寺子屋塾

論語499章1日1章解読ふりかえり(その2)

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論語499章1日1章解読ふりかえり(その2)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その2)

2021/11/18

昨日の続きです。

 

自分が論語を読むときには、「孔子自身の精神波動に迫ること」を指針の中心におくと定まったというところまで書きました。

 

そして、そのような姿勢で論語を読みはじめてみると、2016年元旦から毎日易を立て、卦辞と爻辞に目を通すことを日課としてきたことが、結果として、論語を読み説く下準備となっていたことがわかってきたのです。

 

2016年元旦に毎日易を立てることを決めた時点では、自分がこの先に論語を読み解くことになろうとはまったく考えていません。

 

まして、孔子本人の精神波動に迫ってゆこうとするなどと、意識にのぼることすらありませんでした。

 

ただ、現在の易経の一番もととなるものの作者は、古代中国における伝説上の王・伏羲とされているぐらいですから、儒教の基本経典とされる「四書五経」の中では、易経がもっとも古く、孔子の時代にすでに存在していたことぐらいはわたしも知っていました。

 

また、易経の別名として「周易」と呼ばれることもあるように、周の文王が64卦辞をつくり、周公が爻辞をつくったと言われています。

 

現在は、易の注釈を集めた「十翼」の編者が孔子であるという説は否定されるようになったものの、孔子が周公の政治を理想としていたという話は論語の至る所に書かれ、多くの人の知るところですし、そうした孔子が易経を読んでいないはずがない、と考えることには無理がないと言ってよいでしょう。

 

易経自体も長い年月を経てきた書物で、時代の変遷によって形を変えてきているでしょうし、易経の世界観や価値観と、孔子のそれとはイコールではないとしても、孔子が易経の影響を受けていることは、まず間違いのないことだとおもうのです。

 

もちろん、論語というテキストをたよりに、後世の儒学者の解釈に振り回されないように気をつけつつ孔子自身の精神波動に迫る・・・2,500年前に生きた孔子とはいったいどんな人で、何をしてをどんなことを考えていたのかと問おうとすることは、まるで雲を掴むような行為でした。

 

そもそも「論語とは何か?」という全体像がほとんど見えていない自分に、499章の内の一つの章に対して全体像を踏まえて解釈したりコメントしたりすることなどできないのは当たり前なんですが、最初の頃はコメントとして書けることはほとんどありませんでした。

 

また、章によっては原文を書き写すだけで1時間以上もかかってしまうような長い章もありますし、物理的な長さは短くとも、短いから逆に読み解くことのが難しい章もあり、けっして易しい道のりではなかったと感じています。
 

それでも、必要以上に無理せず、まずは今の自分にできることからという姿勢は崩さずに論語に触れていけたのは、前述したとおり、易経を毎日読み解いてきたことによって、論語という書物を成立させた時代背景や風土、中国民族の国民性といったコンテキストの部分を理解するヒントが得られていたからではないかと。

 

また、毎日1章ずつ読むというやり方であれば,歩みは遅くとも、一歩一歩確実に前に進んでいきますし、1年半後には終わらせることができるという見通しだけは立っているのですから、背伸びすることなく、自分のペースで少しずつ、しかも着実に読み進めていくことができるからです。

 

そして、そんなふうに論語を1章1章読んでゆくと、自分がそれまで論語に対して感じていた押しつけがましさというのは、けっして孔子自身のものではなく、孔子を聖人に祭りあげ、論語を儒教の経典にしてしまった後世の儒学者たちの姿勢と考えることも可能だと気づいたときには、目からウロコが剥がれたような感覚がありました。

 

つまり、それまで論語や孔子という人物に対して想い描いていたイメージや先入観がことごとく打ち壊されていき、明日はいったいどんな話なんだろう?と、毎日読むのがどんどん楽しみになって行ったのです。

 

 

さて、1年半という長い時間をかけて読み解いたことですから、こんな感じで気づいたことを一つひとつすべて挙げながらふりかえって行くとキリが無くなりそうなので、孔子という人物像をめぐって感じたことを、あと3点だけ挙げるにとどめます。

 

ポイントがわかりやすいように、以下箇条書きにしてみました。

 

1.孔子自身は正規な学問を積んだわけではなく独学の人だった。にもかかわらず、人間のあるべき姿の根本を覚った天才で、優れた教育者でもあった。しかし、自らの教えをわかりやすく示して、弟子たちに伝えることにおいては,必ずしも成功したとは言えない。(覚者・孔子の教育者としての限界)


2.孔子の教えの中核は〝仁〟であり、最高の道徳と位置づけたが、孔子のいう道徳と今日わたしたちが用いる道徳という言葉の間には大きな隔たりがある。(孔子自身の教えと後世編纂された儒教の教説との解離)


3.孔子は治世を語り政治家を指向していたが、政治家になること自体が目的だったわけではなく、それ以前に音楽や詩をこよなく愛した人であった。(男性性よりも女性性優位な人物像)

 

この3つについては、一つひとつが別個ではなくつながっていて、学而第一の2番で有若(有子)の語った〝本ヲ務ム〟という言葉を3つの側面から表現しているにすぎないとも言えるのですが、論語1冊から垣間見える孔子という人物の精神に近づくための最も重要な問いは「本(一番のモトとなる本心)とは何か?」というのが、わたしなりの理解だと語れるようになったことは非常に大きな成果でした。

 

 

論語499章をすべて読み終えたのは、初めての緊急事態宣言発令中の2020.5.13でしたが、それまでの約1年半にわたる論語読解の実践が、結果的にわたし自身の見えないものに対する情報リテラシー力を高めることに大きく役だっていたと気づくことができたのは、新型コロナウィルス騒動のお陰だったと言えるかもしれません。

 

いずれはわたしが実践してきた論語の読み方についても、寺子屋塾の学習プログラムのひとつとして位置づけたいとおもっているんですが、いままでこういう視点で論語を読むことはほとんど為されてこなかったでしょうし、「情報リテラシー力を鍛える論語499章読解」なんてアプローチは、意外性と実用性を兼ねていて、結構面白いかもなどとおもったりしています。

・・・と、今日もやっぱり長くなってしまいましたね。この続きはまた明日に。

 

写真は、数ある市販の論語解説本のうち、わたしが推奨する2冊『新しい論語』『生きるための論語』です。

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