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ガッキーと源さんの結婚を予感していたわけ(その6)

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ガッキーと源さんの結婚を予感していたわけ(その6)

ガッキーと源さんの結婚を予感していたわけ(その6)

2022/01/29

昨日の続きです。

 

昨日は、雑誌SWITCHIのインタビュー記事から

脚本家・野木亜紀子さんの次の言葉を紹介しました。

 

私は『逃げ恥』を

〝人間と人間のディスコミュニケーションの物語〟

だと捉えていて。

結局のところ人はみんな別々の人間。

それぞれ違うことを考えているし、

簡単にはわかり合えない。

そこに人と人が共に生きる難しさと面白さがあると

思っているんですね。

 

吉本隆明『共同幻想論』を理解するポイントは、

〝対幻想〟という関係性の捉え方にあると

おもっているんですが、とりわけ

この〝ディスコミュニケーション〟という言葉が、

それを最も象徴しているんではないかと。

 

『逃げ恥』のエンディング・テーマであり、

恋ダンスの大ブレイクで一世を風靡した

源さんの『恋』の詞にこんなフレーズがあります。

 

胸の中にあるもの いつか見えなくなるもの
それは側にいること いつも思い出して
君の中にあるもの 距離の中にある鼓動
恋をしたの貴方の 指の混ざり 頬の香り
夫婦を超えてゆけ 二人を超えてゆけ
一人を超えてゆけ

 

最後の「夫婦を超え、二人を超え、一人を超え」

というところがイイですね。

 

ドラマ「逃げ恥」第11話の終盤(冒頭の写真)で、

みくりと平匡はこんな風に語り合っています。

 

みくり:これからどうしましょう。

平匡:なんでもいい気がしてきました。籍を入れても、入れなくても。

みくり:私が本格的に就職先を探したらどうします?

平匡:それに合わせて、ライフスタイルを変えていくしかありません。模索は続きます。

みくり:そうですね。続けていきましょう。

平匡:提案があるんですが。

みくり:?

平匡:ハグの日、復活しませんか。忙しいと忘れがちになったり、ケンカしたあと、どうやって触れていいのか、わからなくなるので。

みくり:私もいいですか?

平匡:?

みくり:毎晩とはいいませんが、寝る前にハグしてくれたら、いい夢が見られそうな。

平匡:そういうおねだりはどんどん言って下さい!ウェルカムです!

みくり:ウェルカム。

平匡:引っ越しを検討しませんか? みくりさんの部屋が必要だし、ダブルベッドが置ける寝室も。

みくり:寝床は別の方が、熟睡できるかも。

平匡:・・・そこは・・応相談で。

みくり:毎朝起こしにいきます。

 

 

ディスコミュニケーションという言葉から

いつもおもいだすのは、朝日新聞朝刊で毎朝

「折々のことば」を連載されている

鷲田清一さんの「対話の可能性」という詞です。

 

人と人のあいだには、
性と性のあいだには、
人と人以外の生きもののあいだには、
どれほど声を、身ぶりを尽くしても、
伝わらないことがある。
思いとは違うことが伝わってしまうこともある。


<対話>は、そのように
共通の足場を持たない者のあいだで、
たがいに分かりあおうとして試みられる。
そのとき、
理解しあえるはずだという前提に立てば、
理解しえずに終わったとき、
「ともにいられる」場所は閉じられる。
けれども、
理解しえなくてあたりまえだという前提に立てば、
「ともにいられる」場所はもうすこし開かれる。


対話は、他人と同じ考え、
同じ気持ちになるために試みられるのではない。
語りあえば語りあうほど他人と自分との違いが
より繊細に分かるようになること、
それが対話だ。


「分かりあえない」「伝わらない」という
戸惑いや痛みから出発すること、
それは、不可解なものに身を開くことなのだ。


「何かを学びましたな。
 それは最初はいつも、
 何かを失ったような気がするものなのです」
(バーナード・ショー)。


何かを失ったような気になるのは、
対話の功績である。
他者をまなざすコンテクストが
対話のなかで広がったからだ。
対話は、他者へのわたしのまなざし、
ひいてはわたしのわたし自身への
まなざしを開いてくれる。

 
※鷲田清一『対話の可能性』より
せんだいメディアテーク・パンフレットより)

 

続きはまた明日に!

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