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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その21)

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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その21)

改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その21)

2023/06/26

昨日投稿した記事の続きです。

 

改めて、「書くこと」と「教えない教育」の

関係を明らかにする というテーマを設定し

書き始めたこの記事も、

回を重ねて今回で21回目となりました。

 

したがって、いきなりこの記事から読まれても

前提となっている話や

これまでのプロセスがある程度見えないと、

主旨が伝わりにくいかもしれないので、

未読記事のある方は、

この記事の最後に記した

関連記事リンク集から

適宜アクセス下さるとありがたいです。

 

 

さて、昨日はこの連投記事で

これまでずっと紹介してきたような

〝考現学〟的文章術を学びたい方のための

テキストとして

ナタリー・ゴールドバーグの本

『書ける人になる 魂の文章術』(扶桑社)

原題

Writing Down the Bones Feeling the Writer Within

を紹介しました。

 

ナタリーの本はとてもよくできたテキストですが

もし敢えてウィークポイントを

挙げようとするなら、

日本語で文を書くということへの

直接的な配慮がないというか

日本語で文を書くということが

前提となっていないところでしょうか。

 

アメリカ人の書いた本ですから、

当然といえば当然ではあるんですが。

 

そこで、それを補う必要があり、

日本語の文章術を実践しようとする上での

良書としてわたしが推薦するのが

冒頭の画像に挙げた3冊です。

三浦つとむ『日本語はどういう言語か』

泉谷閑示『「私」を生きるための言葉 日本語と個人主義』

松永暢史『常識破りの日本語文章術』

 

日本語の特殊性を指摘する本は、

この他にもまだまだたくさんありますから、

ご自身で読みやすいとおもわれたものがあるなら

それを選んでいただいて構いません。

 

ちなみに、松永さんの本は、

日本語の特質という視点のみならず、

なぜ、文を書くことを苦手に感じてしまうのか、

だれもが書けるようになることが

どうして重要なのかなどなど

とても重要な指摘が沢山書かれているんですが、

現在は絶版で入手しにくいようなので

作文について書かれた類書も挙げておきます。

 

 

さて、今日の本題です。

 

平成18年度年に(社)日本青年奉仕協会の企画で、

「異世代協働」をテーマとした事業を

お手伝いしたことがありました。

 

1泊2日の研修イベントと実践ガイドの作成が

主な内容でしたが、その実践ガイドは

研修イベントの報告書も兼ねていたので、

わたしが担当した分科会のテーマを掘り下げ、

「異世代間の相互理解をすすめるために」と題した

原稿を執筆しました。

 

この原稿の構成は、前半が「聞くこと」について、

後半が「書くこと」についてという構成なので、

この連投記事の内容に沿った部分は、

後半のみになるんですが、

「聞くこと」と「書くこと」はつながっていますし、

ちょうど昨日投稿した記事は、

インタビューゲームにも触れましたので、

少々長いですが全文掲載させていただきました。

 

10年以上前に書いた原稿なので、

前提としている時代背景など

現状に合わないところも若干ありますが、

論旨の中心については

今日でも十分通用する内容だと考えています。

 

(引用ここから)

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異世代間の相互理解をすすめるために

~「聞くこと」と「書くこと」を中心に~


誰もが実践可能なツール

異世代協働をすすめるプロセスで、世代間ギャップやコミュニケーションの難しさが如実に表面化するのは「会議」の場ではないだろうか。この習慣は古くからあり、だれもがどこでも経験する場であるが、この「会議」につきまとうマイナスイメージも根強いものがある。時間通りに始まらない、遅れて来る人がいる、会議の決定内容を実践する人が出席しない、話しがすぐに横道に逸れ繰り返しが多い、何も決まらないうちに終わってしまう、意見がなかなか出ない、人の揚げ足をとって否定的なコメントばかりする人がいる、声の大きい人や肩書きのある人の意見だけが通っていく、終了後に出口の下駄箱の所でヒソヒソ話・・・そんな生産性のない会議を改革するためにどうすればいいだろう? 

筆者は、フォーラムにおいて会議の進め方をテーマにした参加体験型の分科会をもった(第1分科会の報告文参照)。しかし、「会議」というのはあくまでひとつの切り口にすぎず、目的は、異世代間の相互理解をすすめる上ですぐに役立つツールを持ち帰ってもらい、現場で実践し日常化することの大事さを伝えることであった。

その際のプログラムは2つあり、ひとつは、「聞く」ことの大切さと楽しさ、難しさを体感できる「インタビューゲーム」。そして、もうひとつは、「書く」ことで情報を視覚的に共有しながら意見を交換していく「ファシリテーション・グラフィック」だった。この2つに共通するのは、だれでもすぐに始めることができることであり、繰り返し日常的に実践していくことにより、確実にスキルアップにつながっていく点である。

異世代間の相互理解というテーマはとてつもなく大きいため一朝一夕で解決する問題ではないが、日々の積み重ねや具体的な実践なくして到底解決は望めない。そこで、本稿では、日常的なコミュニケーションの基本である「聞くこと」と「書くこと」の2つに焦点をあて、相互理解につながるアイデアや手法を単に紹介するだけでなく、元になっている考え方や可能性を中心にまとめてみた。個々人がもっている意見や思いを会議の場に引き出すために、特別な才能は必要ではない。だれにでもすぐに実践できる「ちょっとした工夫」を知ること、そしてそれを実行に移す勇気だけだ。

 

「インタビューゲーム」のやり方

インタビューゲームのやり方は簡単である。B6判の用紙とメモ用紙、ボールペンさえあればいつでもどこでも実践できる。このゲームはらくだメソッド開発者・平井雷太氏が考案したもので、「何を聞いてもよい」「答えたくないことは答えなくてよい」「聞かれていないことでも話してよい」という3つのルールと、「聞くことに徹する(聞く側は自分の事を話さない)」「相手が答えた内容に沿って聞いていく(アンケートのような質問をしない)」「メモをとりながら聞く」という注意事項を最初に確認し、2人一組のペアをつくり、どちらが先に聞くかを決めてインタビューをスタートする。20分が経過したら役割を交替し、同じく20分間インタビューを行う。終了後はメモを元に、双方聞いた内容をB6判カード1枚に編集する。文頭を「私は~です」で始め、インタビューした相手になりきって、相手の自己紹介をするつもりで書 く。書き上げたらタイトルをつけ、相手の人に確認し、訂正部分があればその場で直してもらう。了解を得たものを読み上げ、参加者全員で共有する。

このゲームは、ルールと注意事項が非常によく練られているだけでなく、シンプルながら「取材→編集→発信」という情報処理の基本的な要素が盛り込まれており、実施する時と場所によって、また相手が変わることによってさまざまな気づきを生みだす。20分間相手の話を聞き続けるということは日常生活ではほとんど体験しないので、始める前は躊躇する方も多いが、実際やってみると質問がとぎれてしまうことはほとんどなく、終わってみると20分が短く感じられてしまう。

 

「聞くこと」は積極的な行為

また、実際に体験してみることで、コミュニケーションの本質は 「話すこと」よりもむしろ「聞くこと」にあることに気づく方が多い。最初に聞く側がどんな問いを発するかで、その内容が大きく変わってくるし、話す側は聞く人が存在するから話すのであって、聞く人が誰もいない場で話すようなことはあり得ない。そういう意味で、聞く人の存在の方が先である。ふつう自己紹介をする場合は、自分の話したいことを話すのだが、その話が、相手にとってはあまり聞きたくない類の話ということは往々にしてあり、そんな話を延々と聞かされるとうんざりして気持ちが引いてしまう。

インタビューによって編集された成果物は、他己紹介文となるが、基本的に問われて答えたことを中心に編集されているので、編集された文章は、インタビューを受けた人について書かれたものではあるが、インタビューした人の関心もそこに表現されているため、2人の共同(協働)作業の結果生まれたものであり、一人の人間によって一方的に発せられた言葉よりもずっとまわりに伝わりやすい。また、この成果物を読んでみると、自分が話したかった内容が相手にどのぐらい伝わったのか、どのぐらいズレているのかも確認できるので、他者の存在が、自分自身を知る鏡のようなものだとも気づく。

哲学者の鷲田清一氏は、その著書『「聴く」ことの力 臨床哲学試論』の中で、「聴くことが、ことばを受けとめることが、他者の自己理解の場を劈(ひら)くということであろう。じっと聴くこと、 そのことの力を感じる。(中略)私がここで考えてみたいこと、それがこの〈聴く〉という行為であり、そしてその力である。語る、諭すという、他者にはたらきかける行為ではなく、論じる、主張するという、他者を前にしての自己表出の行為でもなく、〈聴く〉という、他者の言葉を受けとる行為、受けとめる行為のもつ意味である。」と記している。つまり、「問い」を発すること、「聞くこと」というのは、一見消極的そうに見えて実は非常に積極的な行為であり、伝わるコミュニケーションを本気で実践しようとするのであれば、「話すこと」中心の世界から「聞くこと」中心の世界へシフトすることこそが必要なのだ。

 

「聞くこと」を日常化すること

こうしたインタビューを日常化し、いろいろな人に話を聞いたり、いろいろな人からインタビューを受けて自分自身を編集してもらったりする体験を繰り返していくと、自分がいかに先入観でしかものを見ていないかということに気づき、他者とは違う「自分」と思いこんでいた自分自身への認識もゆらぎが起きてくる。つまり、「相手の存在を受け入れて聴く」「他者の中に自分を発見し、自分の中に他者を見る」体験を積み重ねていくことであるから、これは異世代間の相互理解というテーマにそのままつながっている。

このインタビューゲームはさまざまな応用が可能だ。ルールの1つ目に示されているように、聞く内容を予め限定しないのが基本だが、たとえば、「教育について」「お金について」など、テーマをもって臨むことも可能であり、20分という時間も、時と場合によっては伸縮すればいい。また、マーケティングにも応用でき、『集団創造化プログラム』には、インタビューを使ったマーケティングゲームのやり方が紹介されている。会議中、場が滞って意見が全くでなくなったようなとき、二人一組になって、5分間ずつ聞き合いをしてみる、というふうにアイスブレーキング的に用いることもできる。ポイントは、聞く、まとめる、確認する、というプロセスを日常化し、繰り返すことである。

 

会議を根本的に変革するファシリテーション・グラフィック

さて次は「書くこと」である。筆者がファシリテーション・グラフィックを初めて知ったのは随分前のことであったが、これは実際に体験したのは2002年のことであった。しかし、知るとやるとは大違いで、遅まきながら「これは会議のあり方を根本的に変革するものだ」と直観的に感じた。会議を変革するための方法論は数多あるが、このファシリテーション・グラフィックはその筆頭と言ってよいだろう。これは模造紙に、その場で話されたことを、水性カラーマジック等を使って書きとめることによって多くの人が情報を視覚的に共有できる工夫のひとつであり、非常に応用範囲も広く奥が深いものである。会議の現場で用いられることも次第に増えつつあるようではあるが、これが思ったほど広がりを見せないのは、「書く」ことへの抵抗感が拭えないためではないかと感じている。

ファシリテーション・グラフィックの具体的な技術については、「参加のデザイン道具箱PART3ファシリテーション・グラフィックとデザインゲーム」に詳しく、「にいがたまちづくり事典マチダス」「まち育てサポートブック マチダス2」には実践のポイントや実例などが紹介されていて非常に参考になる。旧来の退屈で非生産的な会議を刷新し、新しい進め方を採り入れたいと考えている人たち向けて書かれた佳書がここ5年ほどの間に続々出版されるようになったので、具体的な方法論についてもっと詳しく知りたいと思われる方は、末尾に紹介した図書を手に入れて参照して頂くこととし、ここでは、この「書く」という行為自体について少し掘り下げて考えてみたい。

 

作文教育の功罪

私たちは小中学生の頃から、みんなが上手な文章を書けるようにと学校で作文教育を受けてきたのにもかかわらず、「文章が書けない」「自分は下手だ」と思っている方がとても多く、作文が得意だという人にはなかなかお目にかかれない。筆者自身も小中学生のときは国語が一番苦手で、書いたり話したりするのは決して得意ではなく、夏休みの宿題の読書感想文とか、無理やりにいろいろと書かされるのはイヤだったことを覚えている。

しかし、1992年から毎月ハガキ1枚の分量で新聞を出し始め、1994年から2001年までの間、初めの頃はFAXで、インターネットを使い始めてからはEメールで、ほぼ毎日文章を書いて月水金の週3回発信するということをやっていたため、文章を書くことに抵抗感がなくなったのは、その成果ではないかと思っている。

書く内容については予め決めず、日々教室での生徒とのやりとりであったり、講演会や講座に参加した感想であったり、読んだ本の気に入った部分の抜き書きだったりしたが、とにかく1日を振り返って、ふと思いついたことを書いた。また、その書き方はいわゆる日記や作文とは違っていて、他人が読むことを前提としながらも上手に書くことを目的にせず、読んだ人に「わからないことや文句などがあれば何でも遠慮なく言って下さい」とお願いして発信した。

 

人間関係づくりとしての「赤入れ」

毎日が締切なので、ゆっくり考えて推敲する余裕がないこともあり、「これ全然意味わかんない!」「何が結局言いたいの?」「長くて全然読む気がしないよ」など、言われ放題で頭に「カチン」と来ることも多々あった。しかし、だいたい「カチン」と来たときというのは、当たったことを言われているわけで、「なるほど」と思い直して、書いた文章を書き直して再発信した。そのことから逆に、自分一人だけで文章を書くのではなく、ネットワーク的なつながりの中で、共同作業のようにみんなで文章を作り上げて行くようなやり方があることに気がつかされた。

そして、さらにわかってきたのは、上手下手を評価しないという関わり方で接し、ただ淡々と書いて交換し、他の人の意見を聞き、また書く、という体験を積み重ねて行くと、「自分は文章が下手だ」「書けない」と思っていたような人でも、どんどん文章が書けるようになってしまうという事実だった。書きたいと思っていない人は一人もいなくて、誰もがみな書きたいと思っていると確信をもった。だから、上手に書こうと特別に意識したり努力したりしなくても、人とのつながりの中で淡々と書き続けていきさえすれば、だれでもその人なりの文章が書けるようになってしまう・・・これは大発見だった。

ちなみに、このような文章の書き方は、関東大震災後の東京の街を歩き、バラックのスケッチから新しく都市風俗の観察の学問を始めたと言われる今和次郎の提唱した「考現学」の姿勢に通じることから、筆者の仲間うちでは「考現学を書く」と称し、それに意見を言うことを「赤入れする」と称している。しかし、この「赤入れ」というのは、いわゆる「原稿の校正・間違いの訂正」という意味の「赤ペンを入れる」とは若干違う。赤入れは、その人の個人的な意見でありその意見が絶対正しいわけではないので、赤入れを受けたからといってその通りにしなければならないわけではないからだ。また、赤入れをする人が、文章を書いた人よりも文章力や知識の面において優れている必要もなく、むしろ、その書かれている内容についてよくわからない人の方が、書いた人には見えない盲点に気づきやすいことが多い。

 

リーダーシップの共同形成

異世代協働の現場というのは、市民活動やNPO、ボランティアというフィールドが多い。それは、行政や会社とはちがい、ピラミッドのようにヒエラルキーが厳然と定まった世界ではないが、その中のコミュニケーションのあり方を注意して見ていくと、上意下達に一方通行な形で行われていることも少なくない。したがって、このような「考現学を書く」「赤入れ」をすることを活動に関わる人々の間で日常的に繰り返していくことは、メンバー間の意思疎通や相互理解をすすめていく上でも有効であるだけでなく、ヒエラルキーのない水平的な人間関係を創り上げていくことが可能になる。また、リーダー的役割の人が、まわりの人から赤入れを受ける度量をどれだけもっているかが、その団体の活動が活性化するかどうかのポイントでもある。

グループ活動などで文章を書く場合、たいていの場合はいつも同じ人が書いているため、文章を書くのが苦手な人はいつまでたっても苦手のままである。ニュースレターなどを編集する人も決まっている場合が多いが、誰かが書いた文章をそのまま外に向けて発信するということを繰り返していると、独りよがりの分かりにくい文章を書いていたり、マンネリに陥ったりする。そうしたことにならないためにも、外に向けた文書を書くときは、かならずメンバー間で赤入れをして書き直しながらつくっていくとよい。こうした工夫は、活動のリーダーシップを一人の人間だけに集中せずに共同で形成していくことにもつながるし、そのプロセスではお互いの考え方が露わになるので、相互理解にもつながるはずだ。

 

誰もが書ける時代 

  牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いにおこる

 

これは、小説「野菊の墓」で知られる伊藤左千夫の読んだ短歌であるが、彼が東京の本所で乳搾りをしながら牛乳配達をしていたことを知る人は少ないかもしれない。「牛飼い労働者の私までが歌を詠むようになったとき、短歌の中身も変わっていくだろう」という意気込みが感じられる歌である。
筆者は、歌人や小説家、新聞記者とか大学教授とか、“書く”ことを仕事としている人だけでなく、家庭の主婦やトラックの運転手など、今まであまり書かなかった人や、書くことについては素人と言われてきた人が、日常的に書いてどんどん情報発信をしていくことが、とても大事なことだと思っている。

今日ではパソコンが普及するだけでなく、インターネットによって世界中のコンピュータがつながったことで、世界中の人々を相手にメールマガジンを発行したり、ホームページやブログを立ち上げたりというようなことが、誰でも簡単にできるようになり、伊藤左千夫の時代と今日とでは隔世の間があるが、この歌に込められた彼の姿勢には深く共感できるものがある。

異世代間の相互理解という課題は、私たち自身の日常のコミュニケーションのあり方に深く関わっているものである。したがって、「聞くこと」「書くこと」といったふだんの当たり前のことを見直す実践が必要であり、それ抜きにして今までの社会システムを構造的に転換する文化レベルの変革は実現できないだろう。道のりは遠いかも知れないが、一人ひとりからしか始まらないし、ひとつひとつ積み上げていくしかない。

 

 ●参考文献・資料
平井雷太編著『子どもの言い分、おとなの聞きかた』(ウエイツ・2005年)
平井雷太著『「~しなさい」と言わない教育』(日本評論社・1995年)
平井雷太・山下剛講演録『教えない教育・治さない医療』(寺子屋プロジェクト・1994年)
加藤哲夫著『市民の日本語』(ひつじ書房・2003年)
今和次郎著(藤森照心編)『考現学入門』(筑摩文庫・1987年)
『参加のデザイン道具箱 PART3 ファシリテーショングラフィックとデザインゲーム』(世田谷まちづくりセンター・1998年)
新潟県企画調整部編『新潟一村一価値づくり』(ニューにいがた振興機構・1998年)
『にいがたまちづくり事典マチダス』(ニューにいがた振興機構・1999年)
清水義晴編『集団創造化プログラム ワークショップの可能性を探る』(博進堂・2002年)
中野民夫著『ワークショップ』(岩波書店・2001年)
中野民夫著『ファシリテーション革命 参加型場づくりの技法』(岩波書店・2003年)
吉田新一郎著『会議の技法 チームワークがひらく発想の新次元』(中央公論社・2000年)
齋藤孝著『会議革命』(PHP研究所・2002年)
堀公俊著『ファシリテーション入門』(日本経済新聞社・2003年)
鷲田清一『「聴く」ことの力 臨床哲学試論』(TBSブリタニカ・1999年)

 

『異世代協働実践ガイド』(日本青年奉仕協会)より転載

 

この続きはまた明日に!

 

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改めて「書くこと」と「教えない教育」との関係について(その1)

(その2)

(その3)

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(その6)

(その7)

(その8)

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(その10)

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