人之生也直、罔之生也、幸而免(「論語499章1日1章読解」より)
2023/01/08
日曜は古典研究カテゴリーの記事を書いていて、
易経や仏典、論語などを採りあげています。
2019年の元旦から翌年5月13日まで約1年半の間、
全部で499章ある論語を1日に1章ずつ読んで
その内容をFacebookに投稿することを
日課としていたんですが、
その中からわたしが個人的に大事だとおもう章を
少しずつ紹介してきました。
今日は、まっすぐであることの大切さを述べている
雍也第六の17番(通し番号136)をご紹介します。
この〝直〟とは何かを理解することは、
論語全体を捉えるうえでも
大切なキーポイントになるように感じました。
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【雍也・第六】136-6-17
[要旨(大意)]
人間はまっすぐであることが大切である。
[白文]
子曰、人之生也直、罔之生也、幸而免。
[訓読文]
子曰ク、人ノ生クルヤ直、之ヲ罔ヒテ生クルヤ、幸ニシテ免ガル。
[カナ付き訓読文]
子(し)曰(いわ)ク、人(ひと)ノ生(い)クルヤ直(ちょく)、之(これ)ヲ罔(し)ヒテ生(い)クルヤ、幸(さいわい)ニシテ免(まぬ)ガル。
[ひらがな素読文]
しいわく、ひとのいくるやちょく、これをしいていくるや、さいわいにしてまぬがる。
[井上の口語訳文]
先生(孔子)が言われた。「人間が生きていくためには、素直な正直さが必要である。この素直な正直さを放ったらかして生きていくことはできない。もし、この素直な正直さがないのに生きているとすれば、これまでただ運が良かっただけだ。」
[井上のコメント]
要旨では、直を「まっすぐ」という意味で捉え、口語訳文では、「素直な正直さと書きましたが、「〝直〟とはどういうことか?」を捉えることは、この章のひとつのポイントと言ってよいとおもいます。
直を現代の日本語で表現するなら、「正直さ」「素直さ」「純粋」「まっすぐ」「ありのまま」など、さまざまな解釈が可能でしょうが、そうした各々の表現の違いにとらわれず、「直」という言葉が内包する意味合いの方にダイレクトにフォーカスして把握することが大事なのではないかと。
ようするに、孔子がこの章で言いたいことの焦点は、「周りに直ではない人間が多いからといって、人間に対する信頼を失わないでほしい」という気持ちにあるのではないかとおもうので。
ちなみに、古注では、直を正直さという意味合いで解釈し、直は努力によって獲得するものだという立場をとっているのに対し、新注では、直は努力を伴わなくとももともと人間に備わっているという立場をとっているようです。
わたし自身は、新注の立場に近いのですが、現実には、何もしなくても直をそのまま発揮できる人は稀で、多くは教育や生育環境などによってねじ曲げられてしまっていることが少なくないため(安冨歩はこれを「魂が植民地化されている」と表現されています)、特別な能力を獲得するために努力するというよりは、本来の自分自身を取り戻すための、つまり「魂の脱植民地化」のための鍛錬は、必要であるように感じています。