寺子屋塾

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その22)

お問い合わせはこちら

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その22)

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その22)

2023/06/27

昨日投稿した記事の続きです。

 

改めて、「書くこと」と「教えない教育」の

関係を明らかにする というテーマを設定し

書き始めたこの記事も、

回を重ねて今回で22回目となりました。

 

あと2,3回でひと区切りにするつもりですが、

いきなりこの記事から読まれても

前提となっている話や

これまでのプロセスがある程度見えないと、

主旨が伝わりにくいかもしれません。

 

よって、未読記事のある方は、

この記事の最後に記した関連記事リンク集から

適宜アクセス下さるとありがたいです。

 

 

さて、昨日投稿した記事では、

最初、文章を書く場合において、

日本語の特質、特性への理解を深めることの

大事さについてふれたんですが、

紹介した本のなかに、次の1冊がありました。

泉谷閑示『「私」を生きるための言葉 日本語と個人主義』

 

この泉谷さんの著書の「はじめに」には、

次のような非常に重要な指摘がなされています。

 

私たちが自分で考えようと試みるときに、

「考える」ツールである言葉や言語構造

そのもののなかに、すでにさまざまな偏りが

練り込まれてしまっていることに

十分な注意を払わなければなりません。

個々の単語のみならず、文法構造までもが

私たちのものの見方や考え方の土台の部分を

形成しているということ、

これは普段見落とされやすいことです。

それゆえ「『私』を生きる」という問題に

取り組もうとするときに、

どうしてもこの「言語」という問題を

避けて通るわけにいかないのです。

 

たとえば、日本人が英語を学ぶということは、

単に、英語が読み書きできるようになり、

英語を話す外国人とコミュニケーションが

とれるようになるという実用的な面だけでなく、

英語を使う人間の精神構造や

そうした人たちが生み出した文化を

理解することが課題だということがよく言われます。

 

でも、「自分が何をしたいのかわからない」など

社会の中で生きづらさを感じたり

心を病んでうつになったりすることに、

日本語の特質や歴史が関わっているということは

あまり言われることがありません。

 

1ヶ月ほどまえに、

なぜ「対幻想」は日本で生まれたのか?

をテーマに8回にわたって記事を投稿し、

阿部謹也さんの『世間とは何か』を紹介しながら、

明治の初めまで日本には

「個人」「社会」という言葉がなかったことや、

夏目漱石が講演したときに、

明治維新の文明開化を

表面的な横滑りの開化でしかないと指摘した話を

引用して書いたことがあったんですが、

なぜそうだったのかという理由のひとつに、

日本語の特質が関与しているからだと

言ってよいでしょう。

 

この寺子屋塾では「自分で決めて、自分でやる」

セルフラーニングという学習スタイルを

採用していますが、

なぜ、いまの時代にこの日本において、

それが必要なものと考えるのかということや、

コミュニケーションの問題を掘り下げていくと、

日本語の構造や特質というところに

突き当たらざるを得ないわけです。

 

それで今日は、言葉の問題や

コミュニケーションの問題を扱うときに、

知っておくことで非常に役立つ考え方として、

吉本隆明さんが『言語にとって美とは何か』という

著書で展開された

〝自己表出〟と〝指示表出〟という概念を

紹介することにしました。

 

以前、旧ブログで吉本隆明さんの講演や

芹沢俊介さんが書かれた文章を引用して、

アウトラインについては紹介したことがあります。

 

わたしが吉本さんの著作を読み解き始めて

まだ間もない頃に書いたblog記事なので、

自己表出に〝自〟という漢字を使っているのは、

「自(みず)から」という意味ではなく

「自(おの)ずから」という意味からで、

必ずしも個人を前提としていないのに関わらず

その註釈を「私が言いたいこと」としているなど、

理解が浅いところもあるんですが、

引用の部分も多いので、

概略はつかんで戴けるんじゃないかと。

「自己表出」と「指示表出」

言語と沈黙(吉本隆明さんの最後の講演会より)

 

〝自己表出〟と〝指示表出〟という概念そのものは、

どんな言語にも当てはまる普遍的なものですが、

芹沢俊介さんが

対象にたいする意識のつみかさなりの高さが

その時代の自己表出の水準である。

それゆえに自己表出は共有の財産であると同時に

表出意識を拘束する。

その意味では共同幻想である。

と書かれているように、

その意識の積み重なり具合が

各々の言語自体の歴史やその言語を使ってきた

人々の歴史によって変わってくるわけです。

 

そして、その違いによって、

個人幻想——対幻想——共同幻想 という

3つの幻想領域の関わり具合に

グラデーションが生じてくることになるので、

関連する内容として、

次の記事を未読の方はご覧下さい。

吉本隆明さんによる3つの幻想領域について

3つの幻想領域の〝次元が違う〟ってどういうことですか?

吉本隆明『人間は自分を圧殺するためにさまざまな負担をつくりだす』(今日の名言・その35)

 

それで、以前にも対幻想のことを書いた

こちらの記事で紹介したことがあるんですが、

渋谷陽一さんがまとめられた

『吉本隆明 自著を語る』から

この〝自己表出〟と〝指示表出〟という概念が

カール・マルクスの経済学をヒントに

導き出されたものであることを

吉本さん自身が語っているところがあるので、

その部分をご紹介することにしました。

 

吉本さんの思想は、

世界に類を見ない前人未踏のもので、

この箇所だけを読まれても、

理解まで届くのはかなり難しいとおもいますが、

興味を持たれた方は、

わたしがガイド本として推薦している

冒頭の写真にある宇田亮一さんの

『言語にとって美とはなにか」の読み方』

ぜひお読みになってみて下さい。

 

(引用ここから)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

渋谷 この連載で何度も吉本さんにお話を伺っているように、日本におけるプロレタリア文学の有り様、左翼的な文学者の党派性のようなものを批判し、そういうところではない新しい思想の軸を作り、脆弱な日本の文学的批評を根本から変えようというテーマの中で、それならばちゃんとした普遍的な文学理論、言語論を確立しようということで『言語にとって美とはなにか』(以下『言語美』と略)をお書きになったんですよね?


吉本 はい、そうなんですね。ちょうどその頃に、亡くなった江藤淳さんが『作家は行動する』を出してるんですよ。それがね、文体論をもとにした作品批評っていうのだったんです。それは江藤さんとほとんど同時に僕はやっぱり、言語の表現からする文学作品の批評っていうのは日本にはないじゃないかっていうことに気がついたんですね。(中略)

 

それで何が一番僕にヒントを与えたかっていうと、ソシュールというフランスの言語学者がいるわけだけど、その人の『一般言語学講義』っていう本を読んだんです。それで何がわかったかっていうとね、文学作品の芸術的な価値はどのぐらいあるかみたいな、その価値論の概念は経済学からきてるということなの。要するに貨幣なんですよ。貨幣の振る舞い方っていうのは言語の振る舞い方と似てるわけで。だから、ソシュールはあるところまでは貨幣の価値論っていうのを使って、言語論を展開しているわけなんですよ。そういうことに気がついたんですね。しかもソシュールの文体の価値論っていうもののもとになってるのは、近代経済学ですよね。近代経済学の貨幣概念は、たとえば限界効用説とかいろいろありますけど、その価値論が言語表現の作品価値を言う場合に、一番参考にしてるっていうのがわかったわけです。そこでじゃあ、僕はマルクスの『資本論』の貨幣価値論をもとにしてやってやろうじゃないかって思ったわけです。ただ、それをそのまま概念的に使ったってどうしようもないわけで、言語っていうもののイメージが自分なりに浮かんでくるくらいまではね、考えたり読んだりしたわけです。それから『言語美』っていうのは始まったんですね。


┃『資本論』から得た着想
渋谷 過去のインタヴューの中でも吉本さんはマルクスの『資本論』を参考になさったというふうにおっしゃっているんですけれども、この『言語美』で一番有名な概念は〝自己表出〟と〝指示表出〟という、この二つの座標軸で言語を読み解くというそういう発想ですよね。そこですごく有名な品詞のチャートが書かれていて見事に分類がされているんですけど、吉本さん自身が、「数学の中の表現論」を非常に参考になさったというお話をなさっていて。この「数学の中の表現論」っていうものを具体的にどういうふうに参考になさったんですか。


吉本 要するに代数学なんですね。 代数学の中に代数関数論みたいなのがあって、その概念は要するに何かっていうと、基礎概念をいくつかものにしてこしらえておいて、そうすると数学的な記号でもって論じられる現象っていうのは文学でいえば表現に該当するものだと。表現と同じように枝葉を広げていくと。いくつかの基礎概念をどう取るか っていうことでその人の近代代数学っていうか現代代数学、その概念の取り方は違ってくる。そういうやり方っていうのがあるんですね。そもそも、それは僕が(『言語美』を)書いて本にしたときに、代数関数論の学者である遠山啓っていう人が、「これは数学でいう表現論とよく似てる」っていうことを言ってくれたんですね。それで僕に気づかしてくれて。


渋谷 遠山先生が褒めてくれたんですごく嬉しかったと吉本さん自身もインタヴューでお答えになってますけども、要するに一種の、数式的な概念をベーシックに作っておくと、 そこからの応用がいろいろな局面においてできるという数学における表現論というのがひとつのモチーフになっているということですか。


吉本 ええ、そうです。それは潜在的にそうなってる。そこで、文学作品の芸術的価値はどうやって決めるかみたいなときに——

 

渋谷 『資本論』が出てくるわけですね。


吉本 そうなんです。それで『資本論』っていうのはどうできてるかっていうと、たとえば水と空気は、使う場合には無限に使えるもんだ、つまり空気と水の〝使用価値〟っていうのは無限に大きいんだと、無限に伸びていくものだと。だけどその一方で、〝交換価値〟っていうのもあって。普通、価値っていうのは〝交換価値〟のことを言ってるんです。 何かと交換するっていう場合には水と空気はゼロだ、つまりこれはただだっていうことですね。一方、貨幣は何とでも交換できるわけですよね。何買うんだって貨幣があれば買えるわけです。そういう意味では貨幣は〝交換価値〟がある。だけど空気と水は〝交換価値〟はゼロであると。空気と何かを変えてくれって言ったって誰も変えてくれる人はいないわけですから。だけど使うっていう場合には相当広範囲にこれは使えるぜっていうことなんです。現に我々は空気を呼吸するのにも使ってるし、それに樹木は炭酸ガスと空気中の酸素を交換して生きてるわけですから。これが『資本論』の枠組みなんですよ。


渋谷 なるほど。つまり使用価値が指示表出なんですね。


吉本 で、僕は要するに〝使用価値〟に該当するものを〝指示表出〟として、〝交換価値〟に該当するものとして〝自己表出〟っていう二つの概念を作ったわけ。で、この二つがあるとね、文体論ができるわけですよ。それで大体枠組みができて、あとは書き始めたわけです。ただ、マルクスは『資本論』の中で、芸術作品の価値も、要するに労働価値に帰着するんじゃないだろうか?」って疑問符で言ってるんですよ。つまり、いっぱい労働すればいい価値の作品ができるっていうことじゃないかな?って言ってるんですよ。だけど僕はそこはちょっと疑問だって。つまりね、作品というのはスラスラッとできちゃった詩のほうが、ムチャクチャ考えていじくるよりもいい作品ができることもあるわけですよ。だからここはマルクスの価値の分かれどころだって思ったわけですよ。それで僕は〝自己表出〟っていうのは、三木成夫っていう解剖学者がいて、この人が「人間には第二の言葉がある、それは内臓の言葉だ」って言ってるんですよ。それがものすごく示唆になって。要するに内臓の言葉ってどういう言葉かっていうと、たとえばお腹が痛くなったら「痛いなあ」とか「いてぇ」とか口の中で言って痛いっていうことがあるわけですね。つまりそういう言葉は内臓の言葉なんだって三木成夫っていう人はそういうふうに言ってるんです。つまり誰かにコミュニケーションするのが言葉だっていうのは一面、つまり〝指示表出〟だけにしか過ぎないんですよ。〝自己表出〟みたいな、つまり自分に言い聞かせるために「痛い、お腹痛い」っていう言葉もあるわけです。人に聞こえないような言葉もあるし、もっと極端に言えば無言でその痛いっていうのを表情だけで表わすことがある。それこそが〝自己表出〟だと。そうすると言葉っていうのは最終的な言い方で言えば、コミュニケーションのための言葉〝指示表出〟と、自分なりに自分を納得させるための言葉——〝自己表出〟という二つの側面があると。そうするとこの〝自己表出〟と〝指示表出〟の織物って言いましょうかね、織られてそれで出てきた布きれみたいなものが言葉なんだっていう概念に到達したわけです。

 

渋谷陽一編『吉本隆明 自著を語る』(ロッキングオン) 第6章 言語にとって美とはなにか より

 

この続きはまた明日に!

 

【関連記事】

井上さんが文章を書くときに気をつけていることは?

ネット上(blogやSNSなど)で文章を書く心得

字を書くとは身二つになること

OPENな場で書くことはなぜ大切?

ブレヒト『真実を書く際の5つの困難』より(今日の名言・その60)

 

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その1)

(その2)

(その3)

(その4)

(その5)

(その6)

(その7)

(その8)

(その9)

(その10)

(その11)

(その12)
(その13)

(その14)

(その15)

(その16)

(その17)

(その18)

(その19)

(その20)

(その21)

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
寺子屋塾に関連するイベントのご案内

 7/9(日) 映画「VOP予告編4」ビデオ上映会

 7/17(月・祝) 『言葉のズレと共感幻想』読書会 #1

 7/29(土) 経営ゲーム塾C

 7/30(日) 易経初級講座 第13回
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。