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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その17)

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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その17)

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その17)

2023/06/22

昨日投稿した記事の続きです。

 

改めて、「書くこと」と「教えない教育」の

関係を明らかにする というテーマを設定し

書き始めたこの記事も、随分と回を重ねてしまい、

これで17回目となりました。

 

したがって、いきなりこの記事から読まれても

前提となっている話や

これまでのプロセスがある程度見えないと、

主旨が伝わりにくいかもしれないので、

記事の最後に記した関連記事のリンクから

適宜アクセス下さるとありがたいです。

 

 

さて、6/18に投稿した(その13)からは、

寺子屋塾で学んでいる大人の塾生たちが書いている

blog記事を3名分ご紹介してきました。

 

その3人の記事内容を

ざっくりふりかえっておくと、

その13の坂田美佐子さんのblogでは、

自分の枠に気付く、外に出るって話でしたし

また、その14の塩坂太郎くんのblogでは、

努めて事実を記述することで

そこに自然と思いがのるって話でしたし、

また、その15の岡本怜奈さんのblogでは、

無意識に気付くって話でしたね。

 

それで、今日は4人目の塾生になるんですが、

廣安祐文くんのblog記事をご紹介!

 

彼は2015年8月11日からblogを書き始めたので、

もうまもなく8年になるわけですが、

本日投稿された6/22分の記事

no.2700 自分の価値観を押しつけていないか

にて、2734日連続投稿となったようです。

 

2734日連続投稿の記事のナンバリングが

なぜno.2700なんだろう? という

細かいツッコミは置いておくとして。。笑

 

それで、廣安くんがblogを書き始めて間もない頃

100日続けて投稿できたときに、

そのことについてのふりかえり記事を

5回にわたって投稿したことがあり

今日はそれを一挙まとめて紹介することにしました。

 

5回分あるので、かなりの分量がありますが、

ひとつのことを5回に分けて書かれたものであり、

だれからも教えられていない環境下で

ひとつのことをやり続けようとすることで、

いったいどういうことが起きてくるのか、

そのプロセスに着目して読んでいただけると

有難いです。

 

 

(引用ここから)

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2016-07-01【102日連続投稿】
本日のつれづれ no.137

〜100日連続投稿して思うこと ①〜

 

一昨日で100日連続投稿しました。
久しぶりにブログについて

振り返ってみようと思います。
3回シリーズで振り返ります。

 

昨年の8月11日からブログをはじめました。
頑張って気合いを入れて3週間毎日書きましたが、
気持ちが切れたのか、

その後全く書けない日々が3週間続きました。
その後、今度こそ続けようと意気込んで

再開しました。
しかし、また3週間でと書けない状態になりました。


次に書けるようになったのは、

年を超えて2016年1月17日でした。
内心としては、2回続けることをチャレンジしたが

思うようにいかず、
もう自分には毎日続けることはできないのかと

思っていました。


しかし、大学4年生のもうすぐ卒業という時期に、
なんも進路が決まってない自分が

どうなっていくのか?
毎日書き残しておいて後から読み返すと

結構面白いんじゃないのかと思い、
再開しました。


過去2回の上手くいかなかった経験から
気合いを入れると続かないことを痛感していました。
いいこと書かなきゃいけない。
何文字以上書かないと、、、
こんな内容で投稿するとか恥だよな。
誰かの学びになるようなことを書かなきゃ。
勝手に自分で高いハードルを設定して、

自分で自分をしんどくさせていたのです。

 

言うなれば、自分が思う恥ずかしい自分を

他人に晒すことができず、
人前でいい格好をしたい自分が顕著に出ていました。


また、毎日書くとなるとネタがなくなってきます。
それもただ自分の観察が甘かったのです。
1日24時間あって何かしら出来事があるし、

自分で考えることをしているはず。
ネタがないなんて言い訳に過ぎない。
ネタなんてそこら中に転がっている。
こんなことに気付きつつ、

1月17日から39日間続きました。

 

その時、頑張る必要なく

淡々と続けていくことを経験しました。


39日あれば書きたくない日がたくさん出てきます。

でも、書きたくない時こそ書きたくない時の

自分の思いを綴り始めることから始めると
何かしら自分の内から出てくる。
「あっ今の自分はこんなことを大切に思ってるんだ」
「自分が気になっていることはこの事か」


書きたくない時こそ、今の自分の現状を

把握することができるのではないか。
だから、淡々と続けることが大切なのだ。

 

以上その①でした。

 

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2016-07-02 【103日連続投稿】
本日のつれづれ no.138

〜100日連続投稿して思うこと②〜

 

100日連続投稿して思うことを

3回に分けて書いています。


第2回目は、2016年1月19日から

3回目のチャレンジが39日で終わったところから

書きたいと思います。

 

39日間続けてみて、

やる気があるから続けられるという
今までの僕の先入観はぶっ壊れました。

 

頑張らない。
力を抜くことが大切。
気持ちが乗らない時どうこうしようとしない。
ただやると気持ちがあとから乗ってきたりする。 
それが案外心地よかったりする。


でも、なんで続かなくなってしまったのか?
それはブログに関しては、

やる気を出してなかったけど、
それまでは、やる気次第で動くというような

疲れる生き方をしていたからだと思う。


やりたいことはやる。
やりたくないことはやらない。
でも、やりたくなくても
いつかは向き合わないといけない課題に直面したり、
突然思いもよらない出来事が

自分の身に起こったりするかもしれない。
やる気で動くどころじゃないことが起きた時でも、
やりたいからとか、

やりたくないからで生きるのか。

 

ブログへのやる気がなくても、
エネルギッシュでいたい時もあれば、
あーもう何もしたくないって時もある。
そうなると、あーもう何もしたくない時は

ブログを書くことすらしたくない。
書かなかったところで、

生きるの困らないしなって気分になった。


言うなれば、自分と向き合いたくないって時だった。
向き合うと辛い、しんどい、苦しい時。
それを隠すかのように

人前ではエネルギッシュでいようとする。
そんなかなり疲れる生き方をしていたんだと

今となっては思う。


自分に蓋をしても良いことなんてない。
いつか抑えきれなくなる時がくると思う。
僕は抑えようとすればするほど

苦しくなることを経験した。

だから、書けなくなっても

ブログを通じて自分と向き合うようにした。


忘れたほうがいいよって言葉は

あんまり好きじゃない。
それは、その人が「自分が受容する力がない」って

言ってることに等しいと思うから。


自分と向き合うってことは、

自分の心の声に耳を傾けるということ。
本当の自分の心の声を聞いてあげられるのは

自分だけ。
自分の声を人を伝えることができるのも自分だけ。
僕がやってるブログは自分の声を聞くツールなんだ。
そして、3月22日から4回目の書くことを始めた。

 

本当は、3月22日からの振り返りを

1つの記事にまとめようと考えていたけど、
今だから3回目の書く経験が

僕がどんな意味を持っているのか

確認できる機会となった。

 

次がいよいよ最後の3回目だけど、

次でまとめきれない気がしてきたぞ。笑

おわり。

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2016.07.03  【104日連続投稿】
本日のつれづれ no.140

〜100日連続投稿して思うこと③〜

 

100日連続投稿して思うことを

3回に分けて書いています。
今回は3月22日から4回目の書くことを

続けることをしていることについて綴ります。

 

先日100日連続書きましたが、
書くことを続けることの難しさは

正直あまり感じませんでした。
気付けば100日続いていた気持ちが強いです。
途中から書いた日付と何日連続投稿したかを

記すようにしました。

1つ1つ積み重なれば達成感が生まれるのか?

と思っていたけど、
達成感はないに等しい。

おそらくこの100日間はブログを続けることが

目的ではなかったんだろうと思いました。


僕は続けることよりも

他の面での課題に直面することになります。
それは、Facebookに投稿して

どれだけいいね!を貰えているか。
ブログへのアクセスがどれくらいか。など、

周りからの承認や評価に

気にしている自分があらわとなりました。


それが気になりすぎて、いいね!が少ないと

僕の書いた内容がダメで
自分が否定されてる感覚にもなりました。
いや、このままは良くないと思い、
毎日書いてFacebookに投稿するのを

4月中やめてみました。


Facebookに投稿しなかったらアクセス数なんて

見たくない程少ないんです。
そんな中でも毎日書くことができたら、
誰かの承認や評価を必要とせずに

続けられる自分に出会えそうだと思いました。


今思えば、評価されない日々は
自分の書きたいことを書くことの

原点に戻るためのものだったと思います。
やはり、こんなこと書いてあの人から

変なこと思われたらどうしようとか思うことなく、
自分の心に耳を傾けて言葉にできる感覚でした。


次の大学の恩師の言葉から、

5月からまたFB投稿しようと思いました。

 

(中略)

いずれにしても、フィットする記事なら最後まで読むし、そうでなければチラ見で終わる……。Facebookは、私にとってチャンスの神さまの前髪の束のうちの1本です。Facebook以外の要素で前髪をふさふさにできるかどうかは別問題(笑)


この言葉から自分はあまりにも

人の目を気にしていることに気づきました。
むしろ、FB投稿しないのは

逃げじゃないのか?と思えてきました。
自分の想いを伝えることを

恥ずかしがったりする自分や
人の目を気にしすぎる生き方と

おさらばしたい自分がいることを実感しました。


そうして、FB投稿を控えていた時期も

毎日書き続けました。


4月から特別支援学校の

常勤講師として勤めていますが、
毎日前向きに働けているのも

ブログを続けているからだと思います。

 

あっ3回では全然まとまらなかったので、

まだ続きまーす。笑

おわり。

 

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2016-07-04【105日連続投稿】
本日のつれづれ no.140

〜100日連続投稿して思うこと④〜

 

100日連続投稿して思うことを綴っています。
当初は、3回で書き終えるつもりが上手くまとまらず、

書きたいことがなくなるまで書こうと思っています。

 

5月からFB投稿を再開して、
いいね!やアクセス数を

気にしなくなっている自分がいました。
いいね!があるとそりゃ嬉しい。
でも、たった1人でもいいね!があると

もう満たされる。
いいね!ゼロの経験がないから

分からないけども、
なくても「自分は今日も投稿したからok」

という気持ちになりそう。

 

5月から振り返ると、

あっという間に今があるという感覚だ。
5月1日から自分が何を綴っていたのか

見返してみました。
内容は、その時の自分が困っていることや

違和感を書いているように思えます。


最初は、対人関係のことについて書いていました。

2ヶ月あると色々あります。
どうして、周りの人をディスるんだろうか?
どうすれば上手くやっていけるのか?

そんなことを綴っていました。


今までは、私とあなたは違う。
なんだかんだそこさえ、みんな理解できれば 、
人を認め合えるんじゃないかと思っていた。
でも、私が私であることに自信がないこと。
他者と比べることで自分の価値を見出すこと。
自分の生き方に窮屈さや不自然さを持ってること。
そんなことが根にあるんじゃないかと

考えるようになってきた。


だから、ディスってる人が悪いってのは

僕の狭い価値観だった。
誰も悪くないんだって思った。

じゃあ、僕はあなたがあなたであっていい。
存在するだけで価値がある。
あなたの生き方をしていい。と伝えたい。

 

でも、それはそんなに綺麗事じゃない。
本当に伝えるってことをするためには、

勇気をもって相手に歩み寄ることが不可欠。
だって、自分のことを何も知らないで

「あなたはあなたでいい」って言われても、
「あなたこそ何様ですか??」って

なるんじゃないかな。

この歩み寄るってことがかなり難しいと日々感じる。
毎日修行だ。
見返りを求めず、その人を信頼しただただ歩み寄る。
おそらく一生僕は

この課題と向き合うことになる気がする。

 

おわり。

 

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2016.07.05  【106日連続投稿】
今日で、〜100日連続投稿して思うこと〜

5つ目の記事です。

 

今日書きたいテーマは

「やりたい・やりたくないで動かない生き方」

 

やりたいからやる。
やりたくないからやらない。


そのやりたいという気持ちは

何処から生まれたものなのか?
外か?内か?
外から生まれたやりたいは、いつか終わる。
外から生まれたやりたいは、

やりたい理由が自分の外にあるからだろう。
例えば、資格を取ることが目的でやる。
これは、資格をとってしまえば終わる。


資格を取ることが

次へのステップならいいのかもしれないが、
資格を取ることがゴールならば取りたい理由は、
達成感を味わいたかったり、

優越感に浸りたかったりするんだろう。
自分からやります!というのがいいとも限らない。


その「やります!」の奥に

どんな自分がいるのだろうか?
自分から進んでやることを褒めてもらいたいから?
それとも気づいたらいってしまったのか?
それは自分自身にしか分からない。

 

やりたい・やりたくないも関係ないってのは
できる・できないことも関係ないってこと。
できないことを問題視しないことで
自然とできるように向かっていく。


この経験を僕はまさに、ブログで経験している。
3回できない経験をして、

できない自分をダメだと思うこともあったけど、
「まぁいっか」といい意味で諦めることができれば、

自然とできるに向かっていく。

 

ブログを100日連続投稿投稿達成感しよう!!と

意気込んでやっていると
達成できたかもしれないけれども、

そのあと続かないだろうと思う。


100日連続投稿して言いたいことは、

何かを達成しようとしなくてもいいってこと。
やりたい・やりたくない関係なく、

ただ淡々とやることの中にこそ、
自然な自分に気づくことができると思った。


そして、振り返ることで自分が気づいた大切なことを

見失っていることに気づく。
いつの間にか、自分の方向性ずれてんじゃん。

 

振り返ることの意味もここに来て実感しつつある。
振り返ることを上手くまとめようとせず、
そのまま書くことで振り返りから

新たな気づき・学びが生まれるな。
今の自分の現状を客観視できてかなり気楽になった。

 

これにて、〜100日連続投稿して思うこと〜

終わろうと思います。
他に書きたいことも溜まってるのでね。

 

おわり。
 

名前?苗字? ひろやすの生き様ブログ 

2016年 7月 1日 より 7月 5日まで

 

上に紹介したblogの記事原文はこちら

 をその1として5日間投稿されています

 

 

【関連記事】

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ネット上(blogやSNSなど)で文章を書く心得

字を書くとは身二つになること

OPENな場で書くことはなぜ大切?

ブレヒト『真実を書く際の5つの困難』より(今日の名言・その60)

 

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その1)

(その2)

(その3)

(その4)

(その5)

(その6)

(その7)

(その8)

(その9)

(その10)

(その11)

(その12)
(その13)

(その14)

(その15)

(その16)

 

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