寺子屋塾

甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』⑤

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甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』⑤

甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』⑤

2023/07/27

昨日投稿した記事の続きです。

 

7/23からこのblogでは、

7/20に出版された甲野善紀 x 方条遼雨

『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』

読み進めながら、

内容を紹介する記事を書いてきて

今日で5回目となりました。

 

後半の第2部にある甲野さんと方条さんの

対談部分も読み終え、1冊すべて読了です。

 

お二人の対談も興味深いエピソード満載で

さまざまな想いが沸き起こってきましたが、

なかでも

甲野さんが、鏡のある部屋で人間鞠をやって

「どう説明したら出来る人が増えるだろうか」と

考えた途端に人間鞠ができなくなってしまった

という話はインパクトがあり、

いかに大脳が身体の邪魔をしているかを

痛感させられました。

 

 

さて、昨日投稿した4回目のテーマは

場づくりでしたね。

 

らくだメソッドの教室を始めて

さまざまな生徒たちと接するうちに、

10年経った頃から、まわりから

ファシリテーターと呼ばれるようになった

という話を書いたんですが、

わたし自身がファシリテーションについての学習を

専門的に修めたわけでも、

ファシリテーターになりたいと

目指していたわけでもなかったので、

最初から、算数プリントの指導と

場づくりのつながりが

わたし自身に見えていたわけではありません。

 

詳しくは次のインタビュー記事で話したことを

読んでいただければとおもいますが、

教えない教育とその真意(「きぼう新聞」インタビュー・第6回)

親子という関係のなかで生まれた

このらくだメソッドというのは、

教える人間と学ぶ人間との見えない関係性までが、

しくみとして教材化されていて、

努力よりも「脱力」がテーマなんですね。

 

また、昨日はリンゴがどこに置かれているか

コンテキストを意識することで、

商品にもデザートにもお供えにもなり得る

って話を書きましたが、

リンゴばっかりに

自分の意識をフォーカスさせてしまうと、

リンゴのさまざまな可能性を

見逃してしまうわけで。

 

もちろん、最初からそのことがわかっていて

らくだメソッドの学習を

始める人はほとんどいませんから、

最初は皆さんだいたいシャカリキになって

頑張ってプリントをやろうとします。

 

でも、アタマの思考主導で

頑張ってやればやるほど

行き詰まるのがらくだメソッドですから、

現実にはそこで、

算数プリントをやることばかりに

フォーカスしてしまうとダメなんだって気づいて、

方向転換できる人はわずかで、

なかなかその方向転換ができず、

プリントをやるのが

苦しくなっていく人は少なくありません。

 

「できないとき、行き詰まったときがチャンス!」

という言葉は、そういう時のためにあって、

そこから学習が佳境に入るというか、

本番なんですね。

 

まあ、行き詰まったときに

「チャンス」とおもえるような人は

既に自己受容という難しい課題が

クリアできているのですから、

寺子屋塾でわざわざ学習しなくても

もともと大丈夫な人なので。

 

ショックを受ける人、落ち込む人、

「やめたい」と言い出す人も少なくないんですが、

そんなときにいうわたしの台詞は

「ヨカッタね!」です。笑

 

今回、方条さんの新刊書を紹介した

最初の記事に書いたように、

そんなときこそ、

「反省」と「落ち込み」を切り離す、

〝練習〟をすればいいのですから。

 

そして、プリントそのものばかりに注力せず、

プリント学習の見えない豊富なコンテキストに

意識を向けることを促したり

日常の脳や身体の動かし方を再考するような

提案をするのが

指導者であるわたしの役割なんですが、

ちょうど本書の中に、

この話の流れに沿った部分があったので

以下、「混沌の転用」「難しい」「できる」

 

(引用ここから)

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混沌の転用

人と人をつなぐ「場」にせよ、「身体」にせよ、「無秩序」「混沌」のエネルギーをいかに損失なく転用できるか。
そうした概念を通じ、私の中で様々な現象がつながってきました。

 

力を抜けば抜くほど体は崩壊に向かい、無秩序に暴れたがる。
そのエネルギーを、いかに有効に転用するか。

 

自主性を担保するほど、子どもたちは無秩序に暴れたがる。
そのエネルギーをいかに有効な成長の助けとするか。

 

そして当然、そういったエネルギーを開放するほどに、こちらの「運用能力」が必要になってくるという事です。
それが足りない分だけ、身体においては「力み」、場においては「大人の権力」が必要になってきます。

逆に言えば、
「いかに力を抜いた状態で体を動かせるか」
「いかに大人の権力を行使せず子どもを成長させる事ができるか」

 

こういった課題で体を動かし、教え子と接するように心掛けるだけで、自らの成長にもつながるという事です。


難しい 

こうした考えに触れた時、「出来るようになりたい」と思って下さった方からでさえも、よく耳にするのは「難しい」という言葉です。

そして多くの場合、その中には「できない」という気持ちが込められています。
つまり、「できたら良いと思うが、自分には無理だと思う」といった、どこか他人事の位置に自分を置いてしまうのです。
そういう人たちにいつも投げかけているのは、
「やってみましたか?」 という問いです。

 

本当は、「やる」だけならば誰でもできます。
たとえば「いかに力を抜いた状態で体を動かせるか」という課題でしたら、自分なりに「これが最小限」という力加減でバッグなりスプーンなりを持ってみれば良いのです。

「いかに大人の権力を行使せず子どもを成長させる事ができるか」という課題ならば、いつもより大きな声を出さなくても耳を傾けてもらえるように、言葉や行動を変えてみる。

 

問題はいつでも、「できるかどうか」ではなく「やるかやらないか」です。
それがたとえ、全くうまく行かなくても、0点だとしても、「やった」という事実と経験は積み重なります。
そしてそれは事態を確実に前に進め、次の「1点」につながります。
その1点は、100回やれば100点になるのです。

 

それを阻んでいるのは、「100点を目指さねばならない」という思い込みです。
これは、学校教育由来の「呪い」です。

 

何事をするにしても、果てしなくハードルを下げてみてください。

 

時計の針は、動かぬ者には一秒も動かず、「動いた者」だけに動き出すのです。

 

できる

こうして実際に「やってみる」と、自分でも意外な事が起こり始めることがあります。
たとえば、「思ったよりもできる」といった現象です。
それを、やり始めたらすぐに感じる場合もあるでしょうし、数年続けて振り返ってみたら、いつの間にか「結構できるようになっているぞ」となるかも知れません。

 

そんなことを初めから期待していると、新たなる「呪い」になりかねませんから気軽に取り組んでいただきたいですが、私の実感からしても、身体に先導してもらうと、自分の想像を遥かに超えてくるのです。

教室の生徒さんを見ていても、「できない、できない」と弱音を吐いていた人が、1年経ったら別人の様になっている、という例も沢山見ています。

そうして「体に先導」してもらうと、面白い事も起きてきます。
私は新しい術理を発見する時など、「技ができた後の感触」が先行して体に訪れることがよくあります。
そして、その「感触」に従って実行してみると、想像した通りに相手が崩れている。

その時点では「何故できるようになったのか」「どういう仕組みでできるのか」は自分でもよく分かりません。
しかし2年後くらいに、下手すると10年経ってからようやく「ああこういう事か」と論理的に理解できる場合があります。
甲野先生も、そういう事がよくあるそうです。

 

これらの事が指し示しているのは、
「できるが先」
だという事です。

 

やりもしない内から、「できるかどうか」をあれこれ思い悩んでいる場合ではないのです。


甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』より

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(引用ここまで)

 

時計の針は、動かぬ者には一秒も動かず、

「動いた者」だけに動き出す

ってイイ言葉ですね〜

 

身体主導に切り替え、

脳の余分な動きを削ぎ落としていくと

ほんとうに楽になっていくんですが、

いきなりできる人は稀なので、

とにかく日々練習すればいいわけですから。

 

この続きはまた明日に!

 

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