寺子屋塾

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その18)

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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その18)

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その18)

2023/06/23

昨日投稿した記事の続きです。

 

改めて、「書くこと」と「教えない教育」の

関係を明らかにする というテーマを設定し

書き始めたこの記事も、随分と回を重ねてしまい、

これで18回目となりました。

 

したがって、いきなりこの記事から読まれても

前提となっている話や

これまでのプロセスがある程度見えないと、

主旨が伝わりにくいかもしれないので、

未読記事のある方は、

この記事の最後に記した

関連記事リンク集から

適宜アクセス下さるとありがたいです。

 

 

さて、6/18に投稿した(その13)からは、

寺子屋塾で学んでいる大人の塾生たちが書いている

blog記事を紹介してきました。

 

昨日は4人目の塾生・廣安祐文くんが書いている

名前?苗字?ひろやすの生き様ブログのなかから、

彼がblogを書き始めてから1年近く経過した

2016年7月に、

blog記事を100日続けて投稿できたことについて、

5回にわたって書かれた

ふりかえり記事を一挙まとめて紹介しました。

 

それで、書かれている内容について

わたしがコメントする前に

記事を書いた彼の置かれた状況や

わたしという人間や寺子屋塾との関わりといった

コンテキスト部分について

若干補足しておこうかと。

 

廣安くんとわたしが最初に出会ったのは、

名古屋市千種区覚王山にある

学習塾ことばこの主催で行われた

「ことばこ教師塾」という企画です。

 

わたしは、その「ことばこ教師塾」として

ほぼ月1ペースで行われた1回4時間の講座で

ガイド役(ファシリテーター)を務めたんですが、

教師塾といっても、

教師だけを参加対象にしたものではなく、

社会人や学生など、教育に関心のある人であれば

だれでも参加できるもので、

そのとき廣安くんは、教員志望の大学4年生でした。

 

その教師塾でわたしが担当させてもらったのは、

2015年4月に行った第6回から

2016年2月の第15回までの間で、

「井上淳之典の〝教えない教育〟シリーズ」

と銘打って、ほぼ月1ペースで行われた

全10回講座の具体的な内容は、

旧ブログの次の記事にあるのでご覧下さい。

ことばこ教師塾 全10回の内容について

 

このうち、最後に行った第10回講座

ネットワーク社会と〝書く技術〟の可能性
~IT社会における自己編集のための文章術とは?~

の内容は、

昨日までこのblogで17回にわたって投稿してきた

連投記事内容のアウトラインとも

大きく重なる内容のもので,

リンク先の記事内容をご覧頂ければわかるように、

全10回分の総集編のような位置づけで、

平井雷太さんのこと、今和次郎さんの考現学のこと、

加藤哲夫さんのことなども話した記憶があります。

 

廣安くんは、この全10回の講座のうち

7回参加してくれたんですが、

とりわけ最終回の第10回の内容が

彼には一番響いたようで、終了後の感想カードに

「教師塾全体を通じて今回が能動的に学んで一番

 得るものが多くあった。

 普段から何かをやり続けて現状を把握していないと

 生まれないものではないかとふと思っています」

と記していました。

 

ただ、教師塾の講座と言っても、

〝教えない教育〟シリーズの名のとおり、

わたしの立場はあくまで

体験学習の場をファシリテートする案内人にすぎず、

講座全体の時間は4時間あっても、

プログラムを体験したり

気づきをシェアし合う時間がほとんどです。

 

つまり、わたしが何かを教えるというスタイルで

レクチャーする時間ももちろんありましたが

それは精々全体の1〜2割にしかすぎず、

たとえば、考現学というものがどういうものかを

紹介はしましたが、

「文章を書くコツ」のようなものを

教えた記憶はありません。

 

あと、廣安くんが寺子屋塾に入塾して、

らくだメソッドで学習を始めたのは

2016年8月のことでしたから、

彼が昨日のふりかえり記事5回分を書いた時点では、

まだ寺子屋塾の塾生ではなかったわけです。

 

よって、わたしは彼に何かを

教えたつもりはないんですが、

ただ、彼は前述したように

〝教えない教育〟という名の4時間講座を

7回分体験しているので、

〝教えない教育〟とは

いったいどういう教育であるかについては

もしかすると彼に伝わっていたかもしれません。

〝教えない教育〟のポイント12

 

たとえば、昨日紹介した彼のふりかえり記事の

「1日1回blog記事を書く」という内容を

そのまま「1日1枚プリントをやる」に

置き換えれば、らくだメソッドで学ぶ

「セルフラーニング」のコツとして

読んでもらっても差し支えない内容に

なっていたので。

 

それまで普通に学校教育を受けて、

人から一方的に教えられることに慣れていた人が

だれからも、何も教えられていない環境下で

ひとつのことをやり続けようとすれば、

「できない」「うまくいかない」状況が

起きてくるのは当然のことなんですが、

この「できない体験」がとっても重要で、

そういうときにこそ、

人の妄想、自分の妄想に振り回されることなく

目の前の事実と

丁寧に向き合っていくことさえできれば、

そこからさまざまな気づきが生まれていきます。

 

つまり、そもそも学習とは、

それまで自分で作っていた枠に自分で気付いて

その枠を拡げようとすることであり、

あるいは、その枠の外に出ようとすることであり

あるいは、その枠自体を壊してしまうことでもあり、

シンプルなプログラムのなかから、

いかに豊かな情報を引き出せるかに

かかっているからです。

 

そういう意味で言うなら、

彼は、1日1回blog記事を書くという

非常にシンプルなプログラムから

実に豊かな情報を、

自分で引き出していましたね。

 

わたしたちは学生時代の癖で、ついつい

外側から知識を得よう得ようとしてしまいますが、

残念ながら、すぐれた知識や良質の情報を

どれだけ自分の頭の中に増やし積み上げていっても、

そうするだけでは、

自分がどういう思考回路の癖に嵌まっているか、

自分にどういう盲点があって

何を見落としているか、

つまり、自分のバカさ加減について

ほとんど気付くことができません。

 

とすれば、何かを体験したときに、

自分の幻想、妄想に搦め取られるか、

目の前の事実と向き合うことができるかが

大きな分かれ目でもあるわけですが、この

「自分のバカさ加減について気付く」ことが

目の前の事実にもとづいて

できるようになってくると、

廣安くんが5つ目の記事に書いていたように、

「まぁいっか」といい意味で諦めることができ、

自然とできるに向かっていくようにおもうのです。

 

これが、岡本怜奈さんのblog記事に

わたしがコメントとしてその16で書いた

「他者の力を借り、無意識の力に委ねられる」

ということではないかと。

 

・・・ということで、

例によって例のごとく

本日その18のblog記事も長くなってきましたが、

キリが無くなりそうな雲行きなので、

この続きはまた明日に!

 

そういえば、いまおもいだしたのですが、

昨日のblogで紹介した

廣安くんのblogふりかえり文は、

以前、自分の器をいかに拡げるかをテーマに

記事を書いた際にリンクをシェアしたことがあり、

わたしが彼の記事の要点整理をしたので、

アクセスされると参考になるかもしれません。

自分の器を拡げるためにできること(その3)

 

【関連記事】

井上さんが文章を書くときに気をつけていることは?

ネット上(blogやSNSなど)で文章を書く心得

字を書くとは身二つになること

OPENな場で書くことはなぜ大切?

ブレヒト『真実を書く際の5つの困難』より(今日の名言・その60)

 

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その1)

(その2)

(その3)

(その4)

(その5)

(その6)

(その7)

(その8)

(その9)

(その10)

(その11)

(その12)
(その13)

(その14)

(その15)

(その16)

(その17)

 

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