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ガッキーと源さんの結婚を予感していたわけ(その2)

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ガッキーと源さんの結婚を予感していたわけ(その2)

ガッキーと源さんの結婚を予感していたわけ(その2)

2021/11/11

昨日の記事の続きです。

 

再放送を繰り返し観ていたTVドラマが

『相棒』から『逃げ恥』に変わったのが

去年7月だったというところまで書きました。

 

それで、それがなぜそのタイミングだったかというと、

ちょうど去年の7月は、NHKのEテレ「100分de名著」

で吉本隆明さんの『共同幻想論』を

取り上げていたことも関係してくるんです。

 

読書会「つんどくらぶ」でも

『共同幻想論』の難解な世界に

少しでも迫ってみようと

その「100分de名著」テキストをお題本にしながら、

4回ほど場を持ったんですが(写真はその1回目のもの)、

人間の観念世界を

「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」

という3つのレイヤーに分けて捉えることや、

各々がどのように形成され

つながっているかという視点で

ドラマ『逃げ恥』をリフレーミングしながら見ると、

『共同幻想論』という難解な書物の主旨が

とてもクリアに見えてきたり、

ドラマ『逃げ恥』の展開が

より面白くダイナミックに感じられたりして

すっかり嵌まってしまったのでした。
 

というのは、『共同幻想論』を書かれた吉本さんには、
31歳のときに、友人の奥さんと三角関係の恋に落ち、
その後、その人と同棲を経て
結婚されたということがあったのです。

 

その吉本さんが40歳のとき、
「戦後最も衝撃を受けた事件は?」の問いに対し、
「自分の結婚の経緯。これほどの難事件に当面したことなし」
と答え、その恋について、
「わたしの人性上の問題について、

もっとも泥まみれの体験をあたえ、
じぶんがどんなに卑小な人間にすぎないかを

徹底的におもいしらせ、

わたしのナルチシズムの核を徹底的に粉砕したのは、

失職後の生活の危機と難しい恋愛の問題との

重なり合った体験であった。

その体験は、敗戦とともに

わたしの人生観や価値観を決定し、

いまでも人間が意志してできることは

半分しかないとおもっています」

(『背景の記憶』平凡社ライブラリーより)。

 

つまり、『共同幻想論』のなかでも、
 

恋愛関係、夫婦・親子・兄妹などの家族関係など

二者間に立ち現れる幻想を「対幻想」

と名づけて一般化した捉え方が
吉本さんの特筆すべき視点なのですが、
そうしたアイデアをおもいつくに至った
大きな出来事のひとつが、
吉本さんご自身の結婚だったとも言ってよいでしょう。

 

そして、ドラマ『逃げ恥』を
繰り返し観るだけでなく、
セリフを書き起こして名言集としてまとめたり、
お気に入りのシーンをカットして
facebookに毎日投稿したりするうちに、
そこに『共同幻想論』の論理展開が重ね合わされ、
ドラマ『逃げ恥』に描かれている
対人関係のあや模様が、
けっして現実から切り離された
ドラマの世界だけのものではないことが見えてきて、
「対幻想とは何か?」という問いをもちながら、
ドラマの展開を丁寧に追っていくことで、
語られている言葉が、よりリアルな現実味を帯びて

感じられるようになって来たのでした。

※この続きはまた明日に

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