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甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』⑦

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甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』⑦

甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』⑦

2023/07/29

昨日投稿した記事の続きです。

 

7/23からこのblogでは、

7/20に出版された新刊書 甲野善紀 x 方条遼雨

『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』

紹介していて、これで7回目になりました。

 

あと1回、明日投稿する記事にて

この投稿も一区切りにする予定です。

 

昨日の記事で紹介した文章のなかに、
「こうである」という現実的な自分と、

「こうでありたい」「こうあるべき」という

理想的な自分は、「別物」であるのに、

その境目が曖昧なまま、

現実の認識の中に、理想が混入してしまっている。

 

つまり、二者を振り分け整理することに失敗し、

混乱していることに対してすらも無自覚です。
とありました。

 

これはこのblogでも繰り返し書いている話で、

たとえば、すこし前に書いた次の記事

事実を柔らかく受け止められる心はどうしたら育つ?(その3)

 

で用いた〝事実と認識を混ぜるな危険!〟ですね。笑

なぜそうなのかという理由を端的にいえば、

大脳思考が優位になりすぎているわけですが、

自分の本心をちゃんと探って

本音で生きて行くというのは、

どういうことなのか・・・

 

本日の記事で次に紹介する箇所は、

第1部の終盤にさしかかった

164〜169ページに書かれている

「正直」「統合」「解放」です。

 

(引用ここから)

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正直

「正直な自分」を解放していく大きな効能。
それは、「去るべき人が去り、来るべき人が来てくれる」という事です。 よく言われる「八方美人」の何が問題かというと、八方から、 つまり「自分の望まぬ方向」からも人を引き寄せてしまうことです。
それは、自分の望まぬ方向に対しても「美人」をやっているのですから、当然であると言えます。


そこから一歩踏み出し、自分のマイナス面も正直に出せる様になればなるほど、「合わない」と思う人は去ってゆきます。
八方美人タイプの人は、そこが恐いのだと思います。
しかし見方を変えれば、自分に合わない人が去ってくれるという事は、「自分に合う人」が残ってくれるわけです。
つまり、「自分にとって居心地良い空間」が、周囲に育っていく事になります。
「去るべき人」が去ってくれないと、この循環は起こりません。
「正直である」というのは、環境を快適にしてくれる「ふるい」の役割も果たすのです。


しかし、正直をつらぬいた結果、自分の周りに誰も残ってくれなくなるかも知れません。
そこでもう一つの要素である「本音を建前に近づける」が必要となります。

人の思考の中には、拘りや思い込み、偏見や怒りが渦巻いています。
『上達論』の中にも書きましたが、それ等は思考の「癖」とも言えるもので、解除できるものです。
詳しくは前著に委ねますが、その最重要な要素が「許し」です。

「許し」を育むと、人の本音は浄化されてゆきます。
それは、本書の中で触れてきた「脳内のプロデューサー」「多様性」「嫌悪の扉」「肚の声を聞く」などの言葉に、ヒントが詰まっています。
みだりに感情に支配されず、腸を静かに置いておき、自らと対話する。
「やせ我慢」でも「抑え込み」でもなく、嫌悪や怒りが根底から「浄化」されれば、誰ともぶつからない「本音」が増えるのです。

 

統合

自らの奥深くにある「本音」を浄化してゆく作業。
通常「変えようがない」と思われている人柄や性格も、ここを丁寧に掘り進めてゆけば、変えられます。

それは思考の根本にある「心」自体を変化させるので、人生そのものまで路線変更することを意味します。
そのために、洗脳的な人格改造プログラムに身を委ねたり、特定の思想に耽溺する、といった道筋を経由しなくても実現できます。
なぜならば、何らかの教えや思考回路を強制的に「付け足す」のではなく、「余計なこと」をやめるだけだからです。
人生の中で知らぬ間に心に覆いかぶさっていた、何層もの薄皮を剥がしてゆく作業なので、その結果出てくるのは「本当の自分」です。

 

そうして自らの怒りや偏見、憎悪が解消されてくると、自ずと笑顔になれる場面が増えてゆきます。
笑顔を作るのではなく、自ずと「笑顔になる」のです。
そこに本音と建前の遊離は無く、嘘もストレスもありません。
分離していた様々な要素は統合され、「一つ」の存在となってゆきます。

 

解放

これらは難しそうに思えるかも知れませんが、元から持っているものに辿り着くだけの事ですから、本来はシンプルです。
しかし「思考の癖」というのはなかなかに厄介なもので、いざ取り組もうとすると、何度も立ち止まりそうになってしまうかも知れません。
そんな時は、できる事をできる分だけ気軽にやってゆけば良いのです。
それだけでも成果は必ず現れ、続けていればいつの間にか、自分でも驚くような変化に気付く日も訪れます。

 

自己との対話を深めるほど心と身体が穏やかになってゆき、脳をふくめた全身のどこか一部が操縦席を占拠しようとするような場面は少なくなります。
すると、体のあらゆる部位の自由意志が担保されながら調和を乱さず、しかも連携するという状態が訪れ始めます。
現代人の大戦が「脳」で抑え込んでいる「体の言い分」が暴走することなく解放されるのでそれは、体に眠っている「野性」「勘」が解放される事を意味します。
「獣性の克服と野性の解放」です。

 

甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』より

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(引用ここまで)

 

つまり、ただ闇雲に「正直さをつらぬいて

本音と建て前を統合すればいい」ではなく、

「本音を建前に近づけ、建前を本音に寄せていく」

と提唱される方条さんの絶妙なバランス感覚に

おもわず唸ってしまいました。

 

洗脳的な人格改造プログラムに身を委ねたり、

特定の思想に耽溺する必要などなく、
何らかの教えや思考回路を

強制的に「付け足す」のではなく、

「余計なこと」を止めればいいのだ、と。

 

これは、わたしが常々教室で話していることとも

そのままつながります。

 

もちろん、簡単なことではありません。

 

簡単じゃないから、それを練習すれば良いし、

できる事をできる分だけ気軽にやってゆけば

良いのですから。

 

わたしは「ひき算」という言い回しを

よく使うのですが、方条さんは、

「ひき算すらも必要ない」と言われていました。

 

余計な「たし算」を止めればいいだけなので。

 

ホントそうなんですよね〜

この続きはまた明日に!

 

【参考記事】

家入一真「ただやるべきことを日々淡々とやる」(今日の名言・その30)

「引き算の教育」とは?

 

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