寺子屋塾

「生活デザイン」って何だろう?

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「生活デザイン」って何だろう?

「生活デザイン」って何だろう?

2021/11/25

昨日は、寺子屋塾は「仏教的学び方」実践の場だったという記事を書いたんですが、

「学校的学び方」しか経験がなく

宗教とは、神さま仏さまを信じることだと

考えがちな多くの人にとって、

「仏教的学び方」と言われても

なかなかピンと来ないとおもいますので、

今日はその具体例を挙げてみようと考えました。

 

一昨日実施した読書会つんどくらぶ第29回

お題本として読んだ藤田一照さんの

『ブッダが教える愉快な生き方』の第1章には

 

・日常生活全般を修行ととらえる

・生きることそのものから「学ぶ」ことが修行

・当たり前の日常が聖なる道場となるように工夫する

・修行とは、生活を耕して、善きものを育み育てること

 

という文言が書かれています。

 

寺子屋塾のコンセプトは、開塾当初より

〝セルフデザインスクール〟であり、

今日もなおまったく揺らいでおらず、

・自分の学びを自分でデザインできる場に

・生活次元の学びを大切にしたい

という想いが込められていて、

この辺りが「仏教的学び方」に

つながると言ってよいでしょう。


それで、blogカテゴリーの3番目に

「生活デザイン・ヘルス関連」とあるんですが、

このカテゴリーを設定した

一番の土台となっている想いについて

今日は書いてみようとおもいました。

 

 

もう随分前の話になりますが、

1997年の秋、大阪にある正食協会が出している

マクロビオティックの月刊雑誌から原稿を頼まれ

「一人ひとりが未来の創造者」という文章を

書いたことがありました。

 

1997年は、寺子屋塾を始めて4年目にあたり、

その4年間のわたし自身の意識の変化や

当時の世相なども表現されています。

 

寺子屋塾を始めた当初は、

教室内に自然食品やエコロジーグッズを置いた

「ライフスタイルショップ〝楽食〟」を併設し、

食・健康・環境などを基軸に置いた

教育の新しい世界を切り開いていくことを考えていました。
 

わたしは、学生時代に病気をしたお陰で、

医療というのは、医者や薬が病気を治すのではなく、

誰にももともと備わっている「自然治癒力」が

駆動するきっかけづくりにすぎないことに

気づかされたわけですが、

この医療を教育に置き換えて考えることで、

「自然学習力」の存在に気がつき、

「自然学習力」が駆動する学びの場づくりという

実践が始まりました。

 

また、「食」という生活次元の

あたりまえの行為を大切にすることから、

「学習」そのものを特別なものとせず

あたりまえのものとし、

「日常化」していく意義を見出せたところも

大きな気づきだったとおもいます。

 

現在のわたしはマクロビオティックの食事を

実践していませんが、

20年以上経った今日もなお、
健康を考える土台は日常の衣食住にあり、

生活次元の学びを大切にしたいという

基本的な考え方や姿勢は変わっていません。

 

以下ご紹介するのは、その原稿の全文です。

 

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「一人ひとりが未来の創造者」
───月刊『コンパ21』(現在は誌名は『むすび』と改題)1997年11月号(正食協会刊)に掲載


いつも「今」が新しい時代
21世紀がいよいよ間近ということですが、キリスト教研究者の間では、実際にイエスが誕生したのは紀元前4年というのが定説ですから、今年はイエス生誕後2001年めにあたり、すでに21世紀という新しい時代は始まっているとも言えるわけです。おそらく、新しい価値観とは誰かが作って与えてくれるものではなく、一人ひとりが作って行くものであって、それは今に限らずいつの時代でもそうなのではないでしょうか。ですから、常に「今」が新しい時代と考えたいものです。まだ見もしない未来について、予言めいたことをまことしやかに語るという不遜なことにならないよう、あくまで今まで自分自身が体験してきたことや、具体的に今やっていることをもとに書いてみたいと思います。

 

病気の体験から学んだこと
もともと自分は生まれも育ちも名古屋ですが、1992年の春に7年勤めた学習塾を退職して上京し、日本CI協会の研修生となりました。そして、東京での生活が1年半過ぎた頃に急に結婚話がまとまって四日市に住まいを移し、1994年秋に「楽食らくだ塾(註:現在は寺子屋塾と改称)」というスペースを作りました。新しい土地でほとんどゼロからのスタートでしたから、できることは何でもやってみようということで、自然食品や書籍を扱うお店と、平井雷太氏の開発したらくだメソッドを使った塾を一緒に始めたのでした。
 

そもそも自分が食養と出会ったきっかけは、16才のときに肺が突然パンクする自然気胸という病気になったことでした。自然気胸は悪性の病気ではありませんが、西洋医学では原因不明で決定的な治療法はなく、医者から「身体に無理のかかる仕事には就けないだろう」と言い渡され絶望したこともありました。しかし、そのおかげで西洋医学に疑問をもち、医者に頼らず自分の身体と自分で向き合うようになったのです。さまざまな健康法を模索する中で桜沢如一の『永遠の少年』(日本CI協会刊)と出会い、食養やマクロビオティックの世界観にひかれ、玄米菜食を始めたのが23才のときでした。それまで砂糖漬けの食生活だったため、始めてすぐ病状が好転しただけでなく、肉体的にも精神的にも大きな変化が訪れました。しかし、食養をどんなにまじめに実行しても回復しないところが残り、食事を少し崩せば体調がすぐに狂ってしまうという状態が長く続いたのです。

 

そして、その転機は食養を始めて10年を過ぎた頃に訪れました。病気のお陰で食養に出会えたのにもかかわらず、病気を治すことばかりに躍起だった自分にようやく気づいたのです。それからは、病気に感謝し病気の自分をそのまま受け入れ、自分の本当にやりたいことに意識を向けるようになったのですが、すると不思議なことに、食養だけではどうしても回復しなかった所までが良くなってしまい、食事の内容で体調が左右されることも少なくなったのです。

 

このような経験から、病気には何をどのように食べるかという問題以前に、病気をどのように受けとめるかという心の問題が大きいことに気づかされたのですが、他の方のお話しを伺ってみても、「玄米が身体に良いと聞いて始めたが、長続きせず挫折してしまった」「病気を治す食事指導を受けたが、その通り実践できず悩んでいる」「理想と現実とのギャップが大きくストレスを感じる」「家族の理解がなかなか得られない」など、食にこだわることが新たなとらわれを生んでしまっているケースが少なくありませんでした。

 

また、食養をまわりの人にすすめても、病気のような切実な問題でもなければ、実際にやってみようという人は少なく、「こんなにすばらしいマクロビオティックが何故普及しないんだろう?」「まわりの人にどのように伝えて行けばいいのだろう?」という問いが自分の中に生まれたのですが、仕事として食に関わるようになってからは一層切実な問題になり、食養の方法論的なことよりも、実践を阻んでいる心の壁をいかに外すかに関心が向かって行ったのです。

 

自分自身への信頼を回復すること
今までさまざまな場所で食のお話しをさせていただく機会がありましたが、この5年の間に内容も随分変わってきました。その中で重要なキーワードとして浮かび上がって来たのは、「違いと出会う」「双方向コミュニケーション」の二つです。価値観の押しつけや強制は反発を生むだけで、一方通行の情報伝達からは新しいものは何も生まれません。一人一人にもともと備わっている「生きる力」がどうすれば自然に引き出されてくるかを考える上で、コミュニケーションの問題が深く関わっていることに気づかされたのです。そこで、食の話をするような場にも、気づいたことを書き留め、交換して読み合ったり、相互インタビューのような参加型のワークを取り入れたりすることを試みるようになったのです。


たとえば、名古屋にあるウイルあいちにて1997年4月から始まった「食生活のセルフデザインスクール(全5回)」は、私が一方的に講義するのではなく、 参加者の皆さんが現実に直面している問題をその場に持ち寄って共有し、お互いに学び合えるような場作りを心掛けました。内在する感性を磨き自分自身への信頼を回復すること、無双原理(PU)というモノサシを自分の食生活をデザインする道具として使いこなす、というようなことをテーマとしました。

 

また、最近「インフォームドコンセント」という言葉をよく耳にするようになりましたが、医師主体の医療から患者主体の医療へと、患者の自己決定権が尊重する動きが起こっています。古い価値観が崩壊し、新しい価値観が生まれている今のような時代においては、自分の外側にあるシステムや価値観に合わせようとするのではなく、一人ひとりが自分自身の内側から沸き起こってくるものを大切にしながら、価値観の違いをお互いに認め合うことが求められているように思うのです。

 

最初は別々だと思って始めたお店と塾の仕事でしたが、このように「食」と「教育」と「医療」は深いところでつながっていることに気づかされることになったのです。

 

自分の中に「問い」も「答え」もある
また、この3年間にはお店と塾だけでなく、講演会、シンポジウム、映画会、ビジネスゲームのセミナー、アワ歌を歌う会など、さまざまな企画に関わってきました。その結果、活動内容がしだいにボーダーレスでホリスティックなものになって行き、さまざまな人々やネットワークを結ぶ役割を果たしてきたようですが、これは決して最初から計画していたわけではありません。あくまで自分が今やりたいこと、今の自分にできることをその場その場で直観的に判断しながら実行して来ただけなのです。そのためか、ある方からは「井上さんは、何をやろうとしているのかよくわからない」というご意見もいただきましたが、「井上さんがやろうとしているのは、教育でも、医療でも、エコロジー運動でもない、今までの枠組みにあてはまらない新しいことなんだね」と言って下さった方もありました。そもそも本人がよくわかっていないのですから、人にわかろうはずもないわけですが、結局人間というものは自分が一番わからないのではないでしょうか。だからこそ、この「わからなさ」を大切に、さまざまな人との出会いを通して、自分を知り自分を見つめて行くことが欠かせないように思うのです。

 

現在、フッと浮かんだことや日々の出来事などを書きとめたものを「考現学」と呼び、それをFAXやEメールなどで多くの人と交換することを実践していますが、何と言っても今はこれが一番面白いです。桜沢は自学自習、自問自答を重視し、クラックスというPUの問題集をたくさん残していますが、「考現学」を書くことは、クラックスを自分で発見し自分で解いて行くことに他なりません。

 

チルチルとミチルは幸せの青い鳥を探して外に出掛けて行きますが、最後に青い鳥は家の中にいたことに気づきます。実は、自分の中に「問い」も「答え」もあるのです。自分にできることは、このような出会いの「場」と「チャンス」と「ツール」を提供することだけです。

※写真は11/23つんどくらぶ第29回の意見交換メモ

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