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そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その6)

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そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その6)

そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その6)

2023/09/18

9/11に投稿した

ウィトゲンシュタインの本紹介記事から端を発し

「そもそも〝わかる〟とはどういうことか」を

テーマに書き始めたこの記事でしたが、

これで6回目になりました。

 

したがって、いきなりこの記事から読まれても

これまでのプロセスが見えないと、

主旨が伝わりにくいとおもいますので、

未読記事がある方は

記事の最後にあるこれまでの記事や

関連記事のリンク集を適宜アクセスされてから

本日分の記事をお読み頂ければ幸甚です。

 

 

まず、一昨日、昨日に投稿した記事内容を

簡単にふりかえっておくと、

(その4)では、

(その1)から(その3)までを総括した上で、

100%完全にわかることなど

あり得ないんじゃないかと書きました。

 

そもそも「わかる」と「知る」の区別や

どれくらい「わかる」のかという度合いは

見えない領域の話で、

それを可視化できるような術や

めやすにできる指標が残念ながら存在しません。

 

量的な意味なのか、質的な意味なのか、

はたまたアタマ次元での判断についてなのか、

カラダ次元での感覚についてなのか、

どの範囲で表現したものかも甚だあいまいで、

際限がないからです。

 

それで、(その5)では、(その1)で触れた

ソクラテスや孔子の「無知の知」の話の続きで、

細谷功さんの『問題発見力を鍛える』に書かれた

「無知の無知」の話を紹介しながら、

学習者自身にできることとは結局のところ、

自分をできるかぎりOPENにして

自分の外側にアンテナを張って

知らないこと、わからないことに意識を向け、

掌握可能な領域の拡張に努めることではないかと。

 

もしそうであるなら、

教育に関わる人間にできることは、

学習者自身の掌握可能な領域の

拡張につながるように

どんなことからも学べる姿勢や

つねに学び続けようとする姿勢を

培えるような場、環境を整えることではないかと

結びました。

 

たとえば、この話が寺子屋塾の学習と

どう関連しているかについては、

これまでにも「脳内の空白づくり」という

言い回しで表現したことがあるんですが、

だれからも強制されない生活環境のなかで、

らくだメソッドのプリントを

1日1枚やり続けようとすることは、

だれにも平等に24時間与えられているなか、

約30分間だけでも

自分の意志で自由になる時間をつくりだすことに

チャレンジする学習でもあって、

まさに、自分で掌握できる領域の

拡張につながる可能性を含んでいるわけです。

 

 

さて、それで本日分の記事(その6)です。

 

「そもそも〝わかる〟とはどういうことか」

というテーマで

長々と記事を書き連ねてきたんですが、

これまでの話の流れから、

このテーマの記事として書いておきたいと

わたしのアタマのなかに浮かんでいることを

2つだけ挙げておくと、

ひとつめは、

わたし自身がこれまで経験してきた

「わかる」ことについての

解像度が上がったと感じる体験をいくつか、

できればそれを、

だれでも実行可能な具体例として紹介すること。

 

そして、もうひとつは、

このテーマの記事を書き始めるきっかけとなった

古田徹也さんのウィトゲンシュタイン本が

どのようにわかりやすいのかに触れ、

わたしがウィトゲンシュタインを

これまでどのようにわかり、

自分の何がどう変化したのかについてなんですが、

少なくともあと3〜4回は

かかりそうな感じですね〜(^^;)

 

 

まず、掌握可能な領域の拡張という話から

入ってみたいんですが、

このことについては、

この7月に出版された方条遼雨さんの

『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』でも

触れられていました。

 

方条さんは、掌握領域の拡張について、

主に「時間・空間・行間」の三つの次元があると

書かれているんですが、時間と空間はともかく

この3つめの「行間」というのが

語呂も揃っていて面白いですね。

 

ちなみに「行間」について、方条さんの本には、

具体的に次のような力が挙げられています。

 

・事象と事象の間にある見えないものを捉える力

・言語表現の隙間を捉え真意を汲み取る力

・原理や原則を読みとる力

・一見無関係な事象と事象を結びつける力

・感覚を磨き違和感に気付く力

 

このうち、

「言語表現の隙間を捉え真意を汲み取る力」を

鍛錬するのに、

わたしが非常に効果的だったと感じているのは、

講演内容の文字起こし作業です。

 

たとえば、寺子屋塾を起業した年の10月に、

オープニングイベントとして企画した

『教えない教育、治さない医療』のときに、

文字起こし作業を初めて体験して、

講演録を作成しました。

 

その内容については、

過去にこのblogでも紹介し、

『教えない教育、治さない医療』(その1)から

9回の投稿記事として公開しています。

 

わたし自身もファシリテーターという立ち位置で

講演会の現場にいて、

参加された方々と一緒に

山下剛さん、平井雷太さんのお話を

聴いていたわけですが、

いざ、文字に起こしてみると、

聴いたつもりで聴けていなかった部分や

意味を取り違えていた部分などが

たくさんあったことに気づかされました。

 

文字起こし作業は、

人間が話すスピードと書くスピードでは、

話すスピードの方が早く、

一度聴いただけで文字に変換できませんから、

当然、何度も聞き直すことになります。

 

また、耳で聞いた情報が、

文章として書かれた形に変換されますから、

繰り返し聴くことによる効果と、

耳で聞くことと、目で捉えるということと

二通りの形で情報をインプットすることの

相乗効果が

「言語表現の隙間を捉え真意を汲み取る力」の

涵養につながっているのではないかと。

 

29年前と違って、

いまはITテクノとジーも随分進化し

動画サイトには、自動的に文字起こしを

行ってくれる機能もついていたりしていて、

便利な時代にはなりました。

 

でも、便利になればなるほど、

わたしたち人間がもともともっている能力の衰退を

招いてしまうリスクを背負っていることでもあり、

これまで文字起こしを行ったことがない方は、

ぜひ自力でチャレンジされ、

自身の言葉に対する理解度がどのように変化するか、

実感してみてください。

 

この続きはまた明日に!

 

 

【過去投稿記事と参考記事】

そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その1)

そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その2)

そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その3)

そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その4)

そもそも〝わかる〟とはどういうことか?(その5)
「知る」とはどういうことか(「論語499章1日1章読解」より)

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その24・最終回)
佐伯胖『「わかる」ということの意味』

解るとはどういうことか(阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』より)

天才とはバカであることを自覚している人(つぶやき考現学 No.55)

自由に3つの意味あり(つぶやき考現学 No.43)
「わかっているけどできない」ってどういうこと?(つぶやき考現学 No.104)

わかることには際限がない(つぶやき考現学・No.57)

起業のポイント・その2「やりっ放しにせず総括し記録を残す」
甲野善紀 x 方条遼雨『身体は考える 創造性を育む松聲館スタイル』⑧(最終回)

 

【外部リンク記事】

本質は「あいだ」にある〜動的平衡という生命のあり方に学ぶ〜【第3回】「動的平衡」と「絶対矛盾的自己同一」

自分がダメだという自覚がない人」が思考停止する理由(連載『問題発見力を鍛える』vol.5)

 

 

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