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ストレスフリーへの道

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ストレスフリーへの道(つぶやき考現学 No.111)

ストレスフリーへの道(つぶやき考現学 No.111)

2021/09/21

ストレスを感じることですか?

最近は、大脳を使ってるって感覚が

どんどん薄れていってることもあり、

ほとんど感じなくなってきましたね。

 

もちろん、ストレスゼロってわけではないですが、

毎日がたのしくってしょうがないです。

 

でも、この広い地球上には、

アタマの上にいつ爆弾が落ちてくるかわからない

命がけの日々を過ごしている人々も

少なからずいるわけですから、

「毎日毎日がたのしい」って、

あまり大声では言わないよう努めてますが。

 

ところで、このストレスって言葉は、

だいたいネガティブな意味で使うようですが、

ストレスがあったらダメって

いったいだれが決めたんですか?

 

そのストレスって、ほかでもない

自分がつくっているわけだし、

ストレスゼロ状態が

必ずしも良いってわけじゃなくて、

世の中には必要なストレスってのも

あるんじゃないでしょうか。

 

実は最近、ストレス自体がダメなんじゃなく、

むしろ、「『ストレスがあったらダメ』って

考えに囚われること」が

さまざまな弊害をもたらしてるって

気がついたんですね。

 

だから、ストレスの有無よりも、

「自分以外の何かの要因があって

ストレスが生み出されている」

「ストレスがあることは良くない」って考え方を

自分が手放せているかどうかが

大事なんじゃないかと。

 

そもそも、心のある状態を

だれかが「ストレス」と名づけたわけで、

あたりまえの話なんですが、

釈迦や孔子が生きてた時代はもちろん、

そのように名づけられる前には、

「ストレス」なんて言葉は

存在しなかったわけです。

 

たしかに、「ストレス」という

言葉がつくられ、表現されたことで、

人間のメンタリティという形のないものが

扱い易くなったことでしょうし、

そのことで得られたプラスの部分は

もちろんあることでしょう。

 

でも、物事にはオモテがあれば

かならずウラがあって、

残念ながらプラス面ばかりじゃありません。

プラス面があったら、それとおなじくらい

マイナス面もあるんだと

考えた方がいいんじゃないかと。

 

なぜなら、「ストレス」という言葉が

つくられたことによって、

今度は逆に「ストレス」という概念が先行し、

その概念だけがひとり歩きして、

リアルな自分のメンタリティに

まったく問題ない状態なのにも関わらず、

逆に「ストレス」という観念にとらわれ、

「ストレス」を自分で勝手に生みだしてしまい、

支配されてしまうといったマイナス面も

生まれてしまったんじゃないでしょうか。

 

このことは「ストレス」という言葉のみならず、

「トラウマ」という言葉も

似たようなところがあるんじゃないかと。

 

たとえば、あなたが「トラウマ」に関わる

問題を抱えているというとき、

その「トラウマ」が生じたことについては、

きっと過去においてあなたのまわりに

さまざまな外的な原因もあったことでしょう。

 

でも、それらはいわば大脳思考次元の

心理学的な分析であり、過去の記憶であって、

そうした要因はあくまできっかけにすぎず、

その「トラウマ」を形づくっているのは、

他でもない〝現在〟のあなた自身に他なりません。

 

つまり、この世の中に必要ないものは

一切ないわけで、

その「トラウマ」もまた、

他のだれかやまわりの状況によって

つくられたのではなく、

あなた自身が必要だからつくったんだと

自ら認めることができれば、

トラウマに対する見方が全く変わってきます。

 

なぜなら、「トラウマ」があるマイナス面だけでなく、

「トラウマ」があることで

得ていたプラス面にも光があたり、

「トラウマ」なんてあってもなくても

何ら問題はないと気づくことができれば、

「トラウマ」という概念、観念自体から

自由になって生きる道が

開かれるんじゃないでしょうか。

 

さらに言うなら、

「ストレス」「トラウマ」に限らず、

「自立」「やる気」「自己肯定感」

「アダルトチルドレン」などなど、

人間の思考によって生み出されたコトバの多くが

これらと似たようなものだと気づけると、

そのことが入口となって、

リアルな現実世界と観念世界が

実は時間と空間のトリックとして、

具体的にどのように接続されているかが

きっと見えてくることでしょうから。

 

つまり、わたしたちは、

過去の事実そのものに

悩んだり苦しんだりしているのではなく、

その事実に対する〝現在の〟自分の解釈、

もしくは、その事実が生み出している観念に

苦しめられているわけだから、

その苦しみを生み出しているモトは、

他でもない自分にあって、

そうした観念を握りしめているのが

いまの自分なんだと認めてしまうことが、

苦しみから自由になる一番の早道なのです。

 

なぜ、人間がこのような観念世界を

必然的に生み出さざるを得ないのか、

そして、こうした観念世界を

否が応でも生み出してしまう人間の思考回路や

観念世界そのものの構造自体を理解することが、

こうした観念にふりまわされることなく

ラクに生きる一番の早道であると

わかってくるので、

そのことを悟ることの大事さに

ようやく意識が及ぶのではないでしょうか。(2019.8.29)

 

※井上淳之典のつぶやき考現学 No.111

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