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甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』⑥

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甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』⑥

甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』⑥

2023/07/28

昨日投稿した記事の続きです。

 

7/23からこのblogでは、

7/20に出版された新刊書 甲野善紀 x 方条遼雨

『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』

紹介していて、これで6回目になりました。

 

方条さんの本を読んでいて驚かされるのは、

言葉の解像度が非常に高く、

誰もがよく知っていることに対して

他のどの本にも書かれていないような

身体言語的な言い回しを用いて、

的確に表現されていることです。

 

たとえば、第1部の内容は、

102の中見出しから構成されているんですが、

それらのひとつひとつの文章が

一見、関連なくおもいつきのように

配置されているようにみえて

その実そうではなく、

まるで一つの生命体のように、

各々が関係し合っている感じがしました。

 

さて今日は、3回目の記事の続きにあたる、

150〜153ページ

「本音と建前」「愛想」を紹介します。

 

(引用ここから)

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本音と建前

人は常に、「本音と建前」に引き裂かれている生き物です。
本音とは言わば「現実」であり、建前とは「理想」です。
言いかえれば、「こうである」という現実的な自分と、「こうでありたい」「こうあるべき」という理想的な自分です。
この二つは一人の人間の中にありながら「別物」です。
にもかかわらず、この二者を正確に振り分け、整理できている人はほとんどいません。

 

その境目が曖昧なまま、理想をどこか現実だと思って処理してしまっている。
現実の認識の中に、理想が混入してしまっている。
つまり、「混乱している」のです。
しかも、その「混乱」に対してすらも無自覚です。
たとえば「結婚したい」と言って、目標実現のためにあの手この手で努力をしている人をよく見かけます。
しかし、よくよく話を聞いたり観察をしたりすると、本音と行為に分離が見られる人が数多くいます。
「常識」や、両親や周囲からの圧力で「結婚しなければ」と思わされていますが、本音はどうやらそうでもない。
にもかかわらず、自分自身も「結婚したいと思っている」と思い込んでいるのです。
周囲の期待に応え大手企業や一流大学を目指すために、
本当はやりたかった事をあきらめた人も数多いでしょう。

 

つまり、常識や周囲の圧力から来る「結婚するべきだ」「大手企業を目指すべきだ」という「建前」が、「本当に結婚したいのか」「本当は何がしたいのか」という「本音」の部分に侵食し、振り分けがなされないまま混乱してしまっているのです。

 

愛想

建前に支配されている人は周囲にも自分自身にも、気づかぬうちに「嘘をついてしまっている」という事です。


「嘘がいけない」と言っているわけではありません。
人は生きていく上で、必ず嘘をつかなくてはならない場面はあります。
ここで言いたいのは、
「自分に対する嘘は、自分自身を必ず蝕む」という事です。

 

単純な構造として、たとえば周りに愛想よく振る舞っている人は、当然「愛想よい人」に見られます。
しかし本音は辛辣だったり、実際の性格はそんな人ではなかったとします。
にもかかわらず、外に掲げている看板は「愛想のよい人」なわけですから、近寄ってくる人達は「愛想のよい人」を目指してやってきます。
寄せてくる好意も、「愛想のよい自分」に対してとなります。
つまり必然的に、近寄ってくる人も、寄せてくる好意も、「嘘の自分」に対してのものとなるのです。
これは、当然つらくなります。
ずっと、嘘を吐きつづけなければならないからです。
なまじそんな人が結婚などできてしまった日には、なかなかの困難が待ち受けています。
「嘘の自分」が結婚したのだから、その関係性を保つためには「墓場まで嘘を吐き続ける」か、本音がばれてがっかりされる」かの、ほぼ二択しかなくなるからです。
「偽装」が上手くなればなるほど本音との落差は広がり、この構造を強化していく事になります。
どんどん、「嘘の自分」が肥大化していってしまうのです。
「誰も本当の自分を分かってくれない」と嘆く人がいますが、こうして自らその状況へ突き進んでしまっている場合があります。

 

甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』より

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(引用ここまで)

 

らくだメソッドの学習スタイル、

セルフラーニングとは、

1まいのプリントを前にしながら

自己内対話というか

自分自身と対話しながら進めて行くんですが、

結局のところ何をやっているかを、

ひとことで言うなら、

〝自分の本心を探っていく学習〟ではないかと。

 

つまり、目の前のプリントはトリガーというか、

呼び水に過ぎず、鏡のような存在なので、

プリント自体に本質はありません。

 

もちろん、学習に対して

真摯に向き合う姿勢は大事なんですが、

昨日の記事にも書いたとおり、

プリントというコンテンツ自体に

気を取られ過ぎてしまうと、

プリント学習に連なる豊かなコンテキストを

見逃してしまいかねないので。

 

つまり、具体的に言うなら、

プリントは、現実と理想がごっちゃになって

取っ散らかって混乱している状況を整理しながら

自分の本心を探ったり、

また、そうした状況に対して

自覚的でいようとする姿勢をキープしたりする

ひとつのツールにすぎないわけです。

 

また、方条さんがここで書かれている

「自分に対する嘘は、自分自身を必ず蝕む」

という話をわたしは、

自己幻想の肥大化、暴走に対する

戒めでもあるように受け止めました。

 

というのは、夢や理想を持つことに対しては、

一般にはプラス方向に

評価されることが少なくないのですが、

必ずしも良いことばかりでなくて、

そうした夢や理想が、ともすると

現実の自分の姿から、

都合の良くない部分を覆い隠したり、

事実と幻想の峻別が難しくなるという

リスクを抱え込んでしまいかねない

マイナス面があることについては、

もっと言及されてもいいように

日頃から感じているからです。

 

そのことをこの方条さんの本を読みながら

改めて痛感しました。

 

続きはまた明日に!

 

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