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論語499章1日1章解読ふりかえり(その3)

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論語499章1日1章解読ふりかえり(その3)

論語499章1日1章解読ふりかえり(その3)

2021/11/19

一昨日、昨日と2日にわたって論語499章1日1章読解ふりかえりを書いてきました。

 

まだちょっと書き足りないところがあり、今日もその続きなんですが、書き足りないといってもキリが無いので、そろそろキリをつけるつもりです。

 

1点目は、論語は孔子自身が書いたものではないことの意味の大きさについてです。

 

高橋源一郎さんの『答えより問いを探して』という本に、ソクラテスやイエスが自分では本を書かなかったという話が出ているんですが、論語も孔子のコトバを中心に、孔子の弟子たちとの対話などを、孔子の死後に弟子や後世の人たちがまとめたもので、孔子自身が書いたものではありません。

 

釈迦もそうなんですが、孔子もまたソクラテスやイエスと同じように、自分の考えがある限られたものにされてしまうことがイヤで、「真理とはこういうことだ」とはっきりさせないために、自らは書いて残すということを敢えてせず、弟子やまわりの人々と直接問答し、その都度リアルな場で対話を重ねていく姿勢を大事にしていたのではないかとおもうのです。

 

2点目は、解剖学者・三木成夫さんの発見した「身体構造を植物由来の内臓系(心臓を中心とした循環器系と臓器系)と動物由来の体壁系(脳を中心とした感覚器系と運動器系)という2つのルートでとらえる」「内臓系が主で、体壁系は従」という視点は、論語を読み説く上でもかなり重要な手がかりとなるということです。

 

このことは、1点目に挙げたことともつながるんですが、たとえば孔子は仁、徳、道についていろいろ語っていても、人によって言い方を変えていて、定義的に説明をするということをしていません。

 

つまり仁、徳、道というものは、大脳思考次元というか、誰に対しても同じように説明できる対象化されたもの、そのように説明された言葉をアタマで理解して終わるものではなく、人間の内部から沸き起こってくるものを大事にしながら日々実践し、身体感覚で掴んでいくものだということを孔子は繰り返し言っているわけです。

 

人間が大脳思考優位な状態というのは、今日に始まったことではなく、孔子の時代にすでにそうだったんだと。

 

3点目は、今までわたしが実践してきたこととは対極に位置するとおもっていた孔子の世界は、丁寧に読んでみると、実はそんなに遠く離れたところになかったということです。

 

わたし自身、若い頃からまじめに『論語』を学ぼうと心がけてきた人間ではなく、論語に書かれていることを、自分の生き方の土台にしていこうなどとは、今までほとんど考えたことがありませんでした。

 

ですが、論語を読んでいくと、述而第七の1番(通し番号148)で孔子は、「子曰ク、述ベテ作ラズ、信ジテ古ヲ好ム、竊ニ我ガ老彭ニ比ス。(自分は古くから伝わるものを祖述しているだけで、それを自分勝手に作り替えたり、新しいものを創ろうとしているわけではない)」と語り、人間本来の姿に立ち戻る姿勢を大事にしていたことが垣間見えます。

 

さらに、顔淵第十二の1番では、「仁ヲ爲スハ己ニ由ル、人ニ由ランヤ(他者や社会の規律に自分を合わせようとするのではなく、自ら内在するものを拠り所としなさい)」と書かれていて、この姿勢はまさにセルフラーニングであり、自己観察や自覚的に生きる姿勢そのものといえるからです。

 

つまり、わたしが標榜している「教えない教育」からは、一番遠い対極に位置するとおもっていた論語が、実は対極どころか、かなり近い所にあるんだと分かったことは、わたしにはとっても大きな発見であったし、改めて古典というもののもつ凄さや深みにじかに触れる体験でもありました。

 

ただ、以上3点を端的に整理すれば、

 

1.論語は孔子自身が書いたものではないことの意味の大きさ
2.内臓系と体壁系という視点は論語を読み解く上でも重要な手がかりとなる
3.論語はわたしが実践している「教えない教育」とはそんなにかけ離れたものではなかった

 

となって、2番目をコアに置いて見なおすと、1番目の話は、言語化しやすい大脳思考と、非言語的な内臓感覚と分けたときには、後者の方を重視していることになりますし、また、3番目の話は、言語化しにくい大事なことは教えられないとなり、同じことを3つの方向から言っただけにすぎないともおもえてきてしまったんですが・・。(^^;)

 

それで、これ以上言葉を連ねても、同じ場所をグルグル回っているようなことになってしまいそうなので、3番目の話の実例・・・つまり、わたしがいま実践している「教えない教育」と、論語の記述のうちかなり近いと感じた部分の例をひとつだけ、里仁第四の6番(通し番号072)を挙げるにとどめて、長々と3日間書いてきたこのふりかえり文に区切りをつけようとおもいます。

 

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【里仁・第四】072-4-06

[要旨(大意)]

仁に志す人はすくないが、その実践は1日1日の積み重ねであって、けっして難しいことではないことを述べた章。

 

[白文]

子曰、我未見好仁者惡不仁者、好仁者無以尚之、惡不仁者其爲仁矣、不使不仁者加乎其身、有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者、蓋有之乎、我未之見也。

 

[訓読文]

子曰ク、我未ダ仁ヲ好ム者、不仁ヲ惡ム者ヲ見ズ、仁ヲ好ム者ハ、以テ之ヲ尚フル無シ、不仁ヲ惡ム者モ、其レ仁ヲ爲ス、不仁者ニシテ其ノ身ニ加ヘシメザレバナリ、能ク一日モ其ノ力ヲ仁ニ用イルモノ有ランカ、我未ダ力ノ足ラザル者ヲ見ズ、蓋シ之レ有ラン、我未ダ之ヲ見ザルナリ。

 

[カナ付き訓読文]

子(し)曰(いわ)ク、我(われ)未(いま)ダ仁(じん)ヲ好(この)ム者(もの)、不仁(ふじん)ヲ悪(にく)ム者(もの)ヲ見(み)ズ、仁(じん)ヲ好(この)ム者(もの)ハ、以(もっ)テ之(これ)ヲ尚(くわ)フル無(な)シ、不仁(ふじん)ヲ惡(にく)ム者(もの)モ、其(そ)レ仁(じん)ヲ為(な)ス、不仁者(ふじんしゃ)ニシテ其(そ)ノ身(み)ニ加(くわ)ヘシメザレバナリ、能(よ)ク一日(いちじつ)モ其(そ)ノ力(ちから)ヲ仁(じん)ニ用(もち)イルモノ有(あ)ランカ、我(われ)未(ま)ダ力(ちから)ノ足(た)ラザル者(もの)ヲ見(み)ズ、蓋(けだ)シ之(こ)レ有(あ)ラン、我(われ)未(ま)ダ之(これ)ヲ見(み)ザルナリ。

 

[ひらがな素読文]

しいわく、われいまだじんをこのむもの、ふじんをにくむものをみず、じんをこのむものは、もってこれをくわうるなし、ふじんをにくむものも、それじんをなす、ふじんしゃにしてそのみにくわえしめざればなり、よくいちじつもそのちからをじんにもちいるものあらんか、われいまだちからのたらざるものをみず、けだしこれあらん、われいまだこれをみざるなり。

 

[口語訳文]

先生がいわれた。「仁を好む人も不仁を憎む人もいたって少ない。仁を好む人は、もうそれ以上文句のつけようがない最上の価値である、不仁を憎む人も、(消極的であっても結果として)仁を実践している。なぜなら、そうすれば不仁の人から影響を被ることがないからだ。今日1日、そしてまた1日とその日その日に仁を実践すればいい。わたしは、力の足りなくて仁が1日実践できない者を見たことがないからだ。いや、あるいはそうした人もいるかも知れないが、わたしはまだ見たことがないのである。」

 

[井上のコメント]

この章は問答形式にはなっていませんが、「不仁者にそれ以上の悪行を重ねさせず、仁の実践に努められるようにするためには、どうしたら良いでしょうか」と問われ、孔子が答えた章ととらえてみてはどうかとおもいました。この世の中ではけっして多数派ではないけれど、仁の徳を好んで体得しようとする人も、人としての道(仁)を踏み外す不仁者を憎む人も、同じように「仁」を志しているんだと孔子は言います。そして孔子は、まず「たった1日」でいいので、仁を実践してみることを提案します。その理由として、「たった1日の仁の実践に必要な力も持っていないという人間にはまだ出会ったことがない」と述べているんですが、これは、わたしが寺子屋塾の教室で常々、「大きな理想や目的なんて掲げる必要はなくて、まず目の前のプリント1枚をやることです。それならできるはずだから。1日24時間だれにも平等に与えられているわけですから、10分足らずで終わるプリントができない理由なんてどこにもないですよね? まずできることをやろうとしないのに、目の前にあるプリント1枚すらやれないのに、大きな理想や目的が達せられるとおもいますか?」と話していることと重なりました。笑

そして、冒頭の問いに戻りますが、無道な振る舞いをする非常識な不仁者も、周囲の人たちの適切な教育や指導があれば、十分に改悛や更生の余地があることを示しているようにおもいます。まずはなによりも今日1日を丁寧に生きようと心がけることでしょう。人生というのは、結局そうした1日1日の積み重ねでしかないのですから。

あと、最後の「蓋有之乎、我未之見也」についてですが、「いや、もしかするとそうした人もいるかもしれないけれど、わたしは見たことがないんだ」と、人間の多様性に想いを馳せて、断定的に語ったことを一旦ゆるめつつ、自分の知見の範囲内の話だからと念を押す含みのある表現に、孔子のもつアワ性(女性性)の豊かさが感じられます。

 

※写真はわたしが499日のうちに参照してきたさまざまな論語関連本

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