象に残っていたとありました。

 

1988年9月に出された

月刊『らくだ通信』57号(塾内版)に

そのことに触れた記事が書かれているんですが、

今日と明日と2回に分けて

その内容をご紹介しようとおもいます。

 

1993年に社会評論社から出版された

『らくだのひとり歩き セルフラーニング・ネットワークの10年』

という本があるんですが(次の写真)、

 

これは、らくだメソッドの教室「すくーるらくだ」で

月刊で出されていた通信『らくだ通信』を

創刊準備0号から100号まで

合本にしたもので、

以前にもこの本から『らくだ通信』の内容を

引用して紹介したことが何度かあり、

次の記事はそのひとつ。

イニシエーション(通過儀礼)としてのらくだメソッド

 

 

以下の文章は平井さんの著書『らくだのひとり歩き 

セルフラーニング・ネットワークの10年』から

拝借しています。

 

月刊『らくだ通信』57号(塾内版)の一部

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自己決定力とは (1)
この夏、日本教育会館(東京)で全国PTA問題研究会主催による第17回全国大会が開かれました。テーマは「子どもの人権を生かす学校づくり」でしたが、パネリストの一人鈴木利廣氏が語る「子どもの自己決定権とは」という話が非常に印象に残りました。鈴木氏は医療ミスの事件が専門で、「患者の権利宣言」という立場に立っている弁護士です。「患者の権利宣言」について、彼は3年前にフリースクール研究会の例会で話していますので、その一部を引用します。

 

***

 

「患者の権利宣言」は、自分の命は自分で守ろうという価値感で、アメリカではベトナム戦争及び公民権運動などを契機として生まれました。
「医師は患者を個人として尊重し、患者のプライバシーを守る。患者が医療の中でどのように生きていくかを患者自らが決められるように、正確な情報と助言を患者に伝える。その上で、悲しい出来事については、最後まで一緒に悩み、専門家としてできる限りの適切な援助をしていく」というように、患者の権利を中心に医療を考えていくのが患者の権利宣言の立場に立った考え方です。
これは子どもの患者に対しても同様で、アメリカの医療の中で次のような例(木村利人著『いのちを考える』日本評論社刊より引用)がありました。

「私の会った子どもは骨髄がんの小学校6年の女の子で、一所懸命ベッドで勉強していました。自分の病気について詳しく知っていて、とても明るい印象の可愛らしい女の子でした。
足の切断手術にさいして、転移を調べるために胸部を切開したのですが、事前にそのことを子どもにいわなかったというケースがありました。どうして胸部を切開したのかと子どもが疑問に思い質問したときに、それを知ったバイオエシックスの担当者が、がんの転移を検査するために切開し組織の一部をとらなければいけないんだということを両親と医師とが前もって話すべきであったと問題提起しました。それで、両親が自分の子どもに「本当に申しわけなかった。お父さんお母さんは足を切断することは君にいったけれども、胸部を検査のため切開するということはいわなかった。がんというのは、全体に回っていくから、切開して調べてみたんだ。しかし君は大丈夫だった。前もっていわなくてごめんね」といってあやまったのです。それくらいかくしだてせずに子どもを治療計画に参加させていくことが日常的に行われているのです。」
「子どもに対する患者教育も徹底しています。冬の寒さが厳しくなると、私の子どもはよく喉を痛めて、難聴になったり、発熱したりします。診断にいったらアデノイドをとったほうがよいということで、くわしく説明を受けました。子どもに対しても、子ども自身が納得するまで、一所懸命説明します。入院日も、両親や患者の都合に合わせて決めてくれます。そして、入院の日程がきまると、その1週間くらい前に病院見学の案内がきます。つまり、急に病院に入って、子どもがショックを起こしたりすると困るので、病院についての知識を習得するための訪問参観日があるのです。
参観日に行きますと、初めにスライドで、病院についての説明をします。どういう人たちが働いていてどうしてお金がかかるのか、どのように使われるのか、といったことも図入りで説明してくれます。そして、コミュニティの中にある病院は、病気になったら行くというだけでなくて、たとえばエアロビクスのクラスだとか、妊婦のための教育だとかがあって、いろいろな機能を果たしているのだということについて説明してくれます。 それから、病院の中を見学して回ります。手術室に入って器械に触らせて、これで切るんですよというようなこといって、病院は君たちの健康を護るためにあるんだから、全然恐れる必要はありません、お医者さんはこのお医者さんです、看護婦さんはこの看護婦さんです、という教育を午前中いっぱいかけて行います。帰りには、いろいろな病院関係の資料をくれました。その中には、10枚1組のぬり絵もあります。そこにはこんなことが書いてあります。
「手術室の中で、看護婦さんとお医者さんは青いユニフォームを着て、髪の毛をおおう帽子をかぶっています。変なかっこうですネ」
それから、麻酔の説明も書いてあって、「眠くなったらどうぞ寝てちょうだい。全然危なくありませんよ」と書いてあります。もちろん注射などの説明もあり、「検査のために血をとるのはどうしても必要なことなのです。痛ければ泣いていいですよ」と書いてあります。泣くほうも安心して泣けるわけです。そういうような教育を子どものときからしています。教育でも医療でも同じですけど、相手の権利を尊重するというのは、実は相手の主体性を尊重することなのです。

 

***

 

この鈴木氏、現在は子どもの人権弁護団でも活躍していますが、この日の発言は次のような内容でした。
「子どもにとって何が幸せかは、本来、父母、教員、地域社会の人々の適切な援助を受けて、子どもたち自身が決めるべき問題です。ところが、社会のシステムは子どもたちの意見や決定を尊重するようにはなっていません。人権の立場でも、従来の子どもは正しく〝育てられる〟権利があると考えられてきましたが、最近では、大人の援助をうけて〝自ら育つ〟権利があると言われるようになりました。」


「子どもにあやまちの中で学んでいく権利(自己決定権)を保証しなければ、自分のことを自分で決める力は育ちません。子どものあやまちを罪悪視し、犯人探しをするから、大人の最も楽な援助の方法としてあやまちを犯さないよう管理が強化されるのです。弱いものがいつも強いものに守られていることが人権侵害になる場合もあります。子どもの自由を拡大していくためには、子どもが決定したことにその責任をとらせることが大切であって、放任とは違うのです。子どもの自己決定力は大人の適切な助言と援助がセットされた中で育つのです。」


「事故が起きた場合、管理を強化して事故を防ごうとする発想の根底には、小学生は無能力者だという見方があるのです。小学1年生の子どもの意見を聞いたってという大人がいます。子どもの意見を問くのは、彼が人間だからであって、『何才の子どもから意見を聞くのか』という質問は『何才から彼は人間なのですか』と聞いていることと同じです。」

 

***

 

どんな子どもでも自分の考えを持ち、大人から適切な情報を与えられれば「自分で自分のことを判断できる」「自己決定できる」との話に同感し、すくーるらくだで子どもたちとの関わりにおいて実践してきたことと重ねあわせていました。


・すくーるらくだへの入会は、「子どもの意思であること」が条件です。 
・らくだメソッドの学習システムは、自分で時間をはかり、自分で採点し、どのプリントを学習するべきかの情報を子ども自身が持つことによって、どのプリントをやったらいいのか、人から言われなくても子どもが自分で決定できるようになっています。
・かといって、子どもの判断に100%任せる(放任する)わけではありません。子どもの判断が適切ではないと思った時には、指導者はさまざまな提案及び助言(援助)を行いますが、言われた通りにする必要はありません。最終的な決定は子ども自身の責任において、子ども自身が行います。その日の学習結果から判断して、1週間分の宿題の量を子ども自身が自分で決めます。
・自分で決めた宿題が家でできない場合、すくーるらくだに来る回数を増やしたり、教室に来た時にするプリントの枚数を増やしたりするのも子どもが自分で決めます。


子どもの面倒を見れば見るほど、子どもは依存的になり、言われた勉強しかしなくなります。ですから、子ども自身の意思を徹底して聞きながら教室を運営していくことで、子どもは「自分からすすんで学習するようになる」。そのためには教えられなくても自分から学習に取り組んでいける教材を開発することこそ急務だと思い、作ったのがらくだメソッドでした。
しかし、教材だけあっても、「自分からすすんで学習するようになる」子どもが育つとは限りません。教材の使い方を誤れば、この教材を使って依存的な子どもが育つ可能性だってあるのです。
鈴木氏の話を聞きながら、子どもに「自己決定力」が育つかどうかは、その子どもに「自己決定権」が保証されている環境にいるかどうかによって決まるのではないかと思ったのでした。

 

※「らくだ教材」「らくだ式」となっていた箇所は

 現在の表記「らくだメソッド」に改めました。

 

平井雷太『らくだのひとり歩き セルフラーニング・ネットワークの10年』より

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(引用ここまで)

 

3回のインタビュー記事と今日の記事を読まれて

皆さんの印象はいかがでした?

 

80年代前半の話ですから、

今から40年も前の話なんですが、

どうしてそんな古い時代の話を、

いま持ち出しているんだろうっておもわれますか?

 

先週4/14にべてるの家のドキュメンタリー

映画『ベリーオーディナリーピープル』予告編6

ビデオ上映会を開催したことは

(その3)の記事の冒頭で触れましたが、

上映後の意見交換のなかでは、

「今日わたしたちに、

 自分のことは自分で決めるという当たり前の事が

 保証された生活を送れているだろうか」

 

「映画VOPが撮影されて30年経ったが、

 果たして社会はあの時に比べ進化しただろうか」

 

「今こそここに映っているべてるの家の実践を

 必要とする時代が来ているのでは」

という声が聞かれました。

 

浦河べてるの家の実践が始まったのが1984年、

平井雷太さんが息子さんのためにつくられた

らくだメソッドで教室を始められたのが1984年、

鈴木弁護士が自己決定権を重視した実践を

始められたのが1984年・・・

 

それにしても、この1984年って

偶然とおもえないような一致でオモシロイですね〜

 

あんまり関係ないんですが、

スティーブ・ジョブズが

マッキントッシュを開発したのも1984年でした。

 

この続きは明日投稿します。

 

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●2021.9.1~2023.12.31記事タイトル一覧は

 こちらの記事(旧ブログ)からどうぞ

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