落合陽一さんが語る!これからの教育において大切な「考える力」とは⁉
2026/11/08
10/21から寺子屋塾ブログでは、
メディアアーティスト・落合陽一さんの
著書や動画を紹介しながら記事を書いています。
今日は、2023.12.24にYouTube
ベネッセのチャンネルでアップされた動画に、
落合さんが小学生に10分ほど
講演されているものがあったので、
それを文字起こししてみました。
落合陽一氏が語る!これからの教育において大切な「考える力」とは⁉
(文字起こし・ここから)
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小学生の頃からコンピューターとともに
聞き手:先生は、小学生のとき、どんな子どもだったか覚えていますか?
落合:僕がコンピューターを始めたのは、小学校2年か3年生のときなんで、あんまり今と生活スタイルは変わっていないんですけど。ただ、うちは文系一家なので、一番つらかったのは、インターネットの契約を、8歳の僕が電話かけないといけなかったこと。
聞き手:8歳の子が?
落合:「パパとママに代わって」と言うんだけど、「パパもママもインターネットのこともパソコンのことも分かりません」というのが、すごいつらかったです。小学校高学年から中学生ぐらいになると、プログラムを書いたり、ホームページをいじったりできるようになってきて。でも、今でも変わらないですね、やっていることはね。
聞き手:この後の講演のテーマを、お伺いしてもいいですか?
落合:AIの話でもしようかなと思うんですけど。僕が小学生の頃は、教科書とか紙で勉強する世代だったんです。今の子たちは、多分、動画で勉強する世代。で、多分、今年生まれた子は、きっとAIで勉強する世代なんですよ。これは、メディアが変わっていっているんですけど。AIで勉強する世代は、どうやって勉強するんだろう、ということをしゃべろうかなと思います。
聞き手:はい。
メディアアーティスト・落合陽一の仕事
ナレーション:世界が注目するメディアアーティスト、落合陽一。物理現象を魔法のように操り、多くのアートを生み出してきた。
落合:わたし、メディアアーティストと紹介されることが多いんですが、一応、大学の教員で、専門はコンピューター・ヒューマン・インタラクションといって、人間とコンピューターがどうやって関わるかを大学で研究しています。2025年に万博というのがあって、そのパビリオンで建物全体を動かしたい、というのがあってですね。
建物全体を作るには「まぁ大変だわな」と言いながら、こういうものを設計したりするのが普段の仕事で、こんなことをしています。モーターとかロボットみたいなものがあるんですけど、それを引っ張ったり曲げたりしながら、プログラムを書いて作ったりすることを、作家としてはよくやっています。
みんな、普段コンピューターを使うかな?使ってる?どう使ってる?家でiPadでゲームしてる?してない?分かんないけど。iPhoneで動画を見てる?楽しいね。えっと、Minecraftやってる人?ああ、いっぱいいるね。いい感じじゃん、ほら。はい。
AIはどのくらい学習しているのか
落合:みんなが生まれたのは、2012年ぐらいです。今6歳の子だったら2016年ぐらい。大体この辺りですね。君たちが生まれた頃は、世の中がディープラーニングの時代と言われていた時代で、その頃のコンピューターが学習している量は、大体ミツバチぐらいだったんです。ミツバチが生まれてから死ぬまで、どのくらい勉強しているでしょうか。
うん、寿命はどのくらいだろうね。まあ、生きて1年、2年ぐらいかな。そうしたら、目で見て、触覚で感じて、そんなに多くは勉強できないじゃない。じゃあ、カラスはどうだろう、って考えて。カラスって結構、頭いいじゃない。クルミを拾ったり、バナナを落としたり、いろんなことをしていると思うんですけど。
コンピューターの学習モデルがカラスぐらいの情報処理になってきたのは、いつぐらいかというと、大体2016年とか2020年とか、この辺りですね。だから、今から3年ぐらい前にカラスぐらいになってきたんですよ。カラスぐらいになってくると、もう10倍ぐらいすると人間ぐらいになりそうじゃない。だって、カラスって3年か4年ぐらい生きているじゃん。
そうすると、そのくらいの学習量を詰め込んだコンピューターはいつ出てくるんだろう、というのが去年、割と議題になって。「じゃあ、いつだろうね」と言っていたら、その3か月後ぐらいにGPT-4という、みんな使っているChatGPTに入っているものが出てきて、「ああ、これはもはや人間ぐらいの学習をしていますね」というところになってきて。
入っているデータ量としては、人と同じぐらいの量を学習するようになってきました、と。みんな、びっくりしますよね。だって、スマートフォンでアクセスできるAIのモデルが、大体の人より賢い、という状態がもうすぐそこまで来ていますよね。でも、コンピューターが大体の問題を解けるときに、じゃあ、コンピューターではない人間の側にはどういうものをつけていったらいいか、というのは結構、重要な問題です。
AIがぐーっと伸びてくると、人間って、ほら、できることは大体一定じゃない。1900年代の人々がやっていたことも、2000年代の僕らがやっていることも、あんまり変わらない。ただ、道具は違うね。AIもどんどん進歩しているね。君たちが生まれた頃はミツバチだったAIが、もはや人間並みなんですよ。すごくない?じゃあ、その変化と同時に、人間が能力を伸ばしていけるか、というのが、僕はすごく重要な問題だと思うんですね。
AIが描いた「波」は本物とどう違う?
落合:分かります? ちょっとみんな、考えてみよう。これ、いい感じに波に見えるんだけど、これは全部、AIが作った絵なんだ。AIが作った動画なんですよ。だけど、この波を見て、「きれいな波だな」と思う子もいるし、「自然な波だな」と思うかもしれないんだけど、物理をよくやっている僕からすると、この波は妙に変な波なんです。分かりますか?
どこが変かというと、この辺に向こうからこっちに波が来ているはずなのに、反対向きに押す波があったりして、なんか随分おかしい波面、波の面をしているのね。こんなところで、風もないのにいきなりしぶきとか立たないだろう、とか。まあ、極めて奇妙な波なんです。これはAIが描いた波なんだけど、コンピューターの中で波を描く方法は、大体3つあって。
1個は、人間のアニメーションを作る人が、手で波をつけるというやつね。まあ、ほぼ手描きです。2つ目は、コンピューターシミュレーションといって、物理にはいろんな法則があるじゃない。水が流れる法則、重力に引っ張られる法則、風が吹く法則。いろんな法則があるんだけど、それをコンピューターに入れて、「せーの!」で動かしてみると、波がザップンと立つ。
それはすごく現実みたいな波が起きます。ただ、計算にものすごい時間がかかります。なぜならば、水の1ミリ、1ミリのサイズのところがどう動くかを全部計算するんですよ。そういうとき、すごい難しいじゃない。
3つ目が、最近よく使われる、こういうディフュージョンモデルとか、AIで類似の画像から取ってきた特徴を、もう1回戻してやって作る方法です。ただ、この3つ目の方法は、でたらめな動きをします。だって、物理の法則のことは知らないんです。だけど、細かい計算もしていないから、ものすごく早く計算が終わるんです。
「それっぽいもの」を作れる時代に
落合:これって、今、我々には大きな変化が起こっていて。どういう変化かといったら、今までは、ばか丁寧にこの世界を全部きれいに数学的に書いてあげて、それで作ろうとしていたわけですよ。もう1個のデジタルの世界をね。だけど、そのばか丁寧に書くのをいったんやめて、AIで学習させたやつで、それっぽいものを作っても、人間はそれっぽくて大丈夫、というのが最近の考え方です。
それっぽいもので済んじゃう人にとっては、それっぽくていいから、計算にそんなに時間がかからない、ということなんですよ。これはすごく大きいことで、多分、がらっと世の中が変わってしまうんでしょうね、というところがあります。それはいつ頃変わりますかというと、この調子でいくと、2025年ぐらいまでには、大体の問題はがらっと変わってしまうでしょう、と。
そうすると、小学校の皆さん、2025年は、小6の子がきっと中学2年生です。小1の子も小学3年生です。そんなに変わらないと思うよ、毎日。まあ、でも、身長は10センチぐらいか20センチぐらい伸びるかもしれないね。いいことだ。友達も100人ぐらい増えるかもしれないけど。
ただ、その間にAIは、さらに100倍ぐらい賢くなるかもしれないじゃん。そうやって考えると、技術が、世の中が進歩していくところに、どうやったらみんなの身体とか頭の成長がついていって、それと一緒に何かものが作れるかどうか。それが僕はすごく大切なことだと思います。
エベレストの写真に、何を見る?
落合:みんな、どっちかな?エベレストの上から撮ったような、すごくきれいな写真をAIが作ってくれれば、その写真で満足できるか。それとも、やっぱりエベレストの上には登らないといけないか。どっちだと思う?AIが作った、めっちゃきれいなエベレストの写真がいい人?あんまりいない。あ、1人。オーケー。人間が撮ったエベレストの写真がいい人?はい。ああ、そっち。
でも、何でだろうね。大体の子に聞くと、「エベレストに登る努力、それそのものが感動を呼ぶ」ということを言います。分かります?エベレストに登って、努力して撮ったんだから、その努力がその写真から染み出しているので、それは素晴らしい、って言うんですけど。でも、それって変な話で、それはもう写真を見ていないんですよね、多分。実際に見ているものは、その裏にある努力なわけで。
エベレストの上から撮ったような、AIが作った超きれいな写真は、でも、人類がいまだ撮ったことのない、本当に超きれいなものかもしれないですよね。ここは結構、大きな問題です。だから、超きれいなものを本当にAIが作れるんだとしたら、それはそれで価値があるし。はたまた、努力の結果がにじみ出て、エベレストの写真を見るだけで涙が出てくる、みたいなものがあれば、それはそれで意味があるんです。
意味がないのは何かといったら、別にあんまり努力もせずに適当に作られた、そんなに意味のない写真があったら、あんまり意味がないじゃん。そういうときに、「じゃあ、そこにはどういう意味があるんでしょう」と考えてみると、AIとも一緒にスケールしていく、というのが1点。
もう1点は、そういった背景知識があって、「この写真を撮るには努力がされているんだ」ということで感動させること。もう1点は、まだ人々が価値だと思っていない、みんながまだ欲しがっていないものを、みんなが欲しがるより前に手に入れて、欲しがったタイミングでみんなに売る、という手があります。
まだ誰も興味を持っていないことに取り組む
落合:基本的に、この3つがすごく重要な能力になってくるんだけど、1個、大切なことだとすれば、多分、みんなが欲しがっていないときに、「これはすごく価値があるんだ」と思ってやらないといけないんですよ。これは研究者にとって、すごく重要な能力です。みんな、自由研究をして、そのトピックを選んだとき、選んだときから「すごい、いけてる」と思った人もいるかもしれないけど。
ただ、本当に重要な研究は、そのトピックをぼんやり聞いただけじゃ、「そんなの全然興味ない」と、みんなが1ミリも興味を持たないことをやることです。分かります?みんなが本当に興味なくて、誰もがつまらないと思っていることを、誰にも流されずに始めて、誰にも邪魔されずに終えて。それから10年ぐらいすると、みんながなぜかそれに興味を持ち出す、という状態が一番理想的な研究です。
ノーベル賞を取るようなのは、そういう研究がほとんどです。なぜかといったら、その瞬間は誰も興味がないからやらないんだけど、それがやられてみるとすごく面白くて。最初、答えを聞いただけでも、多分、「全然面白くない」とか言われていて。だけど、5年ぐらいすると、みんなが「うわ、面白い。あの研究をやった人は誰だろう」と言って、大体、研究分野というのは作られてくるんだけどさ。
そういったことを、どうやって見極めて始めていくか。多分、これから先、みんなが新しい時代を生きるにあたっては、ものすごく重要で。それをどうやったら始められるかというと、自信満々に自分が好きなものを探していってください。これはすごく重要なことなんだけど、誰もまだ好きじゃないし、何なら「嫌い」とか言っているんだけど、それを自分が好きになって、調べてみたり、それについて作品を作ってみたり、研究をしてみたりする。
それで、なんか知らないけど、世の中の90%ぐらいが急に好きになっちゃったら、それはすごいことじゃない。そういったものをどうやって探してくるかが、研究選びではすごく重要で。それって、AIに学習させている中には、なかなか入っていないことです。おそらく、そこって結構、難しい。つまり、世の中であまり興味が持たれていなくて、データが少なくて、誰もデータを集めていないようなものは、コンピューターの中で作っていくのも、すごく難しいです。
AIにファッションのデザインをさせてみる
落合:昔、研究していて面白かったのは、服です。ずっとファッションショーのデータを集めてデータベースを作って、そのデータベースを学習させて、右のおぼろな絵が出てくるぐらいまで学習を進めてみると、「あれ、意外とデザイン画が出てくるんじゃないか」というのをやっていたのね。デザイン画をAIに描かせて、その後、服を作るというプロセスを、ひたすら回す、みたいなことをやっていて。
僕は、ヨウジヤマモトという会社の服が好きなんだけど、本物のそのブランドの服と混ぜて、実験とかしてみるわけですよ。「皆さん、どの服がこの会社の服だと思いますか」と。マニアックなユーザーたちは、これを見て選ぶわけですね。「この服だ」と言って。それで、大体選ぶ服は、うちのAIが作った服なんですよ。
「遊んでないで」と言われる研究から
落合:面白い研究というのは、大体「遊んでないで!」と言われるんですよ。これ、結構褒め言葉で。最初は真面目にやってる、真面目な研究をしているんですけど、気づくと大体、そういうことにしか使わなくなるんです、研究って。だけど、普通になってしまったら、みんな研究するんだけど、そのときに研究しちゃもう駄目なんです。分かりますか?
みんなが「何でそんなことしているんですか。遊んでないで研究しなさい」と言っているぐらいの頃に、遊んでいるようにしか見えない研究を始めるのは、結構重要なことで。そういったことが、みんなの人生に結構いっぱいあると思うんですけど、後から振り返ってみれば、意外とそれはいい結果を出します。
世の中で、あんまりみんなが興味を持っていないことに興味がある人たちが集まってきたとき、そのときの仲間が本当の友達なので。そういった友達を作りながら、ぜひ、これからも頑張って研究していってください。ちょっと難しかったかもしれないけど、結構重要だと思うので。人生、頑張ってね。というわけで、ありがとうございます。
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(文字起こし・ここまで)
落合さんのお話を聞きながら、
寺子屋塾で日々行っているセルフラーニングのことが、
何度も頭に浮かびました。
でもそれは、落合さんのお話と寺子屋塾の学習法が
同じだという意味ではありません。
以下、落合さんのお話を手がかりに、
寺子屋塾で大切にしている学び方について、
捉え直してみたいとおもいます。
「それっぽい答え」を、自分で確かめる
動画の中で落合さんは、
AIが作った波の映像を見せてくれていました。
一見すると、きれいで自然な波に見えるけれど、
物理を学んできた落合さんには、
波の動きにおかしなところが見えるのだそうです。
一方、映像として見たときに、
その「それっぽさ」で十分な場合もあるんだと。
ここで大切なのは、
AIが作ったものを「正しい」「間違っている」と
決めることだけではないようにおもいます。
自分はいま、何のためにそれを見ているのか。
美しい映像として楽しみたいのか、
それとも、実際の波の動きを知りたいのか、
そうした目的によって、
確かめるべきことも変わってきます。
寺子屋塾のプリント学習においても、
答えが合っているかどうかを確認するのは、
大切なプロセスです。
「自分ではわかっていたつもりだったけれど、
どこで違ってしまったのだろう?」
自分で問題を解き、採点し、
間違えたところを自分でやり直す。
そうした中で、自分の理解と
実際の結果が違っていたことに出会います。
らくだメソッドを開発された平井雷太さんは、
「算数を学ぶ」から「算数で学ぶ」へ
と常々言われていたんですが、
算数の問題が正しく解けるようになることが
最終的な目的でなく、
それを通じて何を学ぶかが大切なんですね。
結果だけでなく、そこに至る道のりを見る
落合さんは、エベレストの写真についても、
面白い問いを投げかけていました。
AIが作った、とても美しい写真と、
人が実際にエベレストに登って撮った写真の
どちらがよいか、と。
人が撮った写真を選ぶとき、
わたしたちは写真そのものだけでなく、
そこに至る努力や背景も見ているのではないか。
一方で、AIが作ったものにも、
それ自体の美しさや価値があり得る。
落合さんは、そう話されていました。
わたしたちは、何を見て
「いいな」と感じているのだろう?
出来上がったものの美しさなのか。
そこに至る道のりなのか。
あるいは、それを受け取る自分の経験なのか、と。
寺子屋塾の学習でも、似たことを考えます。
問題を解いて正解が並んでいるというのは
あくまで一つの結果です。
でも、その人がどこで迷い、どう考え、
何に気づいたのかというプロセスは、
正解だけを見てもわかりません。
このことは山口周さんの動画にコメントした
コンテキストを「読む」という話にもつながります。
正解という〝点〟だけを問題にするのでなく、
そこに至る道のりや背景までを見ること。
自分で考えて問題を解いた結果、
答を間違えることもあります。
けれど、その間違いは、
自分自身に対しての判決文でなく、
「自分はここでこう考えていたんだ」と
自分の思考プロセスを知るための
貴重な材料でもあるんですね。
「自分で学ぶ」ことが
「自分を学ぶ」ことでもある、というのは、
こういうところにも表れているのだとおもいます。
「面白い」と感じたことを、大切にする
もう一つ印象に残ったのは、
落合さんの研究についてのお話です。
後になって面白い研究として認められるものは、
最初は誰も興味を持たず、
「遊んでないで研究しなさい」と
言われるようなものだったことがすくなくないと。
わたしがここから受け取ったのは、
すぐに役に立つかどうかで、
その人の関心を判断してしまわないことの
大切さです。
「そんなことを調べて、何になるの?」
そう言いたくなることもあるかもしれません。
でも、本人にも、まだ何になるかはわからない。
ただ、なぜか気になる。
もう少し見てみたい。
そうした感覚が、
学びの入口になることもあるのでしょう。
そして、面白がって続けたことが、
必ず世の中に認められなければ意味がない、
ということでもないはずです。
調べたり、試したり、人と話したりする中で、
「自分はこんなことに引かれるんだ」
「前とは違うところが気になってきた」と気づく。
それ自体が、自分を知ることにつながります。
寺子屋塾のセルフラーニングというのも、
最初から一人で目標を決め、
強い意志で黙々と頑張ることではありません。
なかなか合格できない教材に突き当たったり、
誰かと対話したり、試行錯誤する中で、
本人の関心が動き始めることもあるからです
その人が今、何に引っかかっているのか。
どこからなら始められそうか。
指導者としてのわたしも、
そうしたことを学習者と一緒に考える
伴走者のような役割をはたしているのです。
AIによって、知ることや作ることの可能性は、
これからもますます広がっていくでしょう。
だからこそ、答えを早く手に入れるだけでなく、
それを自分の体験を通じて確かめること。
結果だけでなく、そこに至る道のりを見ること。
そして、自分が「面白い」と感じたことを、
すぐに手放さずにいること。
そうした営みの中で、
自分の考え方や、自分が大切にしたいことも、
少しずつ見えてくるのではないでしょうか。
落合さんのお話を聞きながら、
寺子屋塾のセルフラーニングを、
そんなふうに捉え直してみた次第です。


