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個人と社会、学問と大学の関係をめぐって

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個人と社会、学問と大学の関係をめぐって

2023/09/26

昨日まで3回にわたって

阿部謹也さんの『大学論』の付録に載っている

一橋大学学長時代に、

入学式や卒業式の式辞で語られた文章を紹介しながら

コメントしてきました。

 

読書関連というカテゴリでの記事で、

本の紹介が目的のメインではあったものの、

内容は深い示唆に富んでいるもので、

その前に書いていた、

そもそも〝わかる〟とはどういうことか?

というテーマや、

本の読み方なども絡めながら、

3日間の記事内容を総括してみようとおもいます。

 

 

わたしの場合、良い本を見つけると、

同じ著者による本を数冊手に入れて、

続けて読む様にしてきました。

 

阿部謹也さんの著書で、最初に読んだのは

加藤哲夫さんの考現学に

紹介されていたことをきっかけに知った

『「世間」とは何か』で、

新書というサイズであっても、

客観的な対象物として

歴史というモノを捉えているのではなく、

自分自身が生きるということと

学問が直結していることが

ひしひしと伝わってくる意欲作でした。

 

とはいえ、自分とは違う人間が書いた本に

書いてある内容を単に知識として

自分のアタマにただ詰め込むだけでは、

その知識を活かす機会が

ほとんどなくなってしまうんですね。

 

よって、「何故この人はこのような本を書けたのか」

という問いを立てて、

同じ著者による本を数冊読んでいくと、

著者の思考回路に迫っていけるし、

そのレベルまで掘り下げれば、

著者とは異なる自分にとっても

実践でき活用できることもいろいろ出て来ます。

 

たとえば、わたしは以前に投稿した

きぼう新聞のインタビュー記事のなかで、

阿部謹也さんの『自分のなかに歴史をよむ』に

書かれているエピソードを紹介しながら

時間というものが

現在、過去、未来という風に分断されていなくて、

連続性をもった概念であるということや、

歴史を学ぶことの意味などを語っています。

 

 

あと、こちらの記事で、

ウィトゲンシュタインの哲学を理解しようとする際に

役に立つ考え方を説明するのに、

リンゴのたとえを使ったんですが、

人は目に見えるコンテンツばかりに着目し、

コンテンツに作用を及ぼしているコンテクストは

目に見えなかったり、

共有されているとおもいこんでしまうことが

すくなくなかったりしがちです。

 

つまり、そういう意味で、

阿部さんの幼少期の話や学問的来歴が書いてあり、

見えにくいコンテクストをたどることのできる

『自分のなかに歴史をよむ』

とても重要な1冊だと言えるでしょう。

 

阿部さんの著作を出版された年とともに示すと

1987年『自分のなかに歴史をよむ』

1995年『「世間」とは何か』

1997年『「教養」とは何か』

1999年『大学論』

2001年『学問と「世間」』

となりますが、

1992年から1998年までの6年間

一橋大学の学長を務められたことが、

こうした著作内容に影響が及んだことも

見えてきます。

 

昨日の記事で紹介した

『学問と「世間」』のまえがきにあったように

1991年に大学設置要項が改正され、

この30年余で、日本の大学において起こった

大きな変化のひとつは、

教養科目(リベラルアーツ)が

消えていったことでした。

 

専門科目と教養科目は、

コンテンツとコンテキストの関係でもあって、

一人ひとりの人間の存在と

社会のあり方もまた、

コンテンツとコンテキストの

関係にあると見ることができます。

 

自分とは何かを問うことなく、

社会学を学ぼうとしたところで、

まったく理解できないでしょうから。

 

昨日の記事の最後で

「教養とは何か?」という問いかけをしましたが、

阿部さんは『大学論』に収められている

「教養とはなにか」という文章のなかで

「教養とは何であるか、辞典などでは

 すっきりと提議されていないけれど、

 わたしの中では簡単明瞭で、

 自分がいかに生きるかを考える姿勢から

 生まれるものだと考えています

書かれていました。

 

結局、専門科目だけを学ぶということは、

たしかに合理化につながるかもしれませんが、

そもそも人間にとって、学問や研究という営みは、

合理的に運びさえすれば上手くいくような

単純なものではありません。

 

教養科目を無くすということは

ともすると個人と社会との分断を招き、

また、自分の専門分野のことしかわからないような

視野狭窄な専門バカが増えてしまうリスクが

大きくなりかねないということに

気がつかなかったのでしょうか?

 

 

歴史学者としてすぐれた業績をのこし、

たくさんの書物を著された阿部さんは、
惜しくも2006年に71歳で亡くなられましたが、
この記事の締めくくりとして

あと1冊だけ紹介しておきましょう。
 

晩年書かれた文章がまとめられたエッセイ集、

『歴史家の自画像 私の学問と読書』
オススメの1冊!

 

※阿部さんの専門研究分野であった
 中世ヨーロッパ史の著作で一番よく知られている

 『ハーメルンの笛吹き男』なんですが、画像は
 ハーメルンのマルクト教会にある
 ステンドグラスから模写された、
 現存する最古の笛吹き男の水彩画
 (アウグスティン・フォン・メルペルク画)

 

【関連記事】

自分とは何か(阿部謹也『大学論』より・その1)

建前と本音(阿部謹也『大学論』より・その2)

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