寺子屋塾のコンセプト「セルフデザインスクール」について
2022/11/10
木曜はマネジメント関連の話題を投稿しています。
先月の未来デザイン考程のワーク中に、
「コンセプトって何ですか?理念とは違うんですか?」
という質問があったので、
今日はコンセプトについて書いてみようかと。
未来デザイン考程では、
未来予測局面から要所解明局面に行く前に、
未来予測局面で出て来たキーワードを統合して
コンセプト創出ワークを行うことがあります。
〝コンセプト〟という言葉そのものの意味は、
「概念」「構想」「着想」なんですが、
語源をたどっていくと受胎、懐妊(conceptio)から
来ているんですね。
このコンセプトというのは、テーマや理念とは違い、
理念を具体的に実現していくための
手段や方向性にあたるものです。
たとえば、事業コンセプトであれば、
企業がその事業を行ううえで、
ユーザーやクライアントに対し、
どのような価値をどのように提供するか、
一言でその商品やサービスの魅力について
説明できるようにするためにつくられた、
ワードや短いフレーズを指します。
たとえば、スターバックスのコンセプトは
「サードプレイス」であり、
AKB48のコンセプトは
「会いに行けるアイドル」であり、
無印良品のコンセプトは、
「愛は飾らない」だそうです。
寺子屋塾の事業コンセプトは、創業した1994年から
〝セルフデザインスクール〟で、今日までずっと
揺らぐことなくやってきました。
これからの時代は、学びや生活などを
人から与えられるのではなく、学習者が自分自身で
自分をデザインしていく時代。
したがって、指導者としてできることは、
体験できる場所、道具、チャンスを提供すること
・・・という考えに基づいています。
ただ、自分の学び、人生を自分でデザインするという
言い回し自体、一般的な表現ではないので、
あまりピンと来ないという方は、
旧ブログの次の記事をご覧になってみて下さい。
らくだメソッドの教室だけでなく、
インタビューゲームや経営ゲームのワークショップ、
未来デザイン考程や読書会なども
このコンセプトの一環と言ってよいでしょう。
〝セルフデザインスクール〟の主役はもちろん
学習者自身ですが、指導者であるわたしにとっての
学びの場でもありたいとおもっています。
つまり、学習者と指導者がともに学び合いながら
自分自身をデザインできる場をつくっていくことは、
家庭教育でも学校教育でも
できないような役割を担っていこうとする姿勢を
常にもつことに繋がっていきました。
したがって、後年わたしが
地域の人々がつくる地域の学校づくりに関わったり、
市民組織でのインターンシップ活動を行う
大学生のファシリテーション研修をしてほしいという
要望を頂いたりというようなことが起きてきたのは、
必然の成り行きだったと言えるかも知れません。
つまり、プリントや経営ゲームなどの学習ツールは、
あくまでひとつのトリガーであり鏡にすぎず、
そこに何が映し出されてくるかが大事なのでしょう。
もちろん学習塾ですから、
異分母の分数を通分するコツなど、
プリントに書かれた算数や数学、英語の
問題自体が話題になることは当然ありますが、
教室では指導者のわたしに対しては
どんな質問をしてもいいというルールがあり、
日々教室でわたしが塾生たちと交わす対話のテーマは、
ノンジャンルで制限のない多様なものに
次第になっていきました。
むかし、寺子屋の師匠は、
まわりの人とやりとりした手紙を綴って
文章を書くための教科書をつくったり、
掛け軸の色紙の言葉で人生を語ったりしたと
伝えられているんですが、毎日更新している
このblogの記事内容にも現れているように、
あるときは、
コロナウィルスがもたらした世界情勢だったり、
またあるときは、バッハの音楽の奥深さだったり、
ヴィトゲンシュタインの言語哲学だったり、
幸せなセックスライフについてだったり、
クラフトビールの多様性についてだったり、
ロシア語の勉強する難しさだったり、
TVドラマ逃げ恥のセリフの面白さだったり、
NPOの経営マネジメントの難しさだったり、
そもそもコミュニケーションって何って話だったり、
食べ物が心と身体に及ぼす影響だったりします。
最近、先行きが不透明で、将来の予測が困難な
VUCA(「ブーカ」と読む)の時代という言葉が
よく聞かれるようになりました。
自分自身をデザインしていく場ということは、
学習塾の形態をとっていても、総体的に見れば
自分というOSを日々アップデートしながら
これからの不確実な世界をどう生き延びていくかを
共に考える戦略研究所と言えるかもしれません。