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〝心の穴〟とセルフラーニング

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〝心の穴〟とセルフラーニング

〝心の穴〟とセルフラーニング

2023/12/29

昨日投稿した記事の続きです。

 

12/9に名古屋で行われた、二村ヒトシさんの

【性や恋愛の「なぜ」を考える】

哲学対話イベントに参加したことについて、

レポートを4回にわたって書いてきた流れから、

その記事の前に書いていた為末大さんの

『熟達論』をめぐる話との関連性も意識しつつ、

なぜ、セルフラーニングの場を主宰するわたしが

二村ヒトシさんの著書に注目しているのか、

その理由について改めて確認しながら

経緯について書いてきました。

 

今年もいよいよ押し迫ってきましたし、

重要なキーワードがほぼ出揃ってきたので、

今日は二村さんの『なぜ愛』に登場する

重要なキーワード〝心の穴〟と

セルフラーニングの関わりについて書くことで、

12月半ば頃から長々と書いてきた一連の記事を

締めくくろうとおもいます。

 

ただ、今日の記事で書こうとしている話を

いきなりこの記事から読まれても、

これまでの文脈がある程度見えないと、

伝わりにくいでしょうから、記事の最後に

これまで書いてきた過去記事や、

関連記事のリンク集をつけておきますので、

未読記事のある方は、

そちらを可能な範囲で適宜アクセス頂いた上で

以下の文章をお読みください。

 

 

さて、昨日の記事では、

大和信春さんの『和の実学』に書かれた

(→この本、中村教室に販売用在庫あります)

〝関係浮力〟と〝絶対浮力〟をご紹介しました。

 

セルフラーニング、

つまり〝自ら学ぶ力〟を身につけようとする学習は、

言い換えれば、

人から教えて貰うことに依存することなく、

まわりの人との関わりの中で、

自分が何を学ぶべきかを自分で把握し、

自分で決め、学習を推進していく姿勢を

培っていく学習といえますから、

〝関係浮力〟と〝絶対浮力〟に照らせば

自分の所属、役職、学歴、家柄、財産、ルックス、

免許、資格などの関係浮力に依存せず、

ひとりで放り出されても

まわりの人からアテにされ、活用され得る力を

自らの内側に育てていくこととなります。

 

つまり、関係浮力 < 絶対浮力

関係浮力を否定しているわけではないのですが、

関係浮力よりも絶対浮力を身につけることに

照準を合わせている学習といってよいでしょう。

 

為末大さんがこちらのblog記事で書かれていた

社会責任論と自己責任論についても、

社会を無視するのではなく、

社会と自分の見えない関係性にも着目し、

そのことを踏まえて意識しつつ

自己責任論の側に軸足を置こうとする姿勢

感じられますし、

社会が良いか悪いかと、個人の内面の幸不幸は

必ずしも比例しないと捉え、

みんなが楽しく生きられるために

世の中のシステムは良くなった方がいいけれど、

社会の側に依存したり期待したりせずに、

自分自身が内発的に変わらなければ、

世の中がどうあろうが幸せにはなれないと考える

主意主義的な姿勢は、

セルフラーニングにそのまま通じます。

 

セルフラーニングの「セルフ」とは

「自分で」という意味のことばですが、

他者と対峙する自分ということであって、

セルフラーニングは、

自分ひとりだけで学ぶことではありません。

 

とくに人間は、自分が正しいとおもってしまって

まわりの人との関わりを持たないと、

独りよがりになりがちですし、

他者の存在という鏡に映し出すことではじめて、

自分を知ることができるからです。

 

 

12/10にこのblogで投稿した記事

改めて〝セルフラーニング〟とは何か?

に書いたことですが、

人間は自分という人間に対して、

わかったつもりになりやすいところがあるので、

セルフラーニングで前提にしていることを

端的にいうならば、

自分という人間が何者であるか、

一生かかってもわからないということを前提で、

そのことにどこまで自覚的になれるか、

つまり、自分は自分のことなんて

ちっともわかってないってことを前提に、

他者との関わりの中で生まれる現象に即して

自己観察や自己内対話によって

自分で掌握できる領域を拡大しようとすることや、

メタ認知力というか、

観察の解像度を上げていく学習

であると。

 

話が抽象的すぎてあまりピンと来ないという方は、

『心の自立』という本に紹介されている

大和信春さんが考案された

〝内拠〟という考え方も援用しながら

寺子屋塾生との対話を具体的に書いた

次の記事もお読みになってみて下さい。

「ジャッジメントを止める」とは観察し続けること

 

つまり、この〝内拠〟が

ほぼ二村ヒトシさんの〝心の穴〟なんですね。

 

上の画像は、こちらの記事で紹介したんですが、

『なぜ愛』を読書会つんどくらぶで取りあげたとき、

意見交換の時間にわたしが書いたメモでした。

 

それで、二村さんの〝心の穴〟についてでしたね。

 

2017年11月に出版された

宮台真司さんと二村ヒトシさんの対話を収めた

『どうしたら愛しあえるの 幸せな性愛のヒント』

の最初の方で二村さんが

そもそも〝心の穴〟とは何なのか、

非常に端的に語られている箇所があるので、

その部分を以下に引用します。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

僕はAVを撮影する前に、なるべく出演する女優さんに時間をとってもらって、よく話をするようにしています。彼女の生い立ちやコンプレックスなど、外見のスペックだけではない部分まで監督が理解していたほうがAVは確実にエロくなると考えているからなんですが、それを20年ぐらい続けてきて僕なりに見えてきたのは、次のようなことです。

 

恋愛やセックスに対する価値観、それに伴う言動や立ち居振る舞いは、その人の精神の根幹をなしていて、それには本人の幼少期の体験や家族との関係が深く関わっている。人は子どものころの愛情の受け方を(それが歪んだものだったとしても、豊かだったとしても、過剰だったとしても、あるいは愛情ゼロで育ったとしても)大人になってからの恋愛とセックスを使って、同じことを自動機械的に繰り返すか、あるいは逆に得たかったけれど得られなかったものを得ようとして懸命に〝生き直して〟いる。

 

それは、たとえば「家庭環境が悪かったから性的な自傷をするようになった」みたいな単純な話ではありません。たとえ理想的な家庭で育てられたとしても、子どもの心には必ず何らかの不充足感がめばえます。僕が〈心の穴〉と呼んでいる概念は、一種の欠乏のことだとは思うのですが、寂しさや欠点だけではなく、論理的には語りきれない「その人の魅力」や「独特な能力」の源でもあり、また、穴が開いているからこそ自我があり、人間たり得ているのだとも言える。それを僕は自著『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』で、「すべての〈親〉は子どもの心に穴を開ける」と述べました。宮台さんには社会学者にならなければならない、ナンパや援交のフィールドワークをしなければならない心の穴が開いていた。僕にはAV監督にならなければならない形の心の穴が開いていたのでしょう。

 

ただ、今の社会において〝生きていきやすい〟形の心の穴と、〝生きづらい〟形の心の穴とがある。心の穴が埋まること(根源的な寂しさを感じなくなること)は絶対あり得ませんが、自覚することで穴の形を変えていくことは可能です。

 

心の穴はトラウマではなく、考え方や感じ方の癖です。何が好きか嫌いか、被害者意識や罪悪感があるかどうか、心の中での男性性と女性性の割合、つまり、その人が無意識に信じさせられてしまっている〈物語〉の形をしていると考えるべきなので、おおむね僕たちの行動は、特に恋愛やセックスに関する行動において顕著に、その心の穴によって決定づけられてしまう。

 

二村ヒトシ+宮台真司『どうしたら愛しあえるの 幸せな性愛のヒント』

第1章 ほんとうの性愛の話をしよう

「母への恨み」と〈心の穴〉より 二村さんの発言

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(引用ここまで)

 

この本の中で二村さんが

今の社会において

〝生きていきやすい〟形の心の穴と、

〝生きづらい〟形の心の穴とがある。

心の穴が埋まることは絶対あり得ませんが、

自覚することで穴の形を変えていくことは可能です。

と書かれている箇所がありましたが、

恋愛やセックスを通じて

自分の心の穴のカタチを自覚し、

変えて行こうとする姿勢はまさに、

寺子屋塾で推進している

まわりの人との関わりの中で

自分を知り、自分で学ぶ力を培っていこうとする

セルフラーニングの姿勢に

そのまま通じているようにおもうのです。

 

また、二村さんの『なぜ愛』の第9章には

次のような箇所がありました。

 

恋というのは「破れるか/うまくいって、恋が愛に変わるか」の2つに1つです。

ですからどちらにせよ恋をしてしまった人は、やがて「人は人を支配できない」ということを知ることになります。

ふさがらない「自分の心の穴」がどんなかたちなのかを浮き彫りにするために、恋をしてしまうと言ってもよいでしょう。

恋の本当の目的は「相手を得る」ことではなく自分を「わかる」ことにあるのです。

 

これってホントに鋭い指摘ですよね。

 

もちろん、この世の中に、

自分をわかろうとすることを目的にして

恋愛しようって人は、おそらく殆どいません。

 

ですから、ここに書かれていることは

あくまで結果論にすぎないんですが、

でも、そういう仕組みになっていることを

ちゃんと知っておくことや、

ありのままの自分を知りそのまま受け入れていく

自己受容の姿勢が

より良い恋愛につながることは確かでしょうから。

 

三木成夫さんの『内蔵とこころ』

「内臓感覚の中心は〝食と性〟」と書かれてました。

 

つまり、本来は身体の領域にある

健康やセックスの問題を、

人間が頭で考えて解決しようとしてしまうところに

大きなボタンの掛け違いがあり、

問題をより複雑に

より難しくしてしまっているのではないかと。

 

恋愛やセックスの問題を

大脳優位な思考から脱皮し、

内臓感覚を中心にして捉えようとするとき、

『なぜ愛』や『どうしたら愛しあえるの』での

二村さんの発言には傾聴すべき点が多々あり、

そしてそれはそのまま、

わたしがセルフラーニングという学習法を

寺子屋塾にて採用している基本姿勢に

そのままつながっていると感じているのです。

 

 

【関連記事および過去に投稿した記事】

〝自分〟を意味する漢字になぜ「我」と「己」があるのか(つぶやき考現学 No.81)

三木成夫『内臓とこころ』

もしこんな相談を受けたらどう応対しますか?(問題篇)

もしこんな相談を受けたらどう応対しますか?(解答篇)

改めて〝セルフラーニング〟とは何か?
為末大「自分を認められるのは自分しかいません」(今日の名言・69)

二村ヒトシさんの「性や恋愛を考える」哲学対話に行ってきました(その1)

人を変えようとするのが教育か?

二村ヒトシさんの「性や恋愛を考える」哲学対話に行ってきました(その2)

(その3)

(その4)

主知主義と主意主義について(『欲望会議 「超」ポリコレ宣言』より)

『なぜ愛』と『すべモテ』に出会ったきっかけ

「自分の頭で考える」とは「自分の頭だけで考えない」ということ

二村ヒトシさんと初めてお目にかかった時のことなど

読書会つんどくらぶで『なぜ愛』を読んだときのレポート

主知主義と主意主義について(その2)

主知主義と主意主義について(その3)

日本の教育が変わらない原因は?(つぶやき考現学 No.95)

「絶対浮力」と「関係浮力」について

 

 

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