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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その15)

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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その15)

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その15)

2023/06/20

昨日投稿した記事の続きです。

 

改めて、「書くこと」と「教えない教育」の

関係を明らかにする というテーマを設定し

書き始めたこの記事も、随分と回を重ねてしまい、

これで15回目となりました。

 

したがって、いきなりこの記事から読まれても

前提となっている話や

これまでのプロセスがある程度見えないと、

主旨が伝わりにくいこともありますので、

記事の最後に貼り付けた

関連記事のリンク集を適宜アクセス下さると

ありがたいです。

 

 

さて、昨日からは、寺子屋塾で学んでいる

大人の塾生の皆さんが書いている

blog記事を紹介しながら、

寺子屋塾ではいったいどんな学習をしているのか、

そして、その学習において、文章(考現学)を

書くことをどう位置づけているかということや、

関わりなどをテーマに書いています。

 

昨日は、他の塾生たちからは

〝太郎ちゃん〟と呼ばれていた

塩坂太郎くんの「事実に思いがのる」と

題されたblog記事を紹介しました。

 

紹介した記事を書いた2017年の夏頃は、

彼はまだ独身で岐阜に住んでいて、

中村教室に直接通いながら学習していましたが、

引っ越した2018年に通信コースに切り替え、

トップ記事の自己紹介にあるように

現在は静岡市に住んで活動しています。

 

 

さて、塩坂くんの記事に対しての

わたしのコメントを。

 

彼が記事中に書いていた、
「事実」を書くことでそこに自然と思いがのる 

という言葉を彼に伝えたのはわたしです。

 

でも、その言葉はわたしのオリジナルではなく

少し前に投稿した次の記事

ネット上(blogやSNSなど)で文章を書く心得

に書いたとおり、らくだメソッドを開発された

平井雷太さんから学んだことでした。

 

ところで、「事実」という言葉自体、

多くの人にとって難しいものではありませんし、

わたしたちは日常生活や仕事の中でも

ごく普通に使ってますよね。

 

塩坂くんが、自分の日常の中で、

「事実」ということを見つめることが、
意外にも難しいのかもしれない。

と書いていたように、

じつは、目の前にひとつの「事実」があっても、

そのひとつの「事実」を

〝どのように〟見ているのかについては、

10人いれば10人とも

違っている可能性が高いという現実があります。

 

つまり、以前紹介した次のつぶやき考現学に

コップに入った水に喩えて書いたことなんですが、

「事実に着目する」ということ(つぶやき考現学 No.76)

 

「水が半分入っているコップ」そのものは、

「事実」と言えても

それを見ている人間は、

各々にその水に対して

多いとか、少ないとかという観念を

上乗せしながら「認識」しているわけで。

つまり、「事実」は1つであっても、

そこには10人いれば10通りの

「現実」が立ち現れていて、

「事実」と「認識」がごっちゃごちゃに

混ざってしまったものであるにも関わらず、

その「現実」を「事実」だと勘違いしてる人が

少なくないんですね。

 

「現実」と「事実」って

言葉は似てますが、別モノなので。

 

だから「混ぜるな!危険!」なんです。笑

 

そんな状態が「現実」の姿なので、

逆に言えば、だれにとっても同じものとして

共有できるような「事実」なんて

ほとんど存在しません。

 

だから、目の前の「現実」を眺めるときに、

「事実は何か?」と問いながら

受けとめる姿勢がないと、

自分が見ている「現実」世界を

自分以外の人たちも同じように見ていると

錯覚してしまいかねないので、

わたしは次のような城野宏さんの言葉を

とっても重要だとおもう次第です。

城野宏『人生で最も大事なことは事実と観念の違いを見分けること』(「今日の名言・その22」)

 

したがって、文章を書くときにも、

「何が事実なのか?」を意識することなく、

そこに注意を向けずに

個別に異なっている「認識」の部分を

前面に押し出してしまうと、

自分にとっての、自分に見えている「現実」を

中心に表現していることになって、

結局、読む人にほとんど何も伝えられないばかりか、

独りよがりというか、

自分に酔ってしまってる感じが

伝わってしまったりするわけですね。

 

塩坂くんが記事の冒頭部分で

気づきや学び、伝えたいことがあって、
それを言葉にして書いてみると、
なんだか言葉に思いがのっていない時がある。

と書いていたのは、たぶん

そういう感じの時のことを言うのでしょう。

 

 

さて、塩坂くんの記事を読まれた方の中には

なぜらくだメソッドの学習では、

「事実」と向き合うことができるのかが

気になっておられる方が

いらっしゃるんじゃないでしょうか。

 

また、わたしも彼の記事に対しては、まだまだ

コメントしたいことは沢山あるんですが、

それらは今回の連投記事でテーマとしている

「書くこと」と「教えない教育」のつながりから

少しズレてしまうので、関心のある方は 

塩坂くんが教室に通い始めた

2017年頃に投稿していたblog記事

この寺子屋塾ブログ「らくだメソッド」タグ

古い記事からご覧下さい。

 

 

さて、本日ご紹介する塾生のblog記事は、

2019年の年明けから中村教室に通っている

岡本怜奈さんが3日ほど前に書いていた

比較的新しいblog記事です。

 

(引用ここから)

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◎無意識に気づく

おはようございます。

 

サーキュレーターをゲットしました。

部屋の中の風通しが良くなって

空気の循環も良くなっている気がします。

 

さて、

他者と関わっていると自分が見えてくる。

またまた気づいた事を書いていく。

 

今の現象がそれぞれで違っていたり

感じ方や物の見方が違うのは

育ってきた環境だったり、思考の癖って

あると思うんだが

 

それは親子関係だったり、

兄妹が何人いるかとか

自分は何人目だとか

祖父母と同居してるかとか

やはり根底はその幼い時からの育ってきた環境が

大きいのではないかと思う

 

そこに元々それぞれ持っている性格だったり

特性だったり

合わさって

対人関係の築き方だったり

言葉の伝え方だったり

話の聴き方だったり

行動の基準

何に視点を向けているか

どこにセンスを持っているか

 

っていうのが違ってきて

それぞれの色が変わってくるんだなと。

 

培っているもの

自然に培われたものが伸びている

今の現象はその枝葉が伸びてきただけであって

やはりそれに良いも悪いもあったりしない

 

不思議で面白いのは

望んでいると思っていても

現象になっていない

という事だ。

 

また、望んでいなくても

その現象になっている

という事だ。

 

本当には望んでないからかもしれない。

言葉だけで建前で言っているだけかもしれない。

社会的に、大人として、人として

そうあらなければいけない、と思っているから

そういうのかもしれない。

だから目の前の現象が変わっていかない、

ということもあるだろう。

 

望んでいなかったとしても

目の前にやってくる事もある。

それがタイミング的に今そうしようと

柔軟に受け止められる人であれば

一つのステップとして次に繋がるのだろうと思う。

 

望んでいない事をひとつひとつ

これは違うと手放す人もいるみたい。

そういう人もそういう人なんだろうと思う。

また違う未来がやってきたりもする。

 

その選択は人それぞれで違うから面白い。

その選択が正解とか間違いだとか

そういう決められるものではないから面白い。

 

一見カタチとしては

ちゃんと見えているとしても

それぞれの課題がそこにあるだけで

その課題についてきちんと向き合う機会ができるか

目を逸らし続けるか

というだけな気がしている。

 

私の場合で気づいた事としては

外の情報というものを自分で得ていくものだと

気付いた時期が少し遅かった

自分で気付いて乗り越えるということが

割と早かった

 

だから

自己解決は今得意だと思っているが

情報の応用が苦手であると思っている。

 

具体的には

心のモヤモヤを観察して自分の考えで

スッキリさせる事や、自分の中にないものは

まわりを見ていたり、情報を取りに行くということで

自分のモヤモヤが抜けていく部分を

探していくという事は関心が向いていて

比較的経験を重ねているので

そのスピードが早くなっている。

 

逆に、常に情報を吸収している中での処理は

時間が掛かる。

たくさんの情報を取り込む事で

その分野を掘り下げる事に時間が掛り、

他の事が対処できず、

また自分のモヤモヤに繋がるので

必要な時のみ情報を得ればいい、と

自分に合った使い方を学んでいる最中だ。

 

これが分からなかった時は、

なぜ自分の引き出しが少ないのか、

応用が効かないのか、情報を繋げていけないのか、

センスがないのかと思っていたが

そもそもの情報量が"満遍なく"

多くはないからであるとわかった。

 

センスについても

そのようなものであると思った。

 

いかにどの分野に興味を持って

知識と体験、考える事を積み重ねているか。

 

一つを極めていくにも時間は掛かるし、

満遍なくやっているように見えてもその深さは

時間と共にしか深くなっていかない。

 

自分が何に興味を持っているか

何を吸収して生きているかに

視点を向けてみるのは面白い。

 

気付いたらやっている事だから。

余計に面白い。

興味のある分野を深掘りして学んでいく際に

頭を少し使えば良いのだなと

今回もまた自分の事が少し見えた気がしています。

 

だからこそ

今の目の前の状況に文句を言っているだけでは

誰も変えてはくれないし、

何も変わらないことをわかっていればいい。

 

疑問に感じたことや不満に感じた事を

言葉に出す事で、

自分のその感情を選んでいる

根本に気付くことが学びである。

 

何を無意識に取り込んでいるか

何を無意識に考えているか

 

今日も、一歩。

 

※この記事のトップ写真も

 岡本怜奈さんの撮影によるものです

 

日々の"ほっこり" おかぴごと日記 2023年 6月 17日 より · 

 

上に紹介したblogの原文記事はこちら


この続きはまた明日〜!

 

【関連記事】

字を書くとは身二つになること

OPENな場で書くことはなぜ大切?

ブレヒト『真実を書く際の5つの困難』より(今日の名言・その60)

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その1)

(その2)

(その3)

(その4)

(その5)

(その6)

(その7)

(その8)

(その9)

(その10)

(その11)

(その12)
(その13)

(その14)

 

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