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字を書くとは身二つになること

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字を書くとは身二つになること

字を書くとは身二つになること

2023/06/03

寺子屋塾生の板倉匡利くんが

半月ほど前のblogに、

【「分身できればいいのになぁ」は本当にそうなのか?】
という記事を書いていたのを読んだので、

今日はこの「分身」をテーマに書いてみようかと。

 


私事ですが、妻の実家に住んでいる母と

同居することを3月に決めました。

 

今の家に住んで29年になるんですが、

義母を迎えるのに、自宅をリフォームすることになり、

部屋の片付けに着手せざるを得ない状況に。


29年ともなると、つもりに積もった諸々あり、

この片付けの量が半端でなく

今年のGWはほぼ片付けだけで明け暮れ、

4月に入って以後は

分身の術を使いたいくらいタイトな

毎日を過ごしているので、

板倉くんの「分身できれば……」という言葉を

自分事として受け止めながら

読んでいた次第です。

 

板倉くんのblog記事は、

無いものねだりの妄想ネタではあったんですが、

それでも、記事の終わりが、

「人と人との関係、コミュニケーションが

 いかなるものかということを

 考えられないでしょうか」

という問いかけで結ばれていて、

これから書こうとしていることは、

その問いへの答えと受け止めてもらっても

いいかもしれません。

 

GW中に書いたblog記事、

1円切手の人物・前島密の最後に、

前島密(上野房五郎)が母親に宛てた

手紙を紹介したんですが、

何が書かれていたか、覚えていますか?

 

その最後の方に、次のような記述がありました。

・・・江戸で世話になった本屋の主人は

「字を書くとは身二つになること」と

言っていましたが、はたしてそうなら、

母上はその分身の術を教えている。
世にも尊いお仕事だと思います。

 

そう!こうして日々文章を書くことは、

まさに〝分身の術〟でもあるんですね。

 

この、前島密の手紙の言葉からおもいだしたのは、

わたしの師匠のひとり加藤哲夫さんの

「日々のプロセスを

 自ら書いて発信し続けることには、

 有能な秘書を雇っているぐらい価値がある」

という言葉だったのです。

 

※加藤哲夫さんは2011年に亡くなられましたが、

 残されたお仕事はこちらからご覧ください

 

 

いまの仕事を始めた年の暮れ1994年12月から

2001年4月まで約7年の間、

毎日書くこと、そしてその書いたものを、

教室を開いている月・水・金の週3回

当時はインターネットが

まだそれほど普及していない時代でしたから

FAXにて発信することをし続けていました。

 

寺子屋塾を創業した年に出し始めた

紙媒体の月刊通信『楽々かわらばん』を

35号まで出し続けることができたのも

毎日書き続けていたおかげです。

 

学生時代は5教科の中で国語がもっとも苦手で

人前で話すことも文章を書くことも

それほど得意ではなかったわたしでしたが、

そのお陰でリテラシーの力は

格段upしたように感じていますし、

文章を書くことへの抵抗はなくなりました。

 

もちろん、ただ闇雲に

何でも書けばいいってものではありません。

 

らくだメソッド開発者・平井雷太さんの

「ニュースクール時代の到来」という

詞に書かれているんですが、

おそらく大事なポイントのひとつは、

「まわりの人とのつながりの中で

 自己編集していく姿勢」と言ってよいでしょう。

 

でもまあ、理屈はともかく、

まずは書き続けてみないと始まりません。

 

そして、まわりから

フィードバックを小まめにもらうことですね。

 

【関連記事】

井上さんが文章を書くときに気をつけていることは?

ネット上(blogやSNSなど)で文章を書く心得

 

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